56 本当に願ったのは
「スザンヌ様!!」
血を吐いて崩れ落ちたスザンヌ様に、わたし達は悲鳴を上げながら駆け寄った。
ウィリアム殿下がスザンヌ様を抱き起こすけれども、彼女はぐったりとしたまま、反応してくれない。
「お義母さま!!」
「スザンヌ! 頼む、目を開けてくれ、スザンヌ!」
イーゼル殿下とウィリアム殿下とスザンヌ様に取りすがるようにして叫んでいる。
口から血を流し、ウィリアム殿下の腕の中に居る彼女は、まるで寝ているようだった。
けれども、息をしていないのだ。
顔色は白く、その鼓動は止まってしまっている。
「あ……ウ、ウィリアム殿下、解毒薬は……」
「ない。あったとしても……彼女が自決用の毒を持っていたことすら、私は……」
泣き崩れるウィリアム殿下に、わたしは言葉もなかった。
ウィリアム殿下が知らないということは、スザンヌ様はおそらく、スルシャール王国で仕込んでいた毒を含んだのだ。
であれば、その解毒薬があったとしても、その管理をしていたのはスザンヌ様本人なのだろう。スルシャール王国の王族に聞けばわかるかもしれないけれども、この状況下では、きっと間に合わない。
視界が涙で揺れる中、スルトを見ると、彼は動かなくなった黒の竜珠に動揺し、喚き続けていた。
「何故だ! 私の竜珠だ! 何故、動かなくなる! 私の!!!」
それで気がついた。
あれはきっと、スザンヌ様の竜珠だったのだ。
それを、彼女は、所有者である彼女の命をもって、身を挺して止めたのだ。
わたし達を助けるために。
「嫌です、スザンヌ様。こんな、お別れ……」
「ママ……」
「どうしよう。リーディア、スザンヌ様が……どうしよう……」
涙の止まらないわたしに、リーディアも涙を浮かべながら、小さな腕でしっかりとわたしを抱きしめてくれる。
スルトの後ろでは、黒い靄が異様な気配を漂わせながらだんだんと膨れ上がってきている。
(わたし、何もしてあげられない)
スザンヌ様を救うことも、この事態を止めることも、何もできなかった。
わたしは無力で、多少のことができたとしても、結局みんなの力になれなかったのだ。
危ないところに、子ども達を連れてくるだけで終わってしまった。
きっと、シルクちゃんが助けてくれる。
すべてを蹴散らして、なかったことにしてくれるだろう。
だけど、きっと失ってしまう。
スザンヌ様を。
そしてきっと、シルクちゃんの想いを。
『私は、『家族』が……よくわからなくて』
『黒髪は、不吉。その噂のせいで、この国では黒髪の者は、仕事をするにも、住む場所を決めるにも、困難が立ちはだかることが多かった』
『あたしはこんなの、見たくない』
『こんな私でも、頑張れることが、あるなら』
『リリアナの娘は、あたしに言ったよ。みんなが本当の意味で仲良しでいてくれる世界に、戻してみせるって』
『《本当に、あなたはすごいな。何も持たないのに、私達が望むすべてを持っている》』
『ぜんぶ、滅ぼしてしまえばいい』
『マリアさん、大好きです』
『どうしてみんな、黒いのを嫌うの。あたしの、大切な……』
『やっつけて居なくなったら、反省できないだろう?』
「助けて、リカルド……」
「――マリア! リーディア!!」
不意に聞こえたその声が、わたしには信じられなかった。
だって、あまりにもタイミングがよすぎる。
「パパァー!!!」
扉から、白馬に乗ったリカルドが現れて、リーディアは歓喜の声を上げた。
わたしがあわてて目をぬぐい、彼が来た方向を見ると、何故か彼は、黒い火を吐くコウモリの群れに追われている。
コウモリが彼の後ろから黒い火を吐いて、わたしが「リカルド!」を叫んだところで、黒い炎ごと蝙蝠を電撃で消し飛ばした者がいた。
いや、者というより、あれは機械だ。
リカルドの周りを衛星のように飛びながら、四基の機体が随時電撃を放ち、蝙蝠を順次撃退していっている。
(ミゲル兄さんの家で見た、ラジコンだわ!?)
『リーディア、無事か!?』
「!? その声、キースお兄ちゃんなの!」
『俺達も居るぞ!』
『俺のことも忘れるなよ』
「ヴォルフお兄ちゃん、イヴァンお兄ちゃん!」
三基のラジコンから声が聞こえて、その聞き覚えのある声に、リーディアはきゃあきゃあ喜んでいる。
~✿~✿~✿~
これは後から聞いたことなのだが、なにやら、ミゲル兄さんがリカルドの王宮突入に当たり、『とっておきの精鋭達』としてラジコン部隊による遠隔援護を提案したらしい。
要するに、屋台でやっていた荷車ゲームの実践部隊である。
もちろん、先陣を切ったのは、黒鳥ヴィッキーの三人組だ。
黒髪の少年達による支援ということで、髪の色もさることながら、三人とも十歳という幼さゆえに、支援をしてくれるタウンゼント侯爵は相当渋い顔をしていたようだ。
しかし、非番中だった軍の大佐達が、彼らの実力を保証してくれたのだという。
そして、玉座の間にたどり着く前に、八基中、四基はコウモリに撃ち落されてしまった。
残ったのは黒鳥ヴィッキーの動かす三基、それに加えて、しゃかりき戦士の動かす一基である。
~✿~✿~✿~
『俺達はコウモリの撃退を続けます』
『リカルド兄さん、任せた!』
「ありがとう! マリア、リーディア、大丈夫か!」
馬からリカルドが下りると、その馬はそのまま眠り込んでしまった。
ギョッと目を剥くわたし達の前で、リカルドがわたしにそれなりの大きさのある電気拡声器を渡してくる。
「えっ、これ、何を……」
「マリア! まだ竜珠は止まっていないんだ!」
「え!?」
「夢魔が操るのを止めただけだ! 黒い壁は消えていないし、まだ魔法も使えない。マリア、竜珠停止の呪文を!」
「ママ! じゅもーん!」
二人にせかされて、わたしは「黒い壁? 魔法?」と半分パニックになりながらも、拡声器を手に、大きく息を吸い込む。
向かうは、一人で騒いでいるスルトの持つ、黒い竜珠だ。
ここまでして、聞こえない、届かないなんて、絶対にだめ!!
