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32 大切なお友達がくれたもの


 それから、スザンヌは勉強に邁進した。


 必死だったのだ。

 たとえ二年の間のこととはいえ、これ以上誰かに迷惑をかけるのは嫌だった。


 幸いなことに、教師達はスザンヌの能力を褒めることはすれども、しかりつけるようなことはなかった。

 きっと、兄のスタンリーが、スザンヌを必要以上に厳しく教育してくれたおかげだ。


 国を成り立たせるために必要なこと。

 国の行く末。経済背策。税のこと。福祉のこと。隣国間との調整。今、世界の国々で何が求められているのか。


 幼い頃から叩き込まれたそれは、伯爵家の三男に嫁ぐ王女としては、過分な知識だ。


 事ここに至ると、兄スタンリーは元々、スザンヌを他国に嫁がせるつもりであったのかもしれないと、そう思う。



 夫ウィリアムとの仲は、悪いものではなかった。

 彼はスザンヌを、とても丁寧に扱った。

 夜会があれば女性としてエスコートし、こまめに贈り物をおくり、王太子妃としてもスザンヌの意見を軽んじることはない。


 スザンヌはできるだけわがままを言わないように努めていたけれども、ひとつだけ、夫ウィリアムにお願いをしていた。

 ダンスホールを、毎日一時間だけ、貸してほしいというものだ。

 きっと修道院に入ったら、広い場所を借りることはできなくなる。もう踊ることもできなくなるだろうと、そう思ったのだ。


 夫ウィリアムはスザンヌの願いを承諾してくれた。優しい人なのだ。

 ただ、彼にしては珍しく、スザンヌに申し出をしてきた。


「ホールで踊るあなたを……見ても、いいだろうか」


 スザンヌはその申し出を、すぐさま断った。

 ウィリアムは悲しそうな顔をしていたけれども、スザンヌには譲ることができなかった。


 スザンヌには、こんなにも醜い自分を、誰かに見せるつもりはないのだ。

 これが兄スタンリーからの申し出であったとしても、断ったと思う。


 もう、踊ることを止めてしまえばいい。


 そう思う自分も居たけれども、結局やめることはできなかった。

 それは、スザンヌがこれまで生きてきたことの証だったから。


 幼い頃に一度見ただけの、美しいもの。

 あと二年だけ紡ぐことができる、儚い何かに、スザンヌはどうしようもなく、手を伸ばし続けている。



 ある日、ウィリアムから、ウィリアムの兄アレクセイの子であるイーゼルを養子に入れたいと言われ、反対する理由もないので、頷いた。

 会ってみて驚いたのは、イーゼルが黒髪の王子であったことだ。

 そして、彼が王宮にやって来た経緯を聞いて、さらに驚いた。

 彼は運がいいことに、イーゼルは国王やウィリアムによく似た顔立ちをしており、その血の繋がりは一目瞭然であった。幼い王子の姿を見た者は皆、彼が王家の血を引くことを疑わない。


