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49 魔法が使えない世界


神官ファリス目線です。





 二級神官ファリスは、その日、休暇をとっていた。


 国際会議の間は、神官達も警備に駆り出される。

 夜会を開く日は夜番もあり、通常業務に加えてのことなので、神官達の疲労は濃かった。


 なにしろ、今年はエタノール王国が国際会議の開催国なのだ。

 観光客は普段の五倍は増え、神殿参りの人数も大変なものとなっている。


(人数制限を入れて、半数は予約制にしたのがよかったな。神殿長の……いや、ネイサン神官長の功績だ)


 今年の国際会議にあたって、ファリスの直属の上司であるネイサン神官長が、神殿長に提案して、予約制が実現したのだ。

 神官長は、前開催国や前々開催国の神官長達と連絡をとり、問題点をあぶり出し、新たな提案をした。その提案を、神殿長は真摯に受け止め、実現したのだ。


(俺はいい上司に恵まれたもんだ)


 そう思いながら、ファリスは大きく伸びをする。


 ファリスは昨日の夜番を担っていたのだ。

 今日の休みは、代休のようなものである。


 神殿の職員が夜番に当たると、会食をする各国の重鎮達のいる王宮で、軍主導の警備体制に組み込まれる。

 何があるわけではないが、とにかく拘束時間が長い。

 通常業務を早めに切り上げた後、十六時から拘束され、交代で夜食をとりながら、解放されるのは二十三時だ。

 とはいえ、軍の連中は、二十三時から朝までの深夜警備も行なっているのだから、文句を言うわけにもいかない。


(深夜警備のやつら、結構な人数居たな。ご苦労なことだ)


 ちなみに、深夜警備組も含め、軍の兵士達の中に、疲れた様子を見せた者はいなかった。

 そのことに、ファリスは思わずくつくつと笑う。


 今回の国際会議がうまくいっているのは、ひとえにエタノール王国の防衛力の高さ故である。


 多くの国の主要人物を招き、大量の観光客がやってくるこの大イベントをこなすためには、とにかく開催国は安全でなければならないのだ。

 王都の民もそれは重々承知していて、この一週間というもの、彼らの自国の兵士を見る目が違う。

 そして、兵士達も兵士達で、自分達の力が会議開催を支えていることを知っている。

 その誇らしさが、疲労を吹き飛ばしてしまっているのだろう。


(ありゃ、来週が大変だぞ)


 こういうときの疲れは、終わった後に一気にやってくるものだ。

 しかし、国際会議が終われども、軍の仕事は通常体制に戻るだけで、なくなるわけではない。

 ファリスには兵士の友人も居るが、おそらく来週は疲労で死にそうな顔をしていることだろう。


 寝起きのファリスは狭い自室をぼんやりと眺めたあと、遅めのブランチを用意することにした。

 卵とチーズ、パンにトマトを取り出し、卵に火を入れた後、皿に盛って食卓につく。

 水差しからグラスに水を注ぎ、創造神に祈りを捧げたら、楽しい食事の始まりだ。

 パンを齧り、卵を食べながら、ファリスはこのシンプルな料理の出来の良さに満足する。

 ふと、使い古した机が目に入り、改めて部屋の狭さを見たファリスは、もう少しマシな家にしてもいいのではと思案する。


(俺も二級神官になったし、そろそろ大きめの居を構えてもいいかもな……)


 二級神官は、一代子爵の地位を与えられる。

 給金もそれなりに高くなるのだ。

 貴族学園同期内の出世頭ミゲル=マティーニの家ほどでなくも、もう少し広めの家にして、使用人を一人くらい雇ってもいいかもしれない。


(今日は休みだし……昼からいっちまうか?)

