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雪火野  作者: 俊衛門
32/53

三十二

 右拳をつけた。半身の状態で、拳を前に出し、それが照準であるかのようにねらいを定めている。ぶれないように、ぴたりとつけられた拳は異様なほどの殺気を放つ。

 その前方にある影を、七海は目にする。構えをとるマオ・シーに対する千秋は、両手をだらりと下げた状態で相対する。その状態のまま、両者ともにらみあった。

 動く。マオ・シーが飛び込んだ。間を飛び越え、千秋の眼前に飛び出したマオ・シーの右脚が空をかいた。

 蹴撃が叩く。千秋の鼻先を掠める。マオ・シーが転身する。

 踏み込む、千秋。マオ・シーが前進するのに合わせて左掌を差し出す。マオ・シーの顎を突き上げた。マオ・シーの身体が浮き上がり、上体を仰け反らせ、後ろに突き飛ばされ尻餅をつく。起き上がろうとするマオ・シーの喉に、千秋が手刀を突きつけ、それで勝負が決した。

「やっぱ勝てないなこいつ」

 マオ・シーがうんざり気味にぼやき、立ち上がった。

「千秋に勝てる奴なんてそうはいない」

 七海はというと、二人の組み手をぼんやりと眺めているだけだった。もう十手以上、手を合わせているがマオ・シーが一矢報いたことなど一度もない。

「武器使おうとなんだろうと。改造する前も千秋は武の心得があったみたいだけど、新人どもの回路施術の副作用で空間能力が増大されたんだ。まともにやり合っても難しい」

「うっさいね。あたしだって星があれば」

「頼むから味方同士で殺し合うのはやめてくれ」

 七海は、ちらりと千秋の方を見た。やはりというか、疲労を覚えることのない千秋は表情を全く崩さない。人間立った頃の筋肉はほとんど残していないが、顔の形成筋だけはまだ生体のはずだ。それでも能面めいた表は、少し不気味でもある。

「型式で言や、あたしの方が新しいってのに。何でこんな旧型にやられるんだよ」

「旧型って、まあそうなるけど。そもそもお前は接近戦に強いタイプじゃないんだから」

「いーや、やっぱ納得行かない。もう一回だよ、千秋!」

 マオ・シーが構えをとった、といきなり千秋の背中に飛びかかった。完全な不意打ちだった。

 廻し蹴り。マオ・シーの左脚が千秋の後頭部を捉える。

 振り向く。千秋の手が蹴り足を掴んだ。体を入れ替え、マオ・シーの軸足を払うと、なんと足を掴んだまま投げ飛ばした。

 マオ・シーの小柄な体が宙を舞った。一定時間、空中を漂い、三秒後に地面に叩きつけられた。人であれば確実に首の骨を折っていただろう角度で地面にのめり込む。

「て、この野郎なにすんだよ」

 それは主に千秋の台詞だろうと思ったとき、後ろから視線を感じる。七海が振り向くと、倉木が大層な形相でこちらを見ているのを目の当たりにした。

「何を遊んでいるんだ、七海」

「俺は別に……」

 何か言おうとしても、倉木の射抜いてくる視線の前に言葉を失う。倉木は果たしてため息混じりに言った。

「この大変なときに。西北がうまくいったからと弛んでいるんじゃないか」

「失礼しちゃうね」

 起きあがったマオ・シーが、倉木に詰め寄った。

「だから次に新人どもが来ても対処できるようにって、こうして技を磨いているんだろう? この間の攻撃だって、あんたは何もしていない。全部あたしがやったことだ。後ろでふんぞり返って命令だけしている奴に言われたくないよ、そんなこと」

