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アルカナハーツ  作者: 風水 夕日
第一章 『恋愛』の選択
2/17

黒い世界  ――Black Memory――

 ―1―

 

 俺は、どうなってる?

生きてるのか? 死んでるのか?

……分からない。五感がまったく機能していない。耳は音を、目は光も闇も取り込まない。鼻も、口も、一切空気を感じない。触角は、存在すらしていない。そう説明するしか今の自分は表現できなかった。ただ思考だけが存在する。そんな感じだ。違和感極まりない説明だが、存在しない存在になっているとでも言う方がしっくりきそうだ。感覚は無い。だが思考は存在する。感覚から仕入れた材料がないのに思考が存在する。そんな気持ち悪い状態だ。


「やぁ、わかるかい?僕のこと……」


「……?」


不意に音ともつかぬ何かが響いた。


「そうだよね。知ってるはずもない。知っていたら奇跡さ」

 

声が聞こえる。まったく何も感じない。聞いているというよりは、名前のない現象を認識してるみたいな感じ。決して俺が聞きたくて聞いたものではなかった。けれどそれは、自然と耳に入る雑音と違って強制的に意識させられているかのような、そんな気持ち悪い声だった。その声は続けて告げる。


「君はここがどこだかわかるかい?」


「……分かるわけねぇだろ」


自分の声だ。ずいぶんしゃがれて、風邪をひいた時みたいな声だ。

ただ、やっぱり自分の声だとわかっても、それがどれだけしゃがれていても、俺の声じゃないみたいで、喉が響く感じはしなかった。


「どこなんだ、ここは?」


「どこでもないし、どこでもある」


「……は?」


「分からなくてもいいさ。大抵の人間は知らないし、知らずにその生を終えるさ。君は生まれたその時から知っているのだけれどね……憎むほどに」


「……何のことだ?」


「失礼……今の君は分からないんだったね、以前と違って……

ついつい君を前にすると忘れてしまうよ」


どこか読めない感じの声で、懐かしいといった風な感じで話す謎の声。

だが、全く懐かしんでいる感じがしない。何となくそれだけは確信を持てる。

懐かしんでいる……違う。これは……怒り?


「君は、今自分がどうなっていると思う……どうなっていると思いたい?」


「さぁな……なんにも分かっていない俺が何かを望めると思えるか?

結局はなってるようにしかなってない。お前が言ったことを受け入れるしかないだろ」


 随分冷めた返答だろうか?

どっちみちどうなっているかなんて興味はない。死んでいるのか生きているのか。

そのことすら興味はない。今ここに俺がいる。それだけで充分だ。

どうなっているか、答えるのも面倒だ。面倒なことは嫌いだ。


「冷めてるなぁ。

自分の事なのに。まぁそんな答えだろうと思ってたけどね

自分はどうだっていい。他人もどうだっていい。

けど、君は動いた。

自分の為に……

他人の為に……」


「お前、何の用なんだ……言うならサッサとしてくれ」


面倒くせぇ。全身全霊でため息をついて先を促す。

こっちは訳分からなくて疲れてるんだ。あまり向こうの面倒な回想に付き合うほど人はできてない。考慮してほしいものだ。……それ以前にこいつは人間なのか?どうも違和感を感じる。

気持ち悪い。釈然としないままだが、俺の目が見えていない以上視認できないのだから考えるだけ無駄だ。どうにもならないことだと結論付けて無理やり押し込める。知ったところで状況も変わらない。どっちみち主導権は向こうが握ったままだ。


「伝えること……そうだな。

まずは、以前の君は死んだ」


「……どういうことだ?」


「記憶を失った人間は、果たして『人の間』で生きているといえるのかな?

人物には歴史がある。

苦痛、挫折、妬み嫉みにもがいた記憶……

快楽、成功、栄誉名誉を誇りに持った記憶……

人間として生きてきた記憶を失った人間は、果たして今まで自分を認めた『人の間』に生きているといえるのかな?」


「……要は俺には記憶が無いと……そう言いたいんだな」


「まぁ、そうなるね」


「そうか、どうしようもないな」


「……」


「……」


 何を求めているのかいまいち分からない。

俺の記憶がこいつにとってそんなに大事なのか?

