表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルカナハーツ  作者: 風水 夕日
第一章 『恋愛』の選択
4/17

【裏】世界 ―The Red World―

―1―

 しばらくの沈黙を間に挟んで、七夏は俺に右手を伸ばしてきた。

精神的にまだまいってしまっている様子なのか、小刻みに指先が震えていた。


「今は、何も聞かずに私の言うことを聞いて……」


「……あぁ」


 それが自分でもわかったのだろう。七夏は大きくゆっくりと息を吐いた。ひとつひとつ、自らの内に渦巻く不安を吐き出していく。俯いた顔を持ち上げ、決意するかのようにすっと俺の手を取ると、優しく両手で包み込んでぎゅっと胸に抱きしめた。


「大丈夫だから……絶対、私が守るから……!」


 彼女の温かな手は、呆然とする俺を立ち直らせてくれる。安心できる。信頼できるものだった。温かで、確かで、宵闇を晴らす朝焼けの光が差し込んだような思いだった。そんな風に勇気付けられるとともに、俺はこの少女の名前すら覚えていないことが情けなくて申し訳なく思った。


 なんできつく当たったんだろう……


 どうして知らないなんて冷たいことが言えたんだろうか……


 俺は彼女に手を包まれている間、暖かな気持ちとどうしようもない後悔の念の板挟みに苛まれていた。優しさと罪悪感という両極端な感情に胸が押しつぶされそうだった。こんな気持ちはもう味わいたくなかった。

だから、俺はこれ以上彼女を悲しませたくなくて、罪悪感に応えるようにか細く小さな声で囁いた。


「汐見 七夏……」

「そう、私はあなたの幼馴染の……七夏……だよ」


けれど、それを聞いて七夏はまた、ひどく悲しそうな顔をするのだった。


―2―

家を出た俺たちは、赤い世界をただひたすらに歩いた。

学校へ向かってだ。道中他の人には出会わなかった。普通ならこの時間帯には忙しく人が歩いていたはずだ。特に今日は月曜日。学生もその輪の中に混じる。

ゴミだしのおばさん、仕事場へ向かうサラリーマン、学生服を着た男子生徒、少しおしゃれな制服の女子高生、犬を散歩するおじさん……

みんな忙しくも思い思いの朝の時間を送っていたはずだ。規則に従った不規則とでもいえるだろうか。自分の規則にそった生活と生活のせめぎ合い。それが都会の朝だと思う。

だが、そんな不規則もせめぎ合いもこの朝は全くなかった。俺と七夏以外の姿が一切確認できない。人の気配が一切しない。生活を営む物自体が存在しないのだ。そんな異常な都会の雰囲気の中、俺と七夏は急ぎ足で国道の真ん中を歩くのだ。


 七夏とは家を出てからまだ一言もしゃべっていない。沈黙が世界を支配してしまっていた。まるで音という音がこの世界から消えたかのような状況だ。

 時々何かのうめき声が聞こえるような時もあったのだが、空耳だと言い聞かせて歩いていた。ただ、血のように赤い道路を突き進む。血の海を進むといっても普通にいいような気がする。その中を無言で歩いていくのだ。普通なら平常心で歩けない。だが、七夏は特に気にした様子もなく歩んでいく。俺は普通の一員だ。だからいつもより警戒心が強くなっているのだろう。それとも過敏になっているのか……どちらにせよ、問題は――


──うめき声の数が多くなっている


 しばらく歩いて、都会の風景から少し離れた位置にある俺たちの学校が見えてきた。


──私立錠前学園


それが俺たちの通う高校だ。

 私立だけあってかなり大きくてきれいな学園だ。この学校の特徴といえば、やはりその規模と部活動だろう。規模は一般の公立校の比ではなく、一学年に約千人、全校生徒は教職員合わせて3300人のありえない高校だ。その規模の大きさに合わせるように学校内の設備も尋常ではないのだが、書き出すと広辞苑一冊は埋まると思うので話さないでおこう。

 この学園は、『生徒の生徒による生徒のための自治』をうたい文句にした完全生徒自治制の唯一の学校である。私立という名目だが、国からしてみればそういった初の試みの実験という本音があるのだろう。うまくいったのかどうかは分からないが、故にこの学園に規則はない。ひとつだけあるとすれば、それは『ルールは自分で作れ』ということになる。ここまでいえばわかると思うが、この人数の生徒を取りまとめ、指揮し、収集を付けるもの、つまりは『生徒会』……

それになることがどれほど難しいかはわかるだろう。例えるなら、日本の新たな総理大臣を決める『選挙』に近い。選挙演説や戦略など、そこらの政治家よりできる生徒がいるのだ。生徒会長さまさまだな。

 当然、部活動の数も想像に難くないだろう。

尋常じゃない多さ……数えるのが馬鹿らしくなりそうだ。これも、面倒臭いので省略としよう。ちなみに俺は帰宅部のエースだ。

 学校について長々と言えばこんなものだろうか……


 こういったくだらない知識だけは忘れていない。人間関係だけが、すっぽり頭から抜け落ちている俺の記憶。本当に器用に抜け落ちている。まるで『選んだ』みたいに……


 まぁ、今はそんなことはどうでもいい。

 いくら学校が常軌を逸するものでも、俺の記憶が器用だろうと、この赤い世界に比べれば砂粒程度にしか気にとまらないだろう。それほどまでにこの世界の存在はイレギュラーだ。うめき声の大きさは、もう囁きどころでは済まない。スピーカーでも通しているんじゃないかと思うほどに大きくなっていた。

