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55 スザンヌの覚悟


「壁画がない! 玉座の真後ろにあるはずなのに……何故だ!」


 近くの椅子を蹴飛ばし、床を音を立てて踏みつけているのは、父のスルトだ。

 連れてこられたスザンヌは、その様子を少し離れたところから見ている。


 スザンヌは、玉座に案内するように言われ、スルトと黒い生き物を、玉座に案内した。

 普段執務で使っている玉座だ。

 地下遺跡に案内しなかったのは、それをしてはならないと、スザンヌが判断したからだ。


 スザンヌには、この感情的な男に、これ以上の力を与えるつもりはないのだ。

 むしろ、夫達に害のあるこの危険な男を、早急に無力化しなければならない。


(なんとか、近づくことができれば……)


 スザンヌは王太子妃だ。

 こういう事態のために、王族のたしなみとして、腕のグローブの中や下着の中に、小さな刃物を仕込んでいる。

 しかし、それらはあまりに小さいので、相当近くに居なければ、スルトを止める決定打にはなってくれない。


 ここに来るまでの間に、意識のある兵士達に出会うことができればと一縷の望みをかけたけれども、それは叶わなかった。

 助けはきっと来ない。

 スザンヌがなんとかするしかないのだ。


「……お父様は、何故私を、エタノール王国に嫁がせたのですか」


 時間かせぎに発した言葉は、どうやら父の癇に触ったらしい。

 敵意を抱いた顔を向けられ、スザンヌは身を強張らせる。


「今日、この日のためだ。エタノール王国の玉座の場所に案内させるために、危険を犯してお前を手放した。だというのに、なんだこれは! ここは、竜珠の求める玉座ではないではないか!」

「お、お父様」

「この、役立たずが!」


 近づいてきた父に頬をはたかれ、スザンヌは床に倒れ伏す。

 すると、彼の背後に居る黒い靄から、ぎょろりと複数の目が開き、スルトはぎくりと体を震わせる。


「い、今のはこいつが言うことを聞かないせいだ。お前の言うとおり、私はこいつを散々厚遇していただろう!」

「……?」

「……やはり、お前を嫁がせたのが間違いだったのだ。国際会議で、こうしてエタノール王国に来ることは決まっていたのだから。わざわざこの国にお前をやる必要はなかった」

「どういうことです。元々、お父様はこれを計画していたというのですか」

「お前には関係ない。それよりも、私が力を手にしたら、お前はスルシャール王国に戻す」

「何を言うのです!」

「この二年間、お前が居ないせいで、スルシャール王国は散々だ。作物は少なく、ふいに現れる精霊達が気候を荒らしてしまう。お前が居なくなる前は、そのようなことはなかったのに……きっと、竜珠から遠く離したのが、よくなかったのだ。私の、竜珠から……!」

「……!?」


 父王が何を言っているのか、スザンヌにはわからない。


 けれども、ふと、シルクの前で踊ったあの日のことが思い浮かんだ。


『あんたは祭司だろう、スザンヌ』

『祭、司……?』

『地の力を整え、世界を寿ぐ舞いを知っている。お前の心はいつでも飛び立つ先を探していて、美しい黒髪は何者にも惑わされない強さを宿している』


(私の舞いが、地の力を整えていた? 何かが原因で荒れていたものを、整えていた……)


