11 天国からの手紙
一度座り直して目を閉じて呼吸を整えた。
さらが私のために用意してくれていた手書きのルーズリーフ...
読ませてもらうね。
さらの想いに波長を合わせるつもりで読んでみたい。
ゆっくり目を開けてリュックの口を開け、ご主人から頂いたクッキーの箱を丁寧に取り出して、胸にあてて抱きかかえた。
すでにこの世界にはいないさらとの会話が始まるのだ。
飛行機は滑走路のスタート地点に向かってゆっくりカーブを描いて進んで行く。
地上から飛び立つとボストンでの出来事が現実から記憶へと切り替えられてしまう気がしている。
蓋を手に取り、箱の下から履かせるように被せて膝の上に置いて準備を整えた。
飛行機は滑走路を力強く加速してゆく。
ふわっと地上を離れた瞬間に最初の手紙を手にした。
さらのように私も少し地上を離れてゆく。
視線をルーズリーフに落とすと青と赤が目に飛び込んできた。
天国からの手紙だ。
すべてさらの手書きで、ところどころ青のボールペンで線が引いてある。
青で文字を消し、赤で書き足してあるところが何箇所もある。
またその赤の上からもう一度青線が引いてある部分もいっぱいあった。
さらが私のためにこれは今言うべきことではないと考えたのかもしれない。
さらの心遣いが伝わってくる。
小説家の原稿のようだ。
こんなに一生懸命考えてくれていたんだ。
少し手が震えてきた。
すでに涙がこぼれている。
左手でハンカチを握りながら1番上のルーズリーフを手に取った。
*
1番目のルーズリーフ
(救いとは何か?)
映美
今日は救いとは何か?
について話したいと思っています。
誤解を恐れずに簡単に話すことにするね。
救いとは神様から天国行きの切符を受け取ることです。
難しい説明よりもこれが一番はっきりわかると思います。
この天国行きの切符はお金で買うことは出来ません。
この世界で受け取った賞状やトロフィーと交換してもらうこともできません。
正しい人に天国行きの切符を渡されるのでもありません。
神は心から自分の罪を認める人に振り向いてくださるのです。
その罪のためにイエスキリストが身代わりとなって十字架で死んでくださったこと、埋葬され、そのあと生き返られたこと、そのことを信じる人に天国行きの切符を渡してくださるの。
映美、キリスト教信仰について教えてほしいと言ってたよね。
簡単に言えば神様からの天国行きの切符を両手を差し出して受け取ることです。それだけなの。
今はまだ難しいことは考えないでいようね。
ゆっくりいこうね。
*
2つ目のルーズリーフ
(人は何のために生きるのか?)
映美へ
今日は人は何のために生きるのか?
ということについて書いてみたいと思います。
私はこう思っているの。
何のために生きるのかではなく、何のために生かされているのかと考えてみない限り本当の答えには辿り着けないと思っています。
人は皆、自分の意思でこの世界に生まれてきたんじゃない。
だとしたらこの最初のスタート時点に戻って、正しく考える必要があると思うの。
ちょっと理屈っぽく聞こえるかもしれないけれど、我慢して読んでね。
とても大切なことだから。
また数学に例えてしまって申し訳ないと思うけれど...
数学の問題を解く時、いくつかの計算を間違いなく積み上げなければ正解にたどり着けないよね。
最初の段階で計算間違いをしてしまうと、そこからいくら正しい計算を積み上げていっても本当の答えには辿り着けない。
そうよね。
生かされている意味を考える時も同じだと思う。
自分は何のために生きるのかという質問は、最初の段階で計算間違いをしていると私は思うの。
質問間違いと言った方がいいかもしれない。
正しいスタート地点は自分は何のために生きるのかではなく、何のために生かされているかだと思う。
これが正しい質問。
ここを間違ってはいけない。
じゃないと本当の答えに辿り着けなくなるの。
迷路に入ってしまう。
このふたつの質問の違いは、神を抜きにして生きる意味を考えるか、神を土台に据えて生かされている意味を考えるかの違いです。
映美、今は神の存在が信じられないでしょうから、それでもいいよ。
焦らないでね。
急いじゃだめよ。
自分以外の大きな存在によって命が与えられて生まれたのかもしれないでしょ。
そのように少しだけ疑って考えてみることはできそうでしょ。
自分の意思で生まれてきたのではないのだから。
ここからスタートすることがとても大切なことだと思わない?