 

 パンを齧りながら、食卓に無造作に置いてあるワイングラスを見たファリスは、しばらく悩んだ後、そのワイングラスに手を伸ばす。

 確か先日、いい白ワインを買ったばかりだ。せっかくの休みだし、昨日は仕事を頑張ったし、昼間から飲むのもいいかもしれない。

 そう思いながら、部屋の隅にある木箱を覗くと、封を開けていないワインが今か今かとファリスのことを待っていてくれた。嬉々としてワインボトルを手にしたファリスは、そのラベルに書かれた『リキュール伯爵領産』の文字に、頬を緩める。


 ファリスが、少し高めのこのワインを買おうと思い立ったのは、間違いなく、先日案内した可愛い来客の影響である。

 幼いリキュール伯爵令嬢は、素直で好奇心旺盛で、ファリスの言葉に誘われて、すぐさま冒険を開始していた。


「俺も、味覚の冒険に出かけるとしますか」


 いそいそと白ワインを開け、ワイングラスに注ぎこむ。ワインがグラスに流れ込む音が耳に心地よく、グラスに口を近づけると、フルーティで爽やかな酒精の香りが鼻腔をくすぐる。


 そうして、いざワインに口をつけようとしたところで、事件は起こった。


 王宮のほうから、轟音が鳴り響いたのだ。


 何事かと窓の外を見ると、王宮が黒い壁で包まれている。


 ファリスは、考える間もなく、先ほど作った料理を胃に詰め込み、水を飲み干して、神官服に着替え、自宅を飛び出した。

 緊急事態のときはしばらくものを口にできないことが多いので、食べられるときに食べておくべきだと、昨日、夜番を共にした兵士達から聞いたばかりだ。

 彼らは、今日の午後も仕事に出ると言っていた。

 まだ午前中だが、日も高いし、王宮にいる可能性も高い。


 王宮の黒い壁に呼び寄せられたかのように、空は段々と曇っていき、陽の光が見えなくなっていく。


 外に出てきて、不安そうに王宮を見上げる人々の合間を王宮方面に向けて走りながら、ファリスは判断に迷った。


(神殿に連絡すべきか。はたまた、王宮まで行くべきか……)


 辻馬車を捕まえようにも、道は大混雑で、乗ったとしても一向に先に進めないであろうことは目に見えている。

 走るか、はたまた……。


 逡巡の後、ファリスは最寄りの遠隔魔法通信機のある国の施設までやってきた。

 そこには通信機の使用待ちの人々で長蛇の列ができあがっており、なによりも悲鳴のような声が上がっている。


「通信機が使えない!」


(どういうことだ? 王都の遠隔魔法通信機は、資格を持った王宮魔法使い達が管理している最先端技術を使ったもののはず……)


 定期メンテナンスを怠らず、故障など聞いたことのないそれは、なんと一番需要の高い今、なんらかの理由で使用できないらしい。


 ファリスは諦めて、王宮に向かって走ることにした。

 通りの人々からは、様々な声が上がっており、聞き捨てならない内容のものもいくつか見受けられる。


「みんな、外に出ろ! 王都はずれまで避難するんだ!」

「義足が動かないのよ!」

「うちの荷車、動かねぇぞ。故障か……!?」

「コンロの火は消しておけ! 火事だけは避けろ!」

「言われなくても、コンロも灯りもつかねぇよ!」


(魔道具が動かない? 一斉に故障するなんて、そんなことがあるのか?)


 ファリスは、じっとりと迫る嫌な予感に、頭を振る。

 ちょうど息が上がってきたところだったため、ファリスは肩で息をしながら、街灯に寄りかかり、自身の右手を見た。


 ファリスは二級神官だ。

 必要に応じて、路上で魔法を使うことを許されている。


(……【光の玉(ライトニングボール)】……)


 頭の中で呪文を念じ、無詠唱の魔法を起動させる。


 それは、彼の右手の中に光を生み出す奇跡だ。

 神官になった時に、最初に練習させられる、初級魔法。


 しかし、それは現実に影響を及ぼさなかった。

 ファリスの右手は、ただの人の手にすぎず、そこに魔法の光は生まれない。


(魔法が、使えない……!?)


