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雪火野  作者: 俊衛門
22/53

二十二

 ――旧人が共生すべきは、新人とではなく歌音とである、そう言い換えても良いかもしれません。


「かつて存在した国家という枠組みが廃された今も、連邦が常備軍を抱え、州府が防衛軍を抱えていることの意味とは、すなわち脅威に対する防波堤であり、その役目を放棄すればこの暴力装置の意味はなくなる」


 ――彼の、彼女の情動を読み取り、自らもまた旋律を奏でることで、新人はこの三百年間、争いもなく暮らすことが出来た。


「原野に住む旧人に譲歩することが、果たしてこの意味において、有用であるとは言えません。囚われた旧人兵士を助ける、その名目は立派でも、それによって安全を脅かすこととなる」


 ――あなたちは、生まれつきそのような旋法を持っていません。それはあなたたちが悪いわけではありません、そのように生まれたことは何も罪ではありません――


「問うべきでしょう、この社会を守るものは真に旋法を解し、真に平和を愛するもの。果たして旧人のために――旋律を解さない、楽理を持たない、それゆえに心を通わせることのない。原野の旧人ブルートに州の一部を明け渡すことの正当性。問題行動のある旧人を白兵に仕立て、その旧人のために、多くの市民が危険にさらされていることが正しいのか」

 スイッチを切る、音響メディアの端末を。イヤホンを取り外すが、同じような旋法は街のそこここから溢れている。厳しい口調、銀色の旋法。"イースト・レビュウ"の記事に影響された、旧人会のコメンテーターは、それと口にしないまでも明らかに調を意識した話し方をする。

 それに追随するような、感触がある。真綿の中にいた。感触としては柔らかく、心地よさすら覚えそうなものだった。たとえそこにかかる力がどれほどのものであっても。苦々しく、また冷めきった氷じみたものであろうとも、調にはそれが真綿であるように感じていた。

 視線だった。調が本部に戻ってから十日が過ぎ、徐々に視線を集めるようになった。チームの者と、そうでないもの。軍属でない職員からの視線もあった。それとともに真綿の旋法を、否が応でも感じ取るようになっていた。

 自覚するまでもなかった。"イースト・レビュウ"どころか、ネットのニュースもろくに見ることもないが、広告船に大きく載っていればさすがに気づくというものだ。調の名は記されていないようだが、半月前の事実を誰も知らぬわけではない。

 

 ヘッドライン――地を這う獣に屈服した日。

 

「彼らは、原野に住まう過激派は、旋法回路を身に着けない。身に着けないことで過去の栄光にすがり、誇らしいことであるとふるまう。今回の決定は彼らの行いを認めることではないか」


 ヘッドライン――今こそ楽理を。


「われわれが、この社会に溶け込むために、どうしてこれほどの苦労が必要なのか。一部の反発する旧人たちが、新人との協調を阻むその声に耳を傾けてはいけない。我々こそが楽理を解さねばならない」

 

 メディアでこれ見よがしにインターフェイスを露出させるコメンテーター自らが楽理を解さぬ獣であり、どうしようもなくその体を構成する蛋白質はその獣の遺伝子が生み出したものであり、移植された鳴官と装着した回路がなければあっというまに原野の旧人と同じに成り下がることなどこの際問題ではない。調の存在と、今回のような事態は、彼らにとっては都合が良い――旧人たちの社会貢献のために、彼ら自身が攻撃することで、旧人の正当性を表すことが出来る。

 視線を感じた。調はその方向に睨み返した。ちょうど州軍の軍服を着た、若い兵が目を伏せるところだった。どうせ彼が漏らした息づかいにも、歌音は律儀に入り込む。そうした歌音が、旋法を描き、調のインターフェイスはバカ正直にそれを拾う。真綿の感触を。

「調」

 後ろから声をかけられた。エリザベス・ウィードリーの完璧な球面を描いた声だった。

「まだ召集には時間があると思ったが」

「召集はね。やけに重苦しい気配がしたから、それを辿っていったらあなたに行きついた」

「適当なことを」

 エリザベスの脇をすり抜けて歩くが、エリザベスは後をつけてくる。

「あの記事のこと、気にしているの」

「そういうんじゃない」

 歩幅を大きくする。エリザベスを振り払おうとする。エリザベスは必死についてこようとしていた。

「ねえ、皆そんなに気にしていないわよ。記事みたいに、北東から撤退することになったからといって、必ず州都に危険が及ぶなんてことは」

 調は立ち止った。粘土質の針を飲み込んだような気分で振り向き、頭一つ低い位置にあるエリザベスを見下ろした。ひきつったエリザベスの表と、正面で向き合い、怯えたような目と対面する。

「別に気にしちゃいない、あんな記事。素人の戯言を」

「嘘、あなた今ひどい声。なんだか誰彼かまわず攻撃して回っている感じ。もうちょっと落ち着いた方がいい」

「何だよ、音奏者カンツォールは作戦外のことまで口出しするのか、他人の歌音にまで」

「そんな風に苛立つものじゃないの、他の人も不愉快になるでしょうってこと」

 磨かれた球面。サファイアブルー。おおよそ的確に、他人の心情に同期する、輝光を内包した旋法。それが音奏者カンツォール、エリザベス・ウィードリーだった。誰にも影響されず、癒し(ヒール)と、慈愛と、限りなく優しい。