 そう思った時に、歩き続けていた七夏が急に両手を広げて立ち止まった。


「やり過ごすことは、できなかったね……」


「……何のことだ?」


 七夏は、俺の言葉が聞こえていないかのように鋭い目をして前方を見ていた。

その眼は、赤い世界に入る前の七夏の、あの優しげな暖かいものではなかった。

俺もその眼にハッとして視線を追い、七夏が睨みつけているものをたどる……



 信じられないものが俺たちの前に立ちふさがっていた。


「何だ……あれは……!?」


 ぼろぼろと崩れる赤い血肉を腐りかけの骨から垂らすゾンビのような怪物が、まるで獣が喉の奥から鳴らすような言葉にならない低い呻きをあげてぞろぞろと10匹以上の群れを成してこちらへと近づいていた。



「……分からない?

この世界に入れるようになった人は、みんな勝手に知識が刷り込まれてるみたいだけど……

こいつらのことと、ここで生き残る術と……」


「……?」


 七夏は冷や汗を垂らしながら、近づくゾンビを警戒して後ろへとじりじり退く。

俺もそれにならって後ろへと引き返す。そうしながら、七夏に言われたことが気になって頭の中から引っ張り出すように知識の引出しを開いていく。

すると、俺には覚えのない新設された引出しがあった。記憶が無いのにどうもこうもないとは思うが、とにかく開いたことのない真新しい引出しが存在する。

俺は恐る恐るその引出しから知識を取り出した。


「こいつらは――(シン)。俺たち人間の罪と罪の意識の集合体」


「そう……私たち人間に死を以て償わせるために殺そうと襲いかかってくる異形の怪物」


 動きこそは緩慢で、こちらから近づかなければ絶対に逃げられるほどなのだが、俺たちには逃げられない理由があった。


「後ろからも……」


 凛とした顔の七夏もこれには苦い顔をした。四方八方ゾンビに囲まれたのだ。


「戦わないと負けるわ。あまり戦いたくなかったけど、勇人(はやと)を守らないといけないもの……!でも、勇人……もしものことがあったらやだから聞くね。戦い方、わかるよね?」


「……あぁ、なんとなくだけど知ってる」


「そう。わかったわ。

こんなにいると思わなかったから私ひとりじゃダメ。

私が学校側の罪を倒して道を作ってる間、できるだけ勇人の方も頑張ってくれる?

後ろの罪、任せても大丈夫?」


「おう……!」


 俺には何を言われているか正直判らなかった。ただ、ずっとこのゾンビと出会ってから胸の奥で疼く力みたいなものがあったのだ。今すぐ解放して自由になりたいと、力が体を引き裂かんばかりに暴れていた。俺がそれに耐えている間に、七夏は何かを唱えた。


「アルカナナンバーⅥ、開錠……!」


 そう言った七夏の眼前にカードらしきものが現れた。

というか、カードそのもの――タロットカードだ。描かれているのは二人の男女とそれを見下ろす天使のカード。Ⅵの数字を当てられたそのカードは、たしか『恋愛』のカード。

 そのカードを七夏は、どこから取り出したのか右手の杖で砕いた。バリィーンとガラスが割れるような音があたりに響き渡る。七夏は少し迷う素振りを見せて、そして意を決したように右手の杖の先を地にコンと小突いた。すると、小突いた足元から青白い電流がバチバチと迸る。地を這う電流は、しかし攻撃的なことはせずに地に意味ありげな紋章を作り上げた。


「出でよ、雷神トール!!」


 そう叫ぶ七夏の前に、電流の紋章から巨人が現れ出た。燃えるような目と赤髪、赤髭をもった巨人だ。

両手には鉄の小手を、右手には柄が短く、その割には槌の部分が巨大な持ちにくそうなハンマーを持っていた。両腕の隆々とした筋肉、腰に巻いた力帯は、いかにも力持ちであることを証明していた。


「……すげぇ」


 しばらく巨人に心奪われていた俺は、首を振って自分に集中する。

何をするかは、何となく頭の中で分かっていた。だが、初めてなもので自信を持てない。その間にも俺が任された後方のゾンビ約10体は迫りくる。その後ろからも盛り上がるようにしてゾンビが増え続けている。迷っている暇は、ない!!


「アルカナナンバー0、開錠……」


 恥ずかしく思いながらも、俺は制約の解除の言葉を叫ぶ。

眼前に、今朝見た意味の分からない夢と同様の棒切れを持った道化師の描かれたカードが現れた。

緑色に光るそのカードは何を意味するのか……

前触れもなく、俺の頭には【鍵】という言葉が波紋のように静かに広がっていた。

だが、それを気にしても何も始まらない。

俺は眼前の『愚者』のタロットカードを何かを掴み取るかのように、ぐっと握りつぶした。

辺りに澄み切った音が響く。まるでガラスを割ったような音。


 その音が聞こえた瞬間、俺の世界はふっと切り替わったのだ。

 真っ暗な中に、俺と、たくさんの錠で固く閉じられた巨大な扉だけが存在する世界へ……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