十五
暗闇の中で、今いる状況を推測しようとする。目をふさがれた今、耳と、触覚と、匂いが、わずかな頼りであったが、それすらもどこか危うい。自分の感覚がそれほど狂っているとは思えないが、今はどんな情報も真実なのかどうか疑わしい気分。
振動がする。体全体を細かく伝わるそれは、調が乗せられた車からのものだ。あまり快適とは言えない狭い車に押し込められ、後ろ手に縛り上げられ、さらに左右の腕を機甲兵に押さえつけられる。その状態のまま護送されてから随分経っていた。体感では、十時間以上は経っているような気がしている。
足が痛みを主張する。あの男に、斬り裂かれた足だ。状態としては、剣先の先が少し斬り裂いた程度で歩けないほどの傷ではない。が、それは対刃耐圧の強化スーツを斬り裂いた上での傷と考えればあの刀は相当の切断力を持っている。高電磁刃ではない、別の何かだろうか。
いずれにしても、長く放置すれば傷が悪化するかもしれない。新人ならば骨の一つや二つ壊死しても再生できるが、旧人はそうもゆかないものだ。
振動が収まる。車体がやや傾きを保った状態で停まり、ドアが乱暴にあけられる音を聞いた。
機甲兵が調の腕を引っ張る。腕がちぎれそうな心地がした。引きずり出されるようにして調は車を降り、さらに機甲兵が腕を引くのに、痛む足を引きずりながら歩く。
足が止まる。なにか布をめくるような音がした。
いきなり調は突き飛ばされた。機甲兵が乱暴に調の身体を、前方に投げ入れ、腕を拘束されている調は足をもつれさせながら倒れた。
唐突に光が差し込む。目隠しが外されて、ようやく調は周りの光景を見ることが出来た。
薄汚れたカーキ色の布が目に入る。壁と、天井を覆い、地面だけは砂利の――テントだ。軍用色に彩られた布切れの空間に投げ込まれたのだと知る。簡素なテーブルが並び、その上に前時代的な通信機器が乗り、小銃が立てかけられ、それ以外には何もないその場に。
「ご苦労だった」
頭上から声がかかった。調は首だけ傾けて、声の方をみる。
若い男――といっても、調よりは大分歳は上だろうが――テントと同じカーキ色の軍服に身を包んだ男が、調を見下ろしている。東洋系の顔立ちをしたその男は、どこか野暮ったさが感じられた。服の着こなし、所作が、洗練とはほど遠い。
男は薄い笑いを浮かべて、屈みこんだ。
「状況が飲み込めないって面だな。まあ無理もないけどね」
まるで緊張感のない物言いだった。調は男を睨みつける。
「心配するなって。ここじゃ連邦の法は及ばないが、捕虜の扱いぐらいは心得ている。そんなに構えなくてもいいから」
「信用するに足るとは思えないな、そんな言葉」
「そこは信用してくれよ。何せ、あんた殺さないようそこの千秋に命じたのは俺なんだから。遠隔であんたを捕えるようにって指示飛ばしてね。いわばあんたの恩人だ」
調が首だけで後ろを見ると、先の軽機動兵が控えていた。ガラス球めいた瞳に、金色の光を宿し、まったくの作りものじみた目をしていた。
「それでも、抵抗されたら俺らもそれなりのことはするから。まあ大人しくしていてよ」
あまり流暢とは言えない英語を、目の前の男は操る。ひどい発音とは言えないが言葉の端々が曖昧で、はっきりしない。それだけで、この男がどういう出自なのかということが分かる。
「貴様、旧人か」
何より、この男の声音には色がない。あるべき形も、温度すらない。どんなに弱い情動であっても、それなりに共感覚を得るのだが、男は全くもって何もない声だ。
男の面に、若干の険しさが差した。
「その呼び名は、少なくとも俺の前じゃやめろよ。そういう言い方、好きじゃないんだ」
「新人じゃなきゃ、旧人だろう」
「だからやめろって。俺たちは獣じゃない、人間だ。そんな新人どもの呼称を俺たちの前で使うな」
「わざわざ分けて使う必要が?」
「あるさ。俺たちは歴とした人間だ、にも関わらず州都の奴らは俺たちを獣呼ばわりする。自分たちは新人、俺たちは旧人。でも奴らが出てくるずっと前から、俺たちは人間だった。人工プールから生まれてきたような連中とは違うんだ」
男は椅子を引き寄せて座ると、紙タバコをくわえた。火をつけて煙を吐き出すに、調は顔をしかめた。
「それに、あんたも俺らと同類だろう。そんな物言いを許すのか?」
「同類って」
果たして男はおかしそうに笑った。
「これでも、俺たちは新人のこと研究しているんだよ。あんたがその、耳に付けているやつがどういうものか。俺らが知らないと思ったか?」
「それは何より。説明が省けるというわけか」
「敵を知り、味方を知れば百戦危うからず、とな。それでもあんたみたいなのは初めて見るがね。インターフェイスを堂々とさらけ出しているのは。あれか、今はそういうのが流行っているのか?」
「俺を連れてきてどうしようというんだ」
調は半身を起こした。その瞬間、耳元にひたりと刃物の感触を得る。調の背後で、刀を突きつける軽機動兵の男が、睨みつけてきた。
「いい、千秋。刀納めろ」
男が言うと、千秋と呼ばれた軽機動兵は素直に刀を引っ込めた。
「さっきも言ったけど、ちょっとでも抵抗する気があったらそのときはそこの千秋が黙ってないからそのつもりで。捕虜の扱いは心得ていると言ったが、それは俺らの流儀でのこと。連邦の規定と少しだけずれていても、ここにゃ文句を言う奴は誰もいない。覚えておけ、全部の指がなくなるなんて俺らの中じゃ幸運な部類に入る」
