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雪火野  作者: 俊衛門
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四十五

 それが何であるのかという理解が、唐突に降ってくる。

「お前、歌音を」

「分かる? あんたの旋法だよ。今の調の声、棘と刃が混ざっている」

 声は、少しの曇りもなく、感情の昂ぶりもなく。どこまでも平静で、しかし震えている。ヨファの声を、押さえつけ、締め出す感情の揺らぎがその中にあった。

「疑似鳴官でも、あなたの痛みは伝えるし、熱を律儀に形にしてくれる。調の今の気分は最悪だね、溶岩でも飲み込んだみたい」

 ヨファが手を握る。締め付けてくるような力だった。決して強くない、しかし離すことはない。

「じゃあその痛みを、打ち消すための歌音が必要? 無理だね、あんたはきっと受け入れない。最初からそうしないと決めている奴に、私の声なんて届かない」

 ヨファの目が、熱を帯びている。

「痛みを受けるのは自分一人だなんて思って、新人だから分からないなんて決めつけている奴には。歌音が理解できないなら言葉にすればいいのに、それすら出来ない」

 握りしめる、手首を締め付ける。その痛みがヨファの痛みであるというように、強く力を込める。

「やってみなよ、調。それが出来ないなら、あんたの方だよ。痛みを背負う覚悟もないのは」

「知った風な口を聞くな!」

 突き飛ばした。ヨファの華奢な骨格ごと跳ね飛ばす、ヨファはよろめきながら後退した。

「今まで旋法を当たり前としてきたお前に、俺たちのことなど」

 言い終わらぬうちに、ヨファの右脚が撓った。廻し蹴りが、調の額を掠め、前髪を揺らす――全く反応できなかった。

「男のくせにうじうじするんじゃないよ。あんたは分からせたいの? どうなの?」

 ヨファは、蹴り足を保持したまま手招きした。

「もし、分からせるって言うなら力づくで分からせてみなよ。あの時みたいにさ」

 かっと顔が熱くなった。苦々しい思い出とともにフラッシュバックし、気づけば調は向かっていた。

 拳を体ごと突出す。縦拳。ヨファの顔面に伸びた。

 ヨファがステップでかわす、かわすと同時に左脚の前蹴りを見舞うに、調の胴に埋まった。内臓がせりあがる衝撃、調は体を折る。

 再びの蹴り。調の眼前に。

 手刀差し出す。ヨファの蹴りを防ぎ、そのまま腕をからませた。ヨファの足を取り、軸足を払う。ヨファが転倒する。調はヨファの足を固めたままのしかかる。

「この!」

 調が拳を振り上げた。その瞬間。ヨファが雪の塊を投げつけた。

 顔面に当たる。予期しない攻撃に調は目を瞑ってしまう。雪のかけらが口に入り喉をふさぎ、思わずむせ返る。

 ヨファは調の拘束を抜けて立ち上がる。同時に調の奥襟を掴み、引き寄せ、体を密着させて調の足を払った。

 空中に投げ出される。地面に背中を打ちつける。雪の野に埋まった、感触を覚えたと同時にヨファが調の体に馬乗りになる。

「腰投げって言う奴、今の技」

 あっけにとられる調に対して、ヨファは皮肉っぽい笑みを浮かべた。とどめのつもりで調の喉元に手刀を突きつけて。

「久しぶりにあんたに勝った」

 肩で息をしながら、ヨファは指先を調の喉に押し付けた。

「入学したときは、私に手も足も出なかったのに。教官の個人稽古受けて強くなっちゃって、卒業するころには私の方が勝てなくなって。でも私だって柔術は出来るんだよ。あんたを負かすために練習していたんだ」

「反則だろう今のは」

 調は半身だけ起こした。

「あれで勝ったなんて言われても」

「文句ある? だって戦場だよ、リングとは違うんだよ」

 してやったりという風にヨファが笑う。反論のしようもない理論だった。全身の力が急に抜けてきて、調は何かどうでも良くなって、あおむけに寝転がって、薄い灰色がかった雲と、白みの差した空の色と対面する。

「やり方なんて何でもいいんじゃない? 結果が大事だよ」

 ヨファは調の上から降りて、隣に座りこんだ。

「結果が、簡単に出せれば苦労しないよ」

「そうだね。でも時間かければ、出来ないこともない」

 そう言って、調の顔を覗き込んでくる。

「足掻いて、時間かかって、それで結果が手に入るならそれでいい。今までだってあんたはそうしてたんでしょう? だったら何を悩む必要があるのさ。つまらないことでうじうじしているよりも、したいことするって言った方がよっぽど調らしいよ、いつも手を焼かせてばっかりで」

 まるで遠慮のない、それがハン・ヨファそのものであるという、意志の塊であるかのように、ヨファはヨファであり続ける。いつものように笑いを浮かべ、いつものようにからかうような話し方をして、いつものように涼しげな声で。

「それでも駄目なときがある」

「あるかもね」

「所詮、旋法を理解できない俺には」

「いいじゃない、理解できないなら。言葉でも拳でも、やりようはいくつでもあるでしょう」 

 今見たいに。ヨファは全くそれを気にする風でもなく言った。

「あんた一人の痛みを受けるぐらいたいしたことないよ。散々殴り殴られやってきたのに比べれば、ね」

そう言うヨファのおもてには、痛みの色はなかった。

「お前には、いろいろ驚かされる」

 調の頬を冷やす雪が、心地よいと思った。内側にたまった熱も、発散してしまえばそれほど不快なものではない。熱にうなされた体が急速に冷やされて、それでも際限なく熱を発する膚が、熱と冷感を行き来する温度差を、しばらく感じていた。

