5 三人の兄が居るわたし
わたし、マリア=リキュール(二十三歳)は、マティーニ男爵家の長女だ。
しかし、父マーカス=マティーニと母ミラベル=ミモザの間に生まれたのは、わたしだけではない。
メルヴィス=マティーニ(二十八歳)。
ミゲル=マティーニ(二十六歳)。
マイケル=マティーニ(二十六歳)。
わたしには、三人の兄が居るのである。
「なんと、リキュール伯爵夫人はミゲルの妹君でしたか。これは失礼いたしました」
「不肖の兄が、いつもお世話になっております」
「あー……確かに兄君はなんというかこう、独特な人間性を見せてくることが多いような……」
「よ、よくご存じなのですね……あはは」
正直な話、次兄ミゲル=マティーニは、妹目線で見ても変人である。
どうやら彼は、好奇心旺盛な父の気質と、のめりこみがちな母の気質を受け継いだらしい。
貴族の子女が十五歳から十八歳まで通うこととされるアルクール貴族学園を卒業した後、領地に戻らず王都に残り、とある研究を始めてしまったのだ。
本人が「趣味が長じただけだよ」と言っていたので、家族は皆――双子の弟の三兄マイケルを除いて――遊んでいないでマティーニ男爵領に戻って来いと再三促したのだけれども、当のミゲルはのらりくらりと私達の要請を躱してきた。
そして、わたし達の知らないうちに、次兄ミゲルは数多くの特許を取り続けた結果、気がついたときには、一代伯爵の地位を手にしていたのである。
それを聞いた父マーカス=マティーニは、「趣味というのは、遊びにとどめておくもののことを言うのでは?」と首を傾げ、家族から白い目で見られていた。
野菜好き、旅好きという趣味をこれほど拗らせておきながら、人のことを言える立場なのだろうか。
ついでに、母ミラベル=マティーニは「ちょっと根を詰めすぎなんじゃないかしら。好きなことを仕事にすると、闇落ちした勤務形態になりがちなのよね。心配だわ」と首をかしげ、さらに家族から白い目で見られていた。
母は引きこもり系の研究者なのだ。とある職人でもある。その成果物は、その界隈では知らない者がないようなレベルにもてはやされている。その代償として、生活週間はかなり乱れている。
これほど趣味と仕事に生活を乗っ取られておきながら、人のことを言える立場なのだろうか。
ともあれ、実はわたし達は明日、次兄ミゲル=マティーニに会いに行く予定なのだ。
なのでわたしがそのことをファリスに告げたところ、ファリスはざあっと血の気が引いたような蒼白な顔になった。
「もしかして、リキュール伯爵はミゲルとは初対面で」
「そうだな」
「ミゲルが……初めて、リキュール伯爵閣下の御前に……!?」
「い、いや。そんなに構えるようなことではなく」
「広い心でご対応いただけますと幸いです。そう、広い心で」
「……?」
「私が奴の家に事前にテコ入れに行ったほうがいいのか? いや、しかし……」
あまりに青ざめているファリスに、わたしが「次兄のことは色々と察していますので大丈夫ですよ」と伝えると、「ああ……妹君ですもんね……」と死んだ目をしていた。
次兄はそれほどひどい生活をしているのだろうか。
去年父と共に王都で会ったときも、それはひどい生活をしていたような気もするが、もしかして悪化している……?
