89話
「………少し、遅かったみたい」
遠い地上を見ながら小さく呟く。巨大な谷が形成された荒野と、残ったものを全て消し去らんとする破滅の光が目に映った。
かといって、諦めて何もしない訳にもいかない。遅れたのは私の責任なんだから。私は玉座から立つ。それと同時に、私の城が大きな音を立て始める。城の周囲に巨大な盾のような物や、剣、矛などが生成されていく。
一本の矛が切っ先を対象へと向けて回転を始める。それと同時に蒼い光を纏い始めた。
怪物が二つの光球を融合させようとする。その瞬間だった。唐突に怪物が空を見上げる。その瞬間だった。それと同時に光球を消滅させ、代わりに三層の障壁を展開する。直後、展開された障壁へと青い光を纏った巨大な槍………いや、塔が衝突する。
その塔は回転を続け、一層目の障壁に罅が入る。怪物は翼に白い旋風を纏う。そして障壁を自ら消滅させて翼を振るう。放たれた烈風は強烈な衝撃波となり、その塔を破壊する。
そのまま空へと向かう白い旋風。しかし、それはあまりに巨大な盾によって阻まれる。
「流石に、不意打ちで倒せるほど甘くない………」
「………え?」
大きくはない声だった。しかし、何故かはっきりと耳に入る。控えめと表現するのが相応しい声の主だったが、彼女が先ほどの攻撃の主であることはその言葉ではっきりと分かった。
巨大な盾が消える。その背後に浮かんでいたのは一人の少女だった。小柄な体躯に黒いワンピースを纏い、蒼い髪を後ろに結って紫に輝く瞳で怪物を見下ろしていた。
しかし、少女は普通の人間ではない事は確かだった。その背には青い光を纏った黒い翼を伸ばし、蒼い髪の間からは二本の小さな角が後ろに向けて生えていた。
「………」
対して怪物は無言のままだった。殺意や憎悪を向けることもなく、ただ少女を見ていた。先に動いたのは空を飛ぶ少女だった。
右腕を振るった。その瞬間、大空から無数の塔が蒼い光を纏いながら飛来する。怪物は両翼に白い旋風を纏って交互に振るう。その余波で大地が削れて砂嵐が発生し、無数の塔と白い旋風が激突して、塔が破壊されていく。
しかし、その数は衰えずに更に別方向からも塔は怪物へ向けて発射される。怪物は右手に白い光球を生成し、振り向くと同時にそれを空中へ向ける。
そして、白い閃光が空を切り裂いた。切り裂かれていく塔が次々と爆発を起こす。そのまま空を薙ぎ払いながら、閃光を少女へと向ける。
「………!」
少女が左手を突きだす。その瞬間、巨大な盾が少女の前方に割り込み、光線を阻んで爆発を起こす。だが、その瞬間に怪物の周囲を取り囲むように複数の巨大な剣が滞空する。それは刀身が左右に展開し、蒼い光を切っ先に生成すると同時に蒼い巨大な光線を発射して無数の光線が着弾すると同時に巨大な青い爆発を起こす。
「………」
「なんなんだ………あれは………」
爆炎が消える。上空には少し亀裂の走った巨大な盾と、地上には一切無傷な怪物の姿があった。直後、盾が音を立てて砕ける。背後には一切表情を変えずに怪物を見下ろす無傷の少女がいた。
怪物は翼を大きく広げて奇声を上げる。そのまま翼を動かすこともなく空へと飛翔する。それを見た少女は翼を一度はためかせ、まるで舞うかのように飛行を開始する。怪物はそれを追いながら、周囲に白い球体を生成していく。それはまるで眼球のように黒い一つの点が少女を向いており、徐々に光を発する。
そして、空を飛ぶ少女へと球体から次々と白い光線が放たれた。少女は後方を一瞥すると、その光線を避けながら腕を振るう。怪物へと遥か上空から無数に降り注ぐ巨大な剣。
怪物が一瞬だけ白い光に包まれ、その姿が消える。無数の剣は空を貫くと同時に、少女は右手を上空へと振るって盾を生成する。その瞬間、少女の上から怪物が急降下しながら翼を叩きつけた。
「っ………!」
大きな音を立て、盾は徐々に亀裂が走っていく。少女はやや苦しげな表情を浮かべながら青い光を纏った両手を前に突きだして力を込めていく。しかし、そのまま怪物は力任せに翼を振り払い、盾を破壊する。それと同時に怪物が左手を突きだし、閃光が瞬いた。
強力な光の衝撃が発生し、空気の壁を超える程の勢いで落下した少女が砂ぼこりを立てて地面に叩きつけられる。怪物が両手の間に白い光球を生成する。それを見て、私はやっと気づいた。
「………っ」
王族である私がただ見ているだけなんて、許されるわけがない。彼女が誰なのかは分からずとも、この戦いを始めたのは私なのだ。ならば。
「日輪よ………!」
「なっ!?待て!」
剣に纏う炎が激しく揺れる。そのまま駆け出す私を姉上が制止しようとする。しかし、それよりも早く地面に叩きつけられて蹲っている少女の近くに駆け寄る。地面に罅が入っていることが、彼女が地面に叩きつけられた時の衝撃が計り知れない物なのだと理解した。空を見上げる。そして、上空から眩い白い光が放たれた。
「我が道を切り開け!!!!!」
全霊で叫ぶとともに、ありったけの魔力を込めて剣を振るう。太陽を上回る程の輝きを放つ炎と、全てを無に帰す白い光が衝突した。光は炎によって切り裂かれ、私と少女を守る。しかし、剣に掛かる重みは今まで経験したことがないものだった。
「っぐ………!」
全身が悲鳴を上げる。例える言葉すらも分からない程の重みが、私を押しつぶそうとしていた。それでも………!
