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2 浮き彫りになる課題(終)


「リカルド。一体、なんの話をしているの?」

「子育ての話だが」

「そんな野生味ある子育てなんてある!?」

「もしかしてマティーニ男爵家だと、そういった訓練はないのだろうか」

「え!? あっ、ええと、そうね……?」

「貴族の子どもはいつ攫われるか、いつ襲撃を受けるかわからないだろう?」

「そ、そうかしら!? 貴族邸宅に襲撃とか、頻繁にあるかしら!?」

「いざという時に備えるのが貴族の役目だからな。まあ確かに、リキュール伯爵家は他の貴族と比べても、厳しいほうだろう。しかし、王家の子育てとは比べるべくもないと思う。ですよね、ウィリアム殿下」


 眩しい笑顔でウィリアム王太子殿下を見るリカルド。

 彼の笑顔に、目潰しを食らったような顔をしたウィリアム殿下は、スザンヌ様に助けを求める視線を送ったところ、スザンヌ様はサッと視線を明後日の方角にそらしていた。

 愛妻の様子に、覚悟を決めたのか、ウィリアム殿下は咳払いをすると、苦虫を噛み潰したような顔でリカルドと向き合う。


「……リキュール伯爵。おそらく、王家でもそれほどまでに熱心な生存教育は、していないと思う……」


 苦渋に満ちた表情のウィリアム殿下に、リカルドは大きく目を見開いて、愕然と固まっている。

 リキュール伯爵家、恐るべし。


 ……いや、わたしは今、リキュール伯爵夫人ではなかったか?

 これから成長するわたしの可愛いリキュール伯爵令嬢には、彼が語る過酷な教育が待ち受けているの!?

 いえ、そもそも、これまではどうしていたかしら!?


 わたしが固まっていると、わたし達夫婦がそれぞれ蒼白になっている様を見たウィリアム殿下が、慌てたように付け加えた。


「いや! しかし、そうだな。王家でも当然に、避難経路に関する教育くらいはするぞ。私も一年前から毎月欠かさず、イーゼルと隠し通路の冒険をだな」

「えっ? 毎月? 隠し通路?」

「ハッ。いや、え、あれ? スザンヌ、君は知らないのか……言ってなかった……か……」

「……」


 スザンヌ様の冷ややかな視線に、ウィリアム殿下は滝のように冷や汗をかいている。


 今の季節は、雪解けの春のはず。

 しかし、わたしの目の前には、吹雪を思わせる絶対零度の空気を醸し出す王太子夫婦の姿があった。


 な、なるほど、ウィリアム王太子殿下は、毎月イーゼル殿下と王宮内を冒険していたのか。

 どうりで、イーゼル殿下がウィリアム殿下になついていると思った。

 子どもと定期的に交流するというのは、とてもいいことである……。


 それはそれとして、ええと、これはなんと言ってフォローしたらいいのだろう。


 わたしが動揺していると、隣のリカルドも同じように考えたらしく、慌てたように言葉を発した。


「そ、そうですね、ウィリアム殿下。隠し通路は子どもの頃に教えるものですよね。うちのリーディアも、隠し通路を縦横無尽に駆け回っていまして」

「えっ!? うちのリーディアも!?」 

「……? ああ、もちろんだ」

「待って、そもそも、うちにも隠し通路があるの!?」

「えっ」

「リカルド」

「マリア、君は知らなかったのか? ……だ、誰も君に、言ってない……?」

「……」


 しーんと静まりかえる四人。


 リカルドのフォローをするために、口を滑らせたウィリアム殿下。

 ウィリアム殿下のフォローをするために、口を滑らせたリカルド。


 男の友情が妻との間に亀裂を入れるという、痛ましい事件である。


 ついでに、各邸宅に秘密の通路があることも暴露してしまっている。

 いやまあ、王宮に隠し通路がないなんてことはないだろうけれども。

 貴族の家には……普通は、あるものなのか?

