十六
脇を固める機甲兵たちが調を強引に引っ張った。足の感覚がすでになくなっていた調は、どうにか転倒しないようにと、半ば機甲兵どもに体を預けるようにして歩く。少しだけ積もった雪の上を引きずり、滑りそうになるのを必死にこらえる。しかし機甲兵たちはお構いなしのようで、調は何度も転びそのたびに引き上げられた。
七海が足を止めた。七海の目の前にいる、同じようなカーキ色の軍服姿の人物を、調は認めた。
「よう、倉木。リーダー自らのお出迎えとは光栄だね」
「何をしているんだ、七海」
その男がひどく押し殺した声で言うのに、七海は肩をすくめた。
「見ての通りだよ。人質を護送している、そんだけだ」
「そういうことは、向こうで済ませろと言ったはずだ。俺はお前に仕事を頼んだが、ここに厄介ごとを持ち込めと指示した覚えはないぞ」
「そう言うなって」
明らかにいらだつ男に対して、七海は何ら構える風でもなく、ちらりと調の方を見た。
「そいつの素性で、ちょっと気になることがあってね」
「どういうことだ」
「阿宮だぜ、そいつ」
倉木なる男の目の色が変わる。矛先が自分に向けられるに、倉木の強ばった表と相対することとなる。倉木は調に詰め寄ると全身を見回すように睨みつける。
「白兵か」
倉木は何の予告もなしにいきなり発する。よく通る声だった。氷細工めいて鋭く、冷たさを内包しているが、その実単純な感触しか見いだせない、そんな形を想像した。旧人たるこの男に、そんな感触など期待しようがないのだが、いつの間にか共感覚を得ようとしている自分がいる。
「どういうことだ、阿宮とは」
「こっちが聞きたい、さっきから二人して阿宮阿宮と。俺の名がどうしたというんだ」
「名だと」
果たして倉木は渋面を作る。
「ただの名であるなら、偶然と言うこともあるんじゃないか?」。
「そいつは旧人だ。耳についてる装置が、以前俺が言った回路だよ。阿宮なんて名、新人どもに根付いているとも思えないし、旧人で阿宮ってなれば、やはりそうなんじゃないかって」
七海が言うと、倉木は腕を組み、調を見下ろすような格好で以て言う。
「それで、わざわざこいつを連れてきたって言うのか。余計なことを」
「いいだろう。どうせ前線にいてもやりづらいだけだから、ここの方がまだ良い」
男は鋭い視線を遠慮なく調にそそぎ込むが、やがて目をそらした。
「何か問題があれば即刻処分するから、そのつもりでいろ」
倉木は機甲兵たちを引き連れてさっさと立ち去ってしまった。その背中を見送り、七海は息をもらした。
「相変わらず頭の固いことで……どうした」
「いや……」
調は背中がやけに冷たく、服の下が汗に濡れているのに気づく。男ににらまれている間、ずっとそんな状態だったのだ。
「あの、倉木とかいう男は」
「俺らのリーダーだ、一応な」
倉木――州都ではあまり馴染みのない名だった。反体制派とされるゲリラは原野の各地に点在するが、その中でも初めて聞く名だ。
「あいつにはあまり逆らわないことだな。ここの流儀にはうるさいけど、新人たちのやり方には疎い。さっきの言葉も冗談じゃないかもしれないし」
意味深げに七海は笑うが、あまり笑える類の話ではない。
「性質の悪いことだ」
両脇の機甲兵が調を引っ張るのに、足を引きずりながら調はそれに従った。
しばらく歩き、エレベータに乗せられた。下方向から体が突き上げられる感覚を受け続けること数分、エレベータが止まる。階数表示などはなく、一体自分が建物のどの辺りにいるのか、皆目検討もつかない。
止まった階はオフィスビルめいた廊下ではなく、調を出迎えたのはコンクリートむき出しの壁と天井だった重々しい金属扉が等間隔に並び、それが廊下の端まで続いている。やけに暗い通路、よく見れば明かりは裸電球が二メートル置きに配置されているに止まる。どんなに設備が遅れた施設でも、電球などを使う場所など調はついぞ知らない。