歯を食いしばり、限界まで剣に力を込める。いや、既に限界など越えているかもしれない。それでも私は光を押し返そうとする。
「うぅ………っ!?」
その時、私の背後から声が小さな声が聞こえた。しかし、今はそんなことに構っている余裕などなかった。
「剣よっ………!!!!!」
赤き剣から噴き出す炎は、私の声に呼応して激しさを増す。湧きあがる力は剣を押し出し、炎は光を呑み込む。
「はあああああああああああ!!!!!!」
私は全霊の力を込めて剣を振り払い、炎の斬撃が光を切り裂いて怪物に直撃する。その瞬間、翼の生えた少女が右手を上空に向けた。それと同時に怪物の周囲に無数に生成される左右の開いた巨大な剣。開いた刀身の間に蒼い光が充填され、輝きを増す。
「放て………!」
瞬間、全ての剣から蒼い閃光が放たれる。閃光は怪物に直撃し、巨大な爆発を起こした。衝撃で姿勢を崩し、私たちすら巻き込まれるかと思ったその時、信じられないほどの力で右手を掴まれた私はそのまま強い浮遊感を覚えた。
「ねぇ、大丈夫?」
「え?は、はい………」
静かに聞こえた言葉に呆気を取られながらも頷く。気付けば、爆発から少し離れた場所まで私達は移動していた。何が起こったのかは分からないが、ひとまずあの危機を脱したのだという事だけは分かった。
私が彼女の手を借りて立ち上がった瞬間だった。少女が私の後方を見て目を見開く。私達を覆い隠す影があった。
「—————————————————」
背後を振り返る。そこには未だに傷一つ負わぬ怪物の姿があった。白い光を纏った右腕を振り上げ、その鋭く巨大な爪で私達を引き裂こうとしている。私の名を叫ぶ姉上の声が遠く聞こえた。死を直感したのかすらも理解できない。
私が何かを考えるよりも早く、その右腕が振り下ろされた。
直後、けたたましい轟音と共に強い衝撃波が起こる。それによって吹き飛ばされる私達は地面を転げる。しかし、全身の痛みこそ強いが、私達は未だにはっきりと意識があった。何が起こったのか分からない。それを確かめるために顔を上げ、言葉を失った。
「………………」
黄金の鎖に全身を絡めとられ、身動きを封じられている怪物。それを、私は今まで何度も見て来た。怪物がやや力を込めるかのように唸り、鎖に亀裂が走る。そのまま翼を大きく広げて鎖を破壊した怪物だったが、その瞬間に少し遠くからまるで破裂音のような音が響く。
「!!!!!」
直後、まるで砲弾の如き勢いで飛んできたのは巨大なゴーレムだった。鋼鉄の体の持つ重量を全て乗せ、速度を込めた必殺の一撃をその巨大な右腕で怪物へと見舞う。先ほどまで物理攻撃すらも反応を示さなかった怪物の体がその一撃を受けて宙を舞い、吹き飛ばされる。
「さぁ、ここに示そうか。僕の偉大なる研究を」
聞き慣れた声がした。こんな時でも変わらない、落ち着いた声だった。でも、その言葉に含まれる絶対の自信が、私へ確かな確信を持たせてくれた。
「シオンさん………!」
吹き飛ばされる眷属の………いや、義神の肉体。妙に嫌な気配と、カレジャスが眷属に殺されたという事を考えれば、この戦いを予想をするのは難しくなかった。とは言え、必死の形相で飛んできた彼がいなければ、僕はここにはいなかったかもしれないけど。
勿論、こんな大事な戦いに僕に一報も寄越さなかったセレスティアには言いたいことが山ほどある。けど、それもこれも………
「まずは、用事を済ませないとね」
右手に深緑の光を纏わせて構え、手のひらを閉じる。同時に深緑の魔法陣が握った手を中心に展開され、輝きを増していく。
吹き飛ばされながらも、ふわりと姿勢を立て直して浮かぶ義神。この眷属は、既に眷属と呼ぶべき存在じゃない。十分な養分を得た器足り得る肉体は、月に封印された邪神の端末となっている。
勿論、完全復活をした訳じゃない。寧ろ、取り込んだ養分を肉体に使っているのだから、本体の復活は遅れるはずだ。けど、それでも十分なんだろう。