 マティーニ男爵家は、母ミラベルの趣味で大改造されていて一般的な邸宅ではないので、あまり参考にならない。

 リキュール伯爵家にも……隠し通路があるの?

 走り回るリーディアとは!?


「是非、後で詳しい話を聞きたいわ。ね、マリアさん」

「そうですね、スザンヌ様」


 見た目だけは優しげな二人の妻の笑顔に、夫二人は身を縮めながら、コクコクと頷いた。

 背後に子ども達の楽しそうな声が聞こえるのが、なんとももの悲しいことである。



   ~✿~✿~✿~


「これを機会に色々話を聞いておきたいのですが。イーゼルの教育に関して、何か隠していることや、問題を感じることはないのですか?」


 スザンヌ様の言葉に、ウィリアム殿下は冷や汗をかきながら、首をひねった。

 ついでに、リカルドも空気を換えようと、話題をひねり出すべく首をひねっている。


『貴族の子どもを育てる際に、よく問題になるのですよ』


 わたしはふと、乳母アリスの言葉を思い出して、ポンと手を叩いた。


「そういえば、代々リキュール伯爵家の乳母に引き継がれている教育方針があります」

「えっ?」

「えっ? リカルド?」


 びっくりしているリカルドに、わたしがびっくりしていると、ウィリアム殿下が慌てたように「話の続きを聞きたいが、いいだろうか!」と、とりなしてきた。

 わたしはその言葉に乗り、コホンと咳ばらいをして、乳母アリスから聞いた教育方針を宣う。


「『服のボタンを自分でかけられる子に育てましょう』」


 わたしの言葉に、ウィリアム様とスザンヌ様、ついでに何故かリカルドがぱちくりと目を瞬いている。


「ボタン……ですか?」

「そうです、スザンヌ様。子どもってとても可愛くて、特に自分の子だと思うと、なんでもしてあげたくなるじゃないですか」

「はい……それはもう」

「父母にとっても祖父母にとっても乳母にとっても他の使用人にとっても、もう本当に可愛くて可愛くて、目に入れても痛くないというか」

「わかります……!」

「そうするとですね、資金と愛情をついつぎ込みがちになってしまって」

「ああ、確かに……」

「自分で自分の服のボタンをかけられない子が出来上がるそうです」

「ふふっ。面白いですね。実際にはそんなことはなかなかないと思いますが、ボタンですか……ウィリアム様?」


 わたしとスザンヌ様がクスクス笑っていると、横でウィリアム殿下が青い顔をしている。

 リカルドも、ウィリアム殿下の反応に不思議そうな顔をしている。


「ウィリアム様、どうかされましたか」

「いや、その……」

「まさか」

「うん……」


 なんと、まさにウィリアム殿下本人が幼い頃、ボタンを自分でかけることができなかったらしい。


 ウィリアム殿下の兄であるアレクセイ第一王子は大変奔放な性格で、なんでも自分でやりたがり、周りの干渉を嫌う傾向にあった。

 可愛がりたくとも自ら逃げ出す第一王子と、可愛がるとニコニコ笑ってくれる第二王子。

 大人達はつい、第一王子にしてあげたかった分まで第二王子に手を伸ばしてしまい、その結果、第二王子ウィリアムはなんでも周りの人間がやってくれるという甘やかし環境で育ってきたのだという。


「幼い頃というと、いつごろまでなのですか?」

「……八歳」

「は、八歳!?」

「ええと、ウィリアム殿下。むしろ八歳でご自分がボタンをかけられないことに気が付いたのは、一体なぜなのでしょうか」

「……」


 ウィリアム殿下がこの事実に気が付いたのは、子ども部屋で共に遊ぶ貴族の令息達と共に、外に遊びに行こうとしたときのことなのだという。

 とある伯爵令息の「第四庭園で鬼ごっこしよーぜ!」という掛け声とともに、皆が上着を脱ぎ棄てて走り去っていく中、ウィリアム殿下は上着をすぐさま脱ぐことができず、出遅れてしまったのだとか。


