十一
それが、出動前のこと。その後、当たり障りのないブリーフィングを行い、今は輸送車の中に座り込んで白兵たちと同じ音を共有している。丸みを帯びた音奏に晒され、情動そのものを表す共感覚を受け止めながら調は目を閉じる。
自分はどちらであるのか。歌音を受け入れた、サワキタと同じ部類であるか。原野にわざわざ出て、人道的な見地でもって活動を続けるサワキタと違い、調はごく個人的な理由で原野に出ている。そしてサワキタのように、完璧ではない。新人と同じく振る舞い、新人と同じ情動と、同じ感覚を、正確になぞるように――サワキタ自身もそこまで完璧ではないのかもしれないが、調には完璧なように見えた。完璧な旋法を描き、模範的な思想を披露し、完全に彼らと同等の存在になる。
操はそうではなかった。意図的にではなく、自分の思いに従っただけだが、操のような人間はやはり社会不適合者としてここでは認識されるだろう。家にいた大人たちが見せる歌音も旋法も、一方的に気味が悪いと切り捨て、反発することしかしない少女を、大人たちはよほど手を焼いていただろう。曲がりなりにも順応しようとしていた調とは違う、操は旋法が織りなす異種感覚の中から抜け出して自分の殻に永久に閉じこもることが出来たら良かったと、本気で思っていた節があった。だが原野ではない、州都でどれだけそれが出来る人間がいるのか? 入り江にいた少女は、もしあのまま州都にとどまっていたら。それでもやはり拒絶したのだろうか。
「あと十分ほどで到着するわ」
エリザベスの涼しい声が、インカムに響くのを聞いた。エリザベスの声に反応した周波グラフが、完璧に近い円形に回った。音階は、三度から四度、発話のひとつひとつにでも心地よさを表す音を出す、エリザベスは音奏者としての資質だけでなく単純に会話だけをとっても完璧に近い楽理でもって接してくる。
「調、なんだか呼吸が荒いみたいだけど」
エリザベスが言うのに、調は思考を中断させる。
「ひょっとして、まだ怒っているの? 一昨日のこと」
オープンチャンネルで、エリザベスはとんでもないことを口にする。あとでしっかり言い含めてやらなければならない。
「何でそうなる。考えごとしていただけだ」
「そう、ならいいけど。思い悩んでいたみたいだから」
エリザベスは本気で心配しているのだろう。そして旋法もそれに則ったものではあるが、調はただ一言だけ告げた。
「余計なお世話だ」
それ以上はなにも言われなかった。
輸送車の振動が止まり、ようやく目的地に着いたことを知る。
車を飛び降り、三人一組になって近くの廃ビルに身を潜める。すでに別の白兵が到着し、交戦しているという連絡が入ったのが三時間前。当初の調査は打ち切られ、戦闘にかかる、こうしたことは珍しいことではない。
音域立体を展開、網膜に緑色の格子に黒と白の陰影がついた映像を貼り付けた。複雑な地形と打ち捨てられた街の残骸、音域立体が結ぶ像はどこに行っても同じようなものばかりで、原野の光景というものはありふれている。
砲声と銃撃が、遠雷めいて響く。
音域立体を展開。三百メートル先で影どもと、数人の白兵が撃ち合っている姿を見ることが出来る。格子で編み込まれたビルの像と、自分の目で見ている光景が重なりあった瞬間、調は初めて音域立体が幻ではないと意識することが出来る。
小銃を取った。連管銃の重量が両腕にかかり、銃剣を納めた無骨な銃身を保持する。
先行するアルファ小隊がビルから飛び出し、散開する。誰彼に指示されることなく、白兵たち各々が個別に動いた。警告と指示の歌音がなせる技だった。白兵たちが相互に送りあい、または音奏者から送られる疑似歌音が情動に作用し、不快衝動の旋法を描く。進むべき道、危険を歌音で示し、白兵一人一人の動きを相互に干渉しあう。白兵を動かすのは音奏者と、白兵自身だ。音域立体と照らし合わせつつ、歌音を調整してやりとりする。
調はビルの陰に背中を預ける。何か突き刺さるような感触を得た。身体の左側が、針でつついたような微かな痛みは、右に行けという意味だ。この歌音が、音奏者からなされたものなのか別の白兵から出されたものなのか分からない。とにかく、情動は全員が共有しており、もし指示と違うことを行えば、白兵は非常な不快情動を感じる。それはすなわち全員に不快さを届けることとなり、調律はそれをさせないための装置でもある。
