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雪火野  作者: 俊衛門
27/53

二十七

「西北の防人がやられた」

 リィドが発した言葉を、最初は理解出来なかった。もう一度問い直すと、また同じ答えが返ってくる。

「確かなの」

「冗談でこんなことを言うかよ。妙な軽機動一匹に、基地は壊滅させられたらしい」

 リィドの切迫しきった声は、張りつめた糸だった。触れれば肉を傷つけそうな鋭さが、その声にはあった。

「どうして、また」

「詳しい情報はこれから入ってくるんだろうが――」

 リィドはなぜか声を潜めて言う。

「ただ、部隊の中に調がいたらしい」

 周りの雑踏が消えた。いつもよりも多いエントランス、その人の波がすべて消え失せ、ヨファを世界のあらゆるものから切り離された心地になる。

「それで、どうなの。調は生きているの? 死んだの?」

「どっちか分からないな。生き残った兵はほとんどいなかったが、その中には調はいない。現状、行方不明って扱いだ。もっとも無事かどうかって言われりゃ限りなく絶望的だがな」

「でも、どうして。州軍といえども前線の防人がそんなにあっさり――」

「それについちゃ、たぶんこの後説明があるんだろうよ。奴らに前線を突破されて、今西北に州軍が集結しているっていうから、俺らにお呼びがかかるのも時間の問題だ」

 そのときヨファの端末に通信メッセージが入った。

「噂をすれば」

 リィドも端末を取り出した。本部連絡用パスが組み込まれた、カード式のパネルを見る。ヨファはメッセージを読んだ――ブリーフィングの旨を記したメッセージを。

「五時間後だ」

カード端末をポケットに仕舞込み、

「遅れるなよ」

 そう言ってリィドは去った。

 ふと、ヨファは外を見てみる。吹き抜けのエントランスはガラス張りになっていて、空模様までしっかり見ることが出来た。灰色の雲が、渦を巻き、今にも崩れそうな天候を表している。

 胸騒ぎがする。ここ最近では最大級のものだった。調が最後に漏らした言葉が、脳裏を突き、別れ際に見た調の横顔が、実像を結んだ。

 認められない事実があった。それははっきりと胸の内に広がり、一つの真実を形作った。必死にそれを打ち消そうとしても、ヨファが持つすべての知識と経験がそれを揺るがないものとして捉えて離さない。

 ヨファは廊下を足早に駆けた。それでも確認しないことには仕方がない。今必要なものは、感傷ではない。事実関係のみだと言い聞かせ、焦れた心が騒ぎ立てるのを抑え込もうとした。

 

 待機室に向かうと、すでにチームの人間が集まっていた。白兵の、強襲チームが詰めより、展開された立体画面の前に詰めている。ヨファが所定の位置に座るのを受けて、ブリーフィングが始まった。

「すでに聞いているとおりだ」

 ハマ・マークステインが立体映像の前に立つ。こんな時であってもハマは冷静だった。憎たらしいほど感情の揺れはなく、旋法は強固だった。これほどの堅さを持ちながらも、それをさも当たり前であるかのように掲げる、それがハマ・マークステインの自我であるかのように聳えている。まさしく壁のような心理。

「猩猿が投入されること自体も少ないが、西北が奴らに壊滅させられたのが十二時間前。その後救援部隊を差し向け、基地内の生存者を保護したが、生き残っている者たちもまともに話を出来る状態ではなく、治療を継続している。予断を許さない状況だ」

「それほどまでに痛めつけられたってわけ」

 ヨファは自分の声が皮肉の色を帯びていることに気づく。くすんだ黄色、酸を含んでいるが、どこか甘い。一見して苛立ちを露わにする。

「確かにそうだ。ただし、肉体よりも精神面でな。彼は極度のストレス状態に置かれている」

 ハマはちらりとルー・ダウニーの方を見た。心得たもので、ダウニーは手元の操作盤をなぞり、新たな映像を生み出す。

「攻撃が始まる一時間前の、衛星からの画像です」

 映し出されたのは見慣れた音域立体のグラフィックだ。ただしそのスケールはけた違いである。むき出しの地面と切り立った山脈、そうしたすべてが紫の格子として現出する。中央には前線基地、山の上には通信塔、だいぶ離れた平野には集落らしきものが点在している。

 基地の辺りが変化した。水面に投げ込まれたときの波紋の形状が、生み出され、徐々に広がりを見せる。黄緑をした波だった。うねりは、ゆっくりと地を浸食し、基地のある一帯を飲み込んだ。

