23 プロポーズ
そのときわたしは、ルシアおばあ様と二人、ティールームのテラス席でお茶をしていた。
領主邸の3階にある、見晴らしのいい南向きの、オシャレなティールームである。
「このテラス席ね、初めて来たときはなんて素敵な場所なんだろうって思ったのよ」
「もしかして、それって夏のことですか?」
「そうなのよ! このガラス扉が全部解放されていて、素敵な景色でね……!」
そう言うと、ルシアおばあ様は乾いた目でテラス席の外を見た。
壁から天井まで全面ガラスの二重張りで、外気から手厚く守られた場所。
外の景色は、猛吹雪。
そう、吹雪。
壮絶なまでに真っ白である。
ガラスの内側には、カーテンの代わりなのか、防寒魔法まで展開されている。
「これはこれで、なかなか見ない景色です」
「そう言ってくれるのはマリアさんくらいよ!」
「……でも、夏にもお邪魔したいですね」
「夏までずっといていいのよ?」
「おばあ様ったら。ふふ、ありがとうございます」
わたしは、目の前に置かれたハーブティーに手を伸ばす。
温かく香り豊かなお茶が、体に染み渡るようだった。
「美味しいです……、ルビエールは珈琲がメインで、ハーブティーは少ないんだと思っていました」
「ハーブは暖かい地域で育つものが多いものね」
「はい」
「わたくしが来た頃はね、そうだったの。でも、このルビエールは、大魔法陣を使っての物資便が他よりも特別に頻繁でね。レイモンドの同級生に、南端の次期辺境伯がいたから、懇意にしてくれているのよ」
「貴族学園のですか?」
「ええ。マリアさんは通わなかったんだったわね」
「はい。必要がなかったので……でも、大人になってから話を聞くと、羨ましくなることがあります」
エタノール王国各地の貴族子女が集まる場所。
十五歳から十八歳までの三年間通う、アルクール貴族学園。
次期領主達が必ず通うのも頷ける。
その三年間で築いた友好は、それからずっと、領地を支える上で生きてくるのだ。
「マリアさんが学園に通っていたら、モテてモテて、今頃リカルドの妻にはなっていなかったでしょうねぇ」
「ルシアおばあ様ったら、もう。そんなことはありませんよ」
「あら。でもこの間、タシオ君がプロポーズしたって」
「あ、あれはたまたまです。旅行で遊びに行った先でのことだし、わたしが十四の子どもの頃の話ですよ?」
「当時、タシオ君は十六よね。本気だったのねぇ……お付き合いはしていたの?」
「いいえ!」
探るような視線に、わたしは飛び上がる。
「……わ、わたし、お見合いとかはしましたけど、男の人とちゃんとお付き合いしたのは、リカルドが初めてなんですよ?」
「ええ!? それ、リカルドに言った?」
「……バレてると思います」
「絶対喜ぶと思うけど」
「多分嬉しそうにからかってくるからだめです」
「あらあら、新婚ねぇ」
「おばあ様! もう!」
顔を赤くして抗議するわたしに、ルシアおばあ様は嬉しそうに笑っている。
そして、少し寂しくなった。
こんなふうにルシアおばあ様と話ができるのも、あと少しのことだ。
あと数日後、十一月末には、わたし達三人はリキュール伯爵領へと戻るのだから。
「――マリアさん、話があるんです」
そう惜しんでいるところに現れたのは、レイモンドだ。
このルビエール辺境伯領の次期領主。
ルイスおじい様譲りのダークブロンドの髪に、ルシアおばあ様譲りの茶色の瞳をした彼は、このテラス席に現れてからというもの、なんだか緊張しているように見えた。
深刻そうな様子に、ルシアおばあ様が気を遣って声をかける。
「レイモンド。わたくし、席を外した方がいいかしら?」
「いえ、おばあ様はここにいてください」
「そうなの?」
「マリアさん」
すると驚いたことに、彼はわたしの近くに跪いたではないか。
「私は――レイモンド=ルビエールは、マリアさん、あなたを愛しています。どうか私と共に、この地に留まってはくださいませんでしょうか」
