92話
予定が決まってから数日。取り敢えず必要な物はニルヴァーナに詰め込み終わって、後はシエルが来るのを待っていた。僕はソファーに座って資料に目を通し、隣にはステラが座り、フラウはステラの隣で眠っていた。
そういえば、結局マリンはどうしているんだろう。彼女についていったのは知っているけど、そこからシエルは進展が無かったはずだ。あの戦士気質の彼女が大人しく彼女と行動を共にしているとは思えないんだけどね。
まぁ、彼女がまだ一緒にいたとして大きな問題はないけれどね。寧ろ、いざという時は頼りになるのは間違いないし。
「そろそろだと思うんだけど………まぁ、色々頼んでしまっているし遅れるのも仕方ないのかもしれないね。ただでさえ戦後の処理で忙しいだろうし」
「星命樹の事を考えたら、急いだ方が良いと思うんだけど………」
「それは間違いないんだけどね。彼らにもやるべきことがあるし、星命樹の伝説も普通の生活では実感する事なんてないからね。メディビアみたいな例は除くとして、大半の国では星命樹の事を気にしていないはずだよ」
「そうなのね………でも、シエルはなんで最初からメディビアに行かなかったの?星命樹信仰が根付いてるなら、一番の目的地になると思うんだけど………」
「流石にそこまでは分からないけど………まぁ、単純にメディビアを知らなかったとかじゃないかな。生誕の樹海から星命の子が出ることは滅多にないし、外部の情報も入ってきづらいと思うよ」
まぁ、完全に憶測だけどね。フォレニアの事は知っていたようだし、どこまで情勢に詳しいのかは僕だって分からない。『権能』の事も知っていたらしいし。
「………確かに。私もアストライアに居た頃は地上の事は全く分からなかったし、そうなのかも」
「ただの予想だし、ただ砂漠を渡る術が無かっただけの可能性もあるけどね。まぁ、そこは気になるなら彼女に聞いた方が早いと思うよ」
僕はそう言って、読んでいた資料に目をやる。これはアズレインが帰り際に貸してくれた資料で、メディビアの情勢などについて詳しく記されていた。各国を跳びまわる世渡りの蝶だから、常に各国の情報を記しているために多くの資料が出来上がっているらしい。
勿論、貸してくれた理由は僕たちがメディビアで気を付ける事などを知るべきだったからだ。まだ途中までしか読んでいないけど、なかなかに油断できない場所みたいだからね。『権能』達が持っていた知識から、何となく予想はしていたけどね。
「真剣に読んでるけど、何か書いてたの?」
「………そうだね。予想通りと言うか、ただ楽しい旅行と言う訳にはいかないかも………ってね」
「………治安が悪いの?」
「良いとは言えないだろうね」
まぁ、まだ事件に巻き込まれると決まったわけじゃないけど、油断しているとそうなる可能性は十分ありそうだ。そもそも楽しむことを目的にしているわけじゃないけど、事件に巻き込まれるのは御免だ。
特に、『権能』や有翼族、ゴーレム、魔族なんて目立つ要素以外ないしね。僕とフラウは見た目だけならそんなに目立つこともないんだけど、ロッカとステラはそうもいかない。どちらもその珍しさから事件や悪意を向けられているしね。
「メディビアってどんなところなの?」
「前に話した通り砂漠なんだけど………発展の背景に、外部の商人が大きく関わってると言っただろう?」
「えぇ、それは覚えてるけど………」
「その中で、特にメディビアの発展を支えた四つの商会があったらしいんだけど、そこがメディビアで大きな権力を持っているんだ。国王が政治を行っているのは間違いないんだけど、それらの商会が圧を掛けたりとかで、実質的な統治者はそれらの商会といってもいいらしいね」
「それ、乗っ取りって言うんじゃ………」
「まぁね。元はと言えば、四代目国王が商人を呼び込むために色々と法律を弄ってしまったせいで、強い勢力を持ってしまったみたいだ。そんなこともあって、メディビアに本拠地を構えてる商会も沢山あるらしいんだけど………厄介なのは、メディビアでの商売には法的な束縛が存在していないんだよ」
僕が懸念しているのはそこだ。他国なら本来違法になるような商売が、メディビアでは当然のように行われている。違法薬物や、奴隷の売買が大っぴらに行われているのだから質が悪い。
人攫いや詐欺まで合法と言う訳じゃないから、人を無理やり奴隷にしたり、商品を偽って販売するのは違法だけど、一度でも騙されて契約が結ばれてしまえば、それは違法じゃなくなる。商人は口が回る人間が多いしね。そうやって人生を滅茶苦茶にされた人も多くいるらしい。
「………取り敢えず、メディビアでは出来るだけ一人で出歩かないようにね。もし一人で行動するとしても、絶対に商人に持ちかけられた契約に合意したら駄目だ」
「う、うん………分かった」
こう言っては何だけど、今までアストライアで暮らしていた彼女が商談や話術で商人に上手を取れるとは思えない。特に気が強い訳ではない、あれやこれやと丸め込まれて騙されてしまうような気がしてならなかった。フラウは何だかんだと人を疑う事を知っているし、警戒心も十分高いと言えるからそこまで心配いらないかもしれないけど。
ロッカは………まぁ、そもそも口が無いしね。契約書を書けと言われて素直に書くほど馬鹿じゃないし。
「でも、さっき四つの商会があった………って言うのは………」
「あぁ………確かに元々四つあったらしいんだけど、そのうちの一つは十数年前に潰れてしまったみたいだ。何が原因かは確証がないらしいけど、他三つの商会との仲違いが原因だろうと言われてるね」
まぁ、これは僕らにはあまり関係のない事だけど。僕の目的は政治に関わることじゃないし、直接メディビアの国王と謁見するのはシエルだし。じゃあ僕がメディビアに直接行く意味がないって?