「別に変わったことしてないでしょう」

「変わってるだろう、こんなとこまで来て」

「だってあんたをぶちのめしてやらないとって。このまま消えられちゃ、やり返せないじゃない?」

 本気なのか冗談なのか分からない風に、ヨファは言った。相変わらず、気負いもない。ヨファはヨファで、調は調で。何も変わることのないものがそこにあり、そうあり続けるというように

「馬鹿野郎が」

 空を臨みながら、調は呟いた。もう、吐き出す熱も、こもる痛みも存在しない。

「馬鹿野郎。勝手に押しかけてきて、説教しやがって。お前に言われる筋合いなんて、ないんだよ」 

 声が震えていた。紛れもなく自分の声だった。きっと雪のせいなのだ、寒さが震わせるものなんだと。そう言い聞かせる。


 モービルに跨って走る間、会話はなかった。ヨファが先導する、一際大きい雪上車を追いかけて、調は機甲兵のモービルを駆り、そのまま二時間ほどは走っていた。

 山を下り、平地を走っていると何もないだだっ広い雪原に、ぽつぽつと鉄の塊が落ちているのが見える。鰐甲亀の残骸、それに混じって、"カグー"のもぎ取られた翼や胴が、行く手に現れてくる。

 残骸だった。至る所、炎に当てられ、金属を溶融させた機甲兵や軽機動の躯、偶に目にする"オストリッチ"や"キウィ"の数。それに混じって、打ち倒された白兵や州軍には、刀疵を受けた人間が目立つようになる。

「軽機動にやられたみたいね」

 ヨファが残骸の一つに、モービルを横付けして停めた。撃墜された"ハミングバード"の中に入り込み、様子を伺う。

「どうやらお仲間じゃないね。北部方面の白兵みたい。先発部隊かな」

 機体の中に転がる死体を見ながらヨファが言う。北面の鴫を模した記章を張り付けた、まだ発足して間もない、若い部隊だった。一人一人の顔をのぞき込み、投入ポッドを一つずつ検分する。

 調は足の踏み場もない機内を歩いた。機体後部の弾薬庫を開ける。小銃が五挺と予備の強化服が収まっていた。

 強化服を引っ掴むと、軍服を脱ぎ捨て、下着の上からそれを装着した。膚に密着する強化服の感触を確かめるように、拳を握り、中の空気を押し出す。完全に強化服が体に張り付き、その上から軍服を着込み、白兵の簡易防具をつける。服の上から篭手と脚絆を装着し、複合カーボンの胴蓋を巻きつけ、小銃を取り、予備弾倉と誘導弾を腰に巻き付ける。

 最後に、誘導弾に埋め込まれたタグに自分の血を付着させた。誘導弾一つ一つにある生体タグが、調の遺伝情報を読み取り、これで発笛を通じて調の脳波を読み取り、思い通りに飛ぶ。

「準備できた?」

 ヨファは奥の方から機銃を取り出した。銃身に金属管が絡みついた、馴染みの複管機銃。

「人のスーツならば、あまり動きやすいとは言えないが」

 調は右手を握り、感触を確かめた。筋肉ミオシンは誰が装着しても、白兵の体にぴったりと馴染むようにできている。連管銃も、ヘルメットも、同じことだ。

 調は外に出ると、乗り捨てられている"オストリッチ"に乗り込んだ。砲身は焼け、役を成さなくなっているが、走行には問題は無い。

「こいつでどのぐらいで着くの?」

 ヨファは機銃を砲座に据え付けた。金管楽器めいた銃身は、無骨な車体には不似合いであるようだった。

「山越えるからな。かなり時間はかかるだろうが……」

 水素エンジンを始動させると、壁にグラフが現出した。誘導弾の数を表す残量計だった。もうあと十発程度しか残っていない。

「じゃあ、全速で。調が運転してよ、私は分からないから」

 ヨファは砲座に座って言う。

「俺も一度行ったきりだ」

 調が音域立体の像を呼び出すと、暗い画面にナビゲーションシステムとして現れる。立体は、付近の山々を写した。

 エンジンの回転が上がる。清澄な音が満ちてゆく。回路のない今でこそ、音は音でしかないが、形は容易に思い浮かべることができた。音奏者カンツォールが描き出す、青く輝く丸い球面。心地よさすら覚える、清涼のある音色。

 "オストリッチ"が震えた。調はハンドルを握り、雪火野までの経路をパネルに打ち込む。

 調はコントロールパネルに端末をセットする。ミハルが手渡した、生体組織を組み込んだデバイス――同じ生体回路を組み込んだ端末と連動する。カバーを開き、指先を少しだけ切って血を垂らす。すぐに端末の液晶が認証を露わにする。

「ヨファ」

 調は端末のグラフを眺めながら言う。

「少し、付き合ってもらいたい所がある」

「そう」

 ヨファは機銃を、何とかして車体に装着しようと四苦八苦していた。

「一緒に来てくれないか」

「いいよ、別に」

 全く気負いのない声音で、ヨファは応えた。機銃をどうにか取り付け、激鉄を起こした。ケースレス弾が連なる弾帯を垂らし、照準の具合を確かめていた。

「悪いな」

「今更だね、そんなの」

 ヨファはこともなげに言った。

「そのために私がいるんじゃない」

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