36 黒髪王子の秘密のお友達2/2
「スザンヌ様、これは……」
「わ、わかりません。ですが、その……」
スザンヌ様曰く、イーゼル殿下とリーディア、そしてスザンヌ様以外の人間は皆、いつのまにか来た道を引き返してしまったらしい。
スザンヌ様が慌てて声をかけたけれども、おざなりな返事をした彼らは、結局フラフラと戻っていってしまったそうだ。
「マリアさんも、途中まで戻りそうになっていて……」
スザンヌ様がチラリと見たのは、もちろんうちの娘だ。
さらさらの銀糸を揺らした愛娘は、「ママはリー達と一緒!」とぷりぷりしながら、わたしの手を握りしめている。
わたしとスザンヌ様は目を見合わせた後、イーゼル殿下についていくことにした。
この状況で、イーゼル殿下なしに戻るのは危険な気がする。
それに、幼い殿下は、ここに来ることに慣れている様子だ。
であれば、行く先に大きな危険はないはず。
それに、スザンヌ様も保護者として、イーゼル殿下の秘密の全容を把握しておきたいだろう。
冷や汗は、止まらないけれど。
迷いのない足取りで進むイーゼル殿下に、スザンヌ様が尋ねる。
「イーゼル。私はこの場所のことを知らないのだけれど、ここは、あなたが一人で探し出したの?」
「いいえ。黒髪の男の人が、教えてくれました」
「男の人?」
「ふわふわしてて、たまにふらっと現れるんです」
「……?」
イーゼル殿下はこの国の王子だ。
幼い子どもでもある彼には、親であるウィリアム王太子殿下やスザンヌ様の了承なく近づくことはできない。
厳重な警備をかいくぐり、彼に接触できる存在は限られてくる。
それはもしかして、幽霊的な、その。
わたしとスザンヌ様は再度顔を見合わせたけれども、最終的に、何も考えないことにした。
今はまず、目の前のことだ。
よそごとを考えていい結果になる気がしない。
わたしとスザンヌ様が慎重に歩みを進めていると、わたしと手を繋いだまま、周りの壁画を見るためにキョロキョロしていた愛娘から、楽しそうな声が聞こえた。
「壁に鳥さんの絵がいっぱい描いてあるの。ミミもこんなふうに、大きくて素敵な鳥さんになるのよ?」
「ぴ!」
ぴ?
驚いて振り向くと、なんとリーディアは、左手に乗せたふわふわ綿毛とお話ししているではないか!
「えっ。リーディア、ミミを王宮に連れてきちゃったの!?」
「ちがうの。ママ、あのね。ミミがね、リーの左側のポケットに、勝手に入ってたの。さっき見つけたの」
「ぴよっぴ」
連れてきてはいけない、ついてきてはいけないと言いつけておいた我が家のペットは、隠れることを諦めたのか、わたしに向けてパッチンと片目ウィンクをすると、リーディアの頭の上まで羽ばたいて、ぽふんと腰を落ち着けた。
どうやら、このふわふわ綿毛は、好奇心旺盛な銀色主人にそっくりらしく、楽しそうに周りを見渡している。
気がつかなかったとはいえ、王宮に、謎めいた生き物を連れてきてしまった。
一応、害がないと聞いているとはいえ、あまりいいことではないだろう。
わたしは肩を落としながら、とりあえずスザンヌ様に謝罪すると、スザンヌ様は不思議なことに、ミミを興味深そうに眺めていた。
「スザンヌ様?」
「いえ。その……こちらはミミさま、とおっしゃるのですね?」
「ぴ!」
「どうかされましたか?」
「……なんだか、見たことがあるような気がして……」
口元に手を当てて思案するスザンヌ様に、わたしと銀色主人が首をかしげていると、わたし達を先導していたイーゼル殿下が、「ついた!」と嬉しそうに叫んだ。
そこは、玉座を中心とした、石造りの広間だった。
地下だというのに、先日見た神殿の礼拝堂並みに天井が高い。ところどころ、壁が窪んでいて、灯りの消えた錆びた燭台がもの悲しげに多数置かれている。
中心に置かれた貴賓が座るべきその椅子の背後には、巨大な壁画が存在している。
描かれているのは、巨大な竜だ。
たくさんの白と黒の獣や鳥に囲まれた、大きな緋色の竜。
しかし、問題はそこではないのだ。
玉座に、人が座っている。
幼い、リーディアと同じくらいの年頃の女の子だ。
ふわふわの長い赤毛が白磁の肌に映える、そばかすがキュートな、大きな灰色の瞳が魅力的な女の子。
金糸の刺繍がふんだんに施された藍色の着物に、真っ白な毛皮をまとったその姿は、草原の民に通じるものがある。
肘置きに足をかけ、玉座にお姫様抱っこをされたような姿勢で寝転んでいた彼女は、イーゼル殿下とわたし達の姿を見て、「へぇ」とニヒルな笑みを浮かべた。
「本当に聖女の子だ。………………親つき?」
女の子は、リーディアをまじまじと見た後、わたしに視線を走らせ、首をかしげている。
「イーゼル、本当に連れてきたんだ」
「そうだよ。連れてくるって言っただろ」
「ふぅん。よく見えないから、こっちにおいでよ」
彼女がそう言うと、広場に置いてある燭台すべてに、一斉に火が灯された。
ゆらゆらと輝く炎に、室内が明るく照らされる。
突然の事態に、イーゼル殿下を除くわたし達三人が固まっていると、玉座に座る女の子は怪訝な顔をした。
仕方ないとばかりに伸びをすると、身を翻すようにしてその場で立ち上がり、軽快な足取りでこちらに近づいてくる。
跳ねるようなその動きは、体重を感じさせない。
