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雪火野  作者: 俊衛門
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カミラが扉を開けると、学生の一人がこちらに気づき、直立不動の姿勢を取った。

「続けて」

 カミラはそのままと手で制するのに、学生たちは再び向き直り、組み手を再開した。中央で対峙し、向き合いながら、拳と蹴りを交互に繰り出し、互いに打ち合う。足に、訓練用のシューズを履き、その靴の先で相手の顎と横面を狙って打ち込む、そのたびに鋭く叩いた音が響くいた。

「相変わらず、サバットが正課か」

「そう、あんたが一番苦手だった奴」

 カミラはいたずらぽく笑い、調は渋面を余儀なくされた。

「あんまり人の過去をほじくり出すな」

「忘れようたって忘れられないからね。いつだかヨファにやられたからって、ものすごく悔しそうな顔してたっけね」

「やめろ、その話」

 自分の声が熱を帯びつつあるにも関わらず、調は少し語気を荒げた。カミラはそんなことお構いなしに続ける。

「ヨファに負けて、私に教えを乞いに来たこと忘れたとは言わせないよ。あんたはサバットはからっきしだったけど、私の教えたあれだけは修得出来たからね、格闘術を落第せずに済んだんじゃない」

「ああ、ああ、感謝しているよ。しているからもうその話は終わり」

 昔話など出されたら、調に勝ち目などないのだ。あのハビタットを飛び出してから訓練校に入るまで、入った後も、カミラに教えを乞わなかったときはない。原野での生き延び方、敵の倒し方、旧人が生きるための術――己を殺す術まで。

 学生たちが入れ替わり立ち替わり、相手を換え、組み手を行っている。その中でひとりの学生が、こちらを見ているのがわかった。

「手が止まっているよ、ジェイク・リー」

 カミラが言うと、ジェイク・リーなる学生は肩をすくめたように見え、

「教官、質問が」

 ジェイク・リーの言葉に、他の学生たちも組み手をやめ、こちらに振り向いた。カミラは嘆息しながら言った。

「何よ」

「いえ、そちらの方。もしかして俺も知っている人かなって」

「俺は君のことは知らないよ、ええと」

「ジェイク・リーです、ミスター・アミヤ。あなたが知らなくとも、一度軍に入ると決めた者からすればあなたを知らない者はいない。旧人でありながら、白兵になったという人間は」

 透明な球。しかしその中にも複雑な色が紛れ込み、水に垂らした絵の具のごとく、ごくたまに青や紫の筋が垣間見える。ジェイク・リーの情動は、一体どう表せば良いのだろうか。球面だから不快ではないのだろうし、しかし色が殆どない。

「そうか、それは光栄、と言っておけば良いのか」

「ええ、有名ですよ。どうして旧人が、軍はおろか白兵になれたのか。疑似的な回路しか持っていないのにと」

 少し声音が変わった気がした。透明な球に、少しの黄色が差した。カミラの顔が、果たしてこわばる。

「ジェイク、変なことを言わないで早く――」

「よければ先輩、見学だけじゃなくて汗でも流して行きませんか」

 ジェイクはカミラの言葉を遮って言った。

「グローブとシューズはお貸ししますよ。胴着は余っていませんが」

 再びの透明な球が支配する、ジェイク・リーの旋法。情動の流れはあくまでも変わらない。

 カミラが慌てて割って入った。

「やめなよ、ジェイク。あんたは明日の準備だけして、よけいなことはしないで」

「すみません、でも気になるんですよ。旋法を一番気にかける白兵に、どうして先輩みたいな旧人がなれたのかってね」

 時折声に、朱と橙が入り交じる。声が光る粉塵の広がりを見せて、透明な球にまとわりつく。球が調の顔にこすりつけられ、反射する光がまぶしく、それがそのままジェイク・リーの情動を表しているのだ。純粋な疑問と、かすかな苛立ち。

「人に喧嘩を売るときは」

 調はすぐさま上着を脱ぎ捨てた。

「もうちょっと直接的なアプローチをかけた方が良い。回りくどい言い方は好まれない」

「喧嘩売るなんてとんでもない。俺は純粋にあなたを尊敬しているんですよ」

「グローブを、誰か」

 調が告げると、学生たちがオープンフィンガーのグローブと訓練用ゴム靴を持ってくる。サイズを選び、それを受け取ると、いったん隅に引っ込んで靴を履きかえようとした。

「調、バカなことはやめなさい」

 カミラがぴしゃりとした口調で言う。若干のとがりを帯びた声で。

「そんなつもりであんたを呼んだんじゃないよ、私は」

「後輩に指導してやるのもいいことだろ」

 二、三度その場で跳ねてみた。履きなれない靴ではあるが、一口にゴム素材といっても槽生成のバイオマテリアルは、形状を対象に合わせる能力については天然素材よりも上回る。

「あんたには分が悪いよ」

 カミラは調の肩に手をかけた。

「あいつは競技サバットの、州大会で連続優勝しているような奴だよ」

「カミラ、あいつの声、聞いたか?」

 ジェイクに聞こえないように、調が訊く。カミラは何のことかわからないというような顔をした。

「あいつの声、黄色だったよ」

「え?」

「黄色だ」

 グローブをはめた。二度ほど、拳を叩きつけると手にしっくりとなじむ気がした。感触を確かめると、教場の中心に歩み寄る。すでにジェイクが待っていた。

「相手が降参したら終了です」

 ジェイク・リーは腕組みして、見下ろすような格好で告げる。浅黒い皮膚を筋肉が押し上げ、太い腕がところどころに擦れたような傷がある。まず間違いなく打撃を得意としている。

