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雪火野  作者: 俊衛門
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空想科学祭FINAL参加作品。

 あのトンネルを抜けたら


 金色の日没と


 白騒の波打ち際と


 薄藍を湛えた入り江を臨む。


 幼いぼくらにとって、知るべきものはそこでしかなく、ぼくらの家といえばどこまでもその入り江だった。

 

 暖かい質感の、ログハウス風の施設。いつからぼくらはそこにいたのか、なんてことは分からない。物心ついたときから、ぼくと操はそこにいた。一番はじめの思い出は、どこまで記憶を辿っても、行きつく先は潮騒と入り江の金色でしかない。     

 大人たちは呼ぶ、ハビタット――ぼくらの住む場所だった。


 あなたたちは特別です、と先生が言った。ぼくらが最初に聞いた言葉かもしれなかった。あなたたちは、特別。ただし、あまりいい意味ではありません。あなたたちはこれから先、普通の人よりは苦労をして、普通の人とは違う生い立ちに悩むことがあるかもしれません。だけど私たちは味方です――この家にいる大人達はとても優しく、非常な慈しみを持って子供達に接し、子供達もそれに応えるようにまた優しく、慈悲深い。皆が皆、先生方のそんな優しさが好きで、皆が皆、喜びを表していた。ただ一人を除いて。

「先生の声ったらないよ」

 ぼくらは二人きりになったら、よく先生方の話になった。大抵は操の方から話を切りだし、ぼくが一方的に聞く、そういう形ではあったけれども。

「甘ったるくて、吐き気がする。抱きしめられたり、囁いたりするとイヤでもそれ味わう羽目になる。この間思いっきり突き放してやったら泣きそうな顔していたよ。きっと今までそんなことされたことないんだね」

 ぼくが七歳、操が六歳になる頃には、操のそうした愚痴も多くなった。先生に抱きしめられること、慈しみ、撫でられることを、まるで汚いものでも見るように突き放す。彼女はいつも、先生方の優しさを毛嫌いしていた。

「そういうことは、あまり良くないんじゃないかな」

 今思えば情けないと感じるが、ぼくは一つ下の操に、遠慮しがちに話すことが多かったような気がする。

「先生だって、ぼくらのためを思って」

「私は嫌だもの、だって。しょうがないじゃない、気持ち悪いものは気持ち悪いし」

「でも、ぼくらが。その、特別だからって」

 ぼくにも、そうされる理由なんて分からなかった。特別だから、優しくされる。ぼくらはかわいそうな子供らしい。先生はいつも、その話をしていた。

 操はそうしたすべてを嫌って、皆と関わることを避けていた。優しくて、慈愛に満ちた大人たちと、それに応えようとする子供たち。

 だからぼくらは、入り江に通った。これもいつからか分からないけど、ぼくらはいつも皆から逃れるように、入り江に行く。授業が終わってから、日没までの間。よほど天気が悪いときでない限りは必ず波打ち際で、裸足になって波の感触に膚を晒す。冬であっても、水の中にこそ入りはしないが、水平線に金色が揺らぐのを見送ったりする。彼女の、操の不満は大抵がそういう時に発せられる。

「ねえ、調は平気なの」

 そして必ず、ぼくに問いかける。

「あんな連中と暮らすことが」


 あなた方が共生すべきは、歌音チャンクであり、旋法であり、この州都に流れる音のすべて。そう言い換えても良いかもしれません。


 そこで最初に習うこととは、

 

 暴力で満ち溢れた旧人類の歴史。

 

 それを変革させた新人(フィンチ)たちの社会。


 歌い合う人々による、美しい世界の物語。


 それらについては、特に多くの時間を費やし、ぼくらの理解が及ぶまで何度でも繰り返す。

 楽理は、新人たちには誰しも平等に与えられている。彼の、彼女の情動を読み取り、自らもまた旋律を奏でることで、新人はこの三百年間、争いもなく暮らすことが出来たのだと。歌うことで感情を伝え、愛を奏であう新人類。

 あなたちは、生まれつきそのような旋法を持っていません。だから楽理に触れることに、最初は戸惑いもあるでしょう。けれども、そのように生まれたことは何も罪ではありません。

 先生がそんな話をすると、少し声を詰まらせたりする。いかにも悲しい、脆くて、細くて、頼りない、滑らかな声。そのせいなのか分からないけども、とても心地よい。そういう色と形の声質でもって言う。

