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雪火野  作者: 俊衛門
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 それは多分、冬のことだった。

 珍しくこの入り江に雪が舞い、凍えるような寒さが膚を突き刺すという日だった。さすがにこんな日に海辺にいくようなことはせず、ぼくらは家でおとなしくしていた。

 みんなは暖炉を囲んで遊んでいる中、ぼくは一人でテキストに向かっていた。このころからぼくの相手は、カミラが持ってくるテキスト数冊とよく分からない内容の本だった。カミラは、いずれあんたたち二人はこの家を出ていくことになる、そのときのために知識はつけた方が良い、なんて言うものだから、ぼくも操も、カミラの持ってくる本にかじりつくようになった。

 カミラはよく言った。いずれあなたたちはここを出る。十二歳になったら、ここではない別の施設に移り、そこで本格的なトレーニングをする。トレーニングというのがどういうものか分からないけど、とにかくそのときのためになるならと、ぼくはテキストを読みあさった。

 だからそのときも、それほど気にはならなかったのだ。暖炉のある広間で、操が何かを喚いていたのも、大して。でもしばらくするとなにやら大きな音がしたので、ぼくは本を閉じて広間に行った。

 広間の中央に、操が立っていた。床には、キース・レグナントが倒れていた。キースは頬を押さえ、口から血を流していた。操は肩で息をしながら、キースをにらみつけていた。

 ほかの子たちは、二人を遠巻きに見ていた。ぼくはなにがあったのかを聞こうとした。すると、いきなり操は、倒れているキースを蹴っ飛ばした。

 キースの顔が弾かれた。操はなにか訳の分からないことを叫んで、キースの体を踏みつけた。キースが悲鳴をあげ、ほかの子供たちはその悲鳴を聞いて恐怖におののいたような顔をした。ぼくはあわてて駆け寄って、操を押さえつけた。ほかの子供たちは倒れているキースを助け起こし、また操をなだめようとした。ナタリーが操の手を押さえようとしたが、操が手を振り回し、指がナタリーの目に入った。ナタリーが目を押さえてうずくまる。ぼくは操の両脇を抱え上げ、必死に引きはがそうとした。

 あとにも先にも、操があれほど暴れたのは見たことがなかった。先生が駆けつけて操を押さえても、暴れていた。わめき、ののしり、ありったけの声を絞って抗議し、思い通りにならない感情のすべてをぶつけるように手足をばたつかせていた。

 なぜ操がここまでするのか理解できなかった。後で話を聞けば、キースが日頃の操の態度――注意されても聞かないことだったり、みんなが喜んだり悲しんだりしているときに水を差すようなことを発言したり、などそんなことをたしなめたらしい。もともとそんなことは何度か言われていたので、ぼくは特に気にすることもなくなった。だけど操には我慢できなかったらしく――あるいは我慢の限界だったのか――ともかく、操はそれを聞いていきなり手を上げたらしい。

 ぼくは、どうしてキースはそんなことを言ったのかなと訊くと、みんなでそんなこととはおかしい、と口々に反論した。キースは善意で注意したのに、それを咎めるなんて変だ、と。操をかばいたい気持ちはわかるけど、彼女は間違ったことをして、それを指摘されたからといってかっとなった操がいけないのだと、そう言われるとぼくも黙るしかなかった。


 それから数週間が過ぎた。キース・レグナントは幸いなことに、目の横を軽く切っただけだった。操も、一応は謝罪の言葉を述べ――それが先生にうながされてのものとはいえ――とりあえずは和解した。でももう再び、操に話しかけようとする子は現れなかった。ぼくらが孤立しないよう、仲間外れにしないよう、と気を使っていくことは多分に危険がはらむということを悟ったのだろう。操が誰とも関わらないし、みんなも操と関わらない。だから自然、ぼくもみんなと関わることが少なくなる。ぼくらはますます孤立した。


 一ヶ月がすぎたころ、シャルル先生がみんなを広間に集めた。

 いつもみんながくつろぐ暖炉の前に先生と、なぜか操が立っていた。操は憮然とした顔で下を向いていた。

「操が施設を移ることになりました」

 先生が発した瞬間、皆がざわめいた。

「あと一週間でここを経ちます」

 動揺や戸惑い、少しだけ安堵。皆の声から、そんな感情が漏れていた。ぼくはといえば、一瞬先生の気が触れてしまって、あらぬことを口走ったのかと思ってしまった。だって操は、いままで一言だってそんなことを言ったことはないのに。きっと何かの間違いだ。

「先生、それは」

 ぼくはそう主張しようとした。先生、何を言っているのですか。変な冗談はやめてください、そう言おうとしたのだ。操が唇を噛み、拳を握っていなければ、おそらく本気で言ったことだろう。

 彼女がすべてを物語っていた。彼女自身がそうであると認めていた。たとえ言葉に出さなくとも。そうなればぼくは、もうどうしていいのか分からなかった。

 先生の話は続いた。操は、本当ならばここでみんなと一緒に卒業するはずだった。けど、事情があってみんなと分かれなければならなくなった。施設を移っても、操はみんなの仲間です。忘れないで、いつかどこかで会えることもあります――そんな言葉だったと思う。

 先生が話している間、一度だけ操がぼくの方をみた。何か救いを求めるような、そんな目だった。だけどそんな風に見られたとしても、今のぼくに何が出来ただろうか? 先生の話に割り込んで意義を唱えれば良いのか? そんなこと出来るわけない。

 ぼくは目をそらした。操はまた視線を戻し、うつむいてしまった。仕方のないことだった。ぼくにも、操にも、どうすることが出来ないと、どういうわけかそこで分かってしまった気がした。

