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雪火野  作者: 俊衛門
19/53

十九

 どうしても分からないんだ――操がいるときは、大体がそんな言葉から始まる。どうしても分からない、操にとってそれはすべてのことだった。

「みんなして大げさなんだよ。信じらんないくらいに」

 海辺にいるときは大抵、操の愚痴から始まる。今日はどんなことがあった、先生達に何を言われた。キースのような優等生に何を注意されたのか。最初のうちはほとんど調も同様に言われたようなことだったので、改めて訊くこともなかった。

「私が一人で食事したいって言っているのに、ナタリーったら無理矢理こっちに引っ張ってくるんだよ。あんたと一緒に食べる気分じゃないっていったら、あの子ったら泣いちゃうの。もうその泣き方ってのがさ、ありえないぐらい暗い顔して、すんごい絶望したって感じで。なんか私が悪いことしたみたいに、それがまたムカつくんだよ。みんなして私が悪いみたいに」

「それは、操も言い方が悪かったんじゃないかな? 操も、もう少し」

「もう少し、何だよ。調はあいつらとつるむのが好きなの?」

 溝というほどでもない、認識の差が出てきたのが、操が六歳の頃だった。調はキースやナタリーたちの声に耳を傾けようと努め、しかし操は一向にそんな気配はなく、二人で海辺にゆくときもそれは変わらなかった。

「そういうわけじゃないよ。でも、ぼくらは先生方みたいな歌はないし、でもキースたちはそれでも何とかしようとしている。ならぼくらも、そういうことしなきゃいけないんじゃないかな」

「調は好きなの、あの気持ち悪い歌が。聴くたびに、変な図形や味をいちいち感じなきゃなんない、あんなのが」

「先生も言ってたじゃないか。そういうのは慣れだって。「慣れねえ、慣れ」

 そのときの操は、どんな顔をしていたのか分からない。ナタリーに冷たく放つときの、蔑んだような目でありながらも、しかし悔しさであったり、とにかく色々な感情が混じり合うような。

「キースとか、あいつらはそれで良いのかもしれないね。調もそれで良いの? どうしてイヤなことを、イヤだって言っちゃいけないの?」

「だって、それだとみんなが悲しむからって」

「私がイヤなのは、関係ないんだ。じゃあ調はみんながそうしろって言えばそうするんだ。分かってるでしょ、あの大人たちと私たちは違うんだって。違うものを、どうしてあいつらに合わせなきゃなんないの」

 操は睨み付ける視線でもって見据えた。それでも、その目は何かに抗するものではなく、すっとごく自然なものだった。心の内を問いかける目でもって、しかし調はその目を正面から見ることが出来ず、結局目をそらした。

 その目から逃れ、十余年と経ち、今は原野にいる。操を奪った影たちに囲まれ、操があれほど望んだ歌音のない世界に、ただ一人でいることが奇妙だった。本来ならば自分も望んだはずのものが、まったく望まない形で実現される、己の内と外のずれが生じる奇妙さだった。

 あのころの操が、この状況を見たら何というのか、知りたかった。心根を問うたあの少女の目が、どのように変化するのかと。ほら見たことか、とばかりに勝ち誇った少女の顔を思い浮かべた。ほら見たことか、あんたはあれほど奴らに媚びても、結局は無意味だったじゃないか。

「阿宮」

 声すら聞こえる。操の魂が、すぐそこに張り付いて、調を見下ろして、きっと笑っているのだろう。こんなところでもがいている自分を、根絶やしにすると言った影たちに囚われた兄の姿を。

