43 とってもまずいお饅頭
やってきたマティーニ伯爵邸は、変わらず素朴な造りをした、温かい雰囲気のおうちだった。
馬車が伯爵邸につく前から、「もうすぐ着くの」「いま、角を曲がったの」「リー達は、たどりつくための準備を始めたの」と念入りに家主と通信していた銀色スパイ娘は、馬車が伯爵邸に到着するなり、弾丸のように飛び出していく。
「ミゲルお兄ちゃーん!」
「やあやあ、リーディアさん。いらっしゃい」
「時間ぴったりなの! リーはすごいの!」
「すごいですねえ。一秒前に教えてくれた時間ぴったりですねえ」
飛びついてきた姪っ子スパイ娘に、ミゲル兄さんはニコニコ笑っている。
その隣に居るのは、三人の黒髪少年だ。
三人とそこそこに挨拶を交わしたうちの娘は、キース君に頭をくしゃりと撫でられている。
「おう、リーディア」
「キースお兄ちゃん!」
「約束どおり、また来たんだな。義理堅い奴だぜ」
「ふふん。リーは、いいやつなの。たいへん、すごいやつなの」
「調子に乗ってるなあ」
胸を張っている愛娘に、わたしもリカルドも首をかしげるばかりだ。
うちの娘は、こんなにキース君と仲がよかったかしら?
わたし達が不思議に思いつつ、みんなを紹介しながら挨拶をしていると、幼い黒髪王子がてちてちと銀色スパイ娘のところに近づいていき、その手をとった。
「イーゼル?」
「お、おまえ、キースっていうのか!」
「うん?」
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは、リーディアの友達の、イーゼルだ! リーディアの、友達なんだぞ!」
真っ赤な顔で、仁王立ちでキース君に物申しているイーゼル殿下に、大人達は目を丸くする。
特に驚いているのはスザンヌ様だ。
義息子のませた一面に、ちょっと困ったような、照れたような、戸惑った顔をしている。
不思議そうな顔をしているリーディア(六歳)、必死の様子のイーゼル殿下(六歳)に、キース君(十歳?)は、けらけら笑いながらその場でしゃがんだ。
「リーディア、お前、罪作りな女だなあ」
「つみつくり?」
「いや、なんでもない。まだ早かった。それにしても、お友達ねえ」
「……! お、お前は一体、リーディアのなんなんだ!」
「俺もリーディアの友達だよ。キースっていう。お前の友達にもなれたらいいと思ってるよ。よろしくな、イーゼル」
「!!! そ、そうか。キースは僕の友達にもなりたいのか……!」
「簡単だな。それでいいのか……」
自分の友達になりたいと言われて、ウキウキを隠さないイーゼル殿下に、キース君は呆れた顔をし、ヴォルフ君とイヴァン君は後ろで爆笑している。
どうやら、可愛い修羅場は、これで終了したらしい。
わたしが思わずママ友スザンヌ様に、「イーゼル殿下、めちゃくちゃ可愛いですね」と耳打ちすると、スザンヌ様はこくこくと高速頷きを返してくれた。
ここで登場するのは、当然、彼女である。
「小さいのがいっぱいいる」
「シルクちゃん」
「リーディアの友達? 紹介してよ」
藍色の着物に白い毛皮を背負った、ふわふわ赤毛に白磁の肌、そばかすがキュートなシルクちゃんの登場に、キース君達三人は目を丸くしながら挨拶をする。
ここで、改めてしゃがみこんだのは、やっぱりキース君だ。
シルクちゃんに目線を合わせて、なんだか不思議そうな顔をしている。
「お前、もしかして、結構年は取ってる?」
「ふーん。わかるのか」
「うん。なんとなく、リーディアと同じ六歳って感じじゃないのはわかる」
「そうだよ。お前達の年を百倍しても足りないんだからな。すごいだろー」
「なんだけどさ。実は精神的には結構な子どもで、誰かに甘やかしてもらいたいとずっと思ってるタイプだろ?」
「!?」
驚きのあまり、パカッと口を開けたシルクちゃんに、キース君の無情な追撃が迫る。
「沢山年も取ってるし、みんな年下だから、普段はちょっと背伸びしてる。偉ぶった話し方をするのは、結構気持ちいいと思ってそうだな……」
「!!?」
「でも、実際のところは寂しがり屋な子どもで、大人に甘えたいと思ってるし、一人にされると泣いちゃうタイプだろ」
「な、な、な……」
「そんなわけで、俺はお前を全力で子ども扱いするからな、シルク。好きに甘えていいぞ!」
「うん、なるほど。キースは明日のおやつは抜きだね」
「ミゲル!? なんで!!?」
「レディに恥をかかせた悪い男だからだよ。ごめんね、シルクちゃん」
涙目でプルプル震えているシルクちゃんに、ミゲル兄さんはニコニコほほ笑みながら、その頭を撫でた。
すると、シルクちゃんはミゲル兄さんの陰に隠れて、「ミゲル、あいつ! あいつ、悪いやつ!」とキース君を指さしている。
悪い男なキース君は、呆然として固まっていて、イーゼル殿下から「僕も、今のはキースが悪いと思う」という言葉を賜り、銀色スパイ娘からも「キースお兄ちゃんは、そういうところ、あるの」というませた言葉を贈られている。
なんだか、子ども達の人間模様、すごくないかしら。
わたしが六歳のとき、こんな大人びたこと、なかったように思うのだけど……!