 倉木は視線を、マオ・シーの方に動かした。

「許可なく鈴玉を持ち出しておいて、随分な口を利く」

「文句ある? あたしが一番上手く、玉を操れるんだ。この千秋にだって出来ないことを、あたしがね」

 あくまでも一歩も引かないという心構えのようだった。だが倉木は、態度を崩すことはない。

「それで一つ失っていては、世話ないな。五玉のうち、四つしか返ってこなかったが、あれだってタダじゃないんだ」

「あれはしょうがないだろ。あんな奴がいるとは思わなかったし。あの、妨害歌音が効かなかったんだから」

「効かない? それはどういうことだ」

「多分、旧人が紛れていたんだろう」

 七海が、マオ・シーに代わって言った。

「連中の音を、旧人はインターフェイスで受け取る。それを外してしまえば奴らに歌音の影響は及ばない。もっとも、軍そのものに旧人自体が少ないけど」

 倉木は何か考え込むように黙した。千秋の方を見て、マオ・シーの方を向いて言う。

「その旧人、仕留めたんだろうな」

「多分ね。谷底に落っこちたから、生きちゃいないとは思う」

「確認したのか」

「知らないよ。いちいち見ないし、そんなの」

 マオ・シーが突っかかるのを七海ははらはらしながら見ていた。廃人同様の人間に機械脳と自立プログラムを与えた機甲兵と違い、マオ・シーは生身を機械化した口である。脳にほとんど手を加えなかったためか、元の人格を残したままの機械となった。生身のときも気の強い性格だったらしく、倉木と衝突することが多い。

「まあ良い」

 意外なことに、先に折れたのは倉木の方だった。背を向けると七海に向き直った。

「七海、しばらく俺は出る。何かあれば戻るが、それまではお前が指揮を執れ」

「いいけど、どこに行くってんだ」

「西北だ」

「西北、ああなるほど」

 七海が薄く笑いを浮かべた。倉木は気味悪そうに眉をひそめる。

「何だよ」

「いやなに。ミハルにあんな態度取っておいても、本当はお前も心配なんだなって」

「何の話だ」

「ミハルのところに行くんだろ? 様子を見にさ」

 倉木は、何か不可解なものでも見たかのように目を見張った。それも一瞬のことで、すぐに元の通りの能面に戻る。

「お前は暢気だな」

「何がだよ」

「いやなんでもない。俺はしばらく開けるが、すぐに戻る。何かあればすぐに呼び戻せ」

 何がなんだか分からないうちに、倉木は去ってしまう。その背中を、七海は何となく見送った。

「何あれ」

 マオ・シーも事態が飲み込めないという顔をしていた。七海はお手上げとばかりに肩をすくめる。子供の頃から一緒にいるが、未だに考えが読めないことがあるのだ。

「西北って、そういやリツカは今そこにいるんだっけか」

 マオ・シーはもう組み手を継続する気はなくなったらしく、すでに荷物をまとめていた。

「リツカの、まあ育ての親がいるんだよ。倉木や俺の知り合いでもあるんだけど」

「なるほどね。いっつも千秋の側にいるのに、最近見ないからおかしいと思ったんだ」

 マオ・シーが千秋の方を見たが、千秋はもう立ち去った後だった。マオ・シーが続ける気がないと判断した上のことだろう。気配もなく消えるあたりが、流石といったところだ。

「なあ、前から気になってたんだけど」

 マオ・シーは誰もいないにも関わらず声を低くして顔を寄せてくる。この人間ぽさが、時折この少女が機械であることを忘れさせる。

「あのさ、あの二人ってデキてんの?」

「あの二人って」

「だから、千秋とリツカ。千秋の方はそんなそぶり見せないけど、リツカっていつも千秋にべったりじゃん」

「そぶりもなにも、千秋はその手の意識はないだろう」

 七海は立ち上がって土を払った。ずっと座っていると、腰が痛くなってくる。運動不足かもしれない、と一人呟いて、

「その辺の事情は知らない。ただリツカがこっちに来てから、なぜか千秋に懐いてしまって。千秋も多分、まんざらでもないと思うが」

「何か変だよね。あたしが言うのもなんだけど、千秋の脳みそは弄くられ過ぎて感情も何もないんだろ? そういうのに惚れるかね、ふつう」

「分からんな。情動系を破壊された以上、理性や認知能力も失われ、AIで補完しているだけで、そういう感情を持ちえないと知っているはずだが」

 脳の情動系が生き残っていなければそれはもう人間とは呼べない。知性や自我の芽生えは情動ありきで、そこを機械で代用すればそれは本当にただの人工知能でしかない。

「完全に脳が破壊されているわけではないとしたら、あるいは」

「ないない。あいつってば本当に機械みたいなんだもん。何をやっても無感動でさ」

「お前も機械だろうが」 

 七海は端末を覗き込んだ。倉木が雪火野を開けるとなれば、軍議一切に関する責任は七海にかかってくる。

「お前は千秋とともに屯所で待機していろ」

「ああ、まあそのつもりだけどあんたは」

「俺は」

 丁度、武装ヘリが頭上を通過するところだった。爆音を上げる自律型ヘリの、異様に刺々しい姿を見送る。重機関銃と大筒ドラムランチャー、ミサイルが、無秩序に突き出た形状を。

「俺はやることがある」

 七海は城塞に向いた。

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