そもそも、僕が今回の案を出したのは星命樹の件で協力者になるためだ。星命の子は頑なに部外者へ星命樹の話をしたがらないから、どうしても協力者としての立場を確立しなきゃ関わることが出来ない。独断で動いて事が好転してくれればいいけど、そもそも一人で乗っ取られた星命樹をどうにかできるとは思えない。破壊していいかも分からないし、浄化する方法も知らないからね。
だから、協力者として僕が関与するためには僕が出した案に乗ってもらわらないといけない。そのためにわざわざアズレインに頼んだしね。
「まぁ、それは僕達には関係ない事だよ。僕の目的は、星命樹を解放する事だからね」
「………うん。分かってる」
ステラは小さく頷いた。色々と不安に思うところはあるだろうし、正直僕だって不安が無い訳じゃない。でも、誰かがやらなきゃいけないことで、それを出来るのは僕しかいない。このままじゃ、この星に住む生命が全て滅んでしまうんだ。
「それにしても、随分と遅いね。そろそろ………」
そう言いかけた時、玄関のドアがノックされる。噂をすればってやつかな。ノックの音に気付いたのか、フラウもゆっくりと目を開けた。
「………?」
「おはよう。アズレイン達が到着したみたいだよ」
「………そう」
小さく欠伸をしたフラウ。少しだけ微笑ましく思いながらソファーを立ちあがり、ドアへと向かって開く。
「お待たせしました。色々と処理しなければいけない仕事がありまして」
「分かってる。無理を言ってすまなかったね」
「いえいえ………こちらこそ、このような事態で何も出来ないことを悔やむばかりです」
そう言ったアズレインの後ろには二人の女性が立っていた。おや、君も付いて来ているとは。ちゃんと付き添い人としての仕事はやっていたんだね。
「………あら、何か言いたげね?」
「さぁね………君も来るのかい?」
「えぇ、駄目かしら?」
「いや、構わないよ。シエルも許可したからここにいるんだろうしね」
「話が早くて助かるわ」
まぁ、そんな感じでマリンも付いて来ていたみたいだ。まぁ、戦力は多ければ多いだけ助かるし、悪いことは無い。
そして、マリンの隣には少し遠慮がちな表情をしているシエルがいた。
「………その、巻き込んでしまってごめんなさい」
「僕が勝手にやった事だし、謝られてもね。それはそれとして、話は聞いてるかな?」
「はい。メディビアに行った後は私が」
「うん。ならすぐにでも出発しようか。荷物は作っているかい?」
僕がそう聞くと、アズレインが頷いた。
「お二人の荷物はこちらで用意させていただきました。こちらに持ってきているので、それを積んでいただければと」
「分かった。それじゃあ、後は任せて」
「はい。お願いします………それと、シオンさんにもう一つ大事な用があるのです」
「僕に?何かな」
そう言って、アズレインが懐から何かを取り出す。それは一枚のカードだった。
「これを受け取ってください」
「………?これは………」
アズレインが差し出したカードを受け取る。表にはフォレニアの紋章と、僕の名が刻まれている。そして、裏を見ると………
「………これはまた、随分と」
裏面には、『このカードは、永遠の友好の証である』と言う言葉と共に、ディニテとセレスティアの名前が刻まれていた。
「それがあれば、これからあなたが何か厄介な事に直面した際に大きな力となってくれるでしょう」
「いいのかい?これを渡すってことは、僕の行動が君達に大きな影響を与えてしまうかもしれないよ」
「それを踏まえた上で、陛下とセレスティア様はあなたにこれを託したのです。であれば、私はそれを信じるのみです」
「そうかい………そうだね。なら、これはありがたく受け取るよ」
「えぇ、そうしてください。それでは、私はこれにて………ご武運を」
「うん。ありがとう」
アズレインは小さく頭を下げ、そのまま村へと戻っていく。それを見送って、再び二人に向き直った。
「それじゃあ、出発しよう」




