四十一
吹き付けてくる雪に、顔をしかめる。今はフルフェイスヘルメットによって守られているとはいえ、視界の悪さだけはどうにもならなかった。重たい雪が張り付いてくるのをぬぐい去り、姿勢を低くしてモービルを駆る。ほとんど、体をモービルに密着させた状態だった。体を少しでも上向ければ体を持って行かれるような突風の中で、その風に立ち向かうかのような格好でモービルを走らせる。
すでに屯所では騒ぎになっているのだろうか。白兵が一人脱走したということで、もしかしたら追っ手を差し向けているかもしれない。そうであればもはや手の打ちようもないという後悔と、だからどうしたという一種の諦めのようなものがある。そしてそんなことは些細な問題でもある、という思いも。
モービルには簡易発笛が埋め込まれ、歌音を常に発している。モニターには音域グラフが上下し、調が発しているであろう歌音を関知していた。音の強さに応じて、グラフの変動が激しくなり、それによって徐々に近づいていることが分かる。
突然、グラフが暴れ出した。正弦のグラフの位相がずれて、大きく乱れる。それにともなってヨファは、ざらついた堅いものを喉に押し込まれるのを感じた。訳も分からず、汗が吹き出て、背中が焼けるように痛い。不快感がにじみ出て浸透してゆく気配だった。
「来たか」
発笛で音のレベルを下げる。あらかじめ組み込まれた中和用の人工歌音を発した。不愉快さを露わにした旋法、その音を打ち消すために組み込まれた、不協和には不協和で相殺する歌音。
影を、確認する。左斜め、八時方向だった。旧式のディーゼルエンジンを響かせて、距離にすれば十メートルもない場所からぴったりと張り付いてくる。機甲兵がニ体乗っている。その後ろにも何機かモービルが連なり、全部で十の機体を確認できた。
一つが銃撃する。電磁射出の短針がヨファのモービルをかすめた。右に切る、ハンドルを繰り斜線を避ける。三連、撃ち込んだ方向に向けてヨファは誘導弾を撃った。
炎が弾けた。白い幕が掛かった視界の端で紅が燃え上がるのを確認する。すかさず撃ち込んでくる、機甲兵たちの射撃音が連続で鳴る。青紫の電磁誘導が線を曳き、それらがすべてヨファのモービルに向けて伸びてくる。左右に、モービルを操り、ヨファは何とか射撃を避ける。地面に突き刺さる度に雪が舞い上がった。
短針射出。
モービルの横っ腹に金属杭が深く突き刺さる。複合カーボンの機体が砕け、バランスを崩した。
背後から短針の弾が数ダースも吐き出された。大きく左に旋回、暴れるモービルを押さえつけながら機甲兵どもの背後に回り込む。備え付けの機銃の、照準を合わせ、銃撃。赤く燃えた銃弾が吹雪の中に埋没したかと思った次の瞬間、機体を砕けさせて崩れ落ちる機甲兵たちの姿を見た。
砲音が轟いた。モービルの足下で弾け、その瞬間大きくモービルが跳ねる。操作を失い、雪の固まりに突っ込む。弾みでヘルメットが脱げ、ヨファは吹雪の中に顔を晒した。
「この――」
アクセルを踏み込む。誘導弾の解放弁に触れる。複管操作、第五、八盤管を解放。射出とともに機体が揺れ、モービルの背中からオレンジ色の火花が吐き出される。
着弾。
爆音。火球が二つ生まれる。ストロンチウムが飲み込み、目に痛いほど鮮やかな赤が雪の幕をかき消した。視界を埋める炎の前に、ヨファは顔に叩きつける冷気がすべて熱気に変わるのを感じ、吸い込む空気すら燃えている心地になる。
別の機が短針銃を撃ってくるのに、ヨファは左右に避けながら突進。衝突する直前、機甲兵がモービルを左に切った。機体がすれ違う瞬間、ヨファは機甲兵の横っ腹に発火弾頭を撃ち込む。拳銃で三発、撃つと機甲兵がくずおれ、地面に投げ出された。
ふと見れば、他のモービルたちが離脱するのが分かった。ヨファを討つのは無理だと判断したのか、しかしそうではないことを悟るのに刹那とかからない。
一機、モービルが突っ込んでくるのが見えた。
五時方向。車体ごと、機体の右脇にぶつかった。放り投げだされ、雪の中に顔をうずめる。起き上がった瞬間、頭上を黒い球体が通過した。慌てて頭を引っ込める。
車上の人間を見る。
少女がいた。まだ年端も行かない十代前半のように見える。灰色の、フリルのスカートに大陸式の旗袍というちぐはぐな組み合わせ。髪の色まで灰に塗れ、ひょっとしたら瞳の色もそうなのではと錯覚させる。少女の体躯に似合わない、大型のモービルを駆り、ヨファと向き合うような格好となる。
