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1 プロローグ




「私が君を()()()ことはない。この部屋に来ることはもうないだろう」



 初夜、共寝用の寝室で私に向かってそう宣言したのは、今日からわたしの夫になったリカルド=リキュール伯爵。


 サラサラの白銀の髪に紫色の瞳の彼は、月夜に照らされると、黒いガウンと相まってまるで悪魔かインキュバスのような色気を醸し出している。


 そんな彼の口から紡がれたのは、初夜に夫から妻に言ってはいけない言葉ランキングなるものがあったら堂々たる一位に輝くであろう、残酷な言葉だった。



 しかしながら、わたしはそんな彼の言葉に、傷ついた素振りもなくこくりと頷く。



「分かっていますわ。ご安心ください、夜中に襲ったりいたしませんから」

「……うん」


 わたしの言葉に、彼は心底ホッとしたような、しかしどことなく寂しそうな顔をする。


「本当にありがとう。では、良い夢を」

「はい、おやすみなさいませ」


 そして、クルリとわたしに背を向けると、内扉から自分の部屋に戻っていった。


 その後ろ姿を確認したわたしは、ベッドの上で正座をしていた体をゆるめて、万歳をしながらベッドに沈み込む。


「よしっ、わたしも部屋に戻ろーっと」


 もう二度と使うこともない寝台だ。

 ベッドのバネに気遣うこともなく、わたしは思い切り跳ねるようにして立ち上がった。



*****



 わたしはマリア=リキュール伯爵夫人。昨日まで、マティーニ男爵家の長女だった。

 わたしとリカルド=リキュール伯爵は、本日政略結婚したばかりである。


 そしてこの政略結婚には、三者の思惑が絡んでいる。

 この三者とは、リキュール伯爵家とマティーニ男爵家、そしてなんと王家だ。


 実はリキュール伯爵家は、国内随一の治癒魔法の使い手を産み出してきた家系なのである。


 大昔に聖女を娶った家系ということで、その力は戦場で重宝されてきた。

 それと同時に、他国からの引き抜きや暗殺など、危険に晒されることが多かったらしい。しかも、リキュール伯爵家の一族は、心清らかな聖女の血筋のためか、みな真面目で、婚外子を残すようなことをしなかった。


 なにが言いたいかというと、実は現在、大事なリキュール伯爵家の血を引く者は、なんとたった二人しかいないのだ。


 現リキュール伯爵の父母が領地視察中に野盗に襲われて命を失い、その従兄弟達が戦場で命を失い、蓋を開けてみたら、リキュール伯爵家の血を引く者は現伯爵とその娘リーディアの二人のみとなっていたのである。


 エタノール王家は焦った。


 リキュール伯爵家は、エタノール王国の戦力の象徴、聖女が国に腰を落ち着けた証、国の自慢だったのだ。

 そのリキュール伯爵家が、今まさに存亡の危機である。


 残ったのは、三十二歳のリキュール伯爵本人(男)と、六歳の娘のリーディア。 


 娘はまだまだ子供で、六歳といえば流行病で死んでもおかしくない年齢。何より治癒魔法が使えるとはいえ、女性は出産で亡くなることもしばしばある。

 産めよ増やせよを推奨するならば、どう考えてもリキュール伯爵(男)が適任者である。


 しかしながら、ここで問題が起こった。


 リキュール伯爵は、妻の不倫により離婚したばかりで、二度と再婚はしないと公言していたのである。


 どうしても再婚して子供を大勢作ってほしい王家。


 どうしても結婚したくないリキュール伯爵。


 両者の熾烈な攻防は一進一退、リキュール伯爵は強制的に夜会に呼ばれては、多くのハニートラップに見舞われてきた。娼婦、未亡人、未婚の娘、平民から貴族まで、ありとあらゆる甘い罠をかいくぐり、疲労困憊トラウマ限界のところで、リキュール伯爵は、わたしの家のお人良し家長に連れられて、マティーニ男爵家にやってきたのだ。


 うちのお人良し家長は、恰幅のいい腹を揺らしながら言った。


「うちの娘を隠れ蓑に使っては? 偽装結婚、というやつですね、ハハハ」


 うちに来た当初、あんなにゲッソリしていたリキュール伯爵に、なんてことを言うのだ。

 わたしは怒ったが、意外なことにリキュール伯爵は断らなかった。


「そ、そんなことをしてもらえるなら、ありがたいが……」

「え? 嫌じゃないんですか? わたし、別に構いませんが……」

「え!?」


 という訳で、わたしとリキュール伯爵家は、王家のハニートラップからの隠れ蓑として、とりあえず一年間だけ契約結婚することとなったのだ。


 正直、白い結婚なんかで別れたら、リキュール伯爵の再婚にホクホクだった王家が何か言ってきそうだとは思う。

 しかしながら、我が家に来た当初のリキュール伯爵は非常に疲れた顔で「なんでもいい、一年だけでもいいから平穏な日々を」と呟いていて、あからさまにノイローゼ状態だった。

 そんな伯爵に、温厚かつ能天気なマティーニ男爵家一同は大いに同情したのだ。わたしもそうだ。そして、トントン拍子に契約結婚が実現したのである。


 しかし、結婚の決まったわたしは思った。


(こんな平凡なわたしと形だけとはいえ結婚することになるなんて、美形のリキュール伯爵は想像もしなかったでしょうね……)


 マイルドな茶髪に蜂蜜色の瞳の、ごくごく平凡な顔立ちの男爵家の娘。そう、わたしは別に美女ではない。

 そして、その辺の男爵家に嫁ぐことが決まっていた身としては、白い結婚の後、自由の身になれるのは正直非常にありがたかった。


(近所の男爵家の令息達、好みじゃなかったし。マティーニ男爵家は兄さんが継ぐし。この結婚で、リキュール伯爵家に恩も売れて、男爵家にも利はあるし。離婚した後は好きに生きてやるわ!)