「サバットのみか」

「この際レスリングも。どうみても先輩はパワー向きとは思えないし」

 後ろの学生たちが笑いをこぼした。ぼんやりとした淡い紫を流した、霧状の声音。

「要は、何でもありだな。まあいいだろう」

「お手柔らかに」

 ジェイクは構えを取る。左半身になり、ボクシングスタイルとなる。

 調も同じく構えた。同じく基本の構えを。互いに左右の足で、軽くステップを踏み、相手の出方を伺う。

 いきなり、ジェイクが動いた。踏み込むとともに右脚が躍った。

 のけぞる、調の鼻先をジェイクの右足が通過した。ゴム靴の堅いつま先が前髪を揺らし、風が一塊、顔を叩く。

「チャンピオンと言うのは本当のようだな」

 調が言うと、ジェイクは口の端を持ち上げた。

 続けざまジェイク、蹴りを二度繰り出す。左の上段蹴りが左右、切り裂く。一度、避け、しかし二度目は食らう。ジェイクの靴の先が、調の肩を打った。

 離れる、調。肩に痺れを受けた。サバットは速い蹴りに加え、靴そのもので攻撃することを主眼にしている。靴は凶器、たとえ防御の上でもダメージを与えうる。

 故に、サバット

「はぁ!」

 叫ぶ、調。気勢をかけ、踏み出した。

 ジェイクの蹴りが見舞う。調、左腕で弾き落とし、同時に懐に入った。

 右拳。直線に叩きつける。

 防ぐ、ジェイクの腕が阻む。すかさずジェイク、体を入れ替え、左のフックを繰り出す。身をそらして調が避ける。

 瞬間、顔を弾きとばされた。ジェイクのつま先が調の頬を打ち、大きく体を崩れさせた。衝撃が脳を揺さぶり、意識を失いかけるのを、どうにかして踏みこらえる。

「さすがに頑丈なんすね」

 ジェイク・リー、段々と口調がぞんざいになってゆく。次にくる、声の色や味が何なのかと思ったが、一向に共感覚は襲ってこない。

 ジェイクの後方に"ピアス"が転がっているのが見えた。今の蹴りで弾かれたのだろう。

 口の中が切れたのか、鉄の味を覚えた。あふれてくる血と唾を飲み込むと、すぐに調は飛び込んだ。

 ジェイクが蹴る。左脚が弧を描いた。

 調が踏み込む――懐に入った。

 前蹴り、ジェイクの鳩尾を打つ。

 ジェイクが体を折ったところ、さらに近づく。互いの腰が接する距離まで踏み込むと、調は右掌をジェイクの顎にあてがい、突き上げた。

 ジェイクの顔が仰け反る、瞬間に足払い。ジェイクの体が投げ出される、仰向けに倒れる。

 何をされたのか分からないという表情で、ジェイクは見上げてくる。調は開始線に戻り、構えを取った。

「原野の武術だ」

 先ほどとは逆の構え。右半身となり、拳は握らずに開手となる。ガードをあげることはせず、ほぼ無防備というように両手を下げた。

「リングとは違うよ」

 ジェイクの目の色が変わった。立ち上がり、再び対する。先ほどまで薄い笑いすら浮かべていたのが、今では明確な敵意を湛えた目をしていた。回路があれば、ジェイクの息づかいはさしずめナイフと感じただろう。尖りきった表面に、金属粉をまぶした硬質な旋法を。

「この!」

 飛び込む。ジェイクの左脚が躍った。まるで鞭のようにしなやかに、足の先が空気を切り裂く。

 下がる、調。眼前を通過する、刃物めいた脚。

 ジェイク、見舞う。すかさず二撃目。体を回転させ、跳び上がり気味に回し蹴りを打った。

 調が踏み込む。飛んでくる蹴り足の膝を押さえた。蹴りを止め、止めると同時、するりと懐に入った。

 右手を伸ばす。ジェイクの首に腕を巻き付ける。

体を入れ込み、腰を密着させると地面に引き落とす。ジェイクはバランスを崩し、再び倒れた。

 起きあがる、瞬間。調はジェイクの手を取る。肩と肘を極め、手首を捻り上げた。

 悲鳴があがった。ジェイクが苦悶の表情を浮かべるのに、調は折れてしまわぬようぎりぎりの力で締め上げる。

「俺が白兵になれた理由を教えてやろうか」

 耳元で言うが、ジェイクはおそらく聞いていないだろう。

「お前みたなのがいたからだ。甘ったれ野郎、跳ねっかえるしか能のないでくの坊、現状に思い上がる馬鹿どもほど、蹴落としやすいものはいない」

 ジェイクが二度、地面を叩いた。そこでようやく、調は拘束を解いてやる。

「競技と軍式じゃ違うものだ。少し鍛え直すことだな」

 調はそう言って立ち上がると、周りの学生たちがどこか怯えた眼でみていることに気づいた。

 まるでひどく凄惨なものを見た、という風に遠巻きに見ている。うずくまるジェイクには哀れみの、そして調には恐ろしいものを眺めるかのような、そういう眼を向けている。その恐ろしさは、すぐにでも自分に向けられるとでも考えていて、恐れには敵意が混じり、警戒の色を向けている。

「……何だよ」

 調はグローブを投げ捨てた。学生たちが一瞬だけ身構えた気がした。訓練靴を脱ぎ、上着を羽織るまで、学生たちの複数の眼が調を追いかけているようだった。

「調」

 カミラが近づき、袖を引っ張る。ジェイクによって弾き落とされた”ピアス”を差し出し、出口の方を示した。

「とりあえず、部屋で待っていなさい。私もすぐにいく」

 調は"ピアス"を受け取ると、教練場を後にした。

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