ヨファの頭を狙った球体は、今は少女の肩の辺りで浮遊し、旋回している。青い電光の鉄球、決まりだった。
「ねえ、あんた白兵?」
少女が問いかける。原野の現地語のようだったが、少し訛がある。
少女はヨファの目の前にあっても、まるで物怖じしないようだった。こちらが機銃を撃てば確実に届く距離にあっても、ただこちらをじっと伺っている。楽しげに、笑みを張り付かせ、期待に満ちた目でもって見据えていた。
「マオ・シー……」
西北の州兵が遭遇した、映像の中にあった名を口にする。おそらくは間違いないのだろう、少女が満足そうに笑った。
「何、結構有名? あたし」
「一応ね。あまり覚えたくもないけど、仲間が世話になったみたいだし」
ヨファは何とか立ち上がった。
自分の声音がどういう色であるのか気にしている暇はなかった。どうしようもない怒りもあれば、構っていられないという焦りもある。立ち止まれば、歌音は消えるかもしれないという焦燥が。
「仲間? へえ、仲間ってねえ。あんたみたいのでもそんなこと口走るんだ」
マオ・シーがにんまりと笑う。
ヨファは投げ出されたモービルを横目で見た。半自動運転のモービルは、乗り手がいなくなれば自動停止する。丁度、投げ出されてから十メートル付近。そこに、ヨファのモービルが停まっている。
「あそこの防人なんて全然歯ごたえなかったしね」
少女が言った。
突然、少女の乗っているモービルの背から球体が吐き出された。
四つ。先の一つを合わせれば全部で五球。球体は高く舞い上がり、少女の頭上で止まった。目映い電光を纏ったサッカーボールほどの玉。映像で見た、電磁誘導の球体。
「今度はあんたが遊んでくれる?」
五つの鉄球が飛来した。
横に飛んで避けた。
ヨファの体側を抜ける――電撃の鉄球。外れた玉は地面を叩く。雪を舞い上げ、地面を抉り、雪塵が壁のようにそそり立った。纏う電光が瞼を刺した。
ヨファ、走る。モービルまでたどり着き、乗り込んだ。
モービルを駆る、左に大きく切る。エンジンを最高速にヨファが鉄の馬を走らせると同時、マオ・シーのモービルも動く。黒い機体を繰り、腕を振り挙げると残り四つの球が襲いかかった。
一つ、横切る。球がヨファの目の前に飛び込んだ。
右に切る。モービルが大きく揺れる。球がヨファの体をすり抜ける――すれ違いざま、電撃が爆ぜる音を間近に聞く。
飛びかかる――二玉。天から突き下ろし、猛烈な勢いで飛び込んだ。
間一髪、直撃を避ける。モービルを傾けて機体方向を転回、走らせる。コンマ何秒か遅れてヨファのいた場所を鉄球が叩く。地を打つと同時に爆音めいて響き渡り、玉そのものが猛るように唸った。
「ははは、何だいあんたは逃げるだけ? 白兵ってこんな程度? がっかりだねえ」
マオ・シーの矯声が追ってくる。鼓膜を貫く電撃と、吹雪の音の中にあっても、馬鹿みたいに響く。楽しくて仕方がない、そこに何の思惑もない声だった。目的のための目的を果たすという声音を。
単純で酷薄な謂いを。
「崩っ!」
マオ・シーが吼えた。
四方より玉。モービルを転じて左右に切るが、避けきれずに衝突。機体の先端を玉が削り取り、もう一つがエンジン部を直撃した。機体が傾き、跳ね上がり、ヨファは再び投げ出される。雪の上で体が跳ね、肩と背中を打ちつける。しばらくの間呼吸が打ち止められた心地になる。
起きあがる、その頭上に玉がある。遙か上空、ヨファの真上を漂う球が、直下に突き下した。
飛び下がる。ヨファの肩を掠め、地面を叩く。耳元を玉の、いんいんという鳴き声が突き刺し、膚を氷の冷たさ電撃の痺れがなぞる。倒れ込み、這いずるヨファに向けてさらに四玉が突っ込む。
走る。足下に玉が突き立ち、衝撃で両足を掬い取られた。転び、起き上がり、新たな玉が襲いかかるのを、直撃を避けつつ走る。破壊されたモービルまでたどり着くと機体にすがりつき、誘導管のすべての弁を解放した。
誘導弾射出。十ニある管のうち、残りの七管からオレンジ色が吐き出された。
ヨファの脳波を読みとった誘導弾はめいめい浮遊する鉄球に向かう。空中で、玉と誘導弾がもつれ合い、絡み合い、やがて炎が二つ弾けた。紅のストロンチウム炎に包まれた玉が落ちるのを、マオ・シーが信じられないという面もちで見つめている。
ヨファは小銃を引っ張り出す。マオ・シーに向けて三連、撃った。マオ・シーのモービルに着弾するに、白いマグネシウム光が弾けた。