時が止まったかと思った。
ルシアおばあ様も使用人達も、氷のように固まっている。
わたしはもちろん、呆然としたまま、彼を見ていた。
あまりにわたしが驚いていたからだろう、レイモンドは苦笑しながら、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「突然のことに驚かれたでしょう。申し訳ありません」
「え、ええ……いえ、その」
「けれども、この気持ちを抑えることができないのです。私は本当に、あなたを」
「――レイモンド」
凍りついたテラス席に響いたのは、ルシアおばあ様の声だ。
彼女の柔らかな茶色の瞳は今、氷のような冷たい怒りに燃えている。
「あなた、何を言っているのか分かっているの」
「おばあ様、私は――」
「言い訳は無用です。わたくしは許しません。前ルビエール辺境伯夫人として、あなたの行為を許すことはできません!」
そこにいるのは、いつも優しいおばあ様ではなかった。
領主夫人としての立場を退き、暖かい家族愛を惜しみなく与える優しい彼女は、それでもこの厳しい土地を夫と共に治めてきた人なのだ。
いつも和らいでいる美しい顔は、氷のように凍てつき、その怒りを顕著に伝えてくる。
ルシアおばあ様の言葉に息を呑み、動くことができないレイモンド。
冷え切った空気の中、口を開いたのはわたしである。
「ルシアおばあ様。いいんです」
「マリアさん、これはけじめです。わたくしはこの地にあなたを招いた者として、これを許すことはできません」
「それでも。それでも、好意を向けてくださったことは、とてもありがたいことです。ですから、ここで返事をさせてください。お願いします――わたしとレイモンド様が、今後もよき友人でいられるように」
友人という言葉に、ビクリと肩を跳ねさせるレイモンド。
わたしはそれに気がついたけれども、気がつかないフリをして、彼に席に着くよう促した。
わたしの言葉に渋々引いたルシアおばあ様を見て、レイモンドも促されるままに席に着く。
正直、彼の告白には驚いた。
そして、自分の気持ちにも驚いた。
わたしは、彼からの告白が、嫌ではなかった。
マティーニ男爵領の近隣の男爵家令息達とのお見合いのときは、彼らからのアプローチを嬉しいと思うことができなかった。
自分達の庇護下に入るように勧めてくる彼らの言葉が、わたしには重かった。
畑仕事なんかに携わらなくていいと言われることも、領民達の素晴らしい仕事ぶりに興味をもってもらえないことも、とても寂しくて、むなしかった。
けれども、レイモンドの言葉は違うと感じたのだ。
彼はわたしの話に耳を傾け、わたしが好きなこと、やりたいことを知った上で、それでもなお、わたしを求めてくれている。
それはとても嬉しいことで、本当にありがたくて――だから、気がついてしまったのだ。
わたしの心にいる人が誰なのか、分かってしまった。
「レイモンド様のお気持ちは、正直、すごく嬉しいです。……去年出会ってそう言われていたら、お受けしてしまっていたかも」
「……! 今からでも。あなたの望むことは、なんでも叶えます。リーディア様と離れがたいなら、転送陣を使って――」
「でも、だめなんです。わたしはもう、あの人に出会ってしまったから」
はっきりとそう述べるわたしに、レイモンドの瞳が絶望に染まる。
目の前の彼に悲しい思いをさせるのは、本意ではない。
しかしそれでも、譲ることができないのだ。
誰かと夫婦になる、そう思った時に脳裏に浮かぶのは、あの人だけ。
「……私は、あなたのあり方に……土地を愛する姿勢に、心を打たれました」
「レイモンド様」
「リーディア様に、絆されているのではないですか。本当に、リカルド兄さんを愛しているのですか。そうでないのなら、私は」
真っ直ぐに見据えてくる熱い視線に、わたしは――。







