38 戦いの前 ※タシオ視点
一方、タシオも、控え室で静かに目を閉じていた。
先ほど見たリカルドの走り。
正直、草原で最も騎馬が強いと名高いタラバンテ族の精鋭に、勝るとも劣らない。
(なるほどな。ケメスの兄貴が勝負の内容を変えない訳だ)
王国民は馬の扱いが不得手だと思っていたが、どうやら相手にとって不足はないらしい。
水を一口飲んだタシオは、大きく息を吐く。
正直、ここでマリアに会うことができるとは思っていなかった。
十年近く前、タシオが十六歳のあの日、プロポーズをしたふわふわの茶髪の王国民。
あの何も考えていない蜂蜜色の瞳は、どれだけの男を無意識に弄んできたのか。
くっと思わず笑いをこぼし、そんなふうに笑う自分に、タシオは驚く。
タシオはいつでも、彼の横に立つ人間を求めていた。
部族に収まらないもの。
草原を、王国を見据え、自由に動き回れるもの。
だから、マティーニ父娘の自由さに、彼らの持つ力に、いち早く気がついた。
そして、草原の部族特有の傲慢さで、手に入れようとした。
「マーカス。お前、ここにいろよ」
「タシオ君」
「お前がすごい奴だってことは分かってる。お前が必要だ、マーカス」
「おやおや、ありがとうございます。でもすみません、無理です」
ガーン!!と衝撃音を背負った無鉄砲な十六歳に、マーカスは失笑する。
十六歳のあの日、タシオ=テオス=タラバンテは、マーカス=マティーニに草原に残るよう勧誘し、けんもほろろに断られたのだ。
タシオは、後ろ手に殴られたような衝撃を受けた。
族長の息子として蝶よ花よと育てられた彼は、自分の申し出を、素性の知れない『野菜大好き研究隊』隊長に断られるとは思っていなかった。
「俺はマリアのことも気に入っている! マリアが嫁にくれば、縁もできるし、立ち寄る理由にもなる。ちょうどいいだろう!?」
「あー、タシオ君はうちのマリアのこと、本当に気に入ってますもんね……」
「ぐっ……そ、そうだ! だからいいだろう!」
「そうして女性は物だと思っているうちは、タシオ君の世界は草原にしかないかもしれませんね」
「!」
「ま、試すのは自由です。マリアが首を縦に振るなら、私は止めませんよ」
「言ったな!? 絶対に忘れるなよ!」
そうして、タシオはマリアにプロポーズした。
そして、首を横に振られた。
「え? またまた冗談ばっかり」
「またまたってなんだよ! お、俺が養ってやるって言ってるだろう!」
「わたし、旅行でここにいるだけの旅人よ? それにね、結婚する気はないし、自分で稼げるから養うとか要らないわ」
「……何なら、必要なんだ」
「えー?」
柵の上に腰掛け、穏やかに過ごす馬達を見ながら、マリアは楽しそうに首を傾げる。
「一緒にいると、もっと幸せになれる人」
「えっ」
「タシオはね、多分、わたしとは合わないよ? だってタシオは、本当は引き連れたい人で、横に立ちたい人じゃないでしょ?」
青ざめるタシオに、マリアは困ったように笑う。
「わたしはね、今、幸せなの。こうしてお父さんについて回って、色んなものを見て、タシオ達と過ごして」
マリアの言葉の先が分からず、タシオはただ黙って彼女の話に耳を傾ける。
「わたしの素敵だと思うものを、認めてくれて、寄り添ってくれて。そんな人が一緒にいてくれるなら、もっと幸せになれるから、わたしも結婚したくなるかも」
「……」
「タシオは、全部を自分の糧にしたい人だよ。だから、わたしじゃなくて、タシオを支えるのが好きな女の人がいいと思う」
(違う)
タシオは、あの日マリアが言ったことを思い浮かべながら、獰猛な虎のような笑みを浮かべる。
(マリアの言ったことは、概ね正しい。だが、最後に肝心なことを間違えている)
彼は確かに、引き連れたい性分を持っている。
全てのものを自分の糧とし、従える力を欲している。
そして、タシオの欲しいものを持つマリア=マティーニ。
彼女と合わないことなど、決してない。
何故ならタシオは、自由に飛びたがる、自分と対等な鳥の羽を折り、従えてやりたいと思っているのだから。
(強く美しい、自由な女を、惚れ込ませ、手に入れてこそ草原の男だ)
それは、ただひたすらに、自分の育った地のあり方を体現したもの。
草原の男としては間違ってはいない。
『そうして女性は物だと思っているうちは、タシオ君の世界は草原にしかないかもしれませんね』
(そんなことはないさ。女を対等に見る文化のことは理解している。普段は尊重してやる)
手に持つグラスに、パキリとヒビが入り、その手を水で濡らしていく。
それを、緋色の瞳は、愉しそうに見つめている。
(それでも、本当に欲しいものを手に入れるためには、手段は選ぶべきじゃない)
頭の中に思い浮かぶマーカスの言葉を、タシオは否定する。そして、ただひたすらに、己の中の炎に火を焚べた。
(勝てばいい。勝利は、全てを肯定する)
このレヴァルという掟は、なかなかどうして、タシオの本性と合うようだ。
タシオは、武者震いする自分の体に、満足そうに頬を緩めた。







