プロローグ
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この世界は、何にも変わらずに、ただ刻々と平凡に過ぎ去っていく。
一人一人出会う出来事は違う。享受する情報も違う。その日その時その場所にいる人にしか同じ体験は起こりえない。それでさえ出来事から受け取る感情は、違う。そういった違いの中を生きるのが当たり前なのだ。そういう現実を生きるのが普通なのだ。みんな【現実】を生きてる。俺もそうだ。いや、そうだった。
「面倒くせぇなぁ……」
だけれども、俺は今、それが通じないところにいる。それが非常識になる世界も存在する。違いが無くなったわけじゃない。むしろ、違いがわかりすぎる点で通じないのだ。違いはあれど、それは安全の中で判別できる類であるのが現代の【現実】だ。ここはそれを無視している。あまりに【非現実】だ。
そう心で思っているのは、俺こと広瀬勇人だ。超絶面倒臭がり、趣味は昼寝とふて寝。嫌いなのは、面倒なことと寝れない場所。俺を語るならそれくらいで十分、というよりかはそれしかないように思う。もっと語れるところはあるのだろうが、俺が知る【俺】は、それだけだった。
俺の眼前には、血の色のように赤く染まるビルが剣山のように連立している。ここは少し大きな都市で、王都市という名前でとおっている。だが、今はそんな都市の名に恥じないような喧騒はまるで聞こえてこない。車の音、人ごみの足音、信号機の音……すべてが聞こえない。そうでないと俺は、今頃轢かれている。俺が立っている場所は、国道のど真ん中なのだから。車が一台も通らない国道なんてあるはずがない。あってもぼーっと立っていていいはずはない。第一、情景がおかしい。血のように赤くなるといえば、夕方だ。なのに、今は午前11時。正午近くの青空が広がる時間帯だ。しかも、今日は雨。そんな色が、街を覆うはずがない――
なぜこんな奇怪なことが起こっているかといえば、ここが現実ではなく【裏】の現実だから。そして、俺はこの【裏】の世界に一年前入った。『入った』というよりは『入れさせられた』の方が近い。どんな原理なのかは分からないが、いつの間にか自分だけが切り離されて現実からこの世界に入っている。知らないうちに入っているのだ。咄嗟のことで分からなかったが、俺は驚いてはいなかった。恐れはしたが……(驚きと恐れはほぼ一緒だといことには目をつぶるとして)なんて言ったって、俺には【記憶】がないから。だから、もしかしたらこの世界も普通にありふれているものだと思ってしまったのだ。
間違いだと気付いたのは、今俺の目の前にいるものが襲ってきたからだ。
「面倒くさいけど、死にたくないしな。」
この【裏】の世界を支配するのは、人間ではなく【罪】という化け物だ――
俺の眼前には、赤い血をべったり塗ったかのような足取りのおぼつかないゾンビが3体近づいてきていた。
「アルカナハートナンバー0、開錠……」
こっぱずかしいなと思いながら、俺は制約の解除を口にする。そうすると、俺の眼前には『愚者』のタロットカードが現れた。白く光りながらゆっくり回転して自分の存在をそこに知らしめるタロットカードを、俺は右手で握りつぶした。バリィーンとガラスの割れるような音が響き渡る。それは、まぎれもなく『愚者』のタロットカードが割れた音だ。あたりが緊迫感に包まれ、俺の周りを風が少し強めに吹き抜ける。ゾンビたちは、なおも俺を目指してゆっくり進行中だが、そのうち一匹が呻きを漏らす。
「……償えぇ。ツグナエェエ……」
「……ふん」
俺は、いまいちこいつらのことをわかっていない。今のような呻きを何度も聞いたが、俺には何を償うべきか分かっていない。どうしてこいつらが俺たちを襲うのかもわからない。襲われて本当に死ぬのかどうかすら分からない。ただ襲われる恐怖心が先立っているのかもしれない。確証はない。前にも言ったが、俺には記憶がない。奪われた。知っていたのは、自分の名前と現実世界、そして裏の世界での生き方だけだった。こうしてよくわからん力をふるうのも、原理を知らずに振るっているだけだ。だから、俺は生きることだけを考えて今は行動している。他は知らないし、助けない。助けられない。自分のことで精いっぱいだ。自分を助けるうえで他は必要極まりないのだが――
「物真似《マイム》能力行使、アルカナナンバーⅣ、皇帝」
その瞬間、俺の手には大剣が現れる。片手で持つには重すぎる鉄の塊だが、それを悠々と俺は片手で持ち上げる。ぶんぶんと頭の上で回転させて気合を入れてから、俺は重心を落として構える。
「借りるぜ、大樹。お前の力、真似させてもらう!!」
この世界で出会った鍵、その力をマネして使えるのが俺の能力。強み。
自分は自分を守るので精いっぱいかもしれない――けれど、それを助けてくれるのは自分以外のみんな、他なんだ!!
俺の旅は、過去のために歩む未来の物語。未来のために、俺はこの世界で出会った仲間の力を真似る。
同じようにこの世界に捕らわれ、何かを見つけようともがく仲間――【鍵】と歩むために!!
呻きを増す罪に向かって、俺は迷いを捨てて立ち向かう。
タンッと一歩目を踏み込んで、力いっぱい地を蹴って……!!
「うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
構成を変更しました。
プロローグの次は、新しく加えたものです。
といってもこの章の前半に元々位置していたものの改稿ですのであしからず。