 一気に血の気が引くのがわかった。


 魔法は、ファリス達にとって、あまりにも身近な存在だ。

 魔石を使った魔道具がないと、きっとファリスは、卵焼きひとつ作ることはできない。


 ファリスが青ざめたところで、王宮の真上に、ぼんやりと映像が浮かび上がった。


 映ったのは、焦茶色の髪をした壮年の男だ。


 ファリスは、その男が誰なのか知っている。

 昨日の夜番における護衛対象の一人だ。

 他国の貴賓で、確か――。


『私は、スルシャール王国が国王、スルト=スルシャール。これから世界を制する者だ』


 映像の中のスルトは、豪奢な首飾りの中心に輝く黒い宝玉を見せつけるようにする。

 笑うでもないその表情は、侮蔑と、怒りを浮かべているように、ファリスには見えた。


 その後ろに、何が黒い影が見える。

 とてつもなくおぞましく、しかしファリスは、なんだか見覚えがあるような気がして、自身の目を手でこする。


『あと少しで、すべてが私のものになる。大人しく見ているがよい』


 スルトがそう言い終わると、映像は彼の背後を写した。

 そこには、国際会議の参加者達が倒れ伏している姿が映っていて、王都中から悲鳴が上がる。


『余計なことは考えぬことだ』


 その言葉を最後に、映像は消えた。


 当然ながら、王都は大混乱に陥った。

 悲鳴を上げながら王都の外へと向かう者、軍は何をしているんだと叫ぶ者、子ども達は泣き出し、犬は吠え出し、状況は惨憺たるものである。


 ファリスは人の動きに逆らいながら、王宮方面へただひたすらに走る。


(軍は何をやってるんだ! こういうときこそ、皆を落ち着かせて……まずは拡声器で案内を――)


 そこまで考えて、ファリスは青ざめた。


 魔法が、使えないのだ!


 魔石を動力とする拡声器も、当然使えない。


(くそっ。魔法が使えないって、なんだよ!)


 ファリスは走り続け、ようやく王宮前広場にたどりついた。


 王宮を包む黒い壁に最も近い場所だ。

 この場所なら、官僚達が集まり、対策を練っている最中かもしれない。


 一縷の期待を抱きながら、ファリスはその様を見ようと、人混みを抜ける。


 そして、その期待は当然のように裏切られた。

 王宮前広場も、大混乱の最中だ。


 官僚らしき者や神官らしき者は幾人かいるが、まったく統率が取れていない。

 彼らは逃げ惑う王都の民や、泣き叫ぶ者達を落ち着かせようと尽力しているが、なにしろ拡声器が動かないので、声が届かないのだ。


 そもそも、そこらにいるのは下級官僚や下級神官ばかりで、上位職が見当たらない。


(お偉方は、みんな王宮の中か!)


 焦りを隠さないファリスに、後ろから声がかかった。

 声の主は、ファリスの信頼する直属の上司ネイサンだ。

 四十代半ばの優しげた顔立ちの彼は、ファリスと同様に休暇中のはず。しかし、私服ではあったけれども、この騒ぎに駆けつけてくれたらしい。


「ファリス!」

「――ネイサン神官長!」

「会えてよかった。私も来たばかりなんだが、これは……」

「私もです。状況は分かりませんが、魔法が使えません!」

「それだ。私も拡声器を使おうとしたが、動かせなかったんだ。魔法で発声を補助することもできない。声が届かない中、どうしたらいいのか……」


 二人で周りを見渡していると、ファリスの視界に、下級官僚達に食ってかかりながら、「私の娘を優先的に助けろ! 王宮の中にいるんだ! 私は領地付きの伯爵なんだぞ!」と叫ぶ、どこかの地方伯爵が映った。

 領地付きの伯爵――それが本当ならば、彼は永代伯爵だ。


(まずいぞ。多分奴が、この場で一番職位が高い……!)


