51 魔法が使える人
王宮が黒い壁に包まれているのを見て、リカルドは慌てて王宮に向かっていた。
リカルドは今日は妻と娘と二手に分かれて行動していたのだ。
リキュール伯爵領産のワインの流通について、どうしても王都を拠点とする大商人ユグノーと協議したいことがあったからだ。
妻と娘に、少し休みを取ってほしかったというのもある。
特に、娘リーディアは連日の外出イベントで疲れているようだったので、今日は寝坊しても大丈夫と二人に伝えて、リカルドだけ街に出てきたのだ。
しかし、そんなリカルドの想いは裏目に出てしまった。
昼前のこと、大商人ユグノーと話をしている最中であったリカルドは、轟音と共に王宮が黒い壁に包まれるのを見た。
仕事の話は終わり、ちょうど家族の話をしていたところであったため、大商人ユグノーは王宮を見て青ざめた。
「リキュール伯爵。もしかして、奥様方が王宮に――」
わき目もふらず走り出すリカルドを、大商人ユグノーは止めなかった。
リカルドはやってくるときに使った馬車に乗り込み、御者に急いで王宮に向かうよう促す。
しかし、道が混雑して馬車では進めないのだ。
リカルドは馬車を降りて、走って王宮に向かうことにする。
(マリア! リーディア!)
二人は無事だろうか。
王宮に行くのは午後を予定していたはずだ。
まだ午前中なのだから、二人は伯爵家王都別邸に居るはず。
悲鳴や泣き声が聞こえる中、リカルドは人混みの進む方向に逆らいながら、ひたすら王宮を目指す。
「避難しろ! みんな、王宮から離れろ」
「馬車が動かないんだ」
「灯りもつかないぞ!」
「年寄りに手を貸せ! 補助杖が使えないらしい!」
(どういうことだ? 馬車に灯りに……魔道具が、使えない?)
違和感を感じて、リカルドは息を切らしながら街道の脇に寄り、右ポケットに忍ばせた携帯用の灯りをつけてみる。
スイッチを押した魔石灯は、問題なく点灯した。
念のため、走って疲れた自分の体に治癒魔法を使ってみたところ、いつものとおり、奇跡の力はリカルドの疲労を取り去ってくれる……。
(周りの魔道具が動かないのは偶然か? いやしかし……)
再度走り出そうとしたリカルドは、ふと胸元に振動を感じ、驚いてその場で立ち止まる。
振動の元を手に取ると、それは虹色バンドの腕時計型電気通信機だった。他から通信が入ったらしく、チカチカと色々な箇所が点滅している。
たしか、真横のボタンの一つを押すと、通話を開始できたはず。
『パパ、パパ。リーです、聞こえますか〜?』
愛娘の元気そうな声に、リカルドは崩れ落ちそうなほど安堵した。
「――リーディアか!? 大丈夫か! マリアはそばにいるか!?」
『ママも一緒にいるよ。イーゼルも一緒なの』
「もしかして、まだ王宮の中にいるのか!?」
『リカルド? マリアです。今、王宮の子ども部屋にいるんだけど、わたし達三人以外、周りの人がみんな眠り込んでしまって……』
「眠り込んでる……!? いや、それよりも、すぐに王宮から逃げるんだ! いや、隠れていたほうが――マリア? マリア!」
気がつくと、向こうからの通信が途絶えていた。
娘から教わったとおりに操作し、娘の通信機に向けて発信したけれども、応答がない。
焦るリカルドの目の前で、王宮の真上に映像が浮かび上がった。そこに映っているのは、スルト=スルシャールだ。
次いで、ミゲル=マティーニによる放送が流れた。
マリアの兄が、動いている!
リカルドは時計型電気通信機を使って、娘の持つものとは別の端末に向けて発信する。
『やあやあ、リカルド君。大丈夫かい?』
「ミゲルさん!」
『よかった、元気そうだね。リカルド君が通信できているということは、マリアとリーディアさんも――』
「二人は王宮です! マリアとリーディアは、王宮の中に居るんです!」
ミゲルは通信機の向こう側で、絶句しているようだ。
リカルドは構わず、マリアとリーディアが王宮内にいること、イーゼル殿下を含め、三人を残して、王宮内の者達は眠り込んでいることを伝える。
『……わかったよ。とにかく、リカルド君も暗号0831の場所まで来てくれるかな。そこで話をしよう』
「わかりました。ただその前に、シルク様を呼びます」
『シルクちゃんを? どうやって――いや、任せようかな。うん、そうしよう。暗号0831でお待ちしております』
「はい!」
通信を切ると、リカルドは混乱する王都を走り抜け、王宮前広場にたどりつく。
そして、王宮前の神木に近寄り、その幹に手を触れた。
「シルク様! 聞いていますか。マリア達が危ないんです! 助けてください、シルク様!」
リカルドは、なりふり構わず神木に向かって叫ぶ。
すると、ふわりと緋色の炎が舞い、ふわふわ赤毛のそばかす少女が降り立つようにして現れた。
「あたしを近道から呼びつけるなんて、いい度胸じゃないか」
「頼みます、ご助力を! マリア達が、王宮の中に居るんです。何か知りませんか!」
シルクは王宮を囲む黒い壁を見て、目を細めると、ふん、と不機嫌そうに呟いた。
「あたしが昔に作った竜珠を使っている奴がいるね」
「気に食わない」というつぶやきの直後、シルクが巨大な紅い炎の渦を作りだしたので、目を剥いたリカルドは慌てて「だめです!」と止める。
「なんで邪魔する」
「いや、何をするつもりですか!」
「何って、あの黒い壁を吹き飛ばせばいいんだろ?」
「マリア達はどうなります!」
「マリア達は無事だよ。リーディアとイーゼルの竜珠が守るからね」
「……王宮に居る他の者達は?」
「痛みも感じないままに消えるかな」
ふん、と冷たく顔を背けるシルクに、リカルドは頭を抱える。
すると、腕につけた虹色バンドの腕時計が揺れたので、ボタンを押して通話を開始した。
「ミゲルさん」
『リカルド君! さっきの炎を見てね。いやぁ、びっくりしたよ。シルクちゃんと会えたのかな?』
リカルドはハッとして、王宮広場近くの王国ホテル上階を見上げる。
暗号0831の場所だ。
王国ホテル十二階には大会議室があり、その窓からミゲルが手を振って居るのが見える。
服をちょいちょいと引っ張られて、リカルドが足元を見ると、シルクがリカルドの服を掴みながら、王国ホテルと腕時計型通信機を不思議そうに眺めていた。
「ミゲルの声がする!」
『おーシルクちゃん。こんにちは、ごきげんよう』
「こんにちは。あんまりごきげんはよくないかな」
『それは残念。ところでシルクちゃん。みんな大好き強くて可愛いシルクちゃんなら、この事態、何か原因がわかったりしませんかね?』
ミゲルの言葉に、シルクはハッと目を見開いた。
その後、嬉しそうに胸をはり、「ミゲルになら教えてやる!」と、意気揚々と、黒い壁を指差した。
「あたしが昔、黒髪の祭祀クロムにあげた竜珠を使っているやつがいるのさ。夢魔を利用してね。……本当、いい度胸しているよ」