「こんにちは、イーゼル殿下」

「……こんにちは」


 四歳になって半年の、黒髪の小さな王子様。

 彼と交わした会話で、覚えているものは、これくらいだ。

 それほどに、スザンヌとイーゼルはほとんど顔を合わせることをしなかった。


 スザンヌには、子どもとどう会話したらいいのか、さっぱりわからなかったからだ。

 なにより、スザンヌは二年でいなくなるような存在だ。

 エタノール王国のこれからを担う王子と接すること自体が、なんとなくはばかられた。



 こうして、スザンヌは一年以上、夫とも義息子とも、ぎこちないうわべだけの関係を続けた。

 いや、そもそも、スザンヌは誰との仲もぎこちない。

 他の人間とも、仕事としての、上部だけの関係しか築いていない。


 けれども、正直、そんなものだと思っていたのだ。

 スザンヌは血が繋がっている父スルトとも、兄や姉達ともうまくやってこれなかった。

 彼女を気にかけてくれるのは、兄スタンリーくらいのものだ。

 あとは、王弟エドワード殿下のように、誰にでも優しい人格者くらい。

 人とうまくやっていくということは、自分には分不相応なものなのだと、そう思っていたのである。



 こうして、もうすぐ二年が経とうとしていたある日、スザンヌは驚くべきものを見た。


 マリア=リキュール伯爵夫人である。


 やわらかい茶色の髪に、はちみつ色の瞳をした優し気な顔立ちの女性だった。触れたら柔らかく包み込んでくれそうな、温かい人。

 彼女は、女性不信になってしまった夫リカルド=リキュール伯爵の再婚相手である。

 初めて見たその人が夫に溺愛されていることは、会ったばかりのスザンヌの目から見ても、一目瞭然であった。

 義理の娘であるリーディア=リキュール伯爵令嬢にも、これ以上なくなつかれていて、幼い少女をあやすその様子は、スザンヌの心を打った。


 血が繋がらない家族なのに、彼女とその家族は、スザンヌの知るどの家族よりも仲睦まじい。


 だから、話を聞きたくなった。

 人生で一番、勇気を出して、お茶に誘ってみたのだ。

 すると、彼女は嬉しそうにスザンヌの誘いに乗ってくれた。

 スザンヌは、この時の自分の決断を、生涯誇りに思うことになる。


 マリアはとても話しやすい女性だった。

 こんなスザンヌの言うことを、じっと待って、耳を傾けてくれる。

 至らない自分のことについて話すのは、とても苦しく、つらいことだった。

 けれども、彼女はそんなスザンヌを包み込むように、いつも優し気にほほ笑んでくれる。


「わたし、リカルドの妻でよかったです。気がねせずに、スザンヌ様とお話しできます」

「そう、なのですか?」

「はい。リカルドは、聖女の血を引く特別な一族の出ですから、他の貴族と扱いが違うでしょう? 癒着しているとか、出世を狙っているだとか、そういったやっかみとは無縁のまま、スザンヌ様と仲良くできちゃいます」


 ふふふ、と嬉しそうにしているマリアの言葉が、スザンヌは涙が出そうなくらい嬉しかった。

 マリアは、裏を返せば、立場上の利がなくてもスザンヌと仲良くしたいと言ってくれているのだ。


 それだけでも嬉しいことだったのに、マリアとその娘リーディアは、義理の息子イーゼルとの仲を繋いでくれた。


 ほとんど話をしたことがない幼い息子は、なんと、スザンヌを母として慕ってくれていたのだという。


 こんなに嬉しくて、誇らしいことがあるだろうか。


 イーゼルと仲良くなったその日の夜、夫ウィリアムにイーゼルとのことを話すと、「それはよかった」と嬉しそうに柔らかく笑ってくれた。

 『もう少しで離婚するのだからイーゼルに関わらないように』と言われる可能性についても覚悟していたのだけれども、彼はスザンヌの嬉しい気持ちを優先してくれたのだ。


 まるで、本当の家族みたいだ。


 たったひとときの、夢のような時間。

 だけど、スザンヌには代えがたいものだった。

 できたばかりの大切なお友達がくれたもの。

 この幸せな気持ちは、きっとスザンヌの一生の宝物になるはず。


 そう思っていた矢先に、驚くべきことが起こった。


 なんと、イーゼルがウィリアムに、驚くべきおねだりをしたのである。


「お義父さまに、お義母さまを()()()()ほしいんです!」


 なんという恐ろしいことを口にするのだと青ざめたけれども、結局話は、ウィリアムがスザンヌを落とすために努力をするという結果に収まった。


 一体、どういうことだ。

 ウィリアムは、スザンヌとの結婚を、望んでいないのではなかったのだろうか。


 スザンヌとマリアに内密でおねだりの冒険に出た子ども達は、子ども部屋に帰って来たあと、丁寧に冒険の結果をスザンヌ達に報告してくれた。


「お義母さま! お義父さまが今度、お義母さまを落としてくれるそうです!」

「そうです!」


 スザンヌは、思わず椅子から転げ落ちた。


 「お義母さまーっ!?」「事件なのぉー!!!?」という悲痛な叫び声が上がり、スザンヌは椅子から転げ落ちた夫ウィリアムの気持ちを体で思い知ることになる。

 さっきのおねだりの旅は、子ども達の秘密の冒険ではなかったのだろうか?


「イ、イ、イ、イーゼル……」

「お義母さま、大丈夫ですか!? お休みしたほうがいいです!」

「リー、知ってる! きっとね、天使さまの力を、ウィリアムさまが吸い取りすぎちゃったんだわ。少し返してもらわなきゃ。ウィリアムさまを、呼んでくる!」

「リーディア、ちょっと待ちましょうかーっ!?」


 今にも走り出しそうな幼いリキュール伯爵令嬢は、義母マリアにすぐさま確保され、その膝の上にのせられていた。

 文句を言いつのる可愛い伯爵令嬢に苦笑いしながら、マリアはスザンヌにほほ笑んでくれる。


「スザンヌ様。大丈夫ですか?」

「は、は、はい、大丈夫、です……」

「あの、無理はだめですよ」


 首をかしげるスザンヌに、マリアはぎゅっとこぶしを握りながら、力説する。


「きっとこれから、ウィリアム殿下は、スザンヌ妃殿下を落としにかかってくるでしょう」

「ゲッホゴホゴホゴホ」

「スザンヌ様ーっ!?」

「お義母さまあああ」

「大変なのぉーっ!!!」


 思わず紅茶でむせたスザンヌに、室内は一時、騒然とする。

 落ち着いたところで、マリアはようやく、本題に入った。


「今から優しくしてきたとしても、ウィリアム殿下は、スザンヌ妃殿下にひどいことを言いましたからね。その恨みは、忘れなくていいんですからね?」

「えっ。で、ですがそれは……」

「どんな理由があったとしても、スザンヌ様が、おつらい気持ちになったのであれば、それはもうだめです。タイミングも最悪です。ギルティです。しっかり、ウィリアム殿下も反省しないと」

