三十五
拘束されてから、もう二時間ほどにもなる。両腕を手錠で縛められ、机に突っ伏した状態で機甲兵に押さえつけられ、調はやっとこ首を持ち上げるので精一杯だった。
車に押し込められて一時間ほど走った場所だった。例によって目隠しをされていて、どこをどう走ったのか分からない。今、調が知りうることはここが野営地ではなく常設の駐屯地であり、町からそう離れた場所ではないと言うことだった。ミハルの家がある町は、四方を山で囲まれた盆地であり、駐屯地は山間に存在する。峠には、通信塔とミサイル台が設置されている、そういう場所に今までいたということに驚きを隠せない。今更ながらここは敵地なのだと自覚させられる。
廊下を挟んで向かい側からリツカの声が聞こえてくる。何事かわめき散らしているようだった。声を張り上げ、怒鳴り、しばらくそんな状態が続いたがいきなり何か大きな音が響いた。リツカの声が途絶え、静かになった、と思ったらまた声が大きくなる。その繰り返しだった。
声を聞いていると、部屋の扉が開かれる。倉木が入ってきて、調の真正面に座った。調を押さえつけていた機甲兵に出るように促し、果たして部屋には二人きりとなる。
「マオ・シーから聞いた話じゃ旧人ということだったが、貴様がな」
倉木は椅子に体を預けるような格好だった。それでいていつでも動ける体勢を作っているようだった。体の重心は常に中央に置き、深く座っているようでその実上体は前のめり気味になっている。事を起こせばすぐに取り押さえることなど造作もないという座り方をしている。
「白兵が出てきたなんて話は聞いていない。配置換えか何かか? まあどのみち俺には関係ないことだが」
「あの攻撃を仕掛けたのはあんたか」
「だったら何だ。仲間の仇でも討とうというのか」
倉木は煙草をくわえて火をつけた。今の調の声などまるで届く風でもない。
「西北の境界は、不可侵だ。そういう約定があること、知らないわけではないだろう」
「二十年も前に、連邦から一方的に通達され、こちらの了承もなく決定されたことが約定とは恐れ入る」
煙を吐き出す。鼻孔を突き刺すような匂いだった。新人の鳴官を傷つけかねない、ニコチンを主とした煙を吸い込み、調はせき込こみそうになるのをこらえた。毒物を体内に取り込むことを進んで行う、この男の行為がいまいち理解できない。
「あの音」
調は顔を背けつつ訊いた。
「あの歌音は、お前たちが作ったのか」
倉木は返事の代わりに煙を吐き出した。
「旋法を編むのは音奏者、もしくはそれ相応の音楽知識がなければ出来ない。まして歌音など、旧人に備わっていない機能を模倣するなど」
「あまり馬鹿にするなよ」
倉木は煙草を投げ捨てた。壁に当たり、ぱっと火花が散った。
「州都の人間は、原野には楽理が存在しないかのように言う。ここに来る連中、新人も旧人も、最初からそう決めつけ、音など作れないとな」
二本目に火をつける。煙を調の方に吐き出す。調は、今度は盛大にせき込んでしまった。
「解析に時間はかかった。新人どもの細胞から、音の原点となる遺伝配列を特定し、歌音と呼ばれる音の周波を取り、蛋白質を培養して鳴官の構造を調べて。十年は費やした」
「やはり、連れ去りはお前達が……」
「それを知ったところで、お前がどうこうすることじゃない」
倉木は他人事であるかのように、投げやりな口調で言う。
「知ったところで、この場で俺を殺すのか、連邦に訴え出るか。この状況で」
ぎり、と手首が軋んだ。固く食い込んだ手錠が、膚を擦り、その下に潜む神経を擦り切るような心地さえする。どう足掻いても、両手を縛る鉄の感触は否が応でも主張してくる。
「歌音を生み出したのも、生化学実験のおかげか」
調はそれでも、逃がれる機をうかがっていた。両手をずらしながら、どこかで手錠から抜ける、その位置を探る。脱力し、急激にでなくゆっくりと。手は綿であり、ゴムであり、柔く扱うべきなのだ。そうでなければ抜き取ることはできない。
「阿宮だとか、あとは原野のあちこちで違法な実験を繰り返したその技術の蓄積というわけか」
調は倉木に、鋭い視線をくれる。
