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雪火野  作者: 俊衛門
18/53

十八

 堅いコンクリートにひざを突き、いかにも哀れさを演出させるかのよう縄を打たれ、覆面の男に銃を突きつけられ――古めかしいフィルムの世界観そのものだった。二十世紀風のテロリストが使いそうな手だ。

「こんなこと、何の意味があるんだ」

 カメラが止められると同時に縄をほどかれた。立ち上がると体中が痛んだ。

「こういう絵図には、新人どもは弱いから」

 覆面を取ったその下から、七海の顔が覗く。先ほどまで早口で怒鳴りつけるように話していたというのに、随分穏やかな顔をしている。この変わり身の早さはある種芸術めいてさえいた。本当にこの男が先の――傲慢なる新人達が北東三エリアと呼ぶこの地域から手を引くこと、もし引かなければこの哀れな白兵の四肢を切り裂き、原野の根雪にその血肉を染み込ませることになる、などと過剰な謳い文句を吐いていた人物と同一であるのかと疑いたくもなる。

「議会が拒否したらどうするんだ。俺一人のために交渉につくかどうかわからんだろう」

「何、連邦議会といっても、結局は大衆任せだ。連中、大衆の支持が得られなきゃ立ちゆかない、つまり大衆が是と言えばいいんだ。慈悲深い新人たちが、哀れな白兵を見殺しにするとは思えないからな」

「それは」

「そういう風にできているんだろう、歌音とは。旋法の構造を、少しかじったやつならわかる。誰かの情動は誰かとリンクして、悲しみとなれば悲しみ、喜びとなれば喜びだ。こいつは変わらない」

 七海は有無を言わさぬ口調で言う。調が呆気にとられていると、薄く笑いかけた。

「よく予習してあるだろう? 俺は勉強熱心なんだ」

 七海は意味深にくすくすと笑いを漏らす。調の正面に座り、タバコを口にする。

「やるか?」

 そう言って七海がタバコの箱を差し出してくるのに、調は黙って首を横に振った。七海は紙タバコをくわえて火をつける。

「それにしても、阿宮の生き残りにこんなところで会うとはねえ」

 そう言って煙を吐き出す。顔を背け、むせ返りそうになるのをこらえる。弱みは、なるべくなら見せたくはなかった。

 七海は吸い殻を投げ捨てると、コンクリートに当たって火花が砕け散る。

「あんたはどこまで、ここらの事情を知っているのか分からないが。さてどこから話せばいいか」

 そう言って七海は二本目のタバコをくわえて、

「捕虜の身の上で、べらべらしゃべるのも気が引けるね」

「お前が連れてきたのだろう。あんな思わせぶりなことを口走っておいて」

「分かった分かった。そう急くな」

 七海は一呼吸置いた。

「といっても、あんたも自分の生い立ちぐらいは知っているだろう」

「少しは。長征の時に、原野の生化学実験施設から保護され、遺伝子プールから拾い上げられたと」

 寒いところで生まれた――カミラに、最初に告げられた通りのことだった。訓練校に入る前に、生い立ちについて――調と操がどこで生まれたのかを。原野に点在する、クローン生成施設の阿宮の殲滅。カミラたちに下された命令だった。目的は達せられ、そこで調たちを見つけ――

「なるほど、ほぼ把握しているわけか」

 七海は得心したように頷く。

「阿宮というのは、機関の一つだ。通称で、本当の名称は違うけどね。当時俺や倉木も、まあ些末ではあったが関わっていて。でもあの時、州都に連れてゆかれた子供は二人だった」

「ああ、二人だよ」

 重金属の液体が、腹にたまっているような気分で答える。

「一人はもういないが」

「そうなのか? 死んだとか」

 とどめでも刺すような七海の言葉。金属の液がますます満ち足りる。

「十年前だ。北東に飛行機が落ちて、そこに乗っていた。そのまま行方知れず、死体すらも」

 入り江の潮騒がよぎる。金色を背景にたたずむ少女と、最後に目にした憮然とした面、テレビの映像は歪んでいた。

「リーガル・クロウの事故か」

 調はすいと目を眇める。

「それにも関わっているんじゃないのか」

「倉木は知らないが、俺はその時、雪火野じゃなかったからな」

「どういうことだ」

「勉強熱心だと言っただろ、そういうこと」 

 それに応えるつもりなど毛頭ないらしく、七海は黙って三本目を口にしかける。

「ただあの事故は、サハリンの連中が出入りしていたときに起こったものだ。噂ではあの事故の後、サハリンから流れてきた連中が現場に介入したらしい」

「サハリンって」

「コサックだよ、まだあの辺りじゃ古いコサックの系統が生きている。当時はコサックどもと協力関係にあったらしくて、結構出入りが激しかったようだな。今はそうでもないけど」

 海を隔てたその先のことを、調は想像してみる。極東州の外側、北東アジアのさらに北の領域は、連邦政府も預かり知らぬ土地だった。おそらくはここよりもさらに深い原野が広がり、有象無象の影たちがばっこする。鰐甲亀や羊鹿みたいな異形めいた機械たち、不自然に長い手足が突き出た、金属糸の繊毛に覆われた骨格と触手、センサーの赤い目玉が密集した塊と粘液まみれの口と牙――

「なら、あんたがあそこで生まれた、阿宮の最後の一人ということになるのか」

「まだ死んだとは」

「十年だぞ。たとえ生きていても事故の後、しかも子供が生き延びるほど甘くない。あんたの、妹になるのか、そのもう一人はサハリンの連中が連れ去ったにしても、どのみち生きちゃいないだろうな」

「そんなこと」

 今更ながらその認識が刺さる。事実を、ただ事実として受け止めることが、今まで出来なかったわけではない。

「まあしかし、何の因果かね。西北の阿宮が、今じゃ俺たちに仇なす側に回るとは。もともとあそこは保護政策で人を取られた、その補充という意味もあったんだが」

「そんなものお前たちの勝手な理屈だろう」

「勝手なのはお互い様だ」

 七海が面を上げると、少しだけ不機嫌そうな眼をしている。

「新人なんて、俺たちがここで暮らしていることだけでも不満で、不満に思うだけならともかく強制的にでもそれを止めさせようとする。それが正しくないから、正しい行いをしろと」

「それは、それが正しいから」

「自分たちが気に食わないから、干渉しようとしてくるだけだろう。不快さを、感じ取れば、それが自分にとって一番ありがたくない形に変容する――自分が棘に貫かれ、砂の中に溺れたくないから、そんなことを言うだけだというのに。それが一番、新人にとっても旧人にとっても幸せなことと信じて疑わない」

 七海の顔が、初めて嫌悪を露わにしたように歪んだ。それが調に対してであるのか、あるいは別の物に対するものなのか。

「旋法はね、素晴らしいよ。情動を解放して、思いのままに相手に伝えることが出来る。美しい絵図と味を伝え合って、互いに深いところで理解しあえる。けどそれは新人だから。俺たち旧人には、情動のままに生きることが良いんだと言いながら、歪んだ旋法は誰にとっても美しくないから弾かれる。俺らのように。自然、奴らに迎合する者しか、あそこにはいられなくなる」

 七海はその目を、調に向けた。

「お前もな。どうあっても、たとえ阿宮であっても。奴らとともにあろうとする奴は、同胞にはなれない。あんたはどこまで行っても、州都の人間だ」

 最後に吐き捨て、七海は部屋を出た。


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