44 新米熱愛夫婦の時間
ウィリアム王太子目線です。
※先ほど間違えて、2話後の話を上書き更新してしまいました。すぐに戻したとはいえ、混乱させてしまい申し訳ありません。
(R6.10.13追記)
時を遡ること二日、国際会議前日のこと。
王太子ウィリアムは内心苛立っていた。
ウィリアムは、愛しい妻と数日前に結ばれたばかりだ。
それはもう、彼の人生設計の中で想定していないことで、先月までの自分では考えもしないような偉業で、彼の頭の中はこの世の春状態であった。
本当であれば、長期休暇を取って、彼女といまだ行っていない新婚旅行に出かけたいくらいだ。
デートもしたいし、一日中眺めて、その愛らしさと美しさをこの目に焼き付けておきたい。
だというのに、この国際会議という面倒な行事が、彼の行手を阻んでくるのだ。
朝から晩まで会議に接待に視察にと、拘束時間の長いこの一週間は、ウィリアムにとって悪夢の時間である。
「ウィリアム殿下、そう悲観することもないのではありませんか」
「そんなわけないだろう!」
「国際会議の間は、仕事中もずっと妃殿下と一緒ではありませんか」
事情を全て知る側近に笑いながら言われて、ウィリアムはそれもそうかと思い直した。
いや、そうでも思わないとやっていられなかったというのもある。
そして会議初日を迎えたわけだが、会議中も妻スザンヌは大変美しかった。
長いまつ毛、落ち着いたトーンの声音、言葉を選びながらも意見をしっかりと述べることのできる知性、たまに目が合うと、嬉しそうに微笑んでくれる……。
(帰りたい)
彼女をさらって部屋まで戻りたい欲望を抱えながら、ウィリアムはなんとか夜会を乗り越え、夜中に夫婦の寝室にたどりつく。
しばらく待っていると、ドレスから解放された妻が、薄手のネグリジェをまとい、静かに夫婦の寝室にやってきた。
「ウィル」
ふわりと笑顔になって、そそくさとベッドに入ってくる妻の可愛らしいことよ。
正直、手を出したい。
しかし、妻は男の自分と違ってか弱いのだ。
朝早くから官僚達と会議の準備を行い、夜中まで続いた夜会での接待で、疲れ切っているはず。
案の定、くたくたの様子の彼女は、ベッドに入り込むと、ぱたりと倒れ込むようにうつ伏せになってしまった。
「スージー、お疲れ様」
「ええ……ウィルも、お疲れ様」
「疲れただろう? 明日も早いから、もう寝るといい」
「……」
「どうした?」
「……手を繋いでも、いいですか?」
このときのウィリアムの喜び、幸福感、そして葛藤は凄まじいものだった。
もちろん、断る選択肢はない。
自らの邪念を如何にすばやく叩き折るか。
それだけである。
〇.三秒で自らの欲望を根本から切り倒したウィリアムは、大人の男らしい穏やかな笑みを浮かべて妻の手を握る。
すると、妻は嬉しそうに微笑み、そのまま眠りに誘われてしまった。
残されたウィリアムは、笑顔のまま、北方草原にいるというリコット山羊の数を数えながら、夜を過ごす。
そして国際会議二日目のこと。
官僚達と話し合った結果のとおり、スザンヌは午後の視察の間だけ抜け出して、王宮地下にいるという謎の神霊らしき存在の接待をすることとなってしまった。
これは元々、国際会議前日の夜から協議していたもので、流石に初日に王太子妃が席を外すわけにはいかなかったので保留にしていたのだが、ついに二日目にして、決行することになってしまったものである。
(スザンヌのいない視察なんて、何を見ればいいんだ!)