「認識不明の個体が現れてほぼ同時。正体不明の不協和音が、前線基地の五百メートル付近で発生。この後迎撃に向かうものの、その後に不可解な旋法を捉えました」

 うねりが、徐々に黒みを帯びた。緑色が濃くなり、やがて闇そのものであるかのような色に変化する。

「これは?」

 ヨファはその光景から目が離せないでいた。

「人工的に作られた旋法です。ただし、故意に歪められた、聴くに耐えない音。この旋法に当てられた防人たちは戦闘不能に陥り、そして」

 ダウニーは言葉を切り、次に出てくる言葉を、相当の覚悟でも必要だと感じているかのようにゆっくりと言った。

「全滅した」

 しばらく全員が黙り込んでいた。全滅という言葉の意味を、理解はしても事実の重さを計りかねている、そういう沈黙がしばしの間流れた。

 やがて静寂を破ってハマが訊く。

「連中は人工歌音を作ることが出来たのか」

「歌音というものはそもそもが単純な作りです」

 ダウニーはようやく、自分のすべきことを思い出したかのように言う。画面を閉じて、向き直った。

「鳴官自体が、たとえば鳴官を備えない者に対し、レーザー治療により細胞を変質させることで生成することが出来る。歌音の音域は高周波であり、それ自体は特別なものではありません。ただ――」

 ダウニーは少々困惑気味の声を出した。

「ただ、人工的に旋法を編むとなればそうもゆきません。これは人の情動に深く関わるものですが、完璧な旋法を、作りだそうとすればかなりの時間を要するでしょう。一番は音律の問題です」

「どういう問題」

 リィドは苛立ちを隠す気など毛頭ないというような声を出す。

「旋法回路に働きかけるための旋法は、多くの音楽的旋律がそうであるように音程を定めなければなりません。しかし、情動系と連動する旋法を生み出すには、すなわちそれを作る者も旋法を理解していなければならず、音律は単なる表計算だけでなく構造の理解も必要になります。歌音を寄せ集めただけでは楽理となりえません。そもそも旋法を作り出すのことは新人ならば誰でも出来ることですが、旧人が一から理解するには、膨大な計算が必要になります。さらに言うならば、人工的な旋法を生み出すには、我々音奏者カンツォールのような訓練を積まなければならない」

 画面の、黒い旋法が収束し、小さな点に縮小されてゆく。すべて、元の音域立体に戻るのを受けて、ヨファは訊いた。

「もし、これと同じ旋法を作るとしたら、どれくらい?」

「そんなに時間は掛からないでしょう。一般的な音奏者カンツォールが同じようなものを作ろうとすれば、音律計算だけで事足ります。色合いや形を表す音程を作るために、パラメータとなる級数を弄れば。しかし、計算だけで作った旋法は、兵器足り得ないだろうと思われます」

 意外な答えが、ダウニーの口から発せられた。

「というのも、完全な旋法を作ろうと思えば、一度それを聴かなければならない。そうなれば、不快な旋法に影響され、音奏者カンツォールの精神に異常を来す恐れがあります。歌音は回路を持つすべてのものに影響し、情動系を否が応でも刺激してしまう。人工の旋法を作るには音律計算が必要ですが、最終的には自分自身で音を聴かなければなりませんから」

 沈黙の後、ハマが口にした。

「毒ガスを作るものはマスクを。核兵器を作るものは被爆防護服を」

 各人が一斉にハマの方を見るに、ハマはゆっくりと立ち上がった。

「しかし、この旋法を作るために旋法の影響を逃れるさせるものは何もない。分かるだろう、こいつを作ったのは新人ではない。旧人だ」

「今の話だと、旧人にこそ無理って感じでしたけど」

 リィドは、ダウニーの話を何とか理解しようと努めているようだった。

「その矛盾を解析するために、現在連邦中のすべての解析機関を動員している」

 ハマは幾分声を落としていった。

「これらの旋法が我々の脳に影響を及ぼすとなれば、原野はひどく危険な場所になる。回避方法が見つかるまでは、原野の出動は待機せざるを得ないだろう」

「しかし」

 気づいたら口にしていた。ヨファが発するのを、ハマは胡乱な目で見返した。

「何だ」

「いえ、その。防人たちの捜索を行う必要があるのでは」

「生存者はすでに救出した」

「しかし、行方不明者などは――」

「捜索は州軍の判断だ」

 ハマは変わらぬ口調で言った。

「そして優先すべきは、次に来る連中の攻撃を回避することだ。境界の、たとえ一部でも突破されたとなれば、そちらにばかり時間を割いてはいられない」

 やがてハマは、宣言するかのように告げた。

「これからは二十四時間体制で監視を続ける。いつ召集が掛かるか分からない状態だが、州軍の要請が掛かり次第、急行できるような体制を作る。以上だ」

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