まるで監獄だ、と思った。決して日の目を見ることのない罪人たちを収監するにはふさわしい内装、州都ではもう映画や小説でしか知ることが出来ない――そして大抵は歌音を持たぬが故に罪を犯してしまう旧人たちの悲劇――時代遅れの設備だった。
部屋の一つに、調は投げ込まれるようにぶちこまれた。やはりコンクリートの床で、倒れた瞬間調は頬をすり付けてしまった。
「そこで大人しくしてろ」
調は立ち上がり、にらみつけるが、すぐに突きつけられた二つの銃口を目にした。
「今日はとりあえずそこで休め。撮影会は明日やる。あとで食事を用意させるから、それとその傷も」
七海は、調の脚を見た。
「今医者を呼んだから」
「医者だと」
「サービスだ。とっとけ」
軽く目配せしてから、七海は扉を閉じた。鍵を、外側からかける音がして、足音が遠ざかる。
「監禁しておいてサービスも何も」
ひとりごちて調は部屋の内装をながめる。簡素なパイプベッドと、木製の椅子があり、壁にめり込むような形で鉄板が突き出ている。テーブルのつもりだろうか、椅子と向かい合わせになっていた。椅子に座ってみると、ちょうど調の鳩尾の位置にその鉄板がくる。
それ以外は何もない。鍵が内からは開けられない構造から見ても、等しくここは捕虜を収容するための場所なのだろう。ため息をつき、調はベッドに体を預けた。調の体重で最大限パイプが軋み、湿気を帯びたシーツからかすかにカビのにおいがする。滅菌加工品以外は使用しない、エリザベスがこのベッドを見たら卒倒するかもしれない。そんなことを考えていると、唐突に扉の鍵が開けられる音がした。
「いるかしら」
唐突に声がする。女の声とともに、誰かが部屋に入ってくる。白衣姿、小柄な体。中年に手が届きそうな女の姿を。
「何だ、あんた」
「随分ね。あなたの傷を診てやれって言われたんだよ。新人は専門外だって言ったら、旧人だから大丈夫とか何とか言われたけど」
女は調より頭二つ低い位置から見上げてくる。カミラと年齢は変わらないように見えた。
「旧人には違いないが、あんたは」
「ミハルよ」
と女は手を差し出した。
「この界隈で、医者の真似事なんてやっているわ。よろしく」
握手を求めているつもりだろうが、調はその手を取ることはなかった。ミハルは肩をすくめて手を引っ込める。
「そこ、座って。傷を見せて」
「いや、あの」
「早くして。私はこれでも忙しいんだから」
有無を言わさない迫力があった。調は仕方なくベッドに腰掛け、男の言うとおりにする。
「リツカ、こっち持ってきて」
ミハルが入り口の方に向かって言うと、もう一人部屋に入ってくるのがわかった。
最初に革製の鞄が見えた。その人物が抱えているものだった。暗がりから、徐々に人影が露わになる。薄青い衣、肩まで伸びる黒い髪。顔は、抱えた鞄のせいで見えない。
「何してるの。早く置いて」
「いやだって、これ重すぎ。何が入ってんのよ」
また女の声。こんどは大分年若い。
「壊さないでよ、高いんだから。置いたらさっさと渡す」
「人使い荒いなあ、ミハルさんは」
鞄を置くと、ようやく顔が明らかとなる。女が振り向いた。
歳は十七か十八ぐらい、少女といって差し支えない年齢であるかに見えた。あまり見栄えがするわけではない顔立ち、それこそ都市のハイスクールに通う学生がクリニックで行う整形はおろか化粧気もない、地味な表を晒している。
だからそれ故に少女の顔がはっきりとわかる。その面影も。少女の面差しが、かつてのイメージと一致した。
「おい、あんた……」