「阿宮ったら、起きてるの?」

 鉄の扉を乱暴に叩く音がした。反射的に飛び置きるに、扉の小窓から少女がのぞき込んでいるのを見る。

「リツカ、だっけ」

「何だ、起きてんじゃん。あのさ、ちょっと中に入れてよ」

「はぁ?」

 起きあがると、リツカはまるで邪気のない目でもって調を見下ろしてくる。

「この間はゆっくり話せなかったしさ、ちょっとだけでいいから」

「お前、自分で何を言っているのか分かっているのか」

「分かってるって、別に言葉に不自由しているわけじゃないけど」

「そうじゃない。というか、入るもなにも中から開けられるようなものじゃないだろうが、ここは」

「いいのいいの、とりあえずあんたが許可してくれれば。で、入れてくれるの、くれないの」

「入りたきゃ入ればいいだろ、もっとも簡単に開くようなものじゃ」

 言い終わらぬうちに、錠が開く音がした。重い扉が軋み、開かれる。遠慮なしに踏み込んだリツカの手には、鍵の束が握られていた。

「ちょっとした特技があるんだ、私」

「……医者の見習いがスリの真似事か?」

「固いこと言わない」

 調が制止する暇もなく、リツカは何の遠慮もなしにずかずかと入り込みイスを引き寄せた。背もたれを抱えた格好で座り、まるで梃子でも動くまいという意思表示であるかのように期待に満ちた表情で調を見上げた。

「それでさ、都市のことをちゃんと聞かせてよ」

 自然、ため息が漏れた。どうもこの娘は人の言うことを聞かないらしい。

「そんなこと聞きに、わざわざ来たのか?」

「私には重要なことだけどね」

 そう言って、リツカは身を乗り出す。

「あの女、ミハルとか言ったか。心配するんじゃないのか」

「平気だよ。この間はああは言ってたけど、本来あの人そういうのこだわらない人だし」

「でも、母親なんだろう」

「育ての、がつくけどね」

 まるでそれが大した問題ではないかのようにリツカは言う。

「生まれたときから、親っていなかったから。孤児だったんだけど、ミハルさんの庵に預けられて、そのまま居ついちゃった感じ」

「庵って」

「西北に自宅兼診療所があるんだけどね。普段はそこにいるんだけど、なんか最近は雪火野に詰めているから、私もここに泊まり込んでいるんだ」

「泊るところなんてあるのか」

「この城、地下はシェルターみたくなっているんだよ。そこが居住区みたくなっている」

「それは初耳だ」

「そりゃ言ってないもの。あと、内部構造は機密事項らしいから」

 そんなことを口にする方もどうかしている。

「まあそれはそれとしてさ、都市のことだけど」

「こんなところに一人で来ることについて何の抵抗もないのかお前は」

「一人じゃないんだよね、一応」

 リツカが視線を向けた先に、人影を確認する。白灰の雪中迷彩のジャケットを視界の端に捉えた。無機質な視線が、突き刺さり、途端に背筋が凍り付いた。

「大丈夫だよ、千秋は滅多なことじゃ抜かないから。今だって、あんたが変なことしなきゃ何もしないよ」

「そう言われたところで」

 つい二日前に殺しあいを演じておいて、大丈夫であるとは思えない。千秋は腰に差した直刀の束に手をかけ、じっとこちらの様子を伺っていた。調が何かしら動けば、その瞬間刃が走りそうな予感がする。

「千秋だって、いつもいつも抜き身でいるわけじゃないし。みんな誤解しているけどさ」

「だがこいつのせいで死にかけたのも確かだ」

「それならなおさら、私を襲おうとか考えないよね。死にたくないからね」

 千秋は扉に背中を預けるようにして、入り口を塞ぐ位置取りとなる。路を絶ち、かつ追いつめるための場所だった。

「いい性格している」

 調は肩をすくめる。

「そうまでして、都市のことなんて訊きたいのか」

「倉木も、七海も、誰も教えてくれないからね。ここに来る連中もそう、新人も旧人も、どこからか知らないけど連れてこられるんだけど、ろくに話なんか出来ないし」

「ここに、新人が?」

 今度は調が身を乗り出す番だった。扉のところで、千秋が身構えた気がしたが、構わずに訊く。

「いつ、どの程度の人数が」

「わかんないよ。全部見たわけじゃないし。で、そういう連中に話を訊こうとすると、新人どもはやたら怯えてばっかりだし、たまに旧人とかもいるけどそういうのは口を閉ざしちゃう。で、気づいたらどっかいなくなっちゃうんだよ。それで大抵は戻ってこない」

 リツカは、その話題にはあまり関心がないらしく、調の顔を期待に満ちた目で覗き込んだ。

「あんたはまともに話してくれそうだったからね」

「まあ、話してやらんこともないが」

 少し迷って、しかし調は深く追求はしない。おそらくリツカのような人間は、多くを知る立場には無い。得られる情報も、それほどないだろう。変に詮索すれば、逆に怪しまれる。

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