「《お野菜きらい!! ピーマン、たまねぎ、にんじん、セロリーッ!!!》」
パリーンと何かが割れる大きな音がして、スルトの持つ黒い竜珠が、ただの灰色の石に変化した。
さらにわめきだすスルトを横目に、リカルド達を襲っていたコウモリが全て蒸発するようにして消え、膨れ上がりつつあった黒い靄も、それ以上大きさを増すことなくうごめいている。
『リカルド兄さん、やったぞ!』
『黒い壁が消えた!』
『魔法が使えるようになったって!』
「ありがとう! 君達にスルトを任せていいか」
『まかせとけ!』
『しゃかりき戦士主導で適当にいなしとくよ』
「戦士さま?」
『あいつ、軍の大佐だったんだ』
『――こら、勝手に身バレするんじゃない。行くぞ!』
四基目の、しゃかりき戦士が操作しているラジコンがやってきた後、ラジコン隊はスルトの周りへと移動していった。
わたしは拡声器を床に置き、リカルドに縋りつく。
「マリア」
「リカルド、スザンヌ様が服毒したの! お願い、助けて! お願い……!」
サッと青ざめたリカルドが、ウィリアム王太子殿下の元へと駆け寄る。
ウィリアム殿下も、やってきたのがリカルドだとわかって、ハッとしたように、泣きぬれた顔を上げた。
「リキュール伯爵!」
「見せてください! これは……」
「自決用の毒を飲んだんだ。助けてくれ。頼む。リキュール伯爵!」
「伯爵さま、お願いです! お義母さまを……!」
スザンヌ様の肩に触れるリカルドの手から、白い光が放たれる。
しかし、スザンヌ様は目を覚まさない。
目を開けてくれないのだ。
動かない彼女に、ウィリアム殿下は「リキュール伯爵!」と叫んだけれども、リカルドは首を横に振り、白い光を収める。
「致死毒の服毒は治癒魔法では治せません。自力で回復できない命を戻すことは、治癒魔法ではできないのです」
「そんな……何かほかに手立てはないのか! なんでもする! リキュール伯爵、スザンヌを」
「――回復聖魔法なら」
青い顔でそう呟いたリカルドに、わたしはギョッと目を剥く。
それは、聖女の起こしてきた奇跡だ。
他者の生命力を糧に、あらゆる命を救いあげる奇跡の魔法。
「それはだめ!」
「マリア」
「だめよ。回復聖魔法を使ったら、あなたの命が――」
「私の命を使ってくれ!」
叫んだウィリアム王太子殿下に、わたしは息を呑んだ。
リカルドはもはや白に近い顔色で、ウィリアム殿下の視線を受け止める。
「回復聖魔法を実際に使うのは、私も初めてです。服毒したスザンヌ妃殿下を救うためにどれほどの生命力を削ることになるのか、私にもわかりかねます。それでも、本当に構いませんか」
「彼女が助かるなら、私の命は要らない!」
そう言い切ったウィリアム王太子殿下は、目の前で固まっているイーゼル殿下を見て、ふわりと微笑んだ。
「イーゼル、あとは任せた」
「お、お義父様。僕は……」
「お前なら大丈夫だ。強くまっすぐに育ってくれた。私達を守るために、命を賭してくれたスザンヌにそっくりだ」
「……お義父様!」
「私が戻らなかったら、お前がスザンヌを支えるんだ。男と男の約束だ。いいな?」
「はい……はい、お義父様……」
泣きながら抱き着いてくるイーゼル殿下を、ウィリアム殿下はしっかりと抱きしめた。
そして、リカルドに向かって頭を下げる。
「どうか、スザンヌを助けてくれ」
リカルドが使った回復聖魔法は、それは美しいものだった。
虹色の光がスザンヌ様を包み込み、その手を握るウィリアム王太子殿下と光を共有していく。
その光が収まったとき、スザンヌ様の顔はほんのりと赤らみ、心臓がトクトクと動き始めた。
それを確かめた後、ウィリアム殿下はその場で崩れ落ちてしまう。
「お義父さま!」
「大丈夫です。息はある。寿命は縮まりましたが――ウィリアム殿下も、命はとりとめたようです」
リカルドの言葉に、イーゼル殿下はウィリアム殿下にすがりつきながら、わあわあ泣き出していた。
それを見ていたわたしもリーディアも、涙でぐしゃぐしゃである。
大きく息を吐いたリカルドは、わたしとリーディアを改めて抱きしめた。
わたし達は、リカルドの服が汚れてしまうのにも構わず、彼に抱き着いてわんわん泣いた。
彼の指先は冷たくて、「本当に心配した」と言う声は、少し震えている。
『リカルド兄さん!』
すると、ラジコンの一基がわたし達に近づいてきて、慌てた様子で声をかけてきた。
「キースか? どうした!?」
『こっちに来てくれ! なんかやばいんだ!』
「スルトがどうかしたのか?」
『あんなやつ、もうただのオジサンだよ。それより、夢魔が変なんだ!』
「夢魔が?」







