7 愛娘リーディアの攻撃! リキュール伯爵は瀕死の重傷を負った! ※リーディアside
リーディアはそのとき、廊下を忍足で歩いていた。
『伯爵様が、ちゃんとマリア様を落としてくれるといいのだけれど』
(アリスはそう言っていたのよ……リーは、ちゃんと聞いたの……)
リーディアは、ウトウトしながら聞いた乳母アリスの言葉を思い出す。
リーディアは考えた。
(パパがママを落とす……そうすれば、ママはずっとここに居てくれる……んじゃないかしら……)
リーディアは、廊下の角で、キョロキョロと周りを確認しながら、ゆっくりと歩みを進める。
その様は、さながらスナイパーである。
なお、当然ながら、マリアと乳母アリスの指示で、後ろからこっそり侍女がリーディアを見守っている。そしてもちろん、リーディアはそのことに気がついていない。
(落とす……落とす……。……?)
リーディアは、首を傾げた。
落とすとは、一体なんのことだろうか。
パパがママを、落とす。
階段から落としたり、屋根から落としたりしたら、ママは天使さまとはいえ、怒って羽を生やしてお空に帰ってしまうのではないだろうか。
しかし、これは大切なママが、リーディアの傍に居てくれるようにするための、大切なミッションである!
リーディアは、しんちょうに物事を進めなければならない。
(パパの、しつむしつ! ここ!)
リーディアは知っているのだ。
今日は、パパはこの伯爵家本邸で働く日。
だから、この部屋にくれば、リーディアはパパに会うことができる。
(重要な話がある時しか、きちゃダメって言われてるけど……今日の話は、とっても重要なことなのよ! だから、大丈夫!)
握り拳を固めると、リーディアはそろそろと廊下を進む。
この話をパパにしているところを、ママに見つかってはいけないのだ。ごくひみっしょんなのである。
扉の前に来たリーディアは、ドキドキする胸を押さえ、深呼吸をする。
そして、思い切ってノックをしてみた。
「入れ」
中から、パパの声が聞こえて、リーディアは笑みをこぼす。
「はい!」
大きく返事をして、扉を開けて室内に入った。
そこには、執事とリキュール伯爵がいた。
リキュール伯爵は口を開け、羽ペンを机に転がし、目を丸くしてリーディアを見ている。
「パパ! リーは、じゅうような、ようけんで、きました!」
ビシッと直立したリーディアに、リキュール伯爵はまだ固まっている。
その隣で、執事が立ったままくつくつと笑いをこぼしていた。
「リーディア様。大切な案件なのですね?」
「そうです!」
「では、急いで対応しなければなりませんね。私の案件は後で構いませんから、どうぞお話しください」
「ありがとう!」
リーディアは、キビキビと――傍目にはテチテチと――歩き、リキュール伯爵の執務机前までやってくる。
「パパ。たいせつなお願いがあるの」
「どうしたんだい、リーディア」
「パパにね、ママを落としてほしいの」
リキュール伯爵はインク壺を床にぶちまけ、執事はむせてゲッホゴッホと咳き込んだ。
「パパ! たいへんよ、絨毯が真っ黒!」
「い、いいんだ。いい。そんなことより」
「で、でも本当に真っ黒よ!」
「大丈夫だ。それより、どうした、リーディア。何故急にそんなことを」
リキュール伯爵は何故か、赤くなったり青くなったりしている。リーディアは不思議に思いつつ、思ったことを口にした。
「パパがママを落としたら、ママはずっとこの家にいてくれるんでしょう?」
「……!? だ、誰からそんなことを聞いたんだ!」
「本当なのね!? パパがママを落としたら……、……! パパ、今からママを落としにいこう!」
執務机を回り込み、手を引くリーディアに、リキュール伯爵は真っ赤になって狼狽える。
「ちょ、ちょっと待ちなさいリーディア。そんなことはできない」