変に凄んでみせたりせず、何ら変わらぬ事実を述べる口調をする。脅しではなく、それを実行するのに毛ほどの覚悟も要らぬというように。
「――それで、どうするというんだ」
調が言うと、男は満足そうにうなずいた。
「そうそう、それでいい。捕虜と女は従順であってしかるべき――ただ、あんたにはもっと大人しくしてもらわないとね。大人しく、もっとこう、衰弱した感じに。憔悴しきっていて、絶望感溢れるような面してもらわないと絵にならないから」
「話が見えないな」
「こういうことだ」
兵の一人が男に手渡す。円形のレンズと、直方体の機体。それを、調の方に向けた。
「本当ならあそこで殺してもよかったんだが、あんたは使えそうだったからな。こいつで、あんたたちが影と呼ぶ存在、つまり俺たちに囚われたお前の姿を撮り、ネットに公開する」
「何のために?」
「別に酔狂でやるわけじゃない。ただお前たちの政府が進めようとしているあの辺一帯を手放させる、お前を人質にしてな」
男が手にしているのは、旧型のカメラだった。すでに廃れて久しい、ICタグを埋め込んだ型の。
「州府の連中を交渉のテーブルに引きずり出す。お前はそのための材料だ。うまいこと席につかせれば、それでよい。何せ、新人というのは倫理やら人道やらにうるさいからな、人質一人と開発地区、天秤にかけた場合はどちらを優先するか……」
「もし、州府が交渉に応じなかったら?」
「その時はその時。お前をバラして原野に撒くだけだ。ただまあ、応じるかどうかなんてどうでもいいんだ、ええっと……」
男はふと、調の胸元に目を落とす。軍服から顔をのぞかせたドッグタグを手に取り、興味深そうに見つめる。最低限の身体情報を載せたタグは、緊急の場合でも処置できるようにと、昔ながらの銅板に彫り込んだごく単純なものだ。
「シラベ・アミヤ、あんたの名か」
男は視線を鋭くした。何か予想外のものを見たという目をしている。
「アミヤ、か……お前、この名前は本名だろうな」
「軍が偽名を登録するわけないだろう」
男はタグを引きちぎると、しげしげと見つめる。
「アミヤ、阿宮ねえ……」
男は何か考え込むように腕組みし、首をひねりながらぶつぶつと独り言を言う。英語だったり、あるいは別の言語だったり。調には分からない言葉だった。
「千秋」
男がそう発すると、千秋はすべて心得たというように調の首根っこを掴んだ。ごつごつした鉄の感触を首筋に受けた、と思うと急に体を持ち上げられる。無理矢理に調を立たせると、今度は調の腕を捻り上げ、背中側に回した。
「ちょっと、詳しく事情を聞く必要がでてきたな」
調が痛みに顔をしかめていると、男は機甲兵たちに合図した。兵たちがテントの外に飛び出て、しばらくするとどこかでエンジン音が響くのを、耳にする。
男が顎でしゃくると、千秋は調の腕を引っ張った。再び関節が悲鳴を上げた。そのままテントから出ると、五十メートルほど離れた箇所にヘリが止まっているのを見た。すでに二つのローターが回転し、飛び立つ準備をしている。砂塵と草の端を舞上げ、突風が調の顔を叩いた。
「お前には少し来てもらう」
千秋が連行し、調はヘリに押し込められた。今度は鎖で両腕を拘束される。
「少し狭いが、我慢しろよ」
隣に男が座った。
「どこに行こうって言うんだ」
「着いて来ればいい」
男は目隠しのつもりか麻の袋を取り出した。場所を悟られないためなのだろう。
「そうだ、せっかくだから自己紹介でもしておくか。お前が名乗ったんだから、俺も名乗らなきゃだよな」
「名乗ってない、勝手に見たんだろう」
「まあそう言うな。俺は七海っていうんだ、よろしく」
七海の声を最後に、再び視界が闇に包まれた。顔半分を隠されると同時に、機体が離陸するのが分かった。
年代物のヘリで、おそらく三、四時間ほどは飛行していた。降下する頃には日が暮れ、あたりに闇が落ちてきていた。
機甲兵に引きずり出されるように、ヘリを降りる。雪がちらついているのが見えた。冷え込んだ空気の固まりを吸い込み、周りを見回す。
いきなり、化学プラントめいた施設が飛び込んでくる。入り組んだ鉄骨の塔、煙突に混じっていくつも建ち、その塔全体を配管が巻きつき、太い管と細い管が結びつくようにかみ合う。錆びた導管が血管、あるいは樹木めいていて、それらが一つの構造体を生み出す、巨大な櫓だった。櫓は鉄骨の立体で支えられ、交錯する鉄の柱が櫓を囲うように編み込まれる。塔を中心にまた、いくつもの鉄柱が取り囲み、鉄柱同士に鉄骨が渡り、結びついていた。
原野における建造物は旧人たちの過去の遺物であることがほとんどであるが、目の前の構造体は廃墟というには幾分新しい。それでも腐食した壁とケロイドの錆が、それほど短くはない時を物語っている
「結構驚いたって顔だな」
調の反応がいかにも予想通りであると、七海は満足しているようだった。
「こういう建造物はあまり見たことないだろう」
「衛星では目にすることはあるが……」
ヘリが降り立った建物は、中型のビル建物。尖塔はヘリポートを取り囲む様に位置している。構造の屋上からでも見上げるほどの塔と櫓。足元から見れば、塔の上部分が霞んで見えるやもしれない。天を突く、巨大な城塞だった。
「ここが俺たちの住処だ。あんたらが北東と呼ぶ、最奥。俺たちはこう呼んでいる」
七海は勝ち誇ったように口の端を持ち上げた。
「ようこそ雪火野へ」




