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雪火野  作者: 俊衛門
34/53

三十四

「悪いな」

 最初の一声に、ミハルは首を傾げる。

「何が?」

「いや、リツカを引き離すためにあんなこと言ったんだろう? 俺を助けるために」

「うーん、今の話を聞いていたわけじゃないから、別にあなたを助けるって意図はないけど」

 ミハルは調の隣に座った。

「でも、引き離すってのはある意味正解ね。あの子はあなたみたいなのを見れば、際限無く都市の話をねだってくる」

「やはりその手の話はここじゃタブーなのか」

「雪火野の連中はそれを悪影響って断定しているけどね。でもそんなこと気にしないよ。私から話をすることもないけどね」

「俺からも話すことはない」

 碗に注がれた緑色の液面に目を落とした。

「それに、俺も都市には行かないだろうし」

「そうなの? なら原野に住むつもり?」

「それも……どうだろう」

 すっかりぬるくなった茶を喉に流し込んだ。

「あんたは、リツカに。都市に行ってもらいたくはないのか」

「どうかな。リツカの好きなようにもさせてあげたいし、かといってここから出て行っちゃうのも寂しいし。あの子が都市に行けば、もうあの子とあえないかもしれない」 

調の空の湯呑みに、新たに茶を煎れ、自らも茶をすすった。

「あれでも自分のお腹を痛めて産んだ子だからね」

 沈黙が流れた。どちらかともなく、意図して流した静寂のようであった。切り出すタイミングを、二人して計りかね、しかし最初に根負けしたのは調の方だった。

「育ての親、じゃなかったのか」

「産みの親でもあるんだよ、実は。あの子は知らないけどね」

冷めた茶を流し込み、苦みと渋みの液を完全に嚥下した。それほど長くは無かったのだろうが、沈黙は随分とかかった気がした。

「似てない、母娘だな」

「血のつながりがないことは確かね。リツカの中に、私の遺伝子は一パーセントたりとも入っていない。でもあなたとは遺伝子を共有しているから、あなたたちは等しく兄妹ってことに間違いはないね。」

 ミハルは湯呑に口を付ける。調は、その言葉を理解するのに、時間がかかった。

「あなたを最初に見たとき、すぐに理解したよ。この人はリツカの兄なんだって。阿宮という名もあわせて」

「俺と、あともう一人」

 操の名は出さなかった。

「阿宮で最後に生み出されたのは、二人だけだったと聞いたが」

「阿宮で生まれたのはそうだね。でもあそこにはまだ、生まれる前の胚が残っていたのよ。そこから持ち出すことは、そんなに難しいことじゃなかった」

 重大なことでも、何ら気負いなくミハルは告げる。

「あんたは、あそこに」

「いたよ、阿宮に。私があなたたちを造って、あなたたちを生み出した。イ370生化機関、創設者の名前から取って阿宮と呼ばれていたそこに。私は技術者で、あなたは私の作品で、子供でもある」

 一瞬黙りこくった。どう切り替えすべきか、考えあぐね、二人して声を出すことを躊躇った。表の方で車の群が通り過ぎる音が連なり、遠ざかるまで、互いに口を開くことがない。

「何で」

 ようやく調は絞り出した。

「それを、俺に。今更」

「あなたには知る権利があると思ったから」

 ミハルは湯呑に茶を注ぎ直した。

「阿宮が襲撃された後、私とほかのチームは残された胚を雪火野に運んだ。私は本気で、旧人社会の復活なんて望めるとは思わなかった。ただ、幹細胞から胚を生み出した以上、廃棄するのは忍びなかった。この子たちは命を宿したんだって思うとね。雪火野で研究を続けるつもりで、でも連邦の経済制裁によって段々と研究も難しくなってね」

 ミハルは、それが罪と認識している話し方をする。それがミハルにとって唯一の贖罪であると、思い込んでいるかのように。

「機関では人工培養の液と、子宮器があったんだけど、そこを離れて設備のないところではどうしても細胞が死滅してしまう。およそ百あったサンプルが次々に壊死してしまって、残った一つを人体に直接宿すしかなかった」