簡単に頭を切り替えることはできないはずだから、ゆっくり、ゆっくり、一緒に考えてみようね。
*
昔の話なんだけど、書いてみたいことがあります。
私が小学6年の時だった。1~2年くらいの女の子が運動場の片隅で転んで膝から血を流して泣いていたのを見たの。
私は近づいて行って、泣いてる彼女を水飲み場までおんぶして行って、膝の血を水で流してあげて、ティッシュで拭いてあげた。
新しいティッシュを、4~5枚四つ折りにして傷口に被せ、包帯なんか持ってないので、ランドセルからノートを取り出してそれをちぎって、くしゃくしゃに揉んで柔らかくして膝に当ててあげたの。
輪ゴムをひとつ持っていたのでそれをノートが落ちないように膝にかけてあげた。
彼女は黙ったままだったが、少し気分も落ち着いてきたようで、不思議そうな顔をして、そのあと私を見つめて微笑んだの。
そして何も言わずにそのまま帰って行った。
それだけのことなんだけれど、私はこの時、自分の中にも愛があることをはっきり自覚したの。
その時、私の心と体に味わったことのない喜びが嵐のように湧き上がっていた。
私の中に大きな歓びが湧き起こったの。
私の心の中に愛が存在している。
衝撃的な発見だった。
教会の日曜学校で何度も聞いていたことがはっきりわかったの。
先生が神様は皆さんの心の中に住んでいますと言っていたことを体験した。
彼女の不思議そうに見つめるあどけない表情が笑顔に変わった瞬間に確かに彼女と私の間に愛が流れていたことがはっきりと手に取るようにわかったの。
神は愛ですと何度も聞かされていたけどその意味がやっとわかった気がしていたの。
その時自分が生かされている意味がほどけるように分かりかけていた。
小学6年の夏休み前のことだった。
大人になった今でもその時のことは忘れられない出来事として残っている。
生かされている意味は考えていてもなかなかわからないと思います。
りんごはかじってみない限りりんごの味はわからないのと同じ。
私の答えは、人は愛を流し出す時、生かされている意味を体感するの。
自分の中の愛が誰かの喜ぶ顔に共鳴して体の中に響き渡る体験。
自分の流した愛が誰かの心と合流して自分に戻ってきてくれる感じ。
神が与えてくださる喜びという祝福が与えられるの。
私はそう思っています。
人は何のために生かされているのか?その答えは神に与えられた命をそして愛を他の人に流し出すためだと思います。
聖書ははっきり神は愛だと教えています。
映美、時間がある時、何のために生かされているのかを考えてみてね。
何のために生かされているのかには答えがあるけど、何のために生きるのかには答えなど存在しないと私は感じています。
この質問は愛の神を抜きにして答えは出せないはずだから。
わかりにくかったらごめんね。
何度も言うけど焦らないでね。
(さらの天国からのメッセージが心の底まで浸透してくる。本当の心と心の会話が始まった。)
. *
3つ目のルーズリーフ
(イエスキリストは神か?人間か?)
映美
私が中学の時、イエスキリストを救い主と信じて洗礼を受けたと言ったの覚えてる?