「そこで、私がボタンを自力で外すことができないことが、明るみに出たんだ。大人達は愕然としていたが、私も周囲との差に、自分で驚いた……」


 顔を覆うウィリアム殿下に、わたし達は言葉もなかった。

 周りの大人も、まさかそこまで身の回りのことができない子に育ててしまったとはつゆほども思っていなかったことだろう。

 特に、ウィリアム殿下の横には、自分のことはなんでも自分でする第一王子アレクセイ殿下が居たのだ。

 どう考えても、悪かったのは周りの大人達とその教育方針である。


 スザンヌ様は自分の夫を痛ましいものを見るような目で見た後、ハッと我に返った様子で顔を上げた。


「イーゼルはどうなのですか」


 同じくハッとして顔を上げたウィリアム殿下。


 再び、しーんと静まり返る四人。


 ゆっくりと子ども達のほうに目をやると、わたし達の視線に気が付いたらしく、子ども達四人がこちらへてちてちと寄ってきた。


「ママ。どうしたの?」

「いえ、そのね。……リーディアは、自分でお洋服のボタン、かけられる……わよね?」

「うん! アリスがね、自分のボタンは自分でやらなきゃだめっていうの」

「そ、そう……」


 それを聞いたわたし達大人四人が、どうしたものかと目をさまよわせていると、その様子を見たイーゼル殿下(六歳)が、不思議そうに首をかしげた。


「お義母様。お洋服のボタンなら、僕もかけられますよ」

「!! そうなのね、イーゼル。よかった……」

「はい。侍女のミリアにお願いしたら、いつでも大丈夫です」

「!?」


 ドヤッと胸をはるイーゼル殿下に、スザンヌ様は笑顔のまま、石造のように固まった。

 ウィリアム殿下は、もはや白と言ってもいい顔色で震えている。


 その様子に気が付かないのか、リーディアの再従弟エルヴィラちゃん(六歳)は、シュバッと勢いよく挙手した。


「マリアさん! エリーも、お洋服のボタン、自分でかけられるのよ」

「エルヴィラちゃんも?」

「うん。エリーはお人形に可愛いお洋服を着せないといけないから、たくさん練習したの」

「そ、そう……」

「大人のみんながね、やりますよって言うから、要らないって断るのが大変だったのよ」

「!」


 なるほど、ルビエール辺境伯一家の初ひ孫であるエルヴィラちゃんも、相当過保護に扱われていたらしい。

 それをはねのける自立心に、わたしが感心していると、なぜかディエゴ君が嬉しそうにニコニコ笑っていた。


「エルヴィラはなんでも自分でできる素敵な令嬢(レディ)だね」

「!? ……も、もっとほめてもいいのよ!」

「うん? 本当にすごいと思うよ」

「そ、そう。なら、いいのよ」


 顔を真っ赤にしてうつむいているエルヴィラちゃんに、ディエゴ君はよくわからないという様子で首をかしげている。


 なんだろう。

 この二人の様子を見ていると、自然と頬が緩んでしまうのだけれども、おわかりいただけるだろうか。

 わたしが思わずスザンヌ様に目をやると、スザンヌ様も同様に感じていたようで、何とも言えない生暖かい笑顔を二人に向けている。

 そして、わたしと目が合ったとたん、意を得たりとばかりにうなずいてくれたので、わたしも気持ちよく頷いておいた。

 うん。守りたい、この不可侵の関係性。


 そんなわたし達の横で、問題のイーゼル殿下は目をぱちぱちと瞬いている。


「お義父様。ボタンは自分でかけないといけないのですか?」

「あ、ああ、うん。そうだな、自分でもできたほうがいいな」

「なぜですか?」

「えっ」


 純粋無垢な瞳でそう問われたウィリアム殿下は、意外な質問に目を見開いている。


「僕の周りにはいつもたくさんの侍女がいるので、自分でボタンをかけようとしたことがないんです」

「そ、そうか」

「お人形遊びもしないですし」