反射的に立ち上がった。足の傷のことも忘れ、少女の肩を掴んだ。
「な、何?」
少女が驚いている。その表情もまるで写し取ったかのようだった。入り江の少女が、まさしくその姿を伴って。何度も抱いた幻影そのもので以て、そこにいる。
「ここで何をしているんだ、操」
「え、え?」
少女は訳が分からないというようだった。調がさらに近づいた瞬間、ミハルが後ろから髪の毛を引っ張った。
「血気盛んなのは結構だけど」
調は顔と上体を仰け反らせ、少女から無理矢理引きはがされる。
「人の娘に手を出すときは、目の届かないところでね。あとあなたは立場をわきまえるように」
「む、娘?」
「そういうことだから」
どういう力加減なのか、ミハルは決して力は強くないのだが、調の方に力が入らない。仰け反っているから力が入らないのだろうか、ともかくミハルの誘導する通りに座らされた。
「あまり聞き分けないようなら、傷も治してあげないわよ。州都じゃそんな傷、大したことはないんだろうけど。ここじゃそんな傷でも感染症にかかる可能性もあるんだから」
ミハルは調の足を持ち上げた。調のスーツを手際よく切り開くに、傷口が冷たい空気に晒される。切り刻まれた箇所は化膿し、赤く腫れ上がっていた。
「まあ、骨まではいってないようだけど。白兵のスーツなんてやたら頑丈だから。弦刀でも全部を斬るってわけにはいかないようね」
「何だそれ」
「あの千秋に、斬られたんでしょ? あの刀はナノ弦糸が張ってある。その振動で断ち切るのよ」
弦、と言われてもあの刀にそれらしき仕掛けなど見当たらなかった。ただ夢中で、斬撃をかわし、応戦するのに手一杯だったのだから。しかし一度耳元に刃が突きつけられた瞬間、機械めいた唸り声が聞こえたような気がした。あれは弦の唸りだったのだろうか。
「彼に遭って、五体満足で帰れる人なんてそうそういないわ。あなたがすごいのか、それとも運が良かったのか」
「きっと後者だろう」
「かもね。遭遇すれば何でも斬るし、誰でも殺す。七海が止めていなければ確実に斬られていた」
「そんな風に言わないでよ」
突然、リツカなる少女が不機嫌そうな声を出す。
「千秋はそんな見境がないことしない」
「命令されたら斬るし、何でも壊す。別にどんな言い方しようとそれは変わらないよ、リツカ」
「でも」
「それより、薬を」
ミハルはリツカにあれこれ指示を飛ばし、少女は鞄から薬の類と注射器、包帯を取り出す。
「少し痛むかも」
少女が調の臑に注射針を突き立てた。透明な液を調の中に注ぎ込む、その少女の――リツカと呼ばれていた――横顔を盗み見た。
調の記憶では、操は七歳の時点で止まっている。それでも似ていると思った。成長すれば、そのまま何事もなく都市に住んでいれば――調の中にある操を具現化して時間を加味すれば、目の前の少女になりそうな――。
「何見とれているの」
ミハルが小さな刃を突き立てた。
リツカが打ったのは麻酔だったらしく、刃で切られても痛みは感じない。少しだけ皮膚をひっかくような感触があった。
切り開いた皮膚からどろりとした膿が溢れ、グンジはそれを丁寧にふき取る。クリーム色の体液をひとしきり搾り取り、分泌される液は透明なものに変わった。
「これをやっておけば、とりあえずは大丈夫。以外に傷が浅くて助かった」
今度はチューブを取り出し、ゲル状の中身をひねり出す。ミハルは傷口を埋めるように、ゲルを塗りたくるとガーゼを当てた。
「リツカ、包帯」
ミハルが言うと、リツカが包帯を手渡す。その瞬間、調と目があった。青みがかった黒い瞳とかち合い、一度だけその目の中に光を見た。何かしら昏さを帯びて、しかし決して強いものではない。怯えた色を湛えても尚見ずにはいられない、そういう眼をしている。