 この場で対抗できる者はいるだろうか。

 そう思って、すがるように上司を見ると、彼は青い顔で頷いた。

 ネイサンは神官長なので、一代伯爵の地位を持っている。

 ただ、一代伯爵と永代伯爵の間には、大きな溝があるのだ。

 同じ伯爵でも、それは同列にはなく、後者が絶対的な強さを持っている。


 しかし、それに構っている場合ではない。


 ファリスとネイサンが覚悟を決めて、地方伯爵に近づこうとした、そのときだった。


 王都中に、音声が響き渡った。



『アーアー。マイクのテスト中、マイクのテスト中です。皆様、聞こえますか〜?』



 その声が聞こえた瞬間、王都に居る者すべてが驚き、動きを止めた。

 しかし、ファリスは周りの者達とは違った理由で、動くことができなかった。


 ――空に鳴り響くこの声は、ファリスがよく知る、呑気な友人の声ではないか!


(ミゲルの、電気拡声器か!)


『王都の皆様、ごきげんよう。私はミゲル=マティーニと申します。おかげさまで一代伯爵をやっています。やー、大変なことになりましたね。びっくりしていますね。大丈夫、まずは深呼吸をしましょう』


『ミゲル、そんなこと言ってる場合か!?』

『こいつにスピーカーを持たせていいのか……!』


 ミゲルの背後に聞こえるのは、幼い子ども達の声だ。

 その日常を思わせる雰囲気に、王都中からざわめきが聞こえる。


『深呼吸をしたら、ゆっくりと、王都の外に向かって避難しましょう。王宮のことは、私達貴族に任せてください。国民を守る、それが私達貴族の務めです。先ほどその辺で騒いでいた地方伯爵も、身を挺して一番危険な作業を行ってくれるはずです。貴族だからです。いつもよいしょしてる分、すっかり任せて、平民の皆様は避難してください』


 王宮前広場に、ドッと笑い声が上がり、先ほどまで騒いでいた地方伯爵は顔を真っ赤にして何かを叫んでいる。


『ついでに、心配症の皆様に朗報です。あと三十分もしないうちに、前宰相タウンゼント侯爵がここに来てくれます。あのタウンゼント侯爵です。うちの父が呼びました。よかったよかった。これでみんな安心ですねぇ』


 ワッと歓声が鳴り響き、ファリスは王都が揺れたように感じた。

 『うちの父』とやらがどうやったのかは知らないが、やり手の前宰相を引っ張り出したなら、なんとかなるかもしれない。


 そう思うと同時に、最後の放送が流れた。


『最後の連絡です。事態解決に動くことができる貴族の皆様は、暗号0831か暗号0141の場所へ集合してください。暗号0831か、暗号0141です。それでは、ご清聴ありがとうございました。みんなで一致団結して、頑張りましょう!』


 プツン。


 音声が切れた後、しばらく人々は放心していた。

 しかし、ゆっくりと皆、王都の外へと動き出す。


 その顔つきは、先ほどと違い、穏やかなものだった。


 事態はきっと、解決する。


 その希望が、人々の心を照らしている。


「……あの暗号の集合場所を使う日が来るとは思わなかったな」

「ネイサン神官長、覚えてるんですか? 教わったの、一代男爵の地位を得たときでしょう?」

「何を言うか――と言いたいが、正直うろ覚えだ。連れて行ってくれ」

「おや、意外にすぐ折れましたね」

「二十年以上前のことだぞ。――行こう」


 ニヤリと笑ったネイサンに、ファリスも頷く。


 ファリスの知る発明好きの友人は、こういう突飛なことはできても、集団行動はできない男だ。

 おそらく、集まった貴族達を取りまとめたり、反発勢力をあしらうことは、不得手のはず。


(奴に協力する神殿勢力になってやろうじゃないか)


 たった二人であっても、きっといないよりマシなはずだ。


 ファリスはネイサンと連れ立ち、貴族しかしらない緊急事態の集合地――暗号0831の地へと向かった。




オヤサイオイシイ。


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