二十六
雪が、勢いを増してくる。叩きつけてくる氷の粒が、口と耳を同時に塞ぎ、向かい風で吹き付ける雪が壁となって顔を圧してくるようだった。
息を吐いた。無理矢理にでも呼吸しなければ息が詰まりそうだった。頭を低くして、なるべく体表面を外気に触れさせないようにしてスノーモービルを走らせた。ありったけの武器を積み、山の方に駆ける。
モービルの速度を最大限に走る。山間の道に差し掛かる。
「どこに行くのかな?」
上から声がした。
上だ。
調が見上げる。その瞬間、眼前に黒い球体が迫って来た。
飛び退く。球体がモービルを押し潰した。積んであった銃器がばらまかれ、モービルの破片が調の頬を傷つけた。
「貴様!」
その鉄球の向こう、木の上。小柄な影が立っている。大陸系の衣装、フリルのスカート。鉄の五玉が、少女の回りを旋回している。
マオ・シー。そんな名前だった。樹上の少女は嬉しいことでもあったかのように笑っている。
「防人どもなんて骨がないと思っていたけど、意外にできるのがいるんじゃん」
マオ・シーが指先をくるくる回すと、鉄球の周回速度が早くなった。電撃を帯びた球、薄く尾を曳く青緑が眩い。
「倉木の奴、こんな退屈な仕事を押しつけやがってって思ったけど、なんだかあんたは楽しめそうね」
マオ・シーが呟く言葉を、調は聞き逃さなかった。倉木。そう発した、ならばこの少女は雪火野からの刺客ということか。
玉の一つが突っ込んできた。
横に逃げる。体の側面を砲丸めいた鉄が過ぎ去る――耳元で鉄球が唸るを上げた。
鉄球たちは仕留め損なうや否や方向を変え、調を追尾し、自らを叩きつけてきた。
跳ね飛び、旋回し、落下するときは隕石のように早く。調は小銃を拾い上げ、応戦する。発火弾頭を引き金引きっぱなしで放つが、まるで当たる気配がない。
激鉄が引き戻る。弾切れ。それを待っていたかのように鉄球の一つが突っ込む。調の脇を掠めるに、電撃が膚を刺した。
樹上の少女が薄く笑った、気がした。少女が指先で手招きすると、五つの玉が空高く舞い上がる。
「あたしはマオ・シー。あんたを殺す名だ、覚えておいて損はない」
言うと、マオ・シーが指を鳴らした。
「まあすぐに忘れちまうだろうけどっ!」
瞬間、五玉が一斉に打ち下ろした。
咄嗟に斜面を駆け下りた。
すぐ背後で玉が地面を叩く。衝撃で足元が揺らぐ心地がした。調は右手にグレネードランチャーを、左手にサブマシンガンを、それぞれ拾う。銃弾を込め、森の中に飛び込み、走った。幾層にも積もる雪が脚を絡め、幾度となく足を取られそうになったとしても、走り続けることしか頭になかった。
冷気が耳と指先を焼き、尖りを帯びた氷が、体に巻きついてくる。紛れもなく膚に刻み付けてくる氷の気配を感じる。こんな森の中にあっても、風は衰える気配はなかった。
息を止める。冷気が喉を塞ぐ。体の内で、滞留する空気が暴れた。瞼と肌を突き刺し、体を縛める空気は鉄条網めいてさえいる。調が見据える先に、雪が炎じみて立ち上り、塊をなして顔を叩いてくる。
叫んだ。呼気が爆ぜた。覆い尽くす真白い中を見据え、調はサブマシンガンを向ける。
雪の壁が割れる。乳白を断ち割り、電光が迸る。青緑をまとった鉄黒が飛来し、鉄玉の無骨な表面が目に映った。
玉が跳ね上がる。再び叩きつけんと、高く舞い上がった。
踏み込む、調。走りながら銃口を向ける。
撃った。反動で銃身が暴れた。左手一本ではどうにも不安定だった。上空を飛ぶ玉に向けて二ダースも弾丸を浴びせるが、調が撃つのをあざ笑うように星が踊り、周回し、やがて星は調の直上で止まった。
一気に下す。最大限電撃を走らせ、玉が直下に向けて落下した。
衝撃。調のすぐ横。調の足元を叩く。調が足をもつれさせ、倒れるのに、雷光が目に焼き付く。
顔を上げる。再び見たとき、玉はすでに直上にあった。惑星のように周回し、しかし本身は恒星であるかのように艶やかな光をまとう球体。
突き下ろされる。横に跳ぶ。雪原に身を投げ出す要領で倒れこみ、刹那の差で星が身体の側面を通った。
地面にぶつかる。
雷光をともに、雪を舞い上げた。舞った雪の結晶に雷が光り、白銀に濃い深藍色を映した。氷が視界をふさぎ、一瞬だけ自分立ち位置を失う。目もくらむ白と突き刺さる青、凍える空気が肺を満たし、電撃が膚に痺れを残す。
調が下がる。視界が晴れる。その瞬間、別な玉が突っ込んでくる。二つ分。
号砲。グレネードランチャーを撃った。熱を帯びた銃口が赤紫の火を噴き、オレンジ色の榴弾が放たれる。
