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雪火野  作者: 俊衛門
21/53

二十一

 朝日が差し込むことのない収監室に、光が射した。

「出ろ、阿宮調」

 声がかかる。眠気を覚ます、厳然たる口調だった。調は毛布から頭だけ出して、逆光に当てられた人影をみた。眠い目をこすり、ぼやけた視界がはっきりとしてくると、ようやく倉木の顔を視認する。

「最後の晩餐ぐらいは用意してくれるんだろうな」

 胡乱な目で見据えた先で、機甲兵が短針銃を構えている。銃口はまっすぐ調の心臓を狙っていた。

「少しはましなもの腹に収めてから逝きたいものだ」

「まともなものを食いたければ、都市に戻ってからにしろ」

「何だよ、処刑じゃないのか」

 倉木は親指を向けて、顎をしゃくった。

「貴様は解放だ。これから引き渡し場所まで行く」

「どうしてまた」

 起き上がり、椅子にかけたままの上着に袖を通した。靴を掃き、倉木の前まで歩み寄る。

「州政府が取引に応じたからな。北東のすべての軍を退かせる、それが条件だ」

「その条件を呑んだのか、俺一人の解放とひきかえに」

「何にせよ目的は達せられた。もう貴様は用済みだ……付いて来い」

 機甲兵二体が調の両脇を抱えた。倉木の後を歩き、調は半ば引きずられるようにして部屋を出る。収監室を出て、エレベータに乗り、外の光を見た瞬間にようやく俺は解放されるのだという確信が沸いた。

 すでにヘリが用意されていた。調は目隠しをされ、両腕を拘束されてヘリに乗り込まされそうになる。

「なあ、ちょっと」

「質問は受け付けない」

「待てったら、このことをリツカは」

 倉木が渋面を作った……ように感じた。目隠しのせいで見えないが、おおむね間違ってはいないだろうと思われた。

「貴様には関係ないだろう。いいから乗れ」

 それ以上何かを言い返す暇も与えられず、調は狭い機内に押し込まれる。爆音が響き、機体がふわりと浮かび上がるのを感じた。

 そのまま飛行し、体感で三時間ほど経ったと思われた頃、ヘリの機体が傾いた。降下し、ホバリングし、ヘリがゆっくりと着陸する。扉が乱暴に開けられる音、それに伴い調は機外に放り出された。

 抗議の声をあげようとしたところ、目隠しが外される。辺りを見回した。

 平原だった。調がいる場所は、一面を雪で敷き詰められ、ほかにはなにもない。遠くに、山の稜線が連なり、建物らしきものは一切見えず、ヘリの他はただ真白い地面が続いている。

 否、一つだけ、人工の物体を認めた。およそ五百メートル先に、走行車両が一台止まっている。車両の横に、雪原迷彩の軍服姿とスーツ男、それぞれ三人ほど立っている。ここから顔は伺えないが、州府の者であることは確かだ。

「歩け」

 倉木が拳銃で背中をせっついてくる。

「そのまま、彼奴らのところまで行け。抵抗などと考えるな、ただ黙って歩けばそれで貴様のすべきことは終わる」

「ご丁寧に」

 皮肉を込めて吐き捨て、調は歩きだした。十歩ほど歩いたときに、ヘリが再びローターを回転させた。

「一つだけ忠告する」

 倉木が声を張り上げ、調が振り向いた。倉木はすでにヘリに乗り込んでいた。

「今回は、取引だから命までは取らなかった。だが次に戦場であったときは容赦はしない。そのつもりでいろ」

「そうかい、それは楽しみなことだ。あんたもせいぜい寝首をかかれないようにしろ」

 最後に調が言ったことは、果たして倉木に届いたかどうかわからない。ヘリは離陸し、雪を舞い上げて上昇を始めていた。古いエンジンと回転翼が爆音をとどろかせ、やがて上空彼方に消えるのを、調は見送った。

 スーツの男たちが駆けてくる。爆音が遠ざかる。調は走行車両の方に目を向ける。漠然と、助かったのだという思いが、どこか現実味のない実感となって降り懸かってきた。

「随分と」

 スーツの一人が話しかけてくる。見たところ州府の人間ではない、連邦の者だった。襟に光る連邦徽章がそれを表している。

「長い旅だったな」

「感謝します」

 調は短く謝辞を述べた。

「まあ、ゆっくり休むと良い」

 男はふっとため息をついた。

「そのうちゆっくりもしていられなくなるだろうからな」

 

 軍法会議や軍事裁判で、矢面に立たされることなど一生あるまい――つい五時間前までは、ハマ・マークステインはそう思っていた。ティームリーダーという立場上、責任を追求されることはあっても、軍規に違反することがなければその類の、弾劾のための場は無縁であると。

「今回のことはご苦労だった、マークステイン三佐」

 だから今回のことも予想外だった。連邦の議員が、一介の白兵に過ぎない自分に接触してくることなど、考えられることではない。

 目の前の初老の男――実際に見ているのはホログラム――ジーン・ジムリー軍政官が口を開き、憂鬱さを振り払うように首を振る。濃い色の歌音をたれ流していた。赤茶けた、錆が浮いたような、感触と色合い。諦観めいた旋法に縛り付けられるに、果たしてハマ自身の膚にざらついた感触がまとわりついた。最初から労うつもりなんかない、目的は決まっているのだ――うんざり気味に吐いた自分のため息もまた、同じように錆の味がした。