羽のような、夢のような、不思議な軽さ。
近くまでやってきた女の子は、わたしとスザンヌ様を下から見上げるように見てきたので、わたしはその場でふわりとスカートを翻らせながら、膝をついた。スザンヌ様もだ。
「初めまして、マリア=リキュールと申します。お目にかかれて光栄です」
「スザンヌ=エタノールでございます」
「マリアに、スザンヌね。なんだよ。お前達がこっちに来てくれないから、あたしが来ちゃったじゃないか」
「!」
「急にいっぱい火をつけたからだろ。みんな、びっくりしちゃったんだ」
「びっくりしたのは、あたしのほうだ。本当に聖女の子を連れてきた上に、親まで連れ込むなんて思わないし」
「なんだよ、信じてなかったのか。連れてくるって言ったのに。僕は嘘はつかないぞ!」
「できないくせに、できるって背伸びはするだろ。毎日毎日、今日こそオカアサマに話しかけるんだーって」
「シルク!」
真っ赤になったイーゼルの悲鳴のような叫びに、赤毛の少女はくつくつ笑っている。
仲の良さそうな二人に、もう一つ、悲鳴のような声が割って入った。
もちろん、我が家の銀色スナイパーである。
同じ年頃の二人が仲良くしているのを、黙って見ている彼女ではないのだ。
「シルクちゃん! リーは! リーディア=リキュールなの! 伯爵令嬢、なの! 六歳、です!!」
「そ、そう」
「あなたのお名前を、聞いてもいいですか!」
「!」
女の子はスナイパーの勢いに若干ひるんだものの、キラキラ光る紫色のお目目に見つめられて、満更でもなかったらしい。
小さな胸をふふんと張って、ドヤ顔の笑み――傍目には、つやつやほっぺがキュートな愛らしい笑顔――を浮かべる。
「あたしは、シルク。ただのシルクで、他に名前はついてない。今日はさ、お前達が、あたしとお友達になりたくて来たんだって聞いてるよ」
「違うぞ」
「えっ?」
「僕は、リーディアに僕の友達を紹介しにきたんだ。リーディアがシルクと友達になりたいかどうかは知らないぞ」
「!?」
イーゼル殿下のまっすぐすぎる言葉は、赤毛の女の子シルクの心を抉りまくったようだ。
淡いグレーの瞳が涙でうるみ、ほっぺが赤らんで、桜色の唇は悔しげに歯の間に収まっている。
か、可哀想……!
わたしが慌てて銀色スナイパーにパッチパチと片目ウィンクでアイコンタクトを送ると、わたし史上最強の救世スナイパーは、任せろとばかりに「ん!」と頷いた。
両目でパッチパチとわたしにアイコンタクト返しをした後、熱のある目でシルクちゃんを見つめる。
「あのね。リーはシルクちゃんと、お友達になりたいです。お友達になってくれますか?」
「!! そ、そうか。リーディアは、あたしと友達になりたいのか!」
「うん!」
「そっか。なら、そうだな。あたしと友達になる極意を教えてやる!」
「ごくい?」
「あたしと仲良くしたかったら、甘いものを持ってきな」
「甘いもの?」
「まだ、眠くて透けてるから、お外に出られないんだ。甘いものを食べたら、治るんだけど」
シルクちゃんは自分の手をみせた。
すると、小さなお手手が若干透けてきている。
……体が、透けるとは!?
「シルクちゃん。眠いと、体が透けちゃうの?」
「うん。起きてる間しか動けないのは、リーディアも一緒だろ?」
「……? うん……?」
「じゃ、待ってるよ」
シルクがそう言うと、わたし達の目の前が急に炎に包まれた。
熱のないそれは、あっという間に辺りを包み込み、気がつくとわたし達は、王宮地下書庫の床を踏みしめていた。
唖然とするわたし達三人に、イーゼル殿下だけが自慢げにニコニコ笑っている。
「どうだ、リーディア! これが僕の秘密だ。僕にだって友達がいるんだぞ!」
「すっごいの! シルクちゃん、すっごいのー!」
「……ぼ、僕にだって、友達が……」
「イーゼルのお友達、すっごいのー!」
「そ、そうだ! 僕の友達は、すごいんだ!」
きゃあきゃあはしゃいでいる子ども達に、わたしとスザンヌ様が呆然としていると、書棚の奥から侍女が一人現れて、スザンヌ様に声をかけてきた。
イーゼル殿下先導の下、子ども部屋からこの書庫に連れ立ってきた一人だ。
「妃殿下。ここは書庫ですから、大きな声は控えたほうがよろしいかと」
「え、ええ、そうね。……それもだけれど、あなたは先ほどのことを覚えているかしら」
「先ほど、ですか?」
侍女に話を聞いたところ、彼女の認識では、わたし達の目的地はこの地下書庫。主人二人と来客二人が気が済むまで待機を命じられたので、使用人達は皆、入り口付近の壁際で待機していたと言う。
わたしにもスザンヌ様にも、そんな記憶は全くない。
ど、どういうことなの?
わたしとスザンヌ様が困惑していると、可愛い銀色愛娘が、小さなお手手でわたしの手を引いてきた。
「ねえ、ママ。眠くなると、体は透けちゃうものなの?」
「え!? いえ、どうかしら!? そ、そういうことも、あるのかしら……」
「シルクちゃん、透けちゃってて可哀想なの。甘いものをたくさん、持っていってあげなきゃ」
「……そうね。……そのほうが、よさそうね……」
意気揚々と、思いつく限りの甘いものを言い合う、六歳児二人。
その母であるわたし達は、とりあえず、それぞれの夫に相談することにして、問題を先延ばしにしたのである。