玉を掠める。逸れた榴弾が木に当たり、はじけた。派手に炎をまき散らし、杉の大木が中ほどから折れた。
「あらら、もったいない」
嘲る声がする。頭上、少女が木の枝に立ち、こちらを見下ろしていた。枝から枝を飛び回り、調のずっと上から星を操っていたのだと知る。
「自然は大切にしなきゃね」
少女が腕を振り上げた。直上から電撃を帯びた玉が、突き下ろされた。
かわす。調、サブマシンガンを撃った。
撃鉄が引き戻った。弾切れを示すハンマーの赤い印が目に付く。舌打ちし、弾倉を取り替えようとしたまさにその時だった。
鉄球が一つ、飛んでくるのが見えた。電撃が間近に迫り、一瞬だけ視界が青白く染まった。
地が割れた。
雪と土、その下に眠る地殻までも断ち割るような衝撃だった。刹那の差で直撃を避けた、調の目の前で爆ぜた地面の欠片が舞い上がった。直撃でへし折れた木と、えぐれた土から木の根が覗き、木々が折り重なって倒れる。調は危うくそれをかわし、すり抜け、雪の中に何度も倒れ込みながら走る。サブマシンガンは衝撃でどこかへ吹き飛ばされ、調の武器はグレネードランチャーのみとなった。
「いいね、歯ごたえあるよあんた」
声が上から降ってくる。枝を飛び移り、まるで調の動きを楽しんでいる節がある。少女は飛び跳ねながら、指先をくるくると廻し、手を振り上げる、その手の動きに合わせて五星が飛び回っているのが分かる。
あの球は電磁誘導か――。
逃げながら調は思い出していた。千秋が放つ手裏剣も、電磁誘導によって射出されていた。この手の軽機動兵には共通する武装なのだろう。
だがこいつは、この鉄球は手裏剣のような使い捨てではない。あの少女の意のままに操っている――ならば。
足を止めた。調の頭上を追っていた少女もまた、動きを止める。
照準。少女がいる樹上に、グレネードを放った。轟音と共に熱の塊を吐き出し、加速した榴弾が真っ直ぐ少女の方に向かう。
少女に届く、直前。鉄球が横からぶち当たった。青い電撃が一瞬だけ強くなり、その電撃ごと炎が飲み込んだ。火炎が細かく散り、その火も吹き付ける風に飛ばされ掻き消えた。辺りには主をかばった星のかけらが飛び散り、空中に電撃の尾が曳く。少女が驚いたように目を瞠る。
次弾装填。再び狙う。
背後から音が近づいてくる。風を切り、電撃をなびかせるときの耳触りな唸りだった。振り向いた眼前に電撃が差しだされ、鉄の表面を間近に見た。グレネードランチャーを叩き落とし、鉄球がすぐさま舞い上がる。
身を屈める。調、息を止める。舞い上がる土と雪の最中、木の合間から見える鉄骨の塔を確認する。山の上、峠にある立方体の建物。目指すべき目標だった。あの通信塔まで辿り着けば救援を呼べる。
だが、そこまで行けるのだろうか。この状態で。
走った。斜面を駆け抜け、ひたすらに逃げた。後ろから少女が追ってくる。残った四つの星が飛来し、調を追尾する。上から、斜めから、玉が打ちこまれ、そのたびに調は飛び退き、足を取られ、起き上がるたびに頭上を掠めた。それでもと、ただ前に進む、そのことしか頭になかった。
森が開けた。
唐突に、木々が途切れ、調の目の前に鉄骨の橋が通っているのが見えた。調は無我夢中で橋を渡ろうとするが、その出口側を一つの星が唸りを上げて過ぎ去った。
四つ飛ぶ――雷の玉が、調を包囲するように周回し、行く手を阻む。調の逃げ場を塞いだ。
「やっと捕まえたよ。ちょこまかとすばしっこいんだから」
少女の声。橋の入口側に立っている。マオ・シーは挑発するような声を出した。
「追いかけっこも飽きちゃったよ、そろそろ死んでよね」
マオ・シーが手を上げた。
眼前に星。直線に突っ込んだ。調の右肩を掠める、その後ろから別の玉が襲う。見切り、躱し、掠めさせ、調は橋の欄干まで追いやられた。
谷底から吹き付ける風を後頭部に感じた。
玉が舞い上がった。
最大限に高く、調の頭上に輝いた。
電撃走る、青緑の光が吹雪の中、いや増す。視界そのものを電撃で埋め尽くす、猛々しい光を見た。
「バーイ」
マオ・シーが親指を下に向けた。
三玉が同時に突っ込んだ。
咄嗟に調は身を翻した。欄干から身を乗り出し、谷底に飛び込む。
玉が欄干を砕いた。電撃と玉の振動音が、重なり、やがてそれらは調の体が落下するにつれて遠くなる。
最後に、見た。マオ・シーの見下ろす目と、頭上を周回する星。それらは徐々に小さくなり、やがて完全に見えなくなった。