能力解放 ―The First Battle―
―1―
次に目に飛び込んできたのは、どこでもない元の場所だった。
元って言ったって、結局は本当の元とは言えないのだが……
俺は、暗い扉の間から赤い世界へと戻ってきた。何の前触れもなく。前触れのなさすぎさに、俺はぽかんとそこに突っ立っていることになる。必然、俺は以前の状況などとうに頭から抜け落ちている。それこそ記憶を捨ててきたみたいに忘れていた。
だから、行軍してくるゾンビのことなど一つの風景みたいに気にも留めずに眺めていたのだ。
「なにぼぅっとしてるの!?大丈夫?」
「え……?」
「え……じゃないわよ!!こいつら、いつもよりも固いのよ!!
私だけで切り抜けられるなんていっちゃったけど無理みたい……」
ごめん、と呟く七夏の声はぜぇぜぇと息急き切っていた。
その声を聴いて、俺はようやく今の状況を思い出す。
「まさか……」
俺が、七夏に頼まれたゾンビの群れはトールによって抑えられていた。巨躯を使って道を阻み、右手に持った大槌でゾンビの群れを薙ぎ払う。軽々しくゾンビは大槌に吹き飛ばされ原型どころか存在さえ消し去られる。
俺が正面を向いて、みた光景はそんなものだった。
だが、問題はそこじゃない。
俺の方をトールが抑えているということは、七夏の方はどうしているんだ?
恐る恐る俺は、後ろを振り返る
そこには、腕から血を流して戦う七夏自身の姿があった。
右から、左から、前から、後ろから……
八方ふさがりで、それでも自分よりもはるかに多い数のゾンビを捌いていたのだ。
正確には捌ききれずに、一体倒せば十の傷を負う、そんな無理をした戦い方だ。とても自分だけで抑えられているなんて思えない。どころか、自分を差し置いて七夏は俺を守ったのだ。
「なにしてんだよ……七夏」
何自分が傷ついてまで俺を守ってんだよ……ふざけるなよ!
「それで、それでお前が死んだら元も子ないだろうが!!」
おそらく出血の量からして七夏はもうダメそうだった。フラフラな足取りで満足に戦えているとは言えない状況だ。あの状態でゾンビを処理しているのが信じられないことだ。ゾンビは、のろまながらにその空洞の目で七夏を見つめ、ギザギザで刃こぼれした様な爪と牙で七夏に襲いくる。勢いも変えずに。
耐えきれるわけねぇだろうが!!俺なんて見捨てりゃよかっただろうが……
そんな思いが、頭を回り始めて……止めた
こんなことで頭を悩まして、動かない方が馬鹿らしい。死にかけのやつが俺の前にいる。よくは分からないけれど、そいつは俺にとって大切な奴なんだ。それでいい。
俺は七夏を助けたい!!
それだけで十分だ。
後のことは、全部面倒臭い。考えるな……
「アルカナナンバー0、開錠」
そう声にだし、俺は虚空に告げる。すると俺の前には『愚者』のタロットカードが現れた。ゆっくりと回転して、自分の存在をそこに知らしめるようにあるタロットカードを、俺は無心に砕いた。
バリィーンとガラスの割れるような音が響き渡る。
「物真似能力行使アルカナナンバーⅥ、恋愛」
そう俺は再び叫ぶ。
俺の手に大槌が装備される。それは、七夏が召喚したトールの握る大槌と瓜二つだった。
そして、握った瞬間に想像を絶するような重さが俺を押さえつけた。
「うおわっ!重っ!!」
トールの握るそれよりも俺のサイズくらいに縮小されているので、マシになっているだろうと思ったのだが、そんなことはなかった。握った瞬間重力に逆らえずに右手に持ったままそれを地に落としたのだが、それだけで地面が抉れた。予想以上の破壊力に召喚した俺自身が息を呑む。
だが、ここで問題がまたあった。
「持ち上がらねぇっ!!」
重いのもあるのだが、何よりこの大槌持ちにくい。
ハンマーの叩く部分、つまり頭部の部分に対し、持ち手の部分が明らかに短いのだ。頭の座っていない赤子のような感じだ。頭に対し体が小さいから頭を持ち上げることが叶わない。
言ってしまえば、この槌は俺の身に余る赤子だったってことだ。
「くそっ!!使えねぇのか!!」
使えないのなら無いのと一緒……
こうしている間にも七夏は血を流している。もたもたしている暇はない。
「だったら、こっちだ!!」
俺は、もう一度カードを出現させて砕く。今度は違うものを頭に描いて召喚した。
「これなら、いける!!」
腰に俺は力帯を装備した。これにどんな力があるのかはわからないが、トールの身に着けた武具で目についたのはこれくらいだった。ずしりと重いものの、さっきの大槌に比べれば数百倍マシな重さだ。俺はその帯をきゅっと締めて、地を蹴った。
―2―
後は簡単なことだった。
あっけない終わりだ。
トールの方は言わずもがな、俺はトールの装備を真似て力帯の能力を使ったのだ。
それは超人的な『力』を得られる神具。
人外的な力を得た俺は、自らの拳で敵を殴るだけでまとめて5体ぐらいは吹き飛ばせた。
ゾンビの群れに突っ込み、それを繰り返していたらゾンビを全滅させるに至ったのだ。
一番の問題は七夏だ。
傷だらけになりながら俺を守っていた七夏。
傷は浅いものの、出血の量が半端ではなかった。
戦いが終わった瞬間、安心したようにぱたりと倒れたのだ。
「だい……じょ…ぶ……だから……」
うわごとのように言い続けるそんな状態が、大丈夫なわけがない。
意識が途切れたためか、その場に居合わせたトールも光の粒子となって消え去った。
「無茶しやがってっ!くそっ!!」
もっと早く倒せていれば……
俺はそう後悔しながら、七夏を抱き上げ学校へと向かった。
記憶…… 赤い世界…… 罪…… 扉…… 能力……
一度に分からないことだらけで、混乱している俺の心はもうぐたぐただった。
赤い世界全体が一つの地獄のように思えた。
七夏の息はだんだんと力のないものになっていく。こんな地獄のような世界で、七夏に死んでほしくない。死んだらダメだ!!
それは道徳的な信条とか、助けてもらった借りを返すとか、救済者のような慈愛に満ちた考えとか、そんなものじゃない。俺はただ、俺の中にある大切な何かを彼女は持っていると、彼女は俺を知る人間だという理由でそんな思いを持っていたのだ。大切なものを守りたい。そんな利己心なんだ。
もし、彼女が知らない人間で、俺にとってなんでもない人間だったなら、俺は……
俺は、彼女を見捨てただろうか?
「知らねぇよ!!今は関係ないことだっ!!」
俺の中で一際強い感情は、どこから来るのか見当もつかない寂しさと不安だ。
答えのない道をさまよい、俺は無限にも感じられる学校までの道のりを走る。
気持ちを紛らわすために、忘れるために……
裏世界、赤く染まった罪のうごめく街を、俺は心を引き摺りながら走る。
こうして、俺の裏世界が幕を開けたのだ。