「だ、だけどな。イーゼル、使用人が居ないときに服を脱ぎたくなる時だってあるだろう?」

「使用人が居ないところに勝手に行くと、怒られてしまいます」

「そうだったな!! ……だから、隠し通路探検も、私が付き添っていたんだった……」


 頭を抱えるウィリアム殿下に、イーゼル殿下は不思議そうにしている。

 スザンヌ様は、その様子を呆然としながら見ている。


 わたしが思わずリカルドを見ると、「そういえば私が六歳の頃には、森林サバイバル研修の一環で湖の着衣水泳をしていたから、服も当然に」と呟いたので、サッと目をそらしておいた。

 参考にならないにもほどがある過酷さである。


「そうだイーゼル。ボタンはやはり、自分でかけられたほうがいいぞ」

「そうなんですか?」

「そうだ。男にはな、自分で服を脱がなければならないときがあるんだ。あとそうだな、十二歳になったら女の子の服の脱がし方を習うから、その前にだな」

「えっ」

「――ウィリアム様」


 息をのんだのは、ウィリアム殿下だけではない。

 その場の一同が、スザンヌ様の背後に、鬼を見た。

 先日見た黒い神獣なんかよりも、はるかにおそろしい気配を感じる。


 そこで慌てた様子で言葉を発したのは、意外なことに、六歳児三人衆だった。


「お義父様。男の子が女の子の服を脱がせたら、いけないと思います!」

「ウィリアムさま。リーも、それはだめだと思うの」

「エリーもそう思うのよ」


 六歳児三人の訴えに、ウィリアム殿下は死にそうな顔をして、「そうだな」と呟いている。


 その間、ディエゴ君とリカルドは、目をそらして気配を消していた。

 彼らは聡い男なのである。


 その様子を見たわたしは、とりあえずその場をまとめることにした。


「子育てで気を付けることは……夫婦でよく教育方針を話し合うことだと思います……」


 わたしの言葉に、リカルドもスザンヌ様もウィリアム殿下も、神妙な顔で頷いてくれた。



   ~✿~✿~✿~


 その日、リキュール伯爵家王都別邸に帰宅後に、わたしはリカルドに、リーディアと隠し通路の話を問いただした。


 どうやら、リーディアはリカルドがマティーニ男爵領に視察に来ていた際に、乳母アリスから隠し通路について教え込まれていたらしい。


「リーディアは、屋敷で隠れて過ごしていた君を追いかけるために、隠し通路を使って、子ども部屋を頻繁に抜け出していただろう?」

「!? そ、そういうことだったの!?」


 一応、リカルドは視察前に、執事や乳母アリスから、リーディアに教育を施すことについて報告を受けていたらしい。

 しかし、体調が思わしくなかった彼は、その報告をすっかり頭の隅に追いやってしまっていたのだとか。


「だから、君をこっそり追いかけるリーディアの話を聞いて、頭を抱えたんだ。それに、自分のことを振り返ると、確かに六歳といえば、そのくらいの行動力はある年齢だったなと」

「……」

「しかし、そうだな。六歳で、というのは厳しすぎると思うが、七歳か八歳頃には、リーディアにも森林サバイバル体験をさせてみてもいいかもしれ」

「だめです」


 わたしの即答に、リカルドは驚いたように大きく目を見開いている。


 リカルドの言う、森林サバイバル。

 多分、楽しくキャンプをしながら、食べられる木の実の知識をつけようとか、そんなレベルではないはずだ。

 着衣水泳もカリキュラムに入っているし。

 うちの可愛い娘に、そんな危険なことをさせられますか!!


 とりあえずわたしは、幼い娘の今後を背負いながら、不思議そうな顔をしているリカルドに私の隣に座るよう促し、夫婦でよく子どもの教育方針について話し合うことにしたのである……。




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