飛び出す。
駆ける、その間百メートル。距離を縮める。
視界が開けた。機甲兵たちの姿を捉えた。
背筋が凍りつく。警告歌音の不快情動の表れだった。調が反射的に身を伏せる、次の瞬間に頭上を円形のディスクが横切る。
突き立つ刃。背後にいた白兵――別のチームだ――の頭部上半分を斬り飛ばした。避け損ねた哀れな白兵は、スライスされた断面から血と、脳髄の白い泡を噴出させてくずおれた。
音域立体で位置を探る。
九時方向に反応。三機の羊鹿と五体の機甲兵の姿を確認。榴弾が飛んできた座標位置と合致する。
機甲兵が撃つ、円筒を重ね合わせた形の短針銃。頭上を電磁誘導の針が数ダース分も通過する。
――来いよ。
誰も知らない、ヘルメットの内側で唇を噛んだ。今この瞬間だけがすべてであるという感覚になる。銃と砲、剣に拠る、それがすべて。
砲管のポンプを繰る。回転輪胴が次の誘導弾を送り込む。
砲撃。誘導弾は調の脳波を読み、空中に放物線を描いて飛ぶ。
着弾。
火炎が飲み込んだ。ストロンチウムの深紅が飲み込む、大筒を背負った重装型の羊鹿が沈む。膨れ上がる炎、赤い舌が舐め、白く輝く炎の芯に、黒い機体が埋没している。熱に溶け、崩れる不恰好な鉄の塊たち。
次弾装填。
炎の中から機甲兵たちが駆けてくる。それを受けて、調は走った。瓦礫を飛び越え、ビルの合間を抜け、誘導弾の炎が燃え盛る中に飛び込んだ。
三連射。機甲兵たちの額に着弾、発火弾頭が弾けた。機械の頭が粉々に吹っ飛ぶに、電子脳と黒っぽい油めいた液をぶちまけさせた。
調は弾倉を換えた。熱せられた弾倉が地面に落ち、乾いた音を立てる。撃鉄を引いて発火弾頭を薬室に送り込むと、ちょうど別の白兵たちがこちらに向かってくるのが分かった。
「数はだいぶ減ったみたいだけど」
ヨファが近寄り、調と背中を接した。複管機銃を担ぎながら、やや興奮気味の旋法を描く。赤く上気した球面。
調は音域立体を確認する。乱立するビルの映像の中に点在する敵影は、周囲一キロ圏内でも百は下らない。ビルの合間に羊鹿が潜み、屋上からは狙撃手がそれぞれ二、三伏せている。
「一個ずつ潰して行くほかない」
「できるの?」
白兵の一人が砲管の回転輪胴を開き、誘導弾を詰め替える。ほかの一人が複管機銃を取る。
調は銃口を向け、突撃の体勢に入る。
「誘導してくれ。そうすりゃ、俺があらかた片づける」
「了解」
ヨファは機銃の銃口を遮蔽物から外に向けた。
発砲。機甲兵たちに向けて、複管機銃が火を噴く。
それと同時、調が飛び出す。
前方撃ってくる。羊鹿から吐き出された榴弾が頭上を通過する。銃撃を掻い潜り、近くのビルの陰に滑り込むとすぐに誘導弾を撃った。円筒の砲弾が飛び、ビルの屋上に突き刺さる。
一瞬の間。火炎が爆ぜた。壁を炎が這い上がり、屋上の機甲兵を焼く。
逃げる機甲兵に発砲。発火弾頭が装甲を引き剥がすのに、一つ目のセンサー頭部を露出させる。素体をさらけ出し砕けた兵の骸を飛び越え、調は走る。
警告歌音。首筋がざわつき、額に何か鉄めいたものを押しつけられた感覚。危険を表す兆候。
頭を下げる。瞬間、ディスクが空を切り裂く。ビルの土壁に円形の刃がめり込む。身を伏せたまま誘導弾を撃ちこむ、前方の羊鹿を駆逐する。
指示歌音。十時方向に光を感じる。調はその光――実際に光はない――に向かい、走る。足下に狙撃の銃弾が突き刺さり、跳弾が強化スーツ表面に当たる。放置車両の陰に逃げ込むと狙撃方向に向けて誘導弾を打つ。五十メートルほど先の屋上で火炎が生まれた。
突として、金属音が響いた。電磁誘導の射出針が車体に突き刺さる。弾倉換え、撃鉄を起こし、身を屈め、調は応戦する。三点バーストで撃ち、発火弾頭を叩き込んだ。
誘導弾が切り裂く――後ろから猛烈な速度で飛び、機甲兵たちの真ん中に着弾した。光が爆ぜ、爆発した。圧力と熱量が際限なく沸き上がり、炎とともにコンクリートの破片が弾け飛ぶ。最初に風が、遅れて熱が届いた。粉塵を巻き上げ、ばらばらに砕けた機械たちの残骸が調の目の前まで飛んできた。
身を伏せる。徐々に、銃撃が遠くなるのを感じる。音域立体で見る機甲兵たちの数が、少なくなってきているのがわかった。撤退を始めているのか、それとも他の白兵たちの攻撃で数を減らしたのか。立体の格子上に展開していた敵影が消えてゆくのが分かった。