 軒先で雪が落ちる音がした。氷じみた塊であっても、雪は音を吸収してしまう。軽く、スポンジが弾けるような物音だ思った。

「私は自分の体内に宿すことに決めた。同時に雪火野でのクローン実験は終わったわ。あの子が生まれて、私は雪火野の技術顧問に収まって。もう二度とクローンに手を出すことはなかったけども」

 思いがけない告白に、調は何と言ってよいかわからなかった。阿宮で生まれたこと、過去のない子供たち、クローンによって生まれた肉体の片割れ。幼い頃から、自分を生み出した者には何か一言言ってやろうと、思っていたはずなのに。

「それを、リツカは」

「知らないよ」

 表の方で、またエンジン音が連なるのを聞く。どこか騒がしい風情ですらある。気にはなったが、昼間は外に出るわけには行かない。

「あの子だけじゃない、雪火野でこのこと知っているのは、あと倉木ぐらいなもの。あの子に、リツカに今の境遇を押し付けたのは私だってこと、他にはだれも知らない」

 ミハルは自らの指先をじっと見つめるようにうつむいた。年月を刻みこんだ指だと思った。何かしらの望みを叶えるためにあえて掴みに行き、傷ついた手だ。そんなものは都市にいれば、それこそ労せずしてかき消すことが出来るものだ。何の価値もない、醜悪なだけのもの。

「だからね、あの子が都市に行きたいならば、私にそれを止める資格はないんだよ。そういうことだから」

「都市に行きたいとは言っても、あいつはあんたと離れたくはないんじゃないのか」

 調はとりあえず、その先を口にすることに成功した。

「あんたとも、千秋とも。あんたが一緒に都市に行けば」

「考えたこともなかったよ、そんなこと。私はここで生まれて、ここで死ぬものと昔から思っていたから」

 調が見つめる視線に気づいたらしく、ミハルは顔を伏せる。慌てて調は目線を逸らした。

「でも、もしあの子が都市に行こうとして、それがあの子のためになるならば」

 ミハルが遠くを見つめるような目をした、ちょうどそのとき、表でエンジンの音が響いた。

 家のすぐ目の前だ。ディーゼルエンジンの、暴力的に猛り、慟哭じみた機械音と複数の足音がばらばらと響く。堅い革靴の音だった。無秩序に走っているようで、その実規則正しい、それこそ機械の正確さだ。

 ミハルが窓から外を見ると、急に顔つきがこわばった。「あんたを探しに来たみたいだよ」

 調の方に振り向くと、指を口元にやった。声を出すなということだろうか。

「とりあえず、どっか隠れて。時間稼ぐから」

 調はそろそろと立ち上がった。家の奥に引っ込むと身を隠せる場所を探す。板の間が切れ、地面がむき出しになった台所までたどり着いた。

 玄関の扉があけられる音がする。調は身を潜めつつ、様子をうかがう。少しだけ居間の引き戸が開かれていて、玄関まで見渡すことが出来た。

 ミハルの目の前に、軍服姿が立っているのが分かる。左右を機甲兵が固め、守られているその男の顔は、見覚えがあった。雪火野を取りまとめ、おそらく過激派たちのリーダーでもある、倉木の姿を。

「あいつ……」

 嫌な汗が吹き出た。雪火野で一度、対峙したときに感じた緊張だった。得体の知れない不愉快さ、それこそ恐れを抱くに足る鋭い視線に貫かれた、あのときと全く変わりしない。

 調は武器を探した。調理台の上に、よく磨かれた包丁が置かれているのを見つける。自由に動く左手で、逆手に持つとそのまま息を潜めた。

 倉木の声が聞こえて来た。よく通る声だ。しかしいつぞや感じた、威嚇に満ちたものではなく、幾分柔らかいものであるかのようだった。

 ミハルが何かを言うより先に、倉木はいきなり家の中にあがり込んだ。ミハルが止めようとするが、機甲兵たちに止められる。倉木は奥の方までずかずかと踏み込んでくるに、段々と調のいる方に近づいてくる。

