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雪火野  作者: 俊衛門
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三十七

「無駄だった、って顔だね」 

 車に戻ると、ミハルが体を起こして言った。

「こうなることは、予測は出来たけど」

 苦痛を噛み殺しても殺し切れていない笑みが、諦観をありありと写している。ミハルはもはや、ここで絶えることを受け入れているようだった。受け入れて、なおかつ最後の瞬間を、このままで過ごそうという腹づもりであるかのように。

「後で地上部隊が来るのは分かっている。そのときまで」

「無駄だよ、ほら」

 ミハルは衣をまくり上げて、傷を受けたわき腹を露出させた。応急的に包帯を巻き付けた傷口が、血で固まり黒ずんでいる。

「ここまで深くやられたらね。腸を突き破って、止血しても雑菌が体に回ってしまっている。もう長くは」

「ここで死なせるかよ」

 調は何か暖のとれるものがないか探したが、機甲兵の使った車などろくなものはない。

「あんたにはどうしても、来てもらう必要がある。都市まで引っ張りだして、そしてあんたを裁判所に引っ立てるまでは。そうしてあんたに詫びさせるんだ、俺たちみたいな人間を作ったことを」

 ありったけの布を、ミハルの傷口に押し当てた。そんなことをしても無駄であるというのに。薄茶色の布地が赤黒く染まり、ミハルはそんな自らの血を、初めからそうなる定めであるという風に見つめている。

「あんたをここで死なせない。俺や操を、あんなクソったれな都市で住まなきゃならなかった、操やほかの連中に。あそこで、新人どもにまみれて生きなきゃならなかったことで、人生を捨てちまうことになったあいつに謝らせるまでは!」

 調の肩に、暖かい重みが加わった。

「もう、いい」

 ミハルの手が、調の肩に手をやっている。弱々しい力で握りしめてくる。もはやそれ以上のことは行うこともしない、そんな力加減だった。

「あんたの言うとおりだね。何も言い返せないよ。人を増やすためといいながら、命を弄んでいたのは私らだった。その後苦しむのは、あんたたちだってこと、わかっていて」

 せき込むと同時に、ミハルは血を吐いた。皮のシートに点々と鮮やかな、赤い染みを作った。

「本当はね」

 ミハルはやがて、すべて投げ出すような風情で、座席に身体を預けた。もうどうなっても良いという捨て鉢な覚悟すら見える。

「あんな機関作っても、もうとっくにここは終わっているって知ってたんだよ。私だけじゃなくて、ほかの連中も。どう足掻いたって都市の拡大は防げない、新人たちの領域を侵すこともできない――新人が生み出されてから二百年ほどで世界の表舞台に立って、彼らが世界を牽引して。そういうのに対抗して、でも結局はここも徐々に新人たちの領域になって――仲間も、ずいぶん失って。都市に行くもの、ボランティアに保護されるもの――大半はそのまま戻らないまま」

 倉木が話していたことが、そのまま調の中に降りてきて、ミハルの言葉によって実を伴う。

「憎いと思ったこともあるけど、それでもここはもう、あの都市に比べれば滅びる一方だった。皆それをわかっていたから、ここに住む旧人たちもどんどん州都に流れていったよ。でも私はできなかった、私も、倉木も、ここにしがみつくことしかできなかったんだよ。ここは私の生まれた場所だから。たったそれだけのことだけど、私の心はそれに囚われている」

 弱くなる、ミハルの声。聞きたくないと思った。このまま収束し、やがて途絶えるまでが容易に想像できてしまうからこそ、ここで止めてほしかった。それと同時に聞こうとする自分もいた。全部聞いて、吐き出して。それを真に受け止められるかなど、わからないまま。ただ聞かなければならなかった。

「ここは私たちの土地だって、それを示そうとして、そのために愚かな犠牲を重ねて、抵抗して。もうそんなことは私たちだけでいい。しがみつくだけの獣は、私だけで」

 激しく、ミハルがせき込んだ。調は振り向いた。倒れ込んだミハルを抱き止める。いよいよ終わりが近づいているという証であるかのような、ひとかたまりの吐血が調の手の中であふれた。

「でもあの子は」

 それでも強く。握る力だけは必死に、ミハルは調の腕をつかんだ。

「あの子は違う。滅びるだけのこの土地で朽ちてゆくことなんて、しなくていい。あの子も、あなたにも、死んで行くだけの世界でなくていい。生きる道は必ずある」

 死にそうなくせに、そんなことだけははっきりと口にする。

「ここで生きるよりも、あの子はもっと広い世界に行ける」

 自分の苦痛など、なかったかのように言う。

「あんたの伴侶を、奪ったところだ」

 調はミハルの肩に手を添えた。驚くほど細く、華奢な骨格をしている。

「都市はそんなにいいものじゃない。俺たち旧人には、恐ろしく住みにくい。自分を押し殺し、否定しながら生きて、そうまでしてもほんの些細な綻びで消えてしまうほど脆い価値だ。それでも」

「それでも」

 笑った、ような気がした。ミハルは調の背中に手を回して言った。

「それでも、あなたがいるでしょう?」

「それは……」

 調が言い淀んでいると、ミハルはさらに言った。最後に。

「あの子を連れていって。ここではない、あの子が望むところに。こんなお願い、虫が良すぎるって分かっているけど」

 最後に、調の腕を握りしめて。

「私は、ここまでで良い。でもリツカやあなたには、終わって欲しくないから。どうかあの子を」

 ミハルは懐から端末を取り出した。かつてリツカが持っていたものによく似ている。

「あの子も同じものを持ってるわ」

 そんな小さな機械であっても、ミハルにとっては持ち続けることが限界であるようだった。調が受け取るとともに、右手から徐々に力が抜けてゆく。

「あの子の端末には、あの子の生体が組み込まれている。あなたたち、阿宮の血を持つものを引き合わせるためのもの。これにあなたの細胞を入れて、そうすればあの子の位置も探ってくれるはず」

 ミハルの身体から力が抜けて行く。膚の下に息づいた、最後の炎が消えて行く。徐々に加わる重みが、過ぎ去ってゆく命を予感させる。

「じゃあね、阿宮の子。私の息子さん」

 ミハルは最後に口にした。そうしてすべての意識が途絶えたときに、調はその名を口にした。

 もうどこにも存在しない女の名を。


 あんたと同じだ、と調は言った。冷たい雪をかき分けて、地中深くに埋めた躯に向けて放った言葉だった。

「しがみついているのは、俺もそうだよ」

 盛り上がった土には、墓標となるものは何もない。そこに誰かが眠る痕跡すらもない。そのことを知っているのは、唯一人のことでしかない。

「どこかにいける、わけでもない。俺は捨てた人間だから」

 そんな自分に何を期待するのかと、重石めいたものがのしかかる。釈然としない思いだった。州都にも、原野にも行くことが出来ず、どちらともを自らの意志で捨てた人間に――操が消えた日、操を捨てて都市での生活を選び、今は都市を捨てて。そんな人間が、まるで希望そのものかのように振る舞って。

「俺に出来ることなど……」

 視界をちらちらと白いものが舞っているのが見える。指先に氷の粒が染み、なぶるような冷たさが直接に刺激した。一つ、二つと降り立つ雪片が、薄闇の空から点々と降り、やがて少し重みを増した欠片が、群青に溶け込む白灰の実体を伴い、落ちてゆくのを、調は見上げる。

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