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雪火野  作者: 俊衛門
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「だから単独先行というのも、どうかと思うけど?」

 ヨファの声質が少し和らいだが、それでも弾力を主張してきている。

「どうせ私の言うことなんか聞かないだろうけど」

「何でお前の言うこと聞かなきゃならないんだよ」

「先達の言うことは素直に聞くものだよ」

「そんな変わらんだろう、歳」

 エントランスに出た瞬間に、全く違う旋法が流れるのを感じる。サファイアブルーから浅黄の薄い青、甘さは清涼のある薄荷じみた味に。青い靄が、全体に包み込み味付けは脳髄に直接受け、その実体は人間の耳には聞こえない高周波の音域で奏でられるなどと、今でも時折忘れがちになる。海辺の、あの家を出てから十余年経った今でも。

「どうしたの」

 いきなり目の前にヨファの顔が迫った。慌てて身を引く。

「何だよいきなり」

「やけに暗い旋法だったから。今更堪えてんの、私が言ったこと」

「そうじゃない」

 舌打ちした。声に出さなければ歌音など、誰かに察知されることもないのだが、息づかいであってもそれは奏でてしまう。疑似鳴官は、どうあっても調の言葉に歌音を混ぜ込み、情動を正確に反映する。

「なら良いけど。たまに調、暗くなるからさ」

 そうやっていちいち隣人の声を心配し、気にかけなければならない。新人というものは常に周囲に気を配る。もし意に介さない、痛みを覚え、あるいは苦みを訴える旋法を感じ取れば、即座に駆け寄る慈悲の人々。

「構うなよ」

 調は自分の声にぐさりとやられた心地になる。

 エントランスに満ちる浅黄の旋法に、やや鋭い白色の歌音が差した。

 ヨファが見上げたその先、エントランスのガラス天井付近に3D映像が浮遊している。高分子の集合体が像を構築し、ニュース映像を表して、そこに写るコメンテーターが発した歌音が、銀と煌めき、それは繊維質の星を瞬かせるに等しい。鋭くともなおかつ不快ではない、その男の表情は、険しさと柔和さが同居したものとなっている。

 ――現状、軍の運営というものは唯一の公的機関として存在し、それらは連邦と州府によって運営されています。

 ありふれた、州府と連邦の批判から始まれば、おおよそ見当がつく。軍そのものへの疑問とは尽きない。

 ――州府の警備軍に加え、連邦の常設軍、俗に白兵などと呼ばれる歩兵たちを原野に送り込み、誰かを傷つけ、殺すための武器を投入することが許されるのは、原野における驚異を排除するためです。

 ――そこまでの戦力が必要とされるのですか?

 ――原野に点在する影と呼ばれる存在、そうしたものから州都を守るために必要とされます。ただし、莫大な税金をかけて。今や国家という枠組みがなく、完全な自由競争が保証された世にあって唯一の税というシステムで。

 "イースト・レビュウ"の記者――原野における、ボランティア経験は十余年であるという男――言い分は全く普段の紙面と変わらない。論調は、軍批判、連邦批判、それ以上に、旧人批判――コメントを切り返す記者の耳元に、調のものと同じかもう少し性能のよい"ピアス"が光る。

 ――軍事力だけが抑止力ではありません。

 旧人会の議員が口をはさむ。連邦議会における旧人議員の連合――圧力団体の典型。

 ――ボランティアの活動は近年活発になっています。そうした人道的支援によって、同胞たちを守ることにもつながります。原野の、古いしきたりに縛られた子供たちを州都に保護し、しかるべき教育を受け、そして我々同胞に向かい入れる。そのような方法もありうる。かつてのように、暴力ではなく宥和によって理解する、まさしく連邦が行う宥和政策を深化させれば軍事力などは必要がなくなることもあります。

 ――しかし実際は、原野の至る所に旧人社会が存在し、そうしたコミュニティーが強固な抵抗を続けています。

 ――軍事力でなく、人道的な手段での宥和策が必要です。州内の旧人が、新人たちと和解しする、そうすることで、原野に住まう旧人たちに手をさしのべることが出来る。

 乱暴にエントランスの認証ゲートにIDを押し付けた。遺伝配列のコードを読み取り認証されるまでの間、どこかの誰かが発した歌音の甘さがくすぐり、それが掻き消えることを待つまでもなくゲートを潜り抜ける。人が多い場所にはそれだけ多くの歌音、それだけ豊富な旋法が待ち構えていて、それをいちいち感じ取ってはいられない。

 ――まさしく、旧人社会との宥和とは、州都のすべての旧人たちの振る舞いにこそある。軍事を必要とせずに手を取り合うためには、旋法を解し、互いの情を理解し合うことを――

 理想主義の旧人たちはこの手の話題になると必ず避ける話題がある。かつて「手を取り合う」ために、過去に新人たちが何をしたのかということに関しては、誰も知らないわけなどない。彼らのような旧人が、州都に受け入れられた証として有難がる回路は、最初は固形ハードの機械でなく、生体バイオの機械として生み出され、埋め込まれた。その旧人たちの末路はあまりにも都合よく、理想の前には崩れ去る。