私は中学に入って、数学がとても好きになっていったの。
はっきり答えが出ることが気持ちよかったのかもしれない。
矛盾を許さない数学の世界に魅せられたの。
好きになると自分からどんどん勉強してしまう。
ゲームをするような感覚。
中学2年の終わりには高校の教科書でも物足りなくなっていた。
そんな時、教会でイエスキリストは100%神で、また100%人間ですと聞かされたの。
私はその説明に強く違和感を感じてしまった。
数学の世界では許されない表現です。
でもほとんどの人は何の疑問も持たない。
そのことにも驚いてしまった。
論理的じゃないと思えた。
真実ではない。そう思えたの。
それから、少し教会から離れていった。
父と母にしばらく教会には行かないと伝えると、両親は分かったと言うだけで私の気持ちを尊重してくれた。
半年くらい教会に顔を出さなかったの。
小学校の1年からずっと両親と一緒に何の疑問も持たずに毎週教会に行っていたので、両親に逆らったようでちょっと辛かったけれど、どうしてもイエスキリストが100%神で同時に100%人間だというところが納得できなかった。
ひとりで考え悩んだあげくにやっと気がついたの。
人間の常識が完璧だという前提は間違っていると感じてきたの。
神の真実を表現しようとする時、人間の常識の範囲では表現しきれないことがあるんだと。
神は人間の罪を取り除くため人の姿をとってこの世界に来られた。
神が人となってこの世界にこられた。
そして十字架にかかられた。
何度も聞いてきたことだけれど、これは嘘ではない、真実だと私の心の奥に強烈な光が差し込んできたように感じたの。
神がこの地上に人間の姿で来られたことは驚くべきことだけど、私は心から信じるようになった。
映美
時間をかけてゆっくり考えていこうね。
私も協力するから。
(さらは本当に数学教師だった。
私とは頭の作りがちがう。
さらの神を見つめる視点にいつも驚かされる。
私にもわかる様に一生懸命わかりやすく噛み砕いて説明しようと心がけてくれていた。それが嬉しい。)
*
4番目のルーズリーフ
(映美からの手紙を見て)
昨日、貴方からもらったお手紙を読み返していたの。
とても懐かしい感じだった。
お手紙を読んで思いました。
貴方はとても素晴らしい行動力の持ち主だということ。
そしてまっすぐな心を持っている素晴らしい女性です。
そして何よりも本当のことが知りたいという探究心と勇気がある。
私は教師という職業を通してたくさんの学生を見てきたけれど、あなたは素晴らしい資質を持っているのがはっきりわかります。
これらの資質は神様から与えられた宝物だと思うよ。
だから大切に育てていこうね。
私は貴方を本当の妹のように思っています。
大学生活の4年間はあっという間に過ぎ去るから本当に大切なことは何か?
しっかり考えながら地に足をつけて歩んで下さい。
私に出来ることがあったらなんでもしたいと思っています。
(さらと巡り合わせてくださった神に心から感謝を捧げる)
*
五つ目のルーズリーフ
(イエスキリストの十字架とは?)
今日はイエスキリストの十字架について書くことにします。
十字架のネックレスやイヤリングしている人たくさんいるでしょ。
ほとんどの人はファッションとして身につけている。
でも十字架は人間を死刑にするためのものでした。
苦しみを最大限に与える処刑の道具。
それが十字架。
イエスキリストの十字架は私たちの罪の刑罰の身代りとなって死んでゆくためだったの。
ちょっとわかりにくい話だよね。
いきなり身代わりと言われてもピンとこないでしょ。
でもよく聞いてほしい。
人間の内側には確かに罪がある。
ここでいう罪とは警察に捕まってしまうような罪のことだけではないの。
映美には何でこれが罪なのと感じるようなこともあると思います。
神に背を向けてしまうこと、神に対して的外れなことを考えたり、してしまうこと、そんな感じのことです。
すべての人が持っている罪の話。
映美もわたしも例外ではない。
この罪を抱え込んだままだと人は本来の自分に出会えないの。
神は正しい神なので罪を見過ごすことはしない。
罪は正しく処理されなければならないの。
しかし、人間が自分で自分の罪を償う力はありません。
だから永遠の地獄で刑罰を受けなければならない。
父なる神はその刑罰を人間に負わせないためにひとり子イエスキリストをこの世に送り十字架にかけたの。
イエスキリストは私たちの罪の刑罰の身代わりとなって血を流して十字架で死なれたの。
何故、父なる神はそんなことをしたと思う?
どんなことをしてでもあなたを救いたいからなの。
神はあなたが地獄で苦しむ姿に耐えられない。
貴方を愛しているからよ。
私も十字架のネックレスをしている。でもわたしはファッションのためなんかじゃない。
神に感謝しているの。
それを神に表現したいの。
(イエスキリストの十字架は私の刑罰の身代わりだったこと。
キリスト教信仰の中心のメッセージだと思う。
理解を深めていきたい。)
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