「わー! ママ、お友達おっきいのー!!!」
わたし達夫婦とファリスが次兄ミゲルの話に花を咲かせていると、わたしの腹部に銀色の弾丸娘が衝突してきた。
可愛い銀色スナイパーはどうやら、キュートな瞳で心を打ちぬくだけでなく、物理的に私のお腹も打ち砕いてくるらしい。
痛い。
星が飛ぶ視界の奥で、リーディア付きの侍女サーシャが、「奥様すみません……!」と青ざめている。
割と重いダメージを負いながらも、わたしがリーディアに向き直ると、可愛い愛娘はキラッキラの紫路のお目目をこちらに向けながら、満面の笑みでその胸の内に抱える大ニュースを教えてくれた。
「ママ! お友達一人目、みつけたの! 緑色なのー!」
言われた進行方向を見ると、廊下を抜けた先に、大聖堂として使われている広間があった。
どうやって建築したのか不思議でならない、高い天井に、木彫りの施された礼拝席が規則正しく並べられ、祭壇やオルガンなどが置いてある壇上には巨大なガラスのモニュメントが設置されていた。
あれはおそらく、創造神を模したものなのだろう。
ややオレンジ色の間接照明に照らされたそこは、創造神の凛々しい顔立ちも相まり、荘厳な空気に満たされているように感じられる。
その下、石造りの壁の部分に、淡い緑色の花を描いたような魔法陣が彫刻されていた。大きさは、わたしの背丈ぐらいはあるだろうか。彫られた花は、先ほどファリスがリーディアに渡した花と同じ種類のものと見て取れる。
「ファリスお兄ちゃん! リーは一人目、みつけたよ!」
「おや、すごいですねえ」
「そうなの! リーはすごいのー!!!」
「あっ、こら! 待ちなさーい!」
興奮した銀色スナイパーは、白い花を握りしめたまま、しゅたたたたたた、と壇上の奥にある緑色の花の彫刻を目指して駆けだしてしまった。
今は礼拝の最中ではなく、観光客が大勢いる雑多な時間帯とはいえ、勝手に壇上に上がっては失礼にあたるだろう。
今回の疾走についてはリカルドも予想していなかったらしく、銀色疾走娘は野放しだ。
わたし達は慌ててリーディアを追いかける。
大人達の隙をかいくぐり、いち早く緑色のお花の魔法陣の前にたどり着いた銀色スナイパーは、「一人目の、お友達!」と言いながら、緑色のお花の描かれた魔方陣に両手を突いた。
すると、魔法陣が突然、緑色の光を放ち始めたではないか!
「!!?」
「――リーディア!」
目に優しい光があふれて、愛娘を包んでいく。
追いついたわたしとリカルドが慌てて彼女を魔法陣から引きはがすと、緑色の光は収まり、魔法陣からぽろりとこぶし大の緑色の綿毛が零れ落ちた。
「リーディア、マリア! 大丈夫か!?」
「リーディア、大丈夫!?」
「目が回るの~」
わたしの腕に後ろ手に抱き留められていたリーディアは、そのまま足の力が抜かれ、その場でへたり込んでしまった。
一緒にその場に座り込みながら、わたしは彼女の額に手を当てる。
「熱はないわ。手も無事ね? リーディア、めまいがするの?」
「目の前が、チカチカぐるぐる~」
「……おそらく、魔力を使いすぎたことによる魔力酔いだろう。すぐに回復すると思うが……魔法陣に、ごっそり魔力を持っていかれているようだ」
リカルドがリーディアの額に手を当てた後、渋い顔をしてそう呟く。
彼は貴族学園で魔法を習っているだけでなく、高位治癒魔法の遣い手でもある。
魔力不足や魔力酔いなどのことも、ある程度知識があるのだろう。
すぐに回復すると聞いてとりあえず肩の力を抜くと、後ろの方からバタバタと足音がして、ファリスの声が間近に聞こえた。
「リーディア様! リキュール伯爵、伯爵夫人、ご無事ですか!?」
「ファリスさん」
「娘は魔力酔い程度で済んでるようだ。それで、これは一体?」
リカルドの言葉に促されて、一同は魔法陣のほうに目を向ける。
そこには、魔法陣から零れ落ちたこぶし大の緑色の綿毛がいた。
ふわふわの塊は、どうやら生き物らしい。
ぱちくりと目を――目があるようだ――瞬くと、周りをきょろきょろと見渡す。
その緑色の瞳に映ったのは、わたし達、神官ファリス、周りを取り囲む守衛達、息を呑んで事態を見守る観光客達。
「ぴー!?」
綿毛はその場で飛び上がると――よく見ると羽らしきものもあるようだ――慌てたように魔法陣に向かって体当たりをした。
そして、跳ね返された。
床にぽてりと落ちて、茫然とした様子の綿毛は、首をプルプルと振り、再度魔法陣に向かって体当たりをする。
そうして、幾度どなく挑戦を繰り返した綿毛は、魔法陣の中に戻ることができないと察したのか、その場でぴーぴーと声を上げて泣き始めた。
か、可哀そう……。