そんな雰囲気はまるでない。頭の中でその可能性を否定する。

 だとすれば俺の記憶が無くなって喜ぶ誰か……

それなら相手は大犯罪者だ。記憶をなくす前の俺が、見られて困るものを見てしまい、強制的に記憶を奪ったというシナリオになる。

しかし、これも俺は頭の中で否定する。無理がありすぎる。

 まず、確実に記憶を失くせる方法なんて存在しないはずだ。仮になくせるとしてもここまで落ち着き払った態度なんてよほど肝が据わってなければ出来やしないだろう。しかもそんな手間のかかるやり方をするより俺を殺した方が速い。絶対に人は殺さないといったような美学を備える大怪盗でもあるまい。そんなものが活躍するのは漫画だけだ。


 色々と考えてみたが、結局はわからない。相手の要求が分からない以上、下手に動けない。というか面倒臭い。不快をかみ殺すしかないことにさらに不快さがつのる悪循環。相手はそれを楽しんでいたかのように絶妙に不快なタイミング、つまりは俺がしびれを切らして口を開こうとした時に話を再開したのだった。


「私としては記憶が無いことを気にしてもらいたいところだけれど、君だからしょうがない。

ばらしてしまうと君の記憶は私が預かっている。」


「預かる……?記憶をか?

お前、本気でそれを言ってるのか?」


「条件を飲んでくれるなら、返してあげようじゃないか」


 何言ってるんだ、こいつ。

俺は、いるかいないかも分からない声だけの存在に呆れてため息を漏らす。こいつは、まぁ本格的に頭のねじがはずれたような奇人か、あるいは、身代金目当ての犯罪者か……

 最初はこの不快感と何も見えない無の空間で圧倒されたが、それも変な薬で眠らせて真っ暗なところに監禁してしまえば簡単なことだろう。身代金目当てであるのならなおさらその可能性は高いだろう。もっとも、ここまでねじの外れた話をする輩が身代金目当てで動くかどうかだが……まず疑われやすい人種には違いない。


「どうやら信じてもらえてないみたいだね……まぁいいさ」


「当たり前だ。こんな整合性のねぇ不条理で筋の通らねぇ話があるわけないだろう!」


 こういうやつは言いなりになっといて隙あらば、逃げるのが一番だ。とりあえず話に乗ったようなふりをして早々に開放してもらおう……付き合う方が面倒くさい。そう考えを改めた俺は、できるだけぶっきらぼうにならないように、とりあえずは話半分で聞いてやるという返答をする。相手はやはり、俺のだるそうな気配を察知したようだが……


「条件は、飲んでくれるんだね?」


「あぁそうだよ。

不本意極まりないが、そうするしかここから抜け出すこともできないんだろう?だったら早くしろ」


 やれやれと肩をすくめる相手の姿が見えた気がしたが、気のせいだろう。一向に俺の視界は真っ暗なまま、混沌とした世界を映し続けるだけだった。

 全く相手の意図が読めない。俺の整理のつかない感情や情報、状況がいろいろに交錯し、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、考えて考えて考えて……結局何一つまとまったものは残らない。あるのは混ぜ合わせて途方もなく形のなくなった残骸だけ。

 そんなことを暗示しているかのような黒の世界。

そこに光る何かが現れ始めた。


「条件はこれだよ」


 その言葉の瞬間、光る何かは形を成してカードとなった。タロットカードだ。数字は0。


『愚者』


 棒切れを持った道化師が描かれている。目の前は崖だ。そのことを必死に伝えたいのか足元には小さな犬が道化師に向かって吠え続けている。愚か者たる彼は、おそらくそのまま進み続けるのだろう。小さな声がその危機を伝えているにも関わらず……

 俺は、しばらくそのカードを見つめて、相手が言葉を発するのを待つ。が、その肝心要の相手がまったく話さずに、むしろ俺からの言葉を待ち構えているようなので適当にそいつが望むような答えを返す。

 面倒くせぇ……


「で、いったいこれがなんなんだ?」


「君には記憶探しの旅にでてもらう。」


「……は?」


「すぐには記憶は返さない。返すときは現実で僕に会ったときだ」


「ふざけるな!記憶も失くしてないのにそんなことできるわけねぇだろ!!」


「あれ?