「あなたたちが、ここで生きるためのすべてのことを。私たちは教えます。悲観することではありません、これは希望なのですから」

 けれど、どれほど取り繕ってもぼくらにとってあの家は、あそこにいる大人やルームメイトたちはどうしてもなじむことが出来ないものだった。

「分からなくてもいいんだって」

 操は水平線を眺めながらつぶやく。

「あいつらの言うとおりになんか、絶対に出来ないよ。何かって言えば、口を開いて"そういうことは良くない"って。そういうのって何だよって言ったら、わけのわからないこと言ってくるし」

 操は、先生に言われたことなどこれっぽっちも反省していない。少しそれがうらやましくもあった。ぼくなんて、どうして先生があれほど悲しそうにするのか、ぜんぜん分からない。分からないことが嫌で仕方がないというのに。

「たとえば、なんというか。あんたの心は少し悪い方に傾いているんじゃないか、ってナタリーが言うわけ。悪い方ってなんだって訊いたら、信じられないって顔された。あんた自分で分からない? 酷い声だよって」

 声。いつも彼らと話すときは、ぼくらが発する声がテーマとなる。痛い声、鋭い声。誰かの酷い言い争いや、自分の出した醜い声は、それがそのまま形となって、色となる。操が言い争うときの声はいつも、茨をつかむような感触だ。棘っぽくて乾燥した、硬い声。

 操だけでなく、ぼくもよく指摘された。キース・レグナントからよく言われることは、お前の声はまるで水みたいだ、と言うのだ。水を飲むような感覚で、恐ろしく無味乾燥だと。あまり長い時間触れたくはない声だけど、お前自身は平気なの? と。水のような声、ぼくはそれを感じ取るときは――他の子供たちもそうするように――耳の後ろに小さな機械を付けなければならない。形のある声を出す器官は、喉にレーザーを当てるだけで作ることが出来るけど、声を理解するには機械に頼らなければならない。それを付けなければぼくも操も、他の子供たちや先生方の声の感じを見、触ることは出来ない。

 家の中では、常にそれを付けているように言われていた。だけど、操はその機械をつけることを嫌がった。見たくもない色と温度を感じなければならないから。

 そんなわけで、十歳になる頃には、ぼくは必要なこと以外、ほかの子や先生方とも話をすることがなくなった。操だけが、唯一の話し相手となった。


 初めてその人に会ったのは、ぼくが五歳、操が四歳のときのことだった。その女の人はぼくや操を見ると、なぜかうれしそうに目を細め、女の人とは思えない大きな手でぼくの頭をなで回したりした。最初のほうは少し恥ずかしくて逃げ回っていたりしたけど、あの操が懐くことが出来る数少ない人物だった。彼女はなにをするでもなく、ぼくと操に声をかけて、ついでに先生方と話をして帰っていくだけだったけど、いつしかぼくと操にとって、あの人が来ることは楽しみの一つになっていた。

 カミラは操が嫌いな笑顔、嫌いな説教、嫌いな抱擁は一切しない。カミラは、ぼくらに接するときはいつもうれしそうに笑っていた。だけど先生は時々、カミラのことを嫌な目で見る。それがよく分からない。そう告げると、カミラは少しだけ困ったような顔をしたものだった。

「私の仕事って、あまり人に好かれるようなものではないからね」

 白兵ってやつが? そう聞くと、カミラはかぶりを振って、

「それだけじゃないけど。あんたには分かりづらいかもしれないが、街の外で色々な化け物がいる。そいつらが街に入ってこないよう、奴らを退治するのが私の役目さ」

「じゃあカミラはいい人なんだね? でもみんなはいい顔しない」

「いい人かどうかって言われたら、あんまりいい人じゃないね」

「じゃあ悪い人なの?」

「そうさ、だから調や操をどうにかしちゃうかもしれない」

 何でもないようにカミラは言うが、そんな冗談はこの家にいる大人たちが間違っても口にしないものだったから不思議だった。それを偶然傍で聞いていた先生が顔をしかめていたことからも分かる。とにかく、カミラはこの家の誰とも違う。

 だから、操もカミラに対しては変に反発したり、憎まれ口を叩いたりということはなかった。月に一度、カミラがこの家に何をしに来ているのかは分からなかったけど、少なくともカミラが来ているときは。ぼくらにはそれが安らぎだった。カミラがいるときは、操も進んで入り江に行くことはなかった。

 あとで知ったことだったけど、カミラはぼくらと「同じ」だと言っていた。先生が口にするようなことではなく、本当の意味での同じ人間。ぼくらがその意味を知るには、もう少し時間が必要となる。

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