調は目を背けた。ミハルが包帯を巻き終わったのを受け、調は捲りあげた裾を戻す。
「応急処置だけど、今後の経過が良ければこれで事足りるわ」
「悪ければ?」
「義足の予備くらいはあるから心配しなくてもいいわ。櫻と樫の木、どっちがいい?」
調が苦い顔をするのに、ミハルは可笑しそうに笑った。
「大丈夫よ、そんな顔しなくても。ちゃんと治してあげるから」
「どうだか」
ミハルは怪訝そうに眉をひそめた。
「もしかして信用していない?」
「敵地の真ん中で誰を信用しろと」
「いかにもね、あなたも」
注射器とメスを片づけ、血の付いた布を畳みながら、ミハルは調の顔を見る。
「軍人って、どの世界でも頭が固いというか。融通が利かないんだから」
「余計なお世話だ、というか軍人がどうとか関係ない。過激派連中の言うことがそもそも信用できないっていうんだ」
「どうして?」
本気でわからないという顔をしている。一瞬だけ、調は言葉を失った。
「そうだろう、お前たち原野の過激派は。連邦に従わない、法を守らない、それに」
「歌音を理解しないから」
胸の内を抉られたような心地になる。ミハルは調の心中など、まるで解さないかのように続けた。
「歌音が分からない、旋法を理解しない。相手の情動を読めない、すなわちそれは道徳もないことと同じ。原野にとどまる旧人は、まさに獣。そう言いたいのかしら」
「いや、そんなことは」
「似たようなこと思ったんじゃない? そういう顔しているよ、図星って」
ますます言葉に詰まる。ミハルはそんな調を見て、やはり不思議で仕方がないという風に訊いた。
「同じ旧人なら、あなただって歌音を理解できないこと、あるんじゃないの? どうしてか都市の旧人は、理解できない私たちを野蛮で下賤だと決めつけたがる」
「実際にそうだろう。感情を通わせることがなく、また通わせようともしない。お前たちは」
獣である。
それこそ、何度となく耳にした響きだった。嫌悪し、吐き捨てた言葉を。あの日、入り江の少女を放逐した言葉の一端を、口にしかけた。
「どうかした?」
ミハルが覗き込んだ。調が頭をもたげると、心配そうな顔でもって見つめてくる。
「まあいいわ。信用されないとしても、だからどうこうするってわけじゃないし」
ミハルはすいと立ち上がった。
「また来るから。何か変わったことがあったら呼んでね。私の仕事はあなたの体調管理だから」
「そんなこと」
「いいから従いなさい。あなたには、他に選択肢はないんだから。ともかく体を治して……リツカ、何しているの」
リツカが調を見据えているのに、ミハルが気づく。リツカは珍しいものというよりも、何か期待に満ちたまなざしで調を見ていた。
「……何だよ」
その視線が少し薄気味悪く、調は目を反らした。
「ねえ、都市は言葉を喋る飲み物があるんだって?」
「え……」
ふとカミラに差し出されたダージリンティーの味と、脳内変換されたメッセージが蘇る。ウェルカム、あなたが来ることを心待ちにしていました――。
「ウェルカムドリンクのことか」
「そういうんだ。どういう仕組みなの?」
「仕組みなんて知らないが、あれは旋法回路を持っている奴じゃないとメッセージは浮かばない。旧人には――」
「リツカ、何しているの」
ミハルが声をかけた。口調に少し硬さがある。
「早くしなさい。あと十件は回らなきゃいけないんだから」
「え、ちょっとだけ駄目? 話聞くだけだから」
「あんまりここに来る連中に話聞いて回ったら駄目だって、倉木にも言われたでしょう。見つかったらどやされるよ。ほら早く」
ミハルが急かすように言うと、リツカは名残惜しそうにその場を離れた。去り際、リツカが調の方に目配せしたように見えたが――調は気づかないふりをした。