君はまだ本当に自分が記憶を失くしているってことを信じていないのかい?」


「だからそんな不可思議な話、あるわけねぇだろ」


 俺は正しいはずだ!そんな簡単に人の記憶が奪えてたまるか!

だが、もっともな話なはずなのに、相手はなおも自分が正しいというような態度を崩さずに、むしろさっきよりも憐みの度合いを増した視線のようなものが俺を刺した。


「それなら思い出して御覧、君の思い出を!

もちろん『愚者』として持っている君自身の素性に関する記憶以外をね。

そうだな――君は幼馴染がいるかい?

――その名前は?

――その人と出会ったのはいつから?

――かわした約束なんてベタな展開もあるのかな?」


「当たり前だ!そんなもん簡単に……ツ!?」


 売り言葉に買い言葉で勢いよく当たり前の答えを返そうした。

返せたはずだった……



返せなかった……?



 自分でも訳が分からなかった。喉から声を出そうとしても出せなかった。

幼馴染なんていたっけ?

それ以前に、俺以外に人なんていたっけ?

常識的に考えれば人はいる。いるのは分かる。ただ、誰一人として思い出せないのだ。幼馴染だけじゃない。確実にいるはずの母親も父親も顔どころか名前すら思い出せないのだ。苗字は分かる。俺と同じ、広瀬だ。広瀬……それ以外の何物も喪失していた。

……何もない。全てが無い。

急に悪寒がした。今までのすべての俺がいない。俺が作っていった軌跡のすべて。幸福も、不幸も、傷も、傷跡も、関係も、好悪も、美醜も、価値観も……俺のたどった足跡すべてを失っていた。それが、何となく恐ろしかった。俺の存在すべてが否定されたようで、拒絶した世界が足跡を抹消したようで。思い出せないけれど尊い何か……決して失われるはずのない、失ってはならない痕跡。その痕跡を抹消した世界が、今もしかしたら俺のいる何も見えない黒い世界なのかもしれない。そう思うと、俺は言いようのない何か巨大で煮えたぎるような感情を、それと同時に腹に一つのしかかる重い不快感を感じた。

いかれてる……何もかも!


俺は、恐怖で渇ききった喉に痛みを覚え始めた。それくらいに衝撃的だった。

ただ、それ以上に意外だったのは衝撃を受けた自分自身だった。記憶があろうがなかろうがどうでもいい、そんな風に考えていたにもかかわらず衝撃を受けたことに驚いた。冷静に考えれば、記憶が無いと告げられた瞬間、俺はそれが実際に行われているものだと考えておらず、心のどこかでそんなことできるわけないと思っていた。他人事のように冷静にそれを受け取っていたからだと思う。いざ自分のことになれば人というのは急に自己中心的になる。災害時に自分だけは助かりたいと屋内にいる人々が他人を気にせず出口に殺到するのがいい例だろう。そういった災害をテレビで見る自分はそれが実感できるまで他人事だ。

 だが、そんな驚きも恐怖もすぐさま掻き消される。正体のわからない声だけの存在によって。


「……わかったかい?

君には記憶が無いのさ。何もかも全て。この私が奪った」


「奪った……?」


「探すといったが、正確には君の記憶を探すのではない。

記憶をしまった扉の【鍵】を探してほしい。そこに君が求めるものも、私が求めるものも存在するだろう」


思考が半分止まってしまっている俺は、それでも何とか反論を試みた。

もっとも、かなり稚拙な子供のわがままのようにではあるのだが。


「お前がしまったんだろう!

お前で何とかできるだろうが!

俺は何もしてないし、何かする義理もねぇ!