「言っておくが連れ去りも生化学実験も、すべて違法行為だ。そして今度の侵攻も」
「貴様らは、いつもそうだ」
倉木の横顔が強ばった気がした。それが調に対してというよいも、もっと別の、高次のものを見据えた結果としての表情であるようだった。
「こちらが頼んでもいないことを行い、こちらの意図も反映しないことを約定として取り込み、それらが破られでもすれば、それを責め立てる」
「人道にもとる行為を咎める、ただそれだけのことだ」
「これが人道であるならば」
明確な怒りが浮かぶ。倉木の目の中にあるのは、揺らめく炎であり、しかして堅い声は刃でもある。灼熱を帯びた刃に斬られる、歌音が生み出せばそんな感触を得たのだろうか。
「同胞を死に追いやったことも、人道だと言うのか」
調が何と言ってよいのか分からず黙っていると、倉木はさらに続ける。
「ミハルも、そうだ。あの男、俺の友がミハルを娶ったのは、州府の保護政策の時だ。その一週間のうちに奴はボランティアに保護され、州都に連れ去られた」
炎が猛りを増していた。調の背後にある州府と、連邦と、すべての新人たちにぶつけるようだった。
「奴が原野をさまよっていたのを見たのがそのすぐあとだ。脳をやられ、精神を崩壊させた奴が生きてゆくことは困難だった。俺は奴にとどめを刺した、その年に保護政策は終わった。人道支援と言っておきながら、奴から感情を奪い去って」
「それは」
突として、調の脳裏に入り江の光景が蘇った。かつて人道のために原野を救うべきとしていた、家の観察官たちの言葉。それを訊く、キースや他の子供達の横顔。そこに操の姿はない。
「旧人と新人の共存を謳いながら、回路を埋め込まなければその実旧人は新人と暮らすことはできない」
倉木の声が上書きされる。
「共感覚を備え、歌音を操ることがなければ、連中に混じっていきることがない。そうして連中は俺たちに、今ある価値を捨て、自分達の価値に染まれと言い、自らが行ったことを我々が行うことを咎める。そんな奴らだ。宥和政策の後も結局は同じこと。奴らは、俺たちのことを認めると言いつつ、決して認めない。楽理を奏でることのできないものは無理にでも解する、それも出来なければ追いやる。それだけだ」
私たちは奴らと違う――操の声が蘇るときは、家の教室ではない。入り江の波打ち際で響く声。あいつらは私とし違う、違うものを無理に従わせようとする、それが我慢ならない――。
「だから、奴らと同じ事を」
「同じと言われればそうかもしれない。だが同じでも、同じでなくとも良い。ここは俺たちの土地だ、今も昔も。それを守るためのこと、ただそれだけだ」
倉木ははっきり、そう告げた。猛る炎はなりを潜め、氷めいた声音でもって言った。
「この地は誰にも渡さない。新人どもにも、お前のようにここを捨てた奴らにも。新人どもの価値に自らを従わせ、価値を捨てた旧人には」
倉木は銃を取り出した。
見下ろす。倉木の冷めた目が、突き刺さる。これから行うべき事を、自覚している者の目だった。新人たちの価値を認め、原野の価値を殺すものの代表格を、すべて葬り去る。そのための狼煙としての贄であるのだ、調は。
不思議と恐れはなかった。これから行われることを、調はぼんやりと思い浮かべた。引鉄を絞り、先端から尖った針が、頭蓋骨を砕き脳に達する。その一連の光景が、まざまざと浮かび、それを冷静に見つめることができた。
しかし、意外なことに倉木は銃を下ろした。
「すぐには殺さない」
激鉄を戻し、銃を仕舞いながら言った。
「お前には、お前にお似合いの死に方をさせてやる。雪火野に連れてゆき、そこで苦しみながら死ね」
倉木は機甲兵を部屋に入れ、調を連行するように告げた。調は肩を掴まれ、外に引きずり出された。
装甲車に押し込められる段になって、彼方から爆音が近づいてくるのがわかった。
「何だ」
倉木が空を見上げた。音は、上空から鳴り響いていた。遠雷めいて、轟く重低音が、しかして確実に大きくなり、迫ってくる。
兵の一人が建物から飛び出して来た。かなり慌てた様子だった。男が口を開きかけた瞬間、頭上を爆音が横切った。