「ああいうのも必要なんでしょ」

ヨファは調の右斜め後ろをついてくる。

「なんで来るんだよ」

「車、地下にあるから」

 ヨファはソンギルのロゴを張りつけた、燃料電池車のカードキーを掲げて見せる。

「あんたが苛立っているのはあれのせい? "イースト・レビュウ"の」

「他にもいろいろ」

 注意深く、自分の声音が濃くならないようにと努めたが、その程度で変えることが出来るならばとっくにやっている。情動系の深いところに根差した鳴官が一番ふさわしい歌音に変換するまでの時間は、ゲートが遺伝配列を読み取るよりも短い。

「軍の批判の割には、ボランティアの派遣が多いわけじゃないんだよねあそこ」

「口だけだ、メディアなんて」

 口だけ批判して、悦になって、それで満足している連中。"イースト・レビュウ"は連邦域内に住むすべての旧人に対して、非難と叱咤を繰り返している。彼らにとって旧人が生きるべき道は、新人たちとの協調によって得られるものであり、また実際その通りであるのだから性質が悪い。

 獣性を脱ぎ捨て、大局を眺め、理性に合流せよ。

 情動が、まさしく理性であり、理性と情動は一対の物であることを鑑みれば、情感豊かな新人に比べて旧人は獣のようであり、理性的とは言えない。そこには回路を導入し、新人に合流させようと試み、失敗した旧人たちの存在も含まれている。

「まそれでも最近はボランティアなんてあまりないか。原野も段々物騒になってきたし」

「物騒じゃないときなんてないだろうが」

「最近は特にね、サハリンからの出入りが激しかったころに比べればましだっていうけど。過激派連中が多くなって、連れ去りも増えてきたし」

「興味本位で原野なんかに出るからだ。自業自得だろう」

「なかなか手厳しいね」

 ヨファは苦笑する。それほどまでに、調の歌音は、痛みを含んでいた。発した人間も少しばかり後悔したほどだった。すれ違った所員が、たまたま耳にした旋法が酷く硬いものだったことに驚き、振り向くぐらい程度の棘は感じられる。

「原野に出る奴なんて決まりきっている。企業の慈善事業なんて、所詮は宣伝のためでしかない」

「そんなこと言うもんじゃないよ。人道的な見地から活動しているわけなんだから、銃剣振り回す私たちよりはよっぽど健全だと思わない?」

「いつから"イースト・レビュウ"の三文記事に感化された、ヨファ」

「調は"イースト・レビュウ"嫌いなの」

「好きになれる道理など」

 刺々しさが口の中に満ち溢れてくるようだった。調の情動、調の言葉、その合間合間に入り込む歌音は、意識しなければ大したことじゃないと――海辺の家でひたすらに回路の扱いと歌音について説き伏せた大人たちは言った。

 無意識の中に、入りこむものなのよ。

 後に、キース・レグナントを傷つけ、操が原野に放逐される、遠因ともなったその言葉。

 相手が奏でる音に耳を傾けなさい。決して不愉快なものではありません。意識しなくとも、それを感じ取ることが出来るはずです。不快な音は自分にとっても不快で、逆に言えば快い歌音は誰にとっても快い。尖っていたり、角張っていたり、熱すぎたり冷たすぎたり、自分の声によく耳を傾けてもし歌音が濁っていたら、注意してくださいね。それは相手を傷つけるから――傷つけることをしないから、新人と呼ばれる私たちは平和な世界を作り上げ、あなたたちも迎えることが出来る――

「調ったら」

 いきなり背中を叩かれた。現実に引き戻されると同時に調は大きく咳き込む。

「何だよ」

「何だじゃないよ、ぼーっとして。記念式典どうするのか、って聞いたでしょ」

「式典?」

「そう、訓練校の。案内来てたでしょ? メールで。あれどうするのかなって思って」

「その案内なら、すでに返信したよ。欠席の方で」

 ヨファがなぜ、という顔をしたのに対して、調は答えた。

「俺が行っても仕方がない。同期の連中にしても、俺はそこまで見知っている奴はいないからな」

「知っている人間ならいるじゃない、ここに」

「何で毎日のように顔つき合わせてるというのに」

 ヨファのプレートが空になっているのに気づいて、調は自らのプレートを重ねた。ヨファは短く礼を言ってから、

「でも教官も来るらしいよ、カミラ教官。あんた仲良かったじゃない」

「いや、仲が良いというかあれは……」

「学生から結構噂になってたよ。調と教官、デキてるんじゃないかって」

「やめてくれよ、そんな趣味はない」

 ヨファはおもしろいものを見たというように口の端を持ち上げた。そうやって調をからかい、反応を見て面白がっているのだ。それが悪意によるものではないからまた始末に終えない。

「そっか、でも欠席か。教官が来るなら、あんたも行くかと思ったけど」

「それは、まあ」

 いいかけて、調はふと思い出したように言う。

「そういえば、式典はいつだったか」

「日付もみないで欠席って返したの。よっぽど行きたくないわけ」

 ヨファはあきれながらも言う。

「今週よ。今週の日曜。今頃準備しているんじゃないの?」

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