「パパはママに、ずっとこの家に居てほしくないの? ママのこと、好きじゃないの?」
涙目で訴える愛娘に、リキュール伯爵は動揺した。
直球ストレートのその質問に、マリアの顔が浮かんで、リキュール伯爵はさらに体温を上げてしまう。
「それは……その……」
「ママのこと、嫌いなの?」
「嫌いじゃない!」
「じゃあ、大好きなのね?」
「……っ、それは、その」
「違うの?」
「す、好きだ……が……」
絞り出すように声を出したリキュール伯爵に、リーディアはパァアア! と華が咲くような笑みを浮かべる。
「よかった! じゃあパパ、ママを落としに行こう!」
「そ、れは、できない」
「どうして?」
「……、ママは、パパのことを、なんとも思ってないから……」
「え?」
「え?」
不思議そうにするリーディアに、リキュール伯爵も不思議そうにする。そっくりな親子の様子に、執事の腹筋が試されている。
「ママはいつも、パパのこと尊敬してるって言ってたよ」
「……そうか」
「ママはパパのこと好きって」
「ゲッホゴホゴホ」
「パパーッ!?」
急にむせたリキュール伯爵に、リーディアは青い顔で慌てる。執事は横でプルプル震えている。
「パパ大丈夫!?」
「大丈夫だ、うん。それで、なんだって?」
「パパ、でもね、お顔が赤いの。きっとお熱があるのよ!」
「パパは丈夫だから大丈夫だ。それでリーディア、ママはなんだって?」
「う、うん? ママは、パパのこと好きだって言ってたよ」
リーディアはパパの剣幕に驚きつつも、以前ママに聞いたパパへの気持ちを伝える。
口を覆って頬を染めているリキュール伯爵に、リーディアは閃いた。
「パパは、ママにパパのことを好きになって欲しいのね?」
ガターン! と大きな音を立てて、リキュール伯爵は椅子から転げ落ちた。
「パパァー!?」という悲壮な悲鳴が上がり、そのパパの隣では、執事が赤い顔をして涙目で震えている。
「パパ、どうしたの!? お休みした方がいいよ!」
「だ、だ、大丈夫だ……」
「きっとね、元気がないのは、天使さまの力が足りないからよ。ママを呼んでくる!」
「リーディアちょっと待とうか」
ヒョイと抱きよせられて、リーディアは、床に尻をついているリキュール伯爵の膝の上にポスンと落ちる。
「パパ! これじゃママを呼びにいけないわ」
「うん、待ってくれ。ええと、リーディア。今は良くない。少し時間をくれ」
「……早くママを落とさないと、ママはお空に帰っちゃうのよ?」
(天使は空に帰る設定なのか……)
リキュール伯爵は、自分で言い出したことながら、知らない間に追加された設定に思考を止める。
「リーディア。その……リーディアは、ママが好きか?」
「大好き!」
「パパもね、ママのことが大好きだよ」
「うん!」
「それでな。ママがずっとここにいてくれるようになるには、ママが特別パパのことを好きになってくれる必要があるんだ」
「特別?」
「そうだ。それには、すごくすごく大変な準備がいるんだ」
「どんな準備?」
「えっ」
目を彷徨わせるリキュール伯爵に、執事の腹筋は重大な危機を迎えた。
「そ、それはだな、その……」
「うん」
「ママが喜ぶようなことを、沢山しないといけないんだ」
「喜ぶこと?」
「そうだ。リーディアも、ママがリーディアのためにいろんなことをしてくれるのが嬉しいだろう?」
「うん!」
「それと一緒だよ。……ダメかもしれないけど、頑張ってみるから、パパに少し時間をくれるかな」
「分かった! パパ、頑張って!!」
「う、うん……」
そうして、希望に満ち溢れた様子でリーディアは帰った。リーディアは、ごくひみっしょんを、成功させたのだ!
なお、その後、リキュール伯爵と執事はあまりにも仕事が手につかなかったので、有給休暇を取ることにした。