鼓膜を貫かれたようになる。調が見上げた先を、黒い影が横切り、それは彼方の山まで飛来した。轟音を上げ、影はいくつも通り過ぎる。細長い物体、刃めいた流線型を描いた輪郭、オレンジ色の炎を吹き上げて飛ぶ、急激な角度のついた三角の翼。
「まさか」
次の瞬間、影が山の頂上に突き刺さった。
はじめに光がはじけた。白い火球が膨れ上がり、轟音を巻き上げた。
土砂と炎が吹き上がるのを見る。黒煙が炎に混じって立ち上った。
次々と細長い影が、山腹に刺さった。着弾のたびに、それとわかる爆発が起こり、水素燃料をはじけさせる。雪化粧の木々が、紅の色に染まり、炎がすべてを浸食する。
空を切り裂き、飛来する影を調は見上げる――巡航ミサイル"ケツァール"の、急激なエッジのついた形を。
山腹から火の手が上がった。迎撃ミサイルが放たれ、"ケツァール"めがけて飛来する。そんな迎撃などものともせず、"ケツァール"は高く舞い、その穂先を直下に向けると急降下する。貫き、山肌を抉ると同時に炎が弾けた。水素反応で唐突に解放された炎が、自ら酸素を求めて手を伸ばし、それに伴ってミサイル台と周辺の木々を吹き飛ばし、焼き尽くす。
すぐ近くで轟音がした。ちょうど調たちのいる基地の後ろ、切り立った崖の一部に備え付けられた臼砲が火球を吐き出している。砲が連続して吠え、赤紫の火炎を射出した。
"ケツァール"の一つが舳先を変えた。空中で弧を描き、方向を変えて臼砲の群につっこんだ。光が、調の目に飛び込むのとほぼ同時、調は身を伏せた。
衝撃が腹を突き上げた。爆音が劈き、土砂が舞い上がった。土混じりの雪を食み、鼓膜をやられ、閉じていたにも関わらず視界がちかちかと瞬く。
聴力が戻らず、しばらくの間無音の世界にいた。機甲兵たちが走り回り、倉木が指示を飛ばしているのが見えた。装甲車が走り、武装ヘリが飛び立つのが見えた。そんなものが、"ケツァール"にとって何の役にも立たないとは知っていても、そうせざるを得ないというように。
両手が自由になっていることに気づく。伏せた拍子に手が抜けたようだった。手首の皮がこすれ、血が出ていたがそんなことにかまっている暇はない。基地の方に避難しようと、調は立ち上がった。
ふと、基地の前にいるリツカの姿を認める。集落の方に、何事かわめき、今すぐにでも飛び出そうとしているのを兵の一人が押しとどめている。何かを、ずっと同じことを、繰り返し叫んでいる。
静寂が途切れた。前触れなく、聴力が戻り、リツカの声が飛び込んだ。
「ミハルさ――」
轟音がした。
迎撃ミサイルが複数飛び立つ。基地を飛び越え、空中にいくつも筋を曳いた銀色の円筒が五機。めいめい、"ケツァール"めがけて飛ぶ。
空中で接触した。"ケツァール"の尾を砕き、推進力を失った黒い機鋭が落下する。その下に集落があった。
叫んだかもしれない。あるいは声を失ったのかも、わからない。何事か調は発したが、自分の声は聞こえなかった。集落の中央に落ちた”ケツァール”が、爆発し、火炎を膨れ上がらせる光景を、調は見た。ちょうどミハルの家があると思われる場所に、炎が立ち上るのを。
気づけば走っていた。近くにいた機甲兵を殴り飛ばし、ジープを強奪し、エンジンをかけるまで、ほとんど無意識の所作だった。車を走らせるに、背後から発砲してくるのにもかまわず集落に向かった。
頭上を”ケツァール”と、迎撃ミサイルが飛び交う。空気を切り裂く、不協和音が鳴り響く。そうしたすべても、今は気にかからない。炎の中に、調は飛び込んでゆく。
撤退の合図を出してからもずっと、炎の雨は止むことはなかった。避難命令を下し、自らもシェルターに避難しようとした倉木は、ふとリツカが集落の方を眺めているのを見た。座り込み、絶望を浮かべた面を向け、すぐそばに炎が迫っているにも関わらず、ただじっと見つめていた。
倉木はリツカの手を引いた。リツカはその場から動こうとしなかったが、無理矢理その場から引き剥がす。車に乗せると、もうリツカのいた場所は炎に包まれていた。
倉木は集落を振り向いた。火炎が、まだ猛っているのが見える。紅に縁取られた炎が、遠目からでもはっきりとわかる。すぐにでもそこに駆けつけたい衝動を押さえ、倉木は車を反対の方向に走らせた。