 スルシャール王国に、黒髪を持つ者は少ない。

 旅の踊り子でさえも、その姿を見せることはまれだ。

 スルトがスザンヌの母に手を付けてからというもの、黒髪の踊り子達は、スルシャール王国に近づくことを嫌がっているのだと聞いたことがある。


 あの国で、伝えられた踊りを舞っていたのは、きっと、スザンヌくらいのものだったのだ。


「お前がいなくなったせいで、わがスルシャール王国は」


 くらりとめまいがするようなその考えに、スルトの罵倒が混ざってくる。


「下賤な、黒髪が!」








『下賤な、黒髪が!』


 そうだ。

 あの日も、こうして父に罵倒されていた。


 まだ五歳。体が小さく、何故ののしられ、殴られるのかわからなかった、あの日のこと。


『《おいで》』


 知らない言葉を話す黒髪の男の人が、スザンヌを案内したのだ。

 スルシャール王国の王宮地下深く、宝物庫の一角に封じられていたもの。


 黒い、宝玉だ。


 それを男の人が、スザンヌに渡した。


『《君のものだ》』


 何を言っているのかはわからない。

 けれども、与えられたそれが、自分の物になったことを、スザンヌは知った。

 同時に、黒い宝玉を封じていた宝箱から、緑色の綿毛が飛び出してきて、スザンヌにまとわりついてくる。


 そして、それを父に見つかってしまったのだ。


 父スルトは、スザンヌから黒い宝玉を取り上げた。

 使い方を教えろと、スザンヌを殴って、殴って、殴って。

 後から来たスタンリー兄さまがかばってくれたけれども、それでも父は止まらなかった。


 最初は、きっとスザンヌを助けるためだったのだ。


 ぼろぼろになったスザンヌの横で、泣きながら、緑色の綿毛が黒い宝玉を動かし始めた。


 綿毛は竜珠に、夢を見せたのだ。


 持ち主が――スザンヌがそうしろと命じているという、虚実の夢。

 父スルトが満足するように。

 スザンヌを、もう傷つけないように――。





 スザンヌは、父の後ろに見える黒い影に、涙を一筋落とした。


 これは、スザンヌの罪だ。

 弱くて、守られることしかできなかった彼女のせいで生まれたもの。

 痛みと恐怖と幼さによってすべてを忘れたスザンヌの代わりに、何もかもを背負ってきた。

 悪意を吸い、禍々しく育ち、全てを呪うために動き出した、真っ黒な悪夢だ。


 そして、本来使うことのできなかった力を使ったことで、竜珠に、悪意に呪われた、哀れな父王がそこにいた。

 夢魔越しに竜珠の力を使い、自分の兄達を陥れ、三男であるにもかかわらず、王座についた。

 身の丈に余るものを手にした男のなれ果て。


「……もう、十分ではありませんか」


 スザンヌの言葉に、スルトはギョロリと血走った目を向けてくる。


「あなたは、母を苦しめた。私を痛めつけ、力を手にし、自身の兄を弑して……もう十分でしょう」

「まだだ。まだ、足りぬ。私の威光を、この世すべてに知らしめる必要がある」

「それがこれですか。世に広まるのは、あなたの暴挙です」

「スザンヌ!」

「威光なら、既にあったではありませんか。あなたはスルシャール国王です。国で最も高貴な立場、それの何が不満なのです」

「お前如きが着ける立場だ!」


 目を見開くスザンヌに、スルトは叫び続ける。


「国の長など、黒髪の、お前如きが! お前の養子もそうだ。下賎な、黒髪ごときが!!」


 苛烈な叫びに、スザンヌは怯まなかった。


 その内実が、矮小なものであることを知っているからだ。

 スザンヌの持つ深い夜空の色の瞳に映るのは、嫉妬に塗れた空っぽな男。

 その言葉に、もう動かされたりはしない。


「あなたは自分のことばかりだわ。この国の人達はみんな、誰かのために頑張ることができるというのに」


 スザンヌも、この国に来るまではそうだった。


 愛を、知らなかったのだ。


 愛されたいと願っていた。

 誰かからもらうことばかりを考えていた。

 つらくないようにと、自分のことばかりを考えてきた。


 守りたいものを知らなかった。


 与えたいと思う気持ちを、知らなかった。


 それはこんなにも、力を与えてくれるものだというのに。


『他の人に竜珠を継承する前に()()()が死ぬと、竜珠が動揺して一時的に止まるんだ』


「その竜珠は、私のものです。この場でお返しいただきます」


 そう告げたスザンヌは、奥歯に仕込んだ毒を含むべく、舌で奥歯を押し込もうとする。

 かつて、夜会の庭で襲われた際に使いかけたものだ。

 スルシャール王国の王族として、矜持を守るために必要なものだと、父スルトに内密で兄スタンリーが仕込んだもの。


 まさに今が、それを使うときで、しかしその瞬間、スザンヌの脳裏にイーゼルの顔が浮かんだ。


 ウィリアムの顔が浮かんだ。


 マリアの、顔が――。


(……私は……)


 涙が自然と溢れてくる。


 ああ、こんなにも自分は死にたくないのだ。

 

 生きたいと思っているのだ。


 それは、幸せを、愛情を、沢山もらっているからだ。

 追い求めていたものは、もうスザンヌの手の中にあったのだ。


「――スザンヌ!」


 声がかかり、スザンヌは扉のほうを見る。


 時間が、ゆっくりと動いているような気がした。


 扉の近くには、スザンヌの大切な人達がいた。

 スルトの嗤う口元。

 その背後の夢魔が、動く気配がする。


 頭で考えるよりも先に、体が動いた。


 動いて、くれた。


 その凶行を止めるための最善を、尽くすことができた。


(よかった……)


 これで、スザンヌの罪が、大切なものを傷つけることはない。




 黒髪の王太子妃は、こふ、と血を吐いた後、その場で崩れ落ちた。




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