「ここに呼ばれた意味も、ある程度は理解しているつもりです、議員」

「そう突っかかるな。私とて、君の働きには感謝している。今回も、君たちがいなければ、原野での衝突は避けられなかっただろうに」

 阿宮調が帰還してから、一週間が過ぎていた。北東からすべてボランティアは撤収し、州軍も徐々に撤退を始めている。ボランティアたちの誘導と、迅速な撤退、それともそれ以前の原野の過激派との交渉なのか――何についての感謝なのか。

「軍人として当然の責務です。ただし、軍人としての立場を申し上げるならば、この撤退による損失は大きいと判断せざるを得ません」

「仕方がない。見殺しにはできないからな、君のところの兵士も、市民の命も、等しく平等でなければならない」

「阿宮調、彼も軍人です。軍人ならば最悪の事態に対する覚悟は、常に持っています。彼一人の命で、北東を手放すことは釣り合うとはいえません」

「君たち軍人の理屈は、分かる。けどあのネット映像の影響は大きかった。あれで世論は救出に動いたからな」

「それでこのような記事を書かれては、本末転倒ではないかと」

 ハマとジムリーの間にある、小さなホログラム映像に目を落とす。三十センチ四方に切り取られた光の小窓に、"イースト・レビュウ"の最新記事が映し出されていた。

「市民を危険に近づける軍は要らない、か。なかなか痛いところを」

 ジムリーの声は、最高クラスの硬度を保っている。石か何かで出来た巨大な固まりを、ハマは飲み下した。石はハマの体内で暴れ、ジムリーがため息をつくたびに膨れ上がる。

「一人の旧人と引き替えに、北東三エリアから撤退したこと。これにより影の領域は広がり、多くの新人が危険に晒されることなる。またボランティアが撤収する、これはつまり原野に取り残された旧人たちに対する人道支援が遅れることとなる。極東州府は己の指示率のために、全市民の安全と人権をないがしろに――」

「いちいち読まなくても、すべて目を通した」

 ジムリーはハマが読み上げるのを遮った。石の固まりが若干の棘を帯びた。これほど不快な旋法を発すれば、口にしている本人も不快になるはずだが、ジムリーはあまりそのようなそぶりを見せない。

「最初にあのネット映像が流れたときは、世論は彼を救出すべきと、それで君の意見も押し通すことになり、交渉に動いたのだ、いざ救出されるとなれば」

「彼奴らは、我々の心理を利用したのです。一個人が命の危機に晒されている、そうなれば誰であろうと救いの手をさしのべたくなる。軍人であるから、などという理屈はそこには存在しません」

「分かりきったことだ。人の良心というものはそう簡単に消えるものではない。そうした良心に関する心理を誘発するための歌音であって、しかしそれを旧人にはないものだ」

 ジムリーの声が少しばかり柔軟さを取り戻してくる。息苦しさがようやく解消されるのを感じた。誰かが不愉快な旋法を描いても、誰かの旋法によって中和され、打ち消される。そうした作用も含め、原野の旧人たちは新人の歌音と回路について熟知している。

「この記事については、しかし数ある言説のひとつに過ぎません。すぐに影響があるというわけでは」

「あまり楽観視は出来んな」

 ジムリーの声からはそれでも、錆びた感触は消えない。

「軍そのものが、もはや企業体に慣れた市民にとって古くさいシステムだ。原野に出て破壊活動を行うために、消費以外の財を投げ打つことに消極的になりつつあるというのに、これで指示を落とすとなれば」

「軍は必要なものです、たとえ指示が得られなくとも」

 そろそろジムリーの歌音に耐えられなくなり、ハマは早々に話を切り上げたい衝動に駆られる。

「北東の優位性が失われれば、サハリンからの影響が強くなります。軍が廃された瞬間、北道の過激派が再びコサックと手を結び、そうなれば州都の安全は脅かされることになりますから」

「その理屈が、果たして受け入れられるかどうか」

 ジムリーが、嘆息して言った。

「その兵には、しばらく別の場所に行ってもらうことは出来ないか、三佐」

「それは可能です……が議員、それは」

「何、少しの間だけの配置換えということだ。ほとぼりが冷めるまで、こちらとしても何の処分も下さないというわけには行かない」

「彼は」

 ハマは、一瞬だけ言葉を失った。次に出てくる言葉が、瞬間的に霧散し、代わりにすさまじい苦みがこみ上げてくるのを感じた。飲み下し、息を吐き、不可解な旋法を無理矢理曲げて告げる。

「阿宮は、自分が救われることを最初から望んではいなかったと考えます」

「それは、君たち軍人の」

「いえ、彼個人としても。私には、そのように写ります」

 ジムリーは数秒の無言の後、肩をすくめた。

「私には分からないよ、そういうことは現場の君たちの方が詳しいだろう。ご苦労だった、マークステイン三佐。後はこちらで行う」

 ジムリーが告げた瞬間、ホログラム映像が掻き消えた。続き、白い壁面の部屋が現れ、窓から光が射し込んだ。

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