表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪火野  作者: 俊衛門
31/53

三十一

 港湾にかかる霧の中に、船舶の影が行き来している。縦に並ぶ艦艇が、まるで巨大な燭台であるかのように、そびえ、見下ろす躯体にはいくつもの補給パイプが伸びている。

 カミラは細かい水分の含んだ空気を吸い込み、埠頭から身を乗り出した。軽空母"シグナス"が、靄が晴れると共にその全容を現す。角ばった水鳥の背には、鉄の鳥――ステルス爆撃機"カグー"が並び、艦橋を挟んだ艦の先端には、ミサイルの頭が飛び出ている。巡航ミサイル"ケツァール"の、ナイフめいた輪郭、隣に並ぶ巡洋艦にも同様にミサイルが備わる。どちらも侵略性故に封印されかけていた兵器、そのいずれもが堂々と衆目に晒されている。ある種奇妙な感覚だった。

「あれが動くところなど、久しぶりですね」

 カミラの後ろから、硬質な声が響き、カミラは声のほうに振り向く。ハマ・マークステインはすでに強化スーツを着て、出撃の体裁を整えていた。

「南アフリカの紛争以来、アジア圏内で運用されるのは初めてのことかな。艦隊が乗り込むのは」

「連邦も本気ということでしょうか」

 連邦議会が保有する、唯一にして最大の航空戦力――白兵が、州府に対して陸戦力を貸し与えている存在であるとすれば、航空隊は連邦の強権発動により動かすことが出来る。解決不能な紛争、緊急性を帯びた事例にのみ許される実力装置。

「それで、あとどれくらいで出るんだ」

「丁度十二時間といったところでしょうか。最初に航空部隊が叩き、我々が上陸します」

 ハマはカミラの隣で、柵に寄りかかった。

「それで、どうしてあなたはこんなところに」

「いてはいけないか?」

「見送りって風でもありませんから。あなたは現役の頃から、そうしたことに疎い」

 ハマの声質が少しだけ、筋ばった旋法を描く。

「それとも阿宮のことでしょうか」

「どうしてそう思う?」

「声が粘土質です」

 苦笑する。どうあっても旋法とは馬鹿正直に拾い上げ、情動を伝えてしまう。操が散々嫌っていた理由の一つ、隠し事など皆無で、自らを社会という旋律に当てはめてしまう歌音の響きだった。

「"イースト・レビュウ"の記者にね、会って来たんだよ」

「あの記事の訂正でも、促したのですか」

「そんなことはしない。それじゃあ軍が圧力をかけたみたいになるでしょう。そうじゃなくて、あの記事の真意をね」

「真意も何も、あれが世論の声なのだと、自分は感じましたが」

 ハマは怪訝そうに目を眇めた。

「軍の決定が、結果的に原野の脅威を増してしまった。西北のテロも、遠因としては北東からの撤退が大きいと」

「キース・レグナント。あれを書いた記者だけどね」

 カミラが声を出す間に、艦はゆっくりと動き出した。巨大な船体を惜しげもなく見せつけるように、舳先を右に振れさせ、ミサイル管の矛先を向ける、その先は原野。

「キースは、調たちと同じ、ハビタットにいたんだ」

「連邦の施設ですか。確か生化学実験によって産み落とされた子供ばかりを集めた」

「そう。保護政策から宥和政策に切り替わる頃、原野で人工的に生まれたクローンの落とし子たち。今ではもうないけど、ある意味画期的な試みだった」

「あなたが参加した長征のときに、彼らに会ったのですね」

 ハマが見送る先、巡洋艦が鋭角の舳先を沖に向けるところだった。

「キースや他の子供は、よく教えを守っていた。新人たちに受け入れられるために、模範的な旧人になろうとね。でもあの子たちのように、全部が全部そうじゃない」

「あなたと阿宮調の関係を聞かされたときは、正直言って驚きましたよ。あなた自身も、その模範的な振る舞いを行う人間だったから」

「何で問題児の面倒なんて見るのかって?」

「そういうことではありません」

 カミラの言うことを、この男はいちいち全力で否定する。硬さは相変わらずだと思った、歌音も声も。

「タイプが違うからね。模範的でないあの子をこの道に引きずり込んだ手前、私にも責任はある」

「手を差し伸べる分にはたやすいことです」

 ハマが発する声音がふと、揺らぎ、透明さに困惑の藍が混じる。

「ただ、それに応える方は、そうとは限りません。彼はこの街で当然さしのべられる救いに、応えることはなかった。ここでも、どこの州でも、そうした人間は一定以上います」

「それを正しく導くのも、旧人たちの役目」

 カミラは自嘲して言う。

「思想の根拠は同じだね。保護政策のとき、人道支援として旧人たちに回路を施す。誰も疑っていなかった、それが正しいということに」

 ハマの旋法の揺らぎが大きくなる。息づかいと声音、あまりにもそれは不安定な旋律だった。言いようもなく誰かを不安にさせる情動でもある。

「昔からね、あいつはそうだったんだよ」

 気づけばカミラ自身の声音も、同じような不安定さを描いていた。影響されたのか、それとも最初からカミラが発していたのか、分からなかった。ただ情動は、揺らめいている。

「操がいなくなってから、調は愛情とか、与えるものはすべて拒絶していた。いくら良いものであっても、そこから離れていく。もうそうなったら、手を伸ばすことなんてまるで無意味ね。意地張って、馬鹿みたいに敵対したがる過激派ほどじゃなくても、誰かに与えられることに怯えているみたいに」

 そんなことを、話したいのではない。カミラは自分の言葉を留めようとした。止めようとして、それであっても尚もその言葉は口をついた。

「本当は最初から分かっていなかった。私はあいつと同じであるはずなのに。私は何一つ、あの子のためにならない……」

 艦艇は彼方へと消え、その影を見送るハマが、頃合いとばかりに身を起こす。

「悪いね、こんなことを」

「いえ」

 再び発したときには、ハマの歌音は透明さを保っていた。

「驚きはしましたが。あなたがそんな風に考えていたということが」

「旋法は、なかなか個人の思想には踏み込まないしね」

 今更ながら、自分の言ったことが気恥ずかしくなり、誤魔化す意味で咳払いをする。おそらく、誤魔化せてはいないだろうが。

「あんたはこんな考え方、認めないだろうけど」

「自分は軍人です。我々が信じるものは銃剣のみ。それは阿宮も同じです、あなた自身も」

 慰めにもならない慰め、気休めもいいところだった。ハマの声音は硬いまま、ダイヤモンドの球を抱く感触。全く変わる気配はなかった。

 変わらないことが、なによりも心地よい、そう感じた。


 上空から降りてくる、四対翼の巨鳥が連なり、双発のローターが奏でるエンジン音が頭上を通過する頃には、ハマの顔つきは険しくなっていた。これから死地に向かう兵士の気配。

「そろそろ行きます」

 ハマは港湾から目を背けた。

「ハマ」

 去り際、カミラが声をかけるのに、ハマは振り向く。

「気をつけて」

 ハマは、やはり表情を変えないまま言った。

「あなたこそ」

 やがてハマの姿が見えなくなり、カミラは踵を返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