7 まだまだ頑張る箱要求娘と、慌てた様子の魔法使いさん
そして翌朝。
「ママ。旅行に持っていく箱なんだけどね」
「一つだけなのよね? リーディアは、パパに誓ったもんね」
「……」
涙目でプルプル震えるリーディアを、わたしは笑顔で招き寄せる。
彼女をソファの横に座らせ、カタログを開くと、リーディアはハッとした顔になった。
「リーディア、それでね、新しいコートなんだけどね」
「ママ」
箱入り娘ならぬ箱要求娘は、意を決した顔をして、わたしを見ている。
うーん、これは嫌な予感。
「リーはね、沢山の物をね、置いていかなきゃいけないの」
「うん」
「だから、コートは赤いのがいい。旅行では赤いのを着るの。絶対なの」
涙目で震えるリーディアに、わたしはうーんと頭を抱える。
赤いコートは、確かに可愛い。
その意匠は新進気鋭のデザイナーであるローズリンシャさんのもので、その可愛らしく斬新なドレスは今、若い女性にとても人気なのだ。
彼女は他国出身の二十代後半の女性で、元々、王都で人気を博していたデザイナーだった。諸事情により自国を飛び出し、王都の有名デザイナーに弟子入りをし、各洋服店に服を卸していた彼女は、人の店に卸すのでは自由な考案ができないと不満に思い、更なる高みを目指すべく独立を決意。そこそこに都会でそこそこに田舎なこのリキュール伯爵領で、自分の店を開くことにしたのだという。
そんな彼女の作る服に、リーディアは今、夢中なのだ。
しかし、そのオシャレハーフコートは、転送魔法陣にたどり着くまでに使うには暑く、ルビエール辺境伯領に着いた後に使うには薄い。
(そうだわ、旅行からの帰りは十二月頃だし、そのときに着ればいいかしら)
そのことを盾に、なんとかうるうるお目目のおねだり娘を説得しようとしたところで、侍女マーサが声をかけて来た。
「奥様、マティーニ男爵がお越しです」
~✿~✿~✿~
「魔法使いさん!」
唐突に現れたわたしの父マーカス=マティーニ男爵は、こころなしか慌てた様子であった。
そんな彼に向かって、リーディアはすてててて、と走り寄る。
ぽふんと恰幅のいい腹に突っ込んでいくと、父マーカスはリーディアをひょいと抱き上げた。
「こんにちは、リーディア様」
「魔法使いさん! どうしてもっと早く来てくれなかったの? リーは大変だったのよ!」
「おやおや、なんだかお待たせしてしまったみたいですね」
半泣きでしがみついてくる義孫娘に、父マーカスは不思議そうにしている。さもありなん。
「お父さん、急にどうしたの? いつもなら先ぶれの手紙があるのに」
今日の訪問は、事前になんの連絡もなかった。
こういったあたりの礼儀に厳しい父にしては、珍しいことである。
何か急用でもあったのだろうか。
「一家でルビエール辺境伯領に行くと聞いたから、慌てて来たんだよ」
「慌てて?」
「マリア、お前、大丈夫なのか?」
「なんのこと?」
「……。仕方のない娘だなあ」
肩を落とす父マーカスに、わたしは首を傾げるばかりである。
父は一体何を気にしているのだろう。
ため息を吐いた父マーカスが、抱えているリーディアに意味ありげに視線を投げると、リーディアはぱちくりと紫色の瞳を瞬いている。
父マーカスは彼女をソファに下ろすと、自分は膝をついて目線を合わせた。
「リーディア様は、これから先も一生ずっと、マリアを本当の母として望みますか?」
「うん!」
「では、これを授けましょう」
そう言うと、父マーカスは、胸元から木彫りの首飾りを取り出した。
繊細な模様細工の美しい、逆三角形の形の首飾りだ。
「かっこいい! 魔法使いさん、これ、なぁに?」
「リーディア様が、ルビエール辺境伯領に行くにあたってのお守りです」
「お守り?」
「そうです。普段は大切にしまっておいて、いざというときに使うんですよ」
そう言うと、父マーカスは、リーディアの耳元で何やらごにょごにょと内緒話をし、リーディアも目を輝かせ、嬉しそうに頷いている。
首を傾げながら、リーディアの首元を飾る首飾りを見ると、何やらその中心には、見覚えのある文字が書かれていた。
「お父さん。これ、タラバンテ族の文字?」
「お前はそういうところの記憶力はいいんだけどなあ」
「もう、一体なんなのよ」
「分からないならいいんだ。うん。野暮なことはするものじゃないしな……」
結局、父は何を懸念しているのか、教えてくれることはなく、リキュール伯爵邸を去っていった。
なお、父がルビエール辺境伯領での記録映像を見せてくれたお陰で、リーディアの赤いコート熱は過ぎ去った。
「ママ! あんなの、無理なの! 赤いコートじゃ、絶対寒いの!!」
「そ、そうねえ」
リーディアには、雪が20センチ以上積もっている中、毛皮のコートにくるまり、ガタガタ震えながら撮影した雪景色が、壮絶なものに見えたらしい。
お父さん、いい仕事したわ!