 そんなもので、誤魔化そうとして。

 突き放した。

 エリザベスの細い肩を押し、柔い骨格が手の下でたわむのを感じた。一瞬の間があって、エリザベスは小さく悲鳴を上げてよろけ、壁に背をつけた。

「な、なに――」

 信じ難いという顔をして、見上げる。エリザベスの完璧な球面が少しばかり歪み、色合いが濃くなり、朱と黄の歌音が入り込む。明らかな動揺、それでも旋法はあるべき形に戻ろうとする。

「気に入らない」

 そうすれば調の心情を察することが出来ると信じているかのように。

「人のことを、いちいち口出すなよ。迷惑だから」

「そんな、私はあなたのことを思って」

「そういう心づもりがな」

 調の周りに、他の兵たちが集まってきている。次に調が何かを発すれば、即座に割って入ろうとしているようだった。

 調は踵を返した。さっきから不愉快な音が消えなかった。粘着していて、重苦しくて、苦味を広げた音。手の中と額に、それがまとわり、あるいは収まっている、拭いきれない不快さだった。それが自分の歌音であると自覚していた。

「構うなよ」

 一言、そう告げた。歌音がまだ追いかけてくる。青と、銀色。新人と、旧人の、交じり合った旋法だった。


 ハマ・マークステインと対面することとなったのは、調が散々真綿の中でいたぶられた後、今は本部の作戦室に呼び出され、長テーブルを挟んで対面している。

「入れ替えだ」

 ハマが言うことを飲み込むのに、相当の苦労が必要だった。ハマは端末上に画面を呼び出す。移動命令書、連邦議会の承認のもと、極東州府の防衛軍配属――。

「どういうことですか」

「見て分かれよ。お前は来月から州軍の防人部隊に配置されることとなる」

 冗談であれば――そんなはずがあるわけないのだが――おそらくハマの声はコットンの感触であっただろう。この男が、そんな旋法を描くことなど想像できないが。

「何故ですか」

「それも分かれ。あの記事は、もはやいちメディアの社説に載って、その尻馬に乗ってほかのメディアが騒いだという域を超えている。旧人系だけでなく、新人系のメディア、旧人会まで騒ぎ出している――まあ、"イースト・レビュウ"ほどは厳しくないが」

「何故なんですか」

「無論、市井のメディアがどうあろうと、軍の決定が鈍るわけではない。だからこれはほとぼりが冷めるまでの、一時的なものだ」

「何故、俺が」

「これは決定事項だ。分かったら――」

 知らず、掴み掛っていた。ハマの襟首を引っ掴み、引き寄せ、喉を圧迫する。

「それで?」

 ハマは涼しい顔で言う。

「何故、俺があんな奴らのために」

「一時的だと言っただろう。分からん奴だな」

ハマはわずかに鋭さを増した声でもって言う。調がそこから先、行動を起こせば叩き潰すという覚悟がにじみ出た言い方だった。

「議会も苦しいんだよ。パブリックなものと言えば今は軍だけで、その軍は搾取とも取れる企業税によって運営されている。軍の存在が疑問視されている中、旧人兵士のために過激派旧人に屈服し、市民を守るための装置がその役を成さないなんて思われてはならないってな。旧人会の連中がどれだけ騒ごうとも構わないが、ああいうメディアに影響されるのもまた市民感情だ」

 ハマは調の手を振り払った。

「だが、お前自身も少し反省した方がいい。軍だって、お前一人の行動の全部が全部、面倒見きれるわけじゃないんだから。今回のことはお前が招いた事態でもあるんだ」

「そうかよ」

 調が吐き捨てる、毒々しい旋法が、膿のようなどろりとした触感が、内側に降りてくる。

「あんたも、議会も同じだな」

 膿が、溜まり、蓄積し、鉛めいた重みが、中身を満たして。

「獣一匹のために、あんたら新人どもを危険には晒せないとな」

 ハマは答えない。息遣いも、変わりない。ハマ・マークステインという個人を表すかのような旋法。硬質で、薄い色素の塊を。

「あんたも同じ風に思っているのか」

「変な被害妄想は止せ、調。本来ならばもっと厳しい沙汰が下っていてもおかしくないんだ。この程度で済んだことが奇跡的なぐらいだ」

「だが、それは」

「口を慎めよ。お前が白兵であることは、お前自身の努力であることは承知の上。だが今回の事態もまた、お前が引き起こしたことだ」

 ハマは断固として、退かぬという声色を出す。

「西北だ。ひとまずそこで頭を冷やせ。それがお前のためにもなる」

 調はもう抗議の声を上げようともしなかった。黙って徽章を――連邦の、鳳が駆ける図案――取り外し、拳銃を卓上に置いた。

「そうやって意固地になっても、誰もお前を受け入れない」

 背中を向け、立ち去る時にハマが声をかける。ハマ・マークステインにしては珍しい、柔らかな旋法だった。操が忌避した、柔らかくて心地の良い歌音でもって紡がれる、癒しの音色を、この男はいとも簡単に奏でる。

「ここで生きていくのならば、変な意地など張ることは」

「あんたらはそれでいいだろう」

 調が吐き捨てる――入り江の少女と同じ言葉を。

「結局はそれかよ」

 自分でも驚くほど線の薄い、絹糸のような旋法を口にした。

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