「……そんなものですか?」

「そんなものです。わたしはスザンヌ様側ですから、容赦はありません」

「な、なるほど……?」

「……ちゃんと、全部伝えた方がいいと思います」


 居住まいを正したスザンヌに、マリアはほほ笑んでいる。


「我慢して、合わせて、今までの辛かったことをなかったことにして、関係を続けるというのも、選択肢の一つです」

「はい」

「ですが、わたしはスザンヌ様に、幸せになってほしいから、嫌です」

「嫌……」

「めちゃくちゃ嫌です。ウィリアム様と本当の夫婦になるのだとしたら、ちゃんと落とし前をつけて、スザンヌ様がすっきりした気持ちでそれを受け入れた結果でないと、嫌です」


 ぷりぷり怒りながら、むくれているマリアを見た小さな伯爵令嬢は、ママの真似をして、「じゃあ、リーも、いやです!」とぷくーと頬を膨らませていた。

 スザンヌの膝に張り付いているイーゼルは、よくわからないといった顔で首をかしげている。


「男女のことは、正しい正しくないで決まるものではありません。でも、スザンヌ様が悲しかったら、わたしは悲しいです。嬉しかったら、嬉しいです。ウィリアム様に思うところがあったら、相談してくださいね。ちゃんとリカルドに叱ってもらいますから」

「マリアさんが、叱るのではないのですか?」

「今、この国で王家に大きな顔をできる貴族は多分、リカルドくらいのものです。わたしが叱るより、百倍効果があります」

「でも、リキュール伯爵は力を貸してくださるかしら」

「リカルドはわたしのことが大好きです。わたしが大好きなスザンヌ様のためなら、きっと力を貸してくれます。……きっとウィリアム殿下は、こてんぱんですよ?」


 ドヤッと胸を張るマリアに、スザンヌは目を丸くしたあと、つい笑いだしてしまった。

 そんなスザンヌに、マリアもくすくす笑っている。


「これから、上手くいくといいですね」


 ニコニコ笑っているマリアに、スザンヌは温かい気持ちでいっぱいだった。


 彼女がくれた言葉が、気持ちが、どれだけスザンヌを助けてくれているのか、きっと彼女は知らないのだろう。

 そうやって彼女は周りに沢山の物を与えていて、それがきっと、女性不信であったリキュール伯爵の心をつかみ、可愛いリキュール伯爵令嬢の愛を掴んではなさないのだ。


 スザンヌは、周りのために何かできているだろうか。


 これから一体、どうやって生きていきたいのだろう。


「スザンヌ、話があるんだ」


 リキュール伯爵家の一同が帰宅し、午後の公務を終えたスザンヌが、夜にようやく自室に戻ると、そこに夫ウィリアムがやってきた。

 彼も公務を終えたばかりなのだろう。夕食の時間も合わなかったから、お互い一人で済ませている。


 人払いをした後、スザンヌとウィリアムは向かい合う。


 二人は立ち尽くしたまま、しばらくその場から動くことができなかった。

 ようやく口を開いたのは、ウィリアムだ。


「話があるんだ」


 それは先ほど、入室の際にも聞いた言葉だ。


「お座りになりますか」

「いや。すぐに終わる」

「そうですか」


 それきり、二人はおし黙ってしまう。


 いや、話の内容はわかっているのだ。

 今日の午前中に、あれだけのことがあったのだから。


「あなたがすべて、聞いていたのだと……リキュール伯爵から、聞いた」


 スザンヌがパッと顔を上げると、ウィリアムはスザンヌを見つめていた。

 首から上がかわいそうなほど赤く染まっていて、スザンヌもじわじわと赤くなってしまう。


「私に、チャンスをもらえないだろうか」

「……チャンス」

「一人の男として、あなたに逢引(デート)を申し込みたい」


 息を呑むスザンヌに、ウィリアムはぐっと手を握りしめながら、スザンヌを見つめる目をそらさない。


「受けてもらえるだろうか」


 スザンヌが震えながら、こくりと頷くと、ウィリアムは思わずといった様子で、顔をほころばせた。

 その花が咲くような笑顔に、スザンヌは心臓が早鐘を打つのを止めることができない。


 こうして、スザンヌは結婚してもうすぐ二年になろうというこのとき、初めて、男性とデートをすることになったのである。



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