震え慄くわたしの元にやって来たのは、ヴォルフ君とイヴァン君である。
「マリア姉さん。キースには気をつけたほうがいいよ」
「え?」
「あいつさあ、ああやって余計なこと言うし、女の子をすぐに泣かすんだけど、なんか泣いた女の子はみんなキースに夢中になるんだよ。たぶんシルクもそうなるよ」
「ええ!?」
「俺もイヴァンも三つ子の同じ顔で、中身もこんなに真面目でいい奴なのに、なぜかキースだけがモテるんだよな」
「女心ってわかんねえ。しかもさ、キースは全部無自覚なのが厄介なんだ。今のところ、みんな女の子の片思いで終わってる」
「リーディアもキースと仲がいいみたいだし、気をつけてやってよ」
「あり……がとう……?」
気をつけるって、一体どうしたらいいのかしら。
そういう手練手管には、わたしは疎いのだけど。
それになんだか、隣で夫リカルドがキラキラしい笑顔を浮かべているのも怖い。案の定、「あとでリーディアに話を聞かないとな」とか言ってるし。
娘はまだ六歳なのに、親としての悩みが高度すぎる……!
その後、ミゲル兄さんが持っていたドラゴン饅頭の試食会を行った。
ちょうど昨日、作ったばかりの一品だそうだ。
「まずいーー!!!!」
「そうなんだよねえ」
シルクちゃんの悲鳴に、ミゲル兄さんは首をかしげながら、自分で作ったドラゴン饅頭を咀嚼している。
わたしも恐る恐る口に運ぶと、そこには異世界が広がっていた。
もそもそした食感、甘みのない豆の強さ、皮との不協和音、えもいわれぬえぐみと苦味のまだらな主張。
「ママ! 大変、泣いてるの!」
「うん、涙が……兄さん、何これ?」
「これは、マイケルが送ってきたレシピで作ったんだ」
その言葉に、わたしはぱちくりと目を瞬く。
マイケル=マティーニ(二十六歳)。
わたしの三番目の兄で、ミゲル兄さんの双子の弟だ。
長男のメルヴィス兄さんとは真逆で、父の旅好きの性質を譲り受けた彼は、年がら年中、世界を放浪している。
マイケル兄さんは世界の不思議を発見をする度に、家族に関連した物を送ってくるのだ。毎回手紙がついていて、その自慢げな内容と筆跡で、マイケル兄さんは元気だなあと家族で安否確認をしている。
「レシピどおりに作ってるんだけど、全然うまくいかないんだよねぇ」
「夢魔シュガーで作るレシピだからだ! マリア、ミゲルにあれを渡してやってよ。も〜」
「!」
同じく涙目のシルクちゃんに言われて、わたしは馬車に置いてある夢魔シュガーをミゲル兄さんに渡すことにした。
出来上がったらミゲル兄さんがみんなに声をかけてくれるということで、その日は解散することにした。
「今日、ここ千年で一番楽しかった。ありがとな、リーディア、イーゼル」
「! ここせんねんで、いちばん!!」
「せんねん……?」
「そうだ。リーディア達が一番だぞ!」
シルクちゃんの壮大さ溢れるお礼を銀色スナイパーは堂々たる態度で受け取り、受け止めきれなかったイーゼル殿下は首をかしげている。
大人達も、首をかしげたい思いだったけれども、野暮なので口には出さない。
「あたしはここで降りるよ。みんなありがとな」
「え!?」
「ここ、近道なんだ〜。久しぶりに使うけど、ま、通れるだろ」
とりあえず馬車を止めると、馬車から降りたシルクちゃんは、てちてちと王宮前広場へと歩いて行き、その中心にある神木の根元まで歩いていった。
こちらに振り向いて、小さなお手手をぶんぶん振った後、炎に包まれるようにして消えてしまった。
神木に近道!?
あれ、切り倒し運動をしている政治勢力とか、いなかったかしら!?
わたしが青ざめた顔でスザンヌ様を振り向くと、青い顔をしたスザンヌ様が高速でコクコクと頷き返してくれる。
しかし、そんなわたし達大人の気持ちを知らない子ども達は、消えてしまったシルクちゃんを見て盛り上がっていた。
「シルクちゃん、すごーい」
「本当にすごいな〜」
「うん! あとね、イーゼル」
「なんだ?」
「今日、とっても楽しかったの。一緒に遊んでくれて、ありがとう!」
そう、うちの銀色スナイパーは、お礼がちゃんと言えるいい子なのだ。
ニコニコ笑う彼女に、先日できたばかりの黒髪のお友達は、「友達だからな!」と太陽みたいな笑顔で笑ってくれていた。