 その後も説明は続いた。操は三日後には飛行機で、北道にある厚生施設に入るという。操は、そこで訓練を受けるという。ふさぎ込むぼくに、先生は会いたいときは会いにゆけばいいんだよ、と優しく語りかけた。ぼくはその言葉に対してなんと反応すればよいのか分からず、先生の方も操のほうも見ることが出来なかった。

 三日後、操が施設を後にした。


 その日は雨だった。先生の一人が傘も差さずに外から慌ただしく、帰ってきて、そのまままっすぐ職員室に駆け込んだことを覚えている。ぼくは何だろうと思って職員室をのぞき込むと、大勢の先生方がなにやら早口で言い合っていた。

先生方は壁貼付のモニターを写した。モニターがニュース映像を写し、その映像の中はなにやら黒い物体が画面の中央でうごめいているものだった。物体は、よく見れば、銀色の何かが燃えるとともに黒っぽい煙を上げている。ぼくは何か胸騒ぎがした。映像の文字を読みとろうとしたけど、まだ当時のぼくには分からない単語もたくさんあったのでよく分からなかった。だから何が起こっているのかもよく知らなかったけど、翌日になってそれがなんであるのかが分かった。

 

 先生が、全員を集めた。落ち着いて聞いてくださいと前置きして喋った。みんなは先生の声音の前に驚いているのか、固まっていた。先生は話出した。北道に向かう最中の山脈付近で、操を乗せた飛行機が墜落した、というのだった。都市の及ばない原野で、何者かに襲われ、乗客のほとんどが死んだのだという。

 ぼくは自分でもびっくりするほど小さな声で訊いた。操はどうなったのですか。先生は残念そうに首を振った。彼女はまだ行方不明です。遺体すら見つからないので、どこかに投げ出されたか、あるいは、と。ぼくはもうそれ以上何も聞けなかった。

 それからひと月は、ぼくは何もする気力がなかった。朝になればニュースを見て、でも結局よく分からないから先生に内容を教えてもらう。先生は、残念だけど捜索が打ち切られたようね、と墜落してから四十日目ぐらいに言った。原野というのは危険な場所で、そんなところに人は長くはいられないということだった。人ではない、みんなが影と呼ぶ化け物は、原野に足を踏み入れた人間をすべて殺戮してしまう。だから捜索は長く出来ないのだと。

 操は、見つからなかった。死体すら、発見出来なかったのだという。ぼくはその日、部屋からでなかった。枕に顔を押しつけて泣いていた。


 ひと月がすぎた頃。施設を、カミラが訪れた。

「操のこと、聞いた」

 カミラは、いつもみたく笑うことがない、深刻そうな顔をしていた。

「残念だけど、操は」

「生きているかもしれないじゃん」

 ぼくはそう口にしていた。多分、みんながみんな同じようなことを言うものだから、いらいらしていたのだろう。

「なんでみんな、操が死んだとかって言うの? 死体が見つからないなら、死んだって決めつけるなんて」

「調、気持ちは分からないでもないけどあの事故だ。生きている可能性の方が少ないよ。ただでさえ、原野には、影がうろついている。私もあそこに行ったことがあるから分かるけど、あんなところに投げ出されちゃたちまち連中の餌食になる。仮に生きていたとしても、今頃無事では済まないよ」

 はっきり口にする人だ。この人は、誤魔化すということはしない。カミラはいつだって、ぼくや操に曖昧なことを言ったことはなかった。先生方がぼくらにかける言葉は、どんな裏があるのかと少しでも疑わせるもので、操なんかはとくにそれを額面通りに受け取ることはしなかったのに。カミラにはそれがない。

「カミラ」

 ぼくは気づけば、口にしていた。

「カミラはあそこに、原野に行ったんだよね」

「昔ね。白兵やってた頃だけど。今は一線を退いてはいる」

「でも、白兵だったんだよね。その白兵はどうやったらなれるの?」

「どうしてまた」

「誰も探してくれないなら、ぼくが行く」

 ぼくの言葉の意味を、カミラは理解したらしく。カミラはぼくの両肩に手をやり、ぼくの目をのぞき込んだ。

「いい、調」

 やっぱり誤魔化しようのない目をして。

「まず、白兵になるには軍に入らなきゃならない。でも軍は州都からみれば厄介物だし、あそこに入ればまず誰からも尊敬はされない。それがまず一つ」

 両肩にかかる力が、強くなった気がした。

「白兵というのは、さらにその軍の中でもトップクラスの実力を持たなきゃならない。でも、多分気づいていると思うけどあんたはほかの連中とは違う、特殊な人間なの。ふつうの人間でも白兵にはなり難い上に、あんたはみんなと違う。白兵になるというなら、ふつうの人より相当多く修練を積まなきゃならない」

 カミラはまっすぐ見る。ぼくもまっすぐ見つめる。

「それに、白兵になっても操が生きているなんて保証はどこにもないよ。あんたが原野に出て操を探そうとしても」

「かまわないよ」

 全部が全部、そう思った。楽しいことなんていらない、この先どんなことがあっても良い。操があそこにいるかもしれない、それだけで十分に思えた。

 あのとき、本当ならばぼくはどんな手を使ってでも操をつれていく連中を止めなければならなかったのだ。ぼくは兄として操を守らなければならなかった。それができなかった今、ぼくができることは一つだけだった。

「ぼくは、白兵になる」

 カミラは手を離して、肩をすくめた。

「厳しいよ」

 カミラはそういって笑いかけた。

 この日から始まった。ぼくが原野に出るための準備。ぼくが白兵になるための試練。操を救い出すための、すべてのこと。

 そうしてぼくは、力を手に入れる。 

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