21 王太子妃の悩み
「白い結婚、ですか」
頭を抱えるわたしに、王太子妃スザンヌ殿下はうなだれている。
ふと、こんな大切な話をするのに人払いをしなくていいのかと、慌てて周りを見ると、室内には侍女が一人だけ待機していた。スザンヌ妃殿下いわく、彼女は妃殿下が故国から連れてきた侍女で、すべてを知っている一人なのだそうだ。
ならばとわたしは覚悟を決めて、話の先を促すことにする。
「失礼ですがその、ご結婚されてから、どのぐらい……」
「もうすぐ二年が経つわ」
「わたしは、お二人がご結婚されたのは、お二人のお気持ちが通じ合ったからだと思っていましたが、違うのでしょうか」
「私達の結婚は、ウィリアム様のお義兄様の失踪によるものなのです。彼が立太子するための体裁を整えようとした結果の産物であったと言っていました」
「ウィリアム王太子殿下が、スザンヌ妃殿下に一目ぼれしたからではなく?」
「まさか! おそらく、それは彼が建前として流した噂なのではないでしょうか」
「そんな」
「その……私には故国で、悪い噂があって。彼が一目ぼれするような価値のある女ではないのです」
スザンヌ妃殿下は、俯いたまま、ぽつりぽつりと語り出した。
スザンヌ妃殿下、スルシャール王国の国王スルト=スルシャールの末子としてこの世に生を儲けた。
母親は、スルトが気まぐれに手を付けた流れの踊り子だ。
美しく、煽情的な踊りを舞う下賤の踊り子は、艶やかな黒髪を有していた。
「スルシャール王国では、エタノール王国よりも黒髪忌避が強いのです。父が母に手を付けたのも、母の心を折ることで、黒髪を忌避する気持ちを吐露したかったのだと思います」
「そんな……」
「父の髪の色は、暗い焦げ茶色です。明るい髪色の多い貴族の中で、父は自分の髪にひどくコンプレックスを抱いているので、そのうっぷんを晴らす意味もあったのでしょう」
「その、スザンヌ妃殿下のお母様は、今はどのように?」
「母も父や貴族達からの扱いに耐えられなかったのか、五歳の私を置いて国を出てしまいました」
それから私はずっと、『黒髪ごときが』と言われながら生きてきたのです。
そう告げるスザンヌ妃殿下に、わたしは思わず口元を抑える。
「十五歳の時、父の命で婚約者ができました」
「それは……。いいこと、だったのでしょうか」
「いいえ。彼は私の体が欲しかっただけなので」
「からっ……!?」
「婚約中は、彼から逃げるだけで精一杯でした。……とうとうある日の夜会で、彼が私を庭園につれこもうとしたので、思わず彼の頬を張ってしまったのです。そうしたら、一人で庭園の入口に置いて行かれて」
「ひどい……!」
「それで、酔った年配の貴族の男性に、襲われそうになって」
あまりの内容に手が震えてしまう。
わたしが青ざめていると、スザンヌ妃殿下は、愁いを帯びた顔ではあったものの、ふわりと微笑んでくれた。
「王太子である長兄が、すぐに助けてくれましたから。スタンリー兄様は、姿の見えない私を探していてくれたので、私の悲鳴を聞いてすぐにかけつけてくれたんです」
「よかった……!」
「はい。ですが、それが悪い噂になってしまいました。王女スザンヌは、男を連れ込む乱れた女性だと」
そんなひどいことがあるだろうか。
誰よりも怖くてつらかったのは、スザンヌ妃殿下であったはずなのに。
そのときの彼女の気持ちを思うと、悔しくて、目に涙が滲んでくる。
「それで、幸運なことに、婚約もなかったことになりました。私が修道院に入りたいと言うと、父は意外にも、構わないと言ったんです。ですから、その準備をしていたのですが、そこに視察に来ていたエタノール王国の使節団から、婚約の申し出があって、本当に驚いたんです」
