表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪火野  作者: 俊衛門
7/53

 寒いところで生まれたんだよ。あなたが生まれたところは。

 試験管のガラスと。

 培養液の冷たさと。

 雪に閉ざされたあの場所で。


 最初に聞かされた時は、きっとそれほどの驚きは無かったはずだった。カミラ・リクスナーが珍しく歯切れの悪い声を出し、はっきりと色をなさない旋法とはその時初めて聞いたような気がする。色合いは濃いが、色分けされないモザイク調で、多くの欠片を寄せ集めたのだと知れる、なにもかもが曖昧な。

 はっきり言ってよ、調はそう告げた。はっきり口にして、ぼくはもう分かっている。ぼくと操のことならば、受け入れるから。カミラはやがて、躊躇いながら口にする。 


「言ってくれれば、迎えに行ったのに」

 それから十二年後の、今、現在。カミラはあの時とは違う、嘘みたいにはっきりした旋法で言う。あの時よりは少しだけ老け込んだ、カミラ・リクスナーは五十歳。新人フィンチであればまだ現役を張れる年齢でも、旧人ブルートならば少しだけ体力が落ちる歳。しかし気持ちだけは負けないと本人は言い張る。

「仕事もあるだろうから、手を煩わせると思って。式典の準備もあるんだろう」

「もう粗方終わったよ。それに準備といっても私がすることなんてそんなにない。年寄りの出る幕なんてほとんどないってさ」

 乾いた笑いをするのに、調は肩をすくめる。

「あんたが自らを年寄り呼ばわりするなんて」

 調が言うのに、カミラは愉快そうに笑った。笑い声に含まれる歌音は、ゴムの球かなにかが弾んでいるような、感触としてはまさしく小さな弾性のものを抱くような印象だった。変に真意を隠したり意識したりするでもない、本当に楽しくて仕方ないというような情動の流れを感じさせるものだった。

「久しぶりだね、調。あんたの噂、ここまで届いているよ」

「ろくな噂じゃないんだろうな」

「ああ、ろくなものじゃないね。またやらかしたみたいじゃない」

 調が吐き出す息遣いは、深い濃緑に生い茂っている。

「正直言って、あの連中とつるむことはそれほど愉快なことじゃない。妙な形と味に浸る毎日だ」

「それは仕方ないだろう、新人フィンチなんだから」

 そんなやり取りをする二人は、塀の内側。州府の直轄地であり、州軍の養成所だった。隔絶するようなフェンスが幾重も取り巻いた施設、敷き詰めたアスファルトの道を走る濃い緑に茶のパターンを写した装甲車。鬱蒼とした人工の林の向こうに、徹底的に脱色された無地の壁を持つ集合住宅――もはや州都では博物館の映像媒体でしか見ることのない箱型――が何棟か突き出た、色のない構造物群。その中央にある管制塔とその一画の応接室。そこで調とカミラは向かい合い、二十世紀風のソファに身を沈めている。

「式典に出ないのもそういう理由か。同期連中では、お前だけだよ、欠席は」

「俺が行ったところで仕方ないから」

 ドラム型の自走ロボットが重苦しい扉を開け中に入ってきた。人間の腰の高さほどしかない円筒の機械は、頭の上に二人分の紅茶を乗せている。ほとんど音のしない空圧移動脚で近寄ると、シリコン筋肉の駆動手を使って調の前に茶を差し出した。

「同期連中だって、俺が来たって扱いに困るだろうからな。面倒だから今回はパスした」

「じゃあ今日のこれは一体?」

「まあ特に深い意味は――」

 ダージリンを一口飲んで、調は顔をしかめた。薄茶に少量の紅を流し込んだ液体は、どう見ても何の変哲もない紅茶であるのだが、飲んだ瞬間奇妙な感覚に襲われる。

「カミラ、これって」

「巷で今流行っている奴だよ、ウェルカム・ドリンク。お気に召さない?」

「それは分かるが、何というか」

 ドリンクに口を付けた瞬間、それが甘みだろうと渋みだろうと関係なく、味覚と一緒に違う感覚が想起させられる。ダージリンの苦みと共に脳裏に浮かんだ一つのフレーズ――ようこそウェルカム

「何で共感覚が、言語に変換されるんだ」

「旋法回路は旋法変換された言語を五感にシフトし、五感同士でも相互に変換する。ならば、五感から言語に換えることだって難しくはないはずでしょう。何せ、脳内の文字を認識する場所と言語を認識する場所がそれぞれ違うんだから、視覚に頼らずに言語を読ませることだってできる」

 調はカップを置いた。香りだけでほかの感覚を味わされそうな心地だった。

「疑似歌音と同じ理屈か。警告のメッセージを歌音にして、無意識に警告を発する……」

「心配しなくとも、メッセージがでるのは最初の一口だけだよ。あとはふつうのお茶だから」

 そんなことを言われても、もうそれ以上飲む気にはなれなかった。調はコースターごと、カップをテーブルの端に寄せた。

「何でこんなもの」

「結構評判はいいんだけどね、外部からの人間には。連邦の監査委員や出入りの業者まで」

「軍も大衆迎合するようになったというわけか」

「大変なんだよ軍も。寄付とか献金とかで成り立っている以上、スポンサーを喜ばせるために色々とやらなければならない。式典だってそう、閉鎖的に見られている軍のイメージをあげるためのものだ」

「だからあんな茶番を学生にさせていたのか」

 年に何度か行われる式典には、学生による展示も存在する。何人かが実際の格闘訓練と同じくに、観客の前で格闘術を披露するのだが、年々それが過激なものであるという批判が集中し、今では通り一辺倒な動きしか展示しない。ほとんどやる意味などない、漫然としたものとなっている。

「そう言ってやるな。あんたの後輩だって、がんばっているんだから」

「知らないよそんなの。茶番は茶番だ」

「そんなに言うなら」

ふと思い出したように顔を上げ、カミラは言った。

「その茶番もついでに見ていったらどう?」

「何て?」

 思いがけない申し出の前に、調はつい尖った声を出してしまう。尖っているわりには淡いブルーに色づいた、自分でもよくわからない歌音だ。

「教練場でね、学生たちが格闘展示の最終確認をしているはずだ」

「何で俺がそんなの見なきゃならない」

「あんたが茶番なんて言うからさ。今はお前たちの頃よりもレベルがあがっているから、見ていくといい」

 抗議の声をあげようとしたときには、カミラはもう立ち上がっていた。そうすることが規定事項だと言わんばかりに扉を開け、調についてくるよう促す。

 調は再び嘆息した。やはり、濃いブルーだった。

「聞いたよ、怪我したんだって?」

 先を歩くカミラの、表情は伺えないが、その声には少し陰が差している。砂みたいな、雲みたいな、つかみ所のない感触に加え、濃淡の激しい群青と紫がモザイクに絡み合ったような複雑な色合い。こういう歌音は一番情動が読みづらいものだ。生まれたときから回路を備えた新人ならば、苦もなく相手の感情を理解出来るのだろうが。

「軽機動にやられた。大した怪我じゃない」

「大したことないっても、あんたは新人と違って体は丈夫じゃないんだし、幹細胞だって蓄えがあるわけじゃないんだから」

「二度も三度も同じことを聞く羽目になるとはね」

ますますお見通しと言った様子だった。

「ヨファから連絡来たよ。聞く耳持たないから、私から何か言ってくれってね。だから言ってやったよ、私の言うことも聞かないんだからあんたには無理だって」

「そいつは結構なことで」

 そんなことを話しているうちに、教場に辿着いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