 この結婚、リキュール伯爵はともかく、わたしにとってはメリットしかないのである。


 そんな流れでウキウキのノリノリで臨んだ親族だけの結婚式、そして初夜が、冒頭の流れだったのだ。



*****



 はてさて、わたしはリキュール伯爵の妻という地位を得たものの、一年後には立ち去る身。

 領地経営や家のことについては、基本的に触れずにいるという話になっている。夜会だって、年に数回ある王家主催のもの以外は参加しなくてもいい。お茶会も免除。とにかく結婚の事実だけがあればいいのだ。


 侍従や侍女達も心得たもので――というか、リキュール伯爵の女嫌いが激しすぎて再婚が契約結婚であることを隠せなかったらしく、とにかくリキュール伯爵家本邸内の使用人は全員、わたしとリキュール伯爵との関係を知っている。本当に、気楽なものである。


「おはようございます! 今日も素敵なお庭ですね」

「おや、いらっしゃい、奥様。今日も庭いじりしていくのかい?」

「ええ。だって、男爵家にいた間は、畑仕事もしていたのよ? 土が恋しくて」

「伯爵夫人やってる間は、畑仕事は無理だなぁ。そうだな、この花壇とか管理してみるかい? やる気があるならだが」

「いいの? やった! ありがとう、是非やりたいわ!」


 庭師とそんな話をしながら、ああでもないこうでもないと花壇の配置を構想する。

 庭いじりに喜んで満面の笑みを浮かべるわたしに、庭師は「前の奥様とは正反対だなぁ」と失笑した。


「そういえば、奥様は一人でこんなところにいて大丈夫なのかい?」

「え?」

「いつものお連れさんがいないじゃないか」

「ああ、そうねぇ。でも大丈夫よ、まだ朝早いから……」


「びゃー!!!」


 本邸の三階の端、窓の開いたその部屋から、なんだか激しい泣き声が聞こえる。


「ほら、気づかれちまったようですぜ」

「あらあら、早起きになったものねー」


 わたしは庭の水道で手を洗った後、パタパタと駆けるようにして泣き声のする部屋に向かっていく。


「伯爵夫人ー、走るのはだめなんじゃないですかねー」

「今だけ許してー!」


 庭師のおじさまの指摘に適当に返しながら、わたしは三階まで邸内を駆け上がり、目的の部屋へと辿り着いた。


「リーディア! どうしたの〜?」

「うあぁあ、マ゛マぁー!」

「はいはい、ママですよー」


 扉を開けると、可愛い六歳の女の子がわたし目がけて飛び出してくる。

 白銀のサラサラストレートヘアに紫色のくりっくりの瞳がキュートなこの女の子は、もちろんリキュール伯爵の娘、リーディアである。

 えぐえぐ泣いている彼女をしっかりと抱きしめながら頭を撫でてはみたが、寝起きで泣き叫んでいた彼女の鬱憤はまだ収まらないようだ。

 彼女の背後では、乳母が苦笑している。


「どうして勝手にいなくなったの? 迷子になったらダメなのよ!」

「ごめんねー、リーが起きてくると思わなくて。こんなに朝早く起きられるなんて、リーは偉い子なのねぇ」

「えへへ、リーは偉い子なの! なんでもできるのよ!」

「うんうん、凄いねぇ」


 ぎゅーっと抱きしめて抱え上げると、リーディアは声を上げて喜んでいる。

 彼女はもう六歳なので、わたしの腕には正直結構重い。

 けれどもリーディアが喜ぶので頑張って抱え上げてしまうわたしは、結構健気だと思う。


「リー、まだ眠たいでしょう。まだ六時だから、いつもより起きるのが一時間半も早いわ」

「ねむくない」

「嘘はダメよ。体がぽかぽかしてきたし、目がとろとろしてるでしょう?」

「ママも寝る?」


 なんとかベッドに連れて戻って毛布を掛けたというのに、リーディアはわたしの服の裾を握ったまま離さない。

 上目遣いで私をベッドに誘ってくる美少女の、あざとさよ。可愛い。めちゃくちゃに可愛い。


「じゃあママも寝ちゃおうかなぁ」

「ママはしかたない子ね。じゃあ、リーディアが、ママが寝るまで一緒にここにいてあげる」

「リーが私を寝かしつけるの?」

「そうよ」

「じゃあ、リーは私が寝るまで、眠らずに様子を見ていてくれるのね?」

「まかせて!」


 急な任務に、リーディアは胸を張って目を爛々させている。

 くすくす笑いながら、リーディアの横で目を閉じると、毛布に包まれたリーディアが懸命に私の様子を窺い、頭を撫でてきた。


「ママ、ねた?」

「……」

「ママ、ねえ、ねた?」

「……」

「……ママ」

「……」

「……」

「……リー?」

「……」


 もう寝てる!

 マティーニ男爵領の孤児院の子達を見ている時も思ってたけど、子供って寝るの早くない!?


 すやすや眠っているリーディア。

 ふくふくのほっぺとサラサラの髪を揺らしながら、彼女は至福の顔で寝息を立てている。

 わたしはその頭を撫でながら、ため息をついた。



 ――実は、わたしは、このリーディアとも、一年限りの()()()()()()なのだ。



 とはいえ、リーディアはまだ六歳。しかも、初めてのママに、毎日が大興奮である。


 今後ママ業をどう廃業するのか、これから先のことに思いを馳せ、わたしはもう一度ため息をついた。




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