そのときの使節団には、エドワード王弟殿下と、ウィリアム第二王子が参加していたらしい。
「ウィリアム様が私を見初めたので、婚約の申し込みをしたいとのことでした。父は他の王女や貴族令嬢ではだめなのかと、代案を出したそうですが、どうしても私でないとだめだと乞われて、父としても断り切れなかったのでしょう。私はエタノール王国に嫁ぐことになりました」
「やはり、ウィリアム王太子殿下はスザンヌ妃殿下を愛していらっしゃるのではないでしょうか」
「いいえ。初夜に、夫婦の寝室で彼に言われたのです。『あなたを愛するつもりはない』と」
どこかで聞いたセリフである。
けれども、これは最悪のタイミングだ。
いや、わたしがリカルドに言われたのもいいタイミングであったかどうかといわれると謎だけれども、女性にとって大切な、夫婦として初めての夜に、ウィリアム王太子殿下はなんてことを言い出すのだ。
そもそも、自分から結婚を申し込んで夫婦になっておいて、結婚後に「今後普通の結婚とは違う扱いをします」と手のひらを反すような宣言をするなど、卑怯にもほどがある。
何様だというのだ。
王太子様だった。
いや、でも、偉い人が相手でも許せることではない。
わたしがスザンヌ妃殿下の母親だったら、「そんな婚家からはすぐに帰ってきなさい!」と徹底抗戦待ったなしである。
「立太子のため、また政策の一環で、私を妻に迎える必要があったとのことでした。白い結婚により二年で婚姻無効とする、失踪した彼のお義兄様が戻ってきたら、もっと期間を短くできると。……お義兄様は結局、この二年近く、一度も王宮に戻らなかったのですが」
「そ、そんな……あんまりな内容です。スザンヌ妃殿下は、それでいいのですか」
「私には選択肢はありませんから。ただ……」
「ただ?」
「リキュール伯爵夫人です」
「えっ」
ここでわたし!?
この深刻な話の中に、わたしが入る余地はあるかしら!!?
「リキュール伯爵夫人は、女性が苦手になってしまったリキュール伯爵と、あんなにも仲睦まじくされています」
「そ、そうですね」
「義理の娘さんとも仲がよくて、あんなにもなつかれていて」
「は、はい、幸運なことです……。スザンヌ妃殿下は、イーゼル殿下とは?」
「言葉を交わしたのは、おそらく片手で数えるほどでしょうか」
「……二年近く、同じ建物に住んでいらっしゃるのに?」
「はい。どうしたらいいのか、わからなくて」
どんどん俯いて目が合わなくなっていくスザンヌ妃殿下に、わたしは冷や汗をだらだらとかく。
一体、どうしたらいいのだ。
これは重すぎる。
わたしがひたすら動揺していると、スザンヌ妃殿下は意を決したように顔を上げて、わたしを見た。
美しく繊細な手が震えていて、それを自ら固く握りしめている。
「でも、あなたが手にしているものが、とても眩しくて。私……」
「妃殿下」
「時間は多くありません。けれど、こんな私でも、頑張れることが、あるなら」
言葉をつまらせたスザンヌ妃殿下に、わたしは、ああと、安心する。
よかった。
彼女はまだ、前を向いているのだ。
こんなにも苦しいことが沢山ある中で、必死にあがいて、手を伸ばしている。
ならば、わたしができるのは、その手を握ることだけだ。
「スザンヌ妃殿下は、お二人と家族になりたいと思っていらっしゃるのですね」
「! ……わ、私」
「わたし、応援します。それに、大丈夫です。ウィリアム王太子殿下のお考えはわかりませんが、少なくともイーゼル殿下は、妃殿下と仲良くなりたいと思っていますよ」
「そうなんですか?」
「はい。実はですね――」
話を続けようとしたその瞬間、わたしは扉が薄く開いたことを見逃さなかった。
室内に居る侍女もそうだ。
扉の奥、廊下側に潜む黒い影は、二つ。
その正体は、果たして――。