俺は、お前の最大の被害者だろうが!!」


「それができれば君に頼んですらいない。

私にとっては君の記憶なんてどうだっていいのだから、それを考慮している分感謝してほしいくらいだよ」


感情的な物言いだが声色を聞く限り、かなり平坦でまったくそんな風には聞こえない。俺を挑発しているのかとでも思いたくなるほどの無感情な声だ。それがむしろ冷酷ともいえるような鋭い威圧感を放っている。そいつは同じような声音で無感情に俺を脅しにかかる。


「私にはその【鍵】が探せないからこうして依頼している。

君の意志は尊重するが、君の意義は尊重しない。記憶などどうでもいい。

私には石ころ一つの価値さえない。無理にでも扉を開けることだってできるが、それは君の意志を尊重しない。それは君の記憶を無理やり壊すのと同義だ。だから頼んでいるのだよ」


依頼と言えば聞こえはいいが、それはもう脅迫に近い。

今、記憶が無いといった衝撃を受けている人間を前にそんなことを言えば答えは決まっているようなものだ。そして、俺もやはり迷いなくその通りに応えるのだ。俺は目の前の『愚者』のカードを握りつぶした。暗闇の中、手は感覚すらない状態だったが、『愚者』のカードは思い通りにパリンと砕け散った。


「やってやるよ。

【鍵】探し……

面倒くさいが、むざむざ俺のものを勝手に壊されるのは癪だからな!」


俺はそいつを黙って睨み付ける。といっても、体の存在がないから実際はそんな気がしているだけだ。しばらくの沈黙が場を支配する。はっきり言って居心地が悪い。全身の感覚がないのだから当然かもしれない。しばらくの沈黙の中、相手がくすりと満足げに笑った気がした。


「最後のピースがそろった……」


「は……?」


 ぼそっと独り言を言ったというより、あえて俺に聞こえるくらいの声でその言葉を言ったようにも思えた。それくらい、小さくも力強い、まるでようやっと悲願が叶う一歩手前のような、そんな細くも芯のある声だった。聞く限り、それがもっとも感情のこもった言葉のような気がする。それほどに欲しいものって……


「【鍵】って何処にあるんだよ……」


 無意識に口をついて出た言葉だった。

明らかにそれは同情の気持ちからだが、こいつももしかしたら被害者なのかもしれない。ことの顛末を知っているだけで、実はこいつも失っているのかもしれない。何かは分からないけれど……

 声だけのそいつは、一仕切りの沈黙の後静かに告げた。


「君には失った記憶と【鍵】が密接に関係して存在している。その【鍵】の数は全部で21個。そのうち一つは、すでに君が持っている。その『愚者』のカードだ。【鍵】は君の保身のためにもなる。それは君の力だ。」


 真剣な声音の割には腰を抜かしそうな話だった。聞けば聞くほど子供のお遊びのように思えてくる。

カードが【鍵】で力?

信じろという方が難しい話だ。まさか朝の子供番組のように変身する美少女や昆虫モドキでもあるまい。

 だが、現に俺は記憶を失っている。それだけは事実で、こいつの言っている中で唯一確実なことだ。そうなる以上、この話も信じざるを得ない。こいつも何かを欲しがっていて、それが俺の求めるものと同じ場所にある以上俺への援助は確実にするだろう。


「君は、旅人となって自分の力を探せばいい。おそらくすぐに見つかる。【鍵】は君の記憶の柱なんだ。柱とは君の記憶の要となった『人』のことだ。君には、君という一人の人間を認めてくれた二十人の人間がいる。それが、【鍵】だよ。」


「それを信じるにしても、俺の記憶が無いんじゃ要の『人』を探しようがねぇだろ!」


しばらく返事がなかったが、クスッと笑う声が聞こえて、そいつはこう答えたのだ。


「大丈夫さ。自然に集まるよ。だってそうだろう」




         鍵は、鍵穴がないと意味が無いんだから……




構成を変えました。

プロローグにある通り、もともと一部にあった話の改稿です。

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