視察地の担当官僚が聞いたら泣いてしまいそうな心の叫びを胸に、ウィリアムは自分の身分を呪う。
イーゼルの友人に会いに行くためであるとはいえ、地下に行く妻スザンヌと義息子イーゼルのことはめちゃくちゃ心配だし、二人との時間を作りたい欲望は止まらないし、本当に、どうしてこうなってしまったのだ。
(スザンヌが席を外すのは、好都合とはいえ……)
前日の夜会で、妻スザンヌは、彼女の父であるスルト=スルシャールに絡まれていた。
スルトは、スザンヌに何か内密の用事があるらしく、一人で部屋に来るようにと居丈高に命じてきたのだ。
あの様子だと、翌日以降の視察の時間帯などに、スザンヌにまた接触してくるだろうことは明らかだ。
だから、スザンヌが視察の時間に席を外していることは、彼女のためにはいいことだろう。
(それにしても、スルシャール国王め……)
ウィリアムも、彼女自身やその兄から話を聞き、かの国王がどのように彼女を扱っていたのか、すでに知っている。
それだけでも腹立たしいというのに、昨日の態度はなんなのだ。
一方、スザンヌは意外にも、高圧的な隣国王に対し、はっきりと行かないと断っていた。
……それが、彼女がどれほどの決意の上での行為だったことか。
わざとワイングラスを落としてドレスを汚し、手を震わせながら退室すると言う彼女を、ウィリアムは情けなくも、完全に守り切ることはできなかった。
彼女をその父から引き剥がしたのは、彼女の兄スタンリー=スルシャールだ。
(私は彼女の夫だというのに)
力不足になげきながら、ウィリアムは笑顔の仮面を被り、妻のいない視察を終え、夜の会食までの空き時間に、自室のソファに座りながら、一息つく。
五分だけだ。
五分経ったら、会食の会場へ行き、今日も不備かないか、確かめに行かねばならない。
熱い紅茶を口にし、大きく息を吐いたところで、ウィリアムの耳に吉報が届いた。
「妃殿下がお戻りです」
その報告だけで力がみなぎるような気がするから、現金なものだ。
ウィリアムは単純な自分に苦笑しながら、自室に妻を迎え入れる。
「ただいま戻りました、ウィリアム」
「おかえり、スザンヌ。守備はどうだった?」
「色々ありましたが、概ね良好かと。そちらは?」
確認してくる妻に、今日の視察先での出来事、参加国の重鎮達の交流状況を伝え、留意事項や配慮が必要な点について会話を通して思考をまとめていく。
「スザンヌは会食に出られそうかい? 昨日は夜も遅かったし、疲れているなら、まだ戻っていないことにして休んでもいいと思うが」
「大丈夫よ。実はね、その」
「どうした?」
「リキュール伯爵が、特別に治癒魔法を使ってくださったの」
「!」
治癒魔法は、疲労を癒すこともできる。体を活性化させ、元々持っている『治るための力』を増幅させるのが治癒魔法だからだ。
しかし、医療機関や軍所属の治癒魔法使いは、基本的にその力をみだりに使うことを許されていない。自由化すれば貴族へのゴマスリに使われることは目に見えているし、そうして濫用され、いざ必要な時に魔力が枯渇しているようでは、国のためにならないからだ。
けれども、リキュール伯爵は違う。
聖女の血を引く彼は、そうした専門の機関に所属することなく、生まれながらにして治癒の力を身につけ、その特異な立場ゆえに、誰に憚ることなく行使することを許されている。
「おかげで、今のわたしは元気いっぱいなのよ」
「そうか。それはよかった。リキュール伯爵にお礼をしなければならないな」
「だからね、ウィル」
「どうした」
「夜も、その」
我慢しなくて、大丈夫……だと、思う。
耳元でそう呟いた妻は、ウィリアムの頬にキスを落とすと、真っ赤な顔で衣装替えのために部屋を出ていってしまった。
残されたのは、目も口も大きく開いたまま、身の内にたぎる激流に翻弄されるウィリアムである。
(リキュール伯爵!!! ありがとう、リキュール伯爵!!!!)
ウィリアムは、私財からリキュール伯爵に金塊でも贈るべきか、本気で悩みはじめた。