 引き戸が開かれた。

 同時に調、飛び出した。逆手の包丁を水平に振り抜いた。

 が、刃が首に届く直前に阻まれる。倉木の手が調の左手首を掴み、それにより包丁が止められる。

「何だ貴様か」

 倉木が何の感慨もなく言う。それと同時に調の手を捻り込んだ。調が包丁を落としたのを確認すると、調の肘を固め、投げ飛ばした。

 宙を舞った。一瞬で天地が返り、数瞬おいて背中を床に打ちつける。呼吸が断ち切られ、たまらず調はせき込んだ。

「野郎!」

 立ち上がり、飛び込む。倉木の胴に蹴り込んだ。

 難なく倉木は蹴り足を受け止める。調の首筋を引っ掴むと蹴り足を払った。倒れ込んだ調の首根っこを掴むと、そのまま表まで引きずり、玄関から外に放り投げた。果たして調は、往来を囲む軍用バイクと装甲車が取り囲む中に一人投げ出される。

「言ったはずだ、阿宮調」

 立ち上がる調の目の前、倉木が銃口を向けている。左右を見ると、機甲兵たちが複数、同じように小銃を向けていた。取り囲まれ、逃げ場を断ち切られ、複数の銃口の前に調は晒される。

「次に会ったら容赦しないと」

 倉木が激鉄を起こした。

「待ちなさい」

 凛とした、確固たる声が響く。倉木が構える銃の前に、割って入った。銃口の先に、いともたやすく入り込み、倉木に対する。

「私の患者に手を出さないで」

恐れをなしたようでもなくミハルははっきり告げた。倉木を真っ向睨み付け、銃口の先をまるで気にする風でもない。

「どけよ、ミハル。どかないとお前から先に撃つぞ」

「この人は傷を負っている、その傷を最後まで治すのが私の努め。それを果たすまでは、手出しはさせない」

「庇うっていうのか、この男を」

 倉木は表情を固くして言った。

「連邦の兵をかくまったと言うだけでも、背信行為に等しい。それでなおかつ、こいつを庇うのならば、それは雪火野に弓を引くのと同じことだぞ」

「そう捉えるならば、それで結構。無抵抗の、傷を負った者に対して銃を向けるのが、雪火野を預かる者の誇りだと言うならばそうしなさい。私を撃つなりして」

「得体の知れないもの、味方となり得ないもの。我々に仇なすすべてのものを排除するのも、雪火野を治める者の努めだ。そのために、邪魔するものを排除することも含めて」

 しばらくにらみ合った。調はそんな二人のやりとりを見つめた。銃を突きつけたまま、膠着している。ミハルが事を起こせばすぐにでも倉木は引鉄を引く、それが分かっていながら動けない、そんな緊張感が、漂う。

「あの人がいれば」

 ミハルが口を開いた。視線は変えないまま。

「そんなことはしなかったでしょうね」

「そうでもない。あいつだって同じ事をするはずだ」

 倉木も、視線そのままに答えた。

「この地を守るために、当然のこととしてな」

 やがて倉木は銃を下ろした。起こした激鉄を静かに戻し、銃をホルスターに戻す。

「まあ、いいだろう。ただし、こいつの身柄は預からせてもらう」

 連れて行け、と倉木が短く命じた。機甲兵の一体が調の首筋を掴み、無理矢理立たせる。腕を掴まれ、関節をねじ込まれ、痛みに思わず声を漏らした。

「何度も言わせないで」

 ミハルはあくまで食い下がる。

「彼は怪我をしているのよ」

「これ以上手を煩わせるなよ、ミハル。あまり聞き分けがなければ、いくらお前とて許さない」

 調は装甲車に押し込められた。背中を銃で突っつかれ、頭を無理矢理車内に突っ込まれる。

「あー! 阿宮っ!」

 声の方に振り向いた。往来の向こうからリツカが駆けて来るのが見えた。

「倉木、あんた一体何をしてんだよ。ミハルさんに何を!」

 倉木に飛びかかろうとしたとき、別な機甲兵に止められる。倉木はそんなリツカを見下ろしながら言った。

「ちょうど良い、リツカ。お前からも少し話を聞く必要がある。一緒に来てもらうぞ」

 一瞥して倉木は車に乗り込んだ。リツカがもがくのを機甲兵が押さえ込み、引きずって行く。ミハルが抵抗するのを、他の兵が押しとどめる。そんな様子を、最後まで確認するまでもなく、調は狭い車内に押し込まれた。

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