この傀儡さえあれば、更に多くの命を奪うことが出来る。邪神の神性と不死を獲得し、祈っただけの力では最早意味を為さないほどに成長したこれを止めることが出来る生命など、地上には存在しないだろう。
そう、例外を除けば。
「真なる理。命無き者は土へと還り、新たな命の礎となる。神にだって、是を否定できはしない」
右手を振るう。その瞬間に放たれた緑の波動。それは瞬く間に義神へ直撃する。その瞬間、まるで今までの戦いが嘘だったかのように苦しげな呻き声を上げ、地上に落ちて膝を付く。
生者必滅と言うように、本当の意味での不死なんて存在しない。この人形には生命など無く、ただ邪神の命令を受けて動くだけの屍でしかない。強い神性を以て神性を跳ね除けようが、生命を拒絶した以上は生命の力を受け入れることが出来るはずが無いからね。
この傀儡を作ったのは賢明だったと言えるかもしれない。神々も廃れた今、これに勝つことが出来る者なんていなかったかもしれないけど。
「まぁ、タイミングが悪かったね」
僕が転生した時代に行動を起こしたのが運の尽きかな。あと百年くらい早ければ、目的も達成できていたのかもしれないけど。前にも言ったように、僕は彼らに対しての特効を持っている。
まぁ、どちらにせよ。
「もう終わりだよ」
腕を上げる。その瞬間、天を覆い隠す暗雲が吹き飛び、ニルヴァーナが翼を広げた。無数の深緑の魔法陣を展開し、光を収束させている。それを感じ取った義神が翼を広げる。
「顕現せよ。メイアの権能」
右手に黄金の光を纏わせて地面に添える。その瞬間、義神の周囲から伸びて翼や手足を巻き取った黄金の鎖。それを振り払おうとした時、黄金の鎖が緑の光を纏う。途端に勢いが失せる義神。
次の瞬間、空で強い閃光が瞬く。発射される無数の新緑の光線が義神を呑み込んだ。
光が怪物を呑み込んでから数十秒。徐々に消えていく深緑の閃光。そこには何も残っていなかった。まるで無敵のように思えた怪物の終わりは実に呆気ない。
荒野にたたずむ青年は特に大したことないかのように静かに目を閉じて息を吐く。ゆっくりと、翡翠の瞳を開き、未だに地に伏せたままの私と目を合わせた。
「っ………」
何かを言いたかったが、言葉に詰まってしまった。何も言わずに私の方へと歩き出すシオンさんは、私の目の前で立ち止まった。
「大丈夫かい?」
「し、シオンさん………何故、あなたがここに………」
「君を心配するのは僕だけじゃないって事さ。あと少し遅かったら、間に合わなかったかもしれないけどね」
「………ごめんなさい。私は、あなたに頼りたくなかったのに………でも、結局また………!」
また、不甲斐ない姿を見せてしまった。それがあまりにも情けなくて、滑稽で。知らずのうちに拳を強く握っていた。
「セレスティア。僕からも言いたいことがあるんだ」
「言いたいこと………?」
「まず、僕と君は友だ。一人の人間としても、共に戦う戦士としても。だからこそ、僕と君は盟友だったはずだろう?それとも、ただの口先だけだったわけかな」
「そんなわけ………!」
「じゃあ、今更何を遠慮する必要があるんだい?友と手を取り合うだけの事を、そんなに重く見る必要なんかない。それが友達ってことなんだよ」
そう言って、シオンさんはゆっくりと手を差し伸べる。いつもながらに、彼に諭されてしまっていた。でも、そんないつも通りが少しだけ嬉しく思えた。
私は指し伸ばされた手を取る。そのまま、彼に支えられながら立ち上がった。筋肉質ではないながらも、しっかりと男性の体をしているその腕に安心感を覚える。ほんの少しだけそれに笑みを浮かべた時、背後から視線を感じた。
「………」
まさに呆れたような目線と言うに相応しいような目で私達を見つめていた少女がいる。何となく気まずいような雰囲気が流れて目線を逸らす。
最後の最後にこんな終わり方はどうかと思うが、それでも一つの災いは去った。けど、きっとこれで終わりではないはずだ。
「………」
雲間を縫って差し込む日光を見て、少しだけ目を細めた。




