79話
ソファーに座って本を読んでいた。隣にはフラウが僕に寄りかかって眠っていた。マリンとステラはいない。
ステラは散歩に、マリンは………ちょっと用事があると言って出て行ってしまった。星命樹の事から説明されたステラは分かったような分からなかったような微妙な顔をしていた。まぁ、突然スケールの大きな話をされても理解するのに時間が掛かるのは仕方ない。
数千年も生きていて、魂の転生を司る樹の存在を初めて知ったのなら、当然の反応だったかもね。そんな事を思いながら例の本を読んでいたとき、視界の端で反対側に眠っていた少女の目がゆっくりと開いたのを確認して顔を上げる。
「ここは………?」
「起きたかい?」
「え、あ………あなたは………」
「おはよう。まだ身体を無理に起こさない方が良いよ。傷が完全に塞がったわけじゃないからね」
「分かりました。その………助けていただきありがとうございます」
「どういたしまして」
昨晩の記憶はしっかりと覚えているらしい。急激な睡眠は直前の記憶を覚えていないことがあるから、混乱して暴れられたらどうしようかと思ったよ。今の彼女じゃ暴れるだけの力があるかも分からないけどね。
「随分と訳ありみたいだね。フォレニアに要があったのかい?」
「はい………でもすみません。詳しいことを話すわけには………」
「星命樹に何かあった?」
「っ………一般人を巻き込むわけにはいかないんです」
そうは言うものの、嘘を付くのが下手な子だね。一瞬動揺したのが分かりやすかった。そもそもそれ以外で星命の子が外部に出るようなことは無いから決まったようなものだけど。フォレニアに向かっていたことはマリンから聞いていた。
彼女は星命の子としての特権を持ち、あらゆる国境を越えて国王に謁見する権利を有している。ただ、その一生のうち星命樹に与えられた力が消えるまで星命樹を守る使命を課せられ、特権はその使命を果たすためだけに使われる。
とは言え分かっている事と言えばそれくらいかな。世代交代や生活様式、詳しい能力の詳細については謎に包まれている。それは、実際に特権が行使されるようなことが無かったからだ。
星命樹を守る使命と言いつつ、星命樹を害そうとする存在がいないのだ。人間だけでなく、あらゆる動物や魔物すらも星命樹のある生誕の樹海に近付こうとしない。
「一般人ね………そう言えば、『権能』って名前は聞いた事あるかい?」
「え?えぇ、勿論ですが………人の身でありながら、神々の叡智を知った五人の魔法使い達ですよね」
「そうだね。僕がその五人の後継者だって言ったらどう思う?」
「………はい?」
至って真面目に告げた言葉に、明らかな疑問を浮かべる。まぁ、信じられないのは仕方ないかな。とは言え、信じてもらわないとこの場合は困るんだけど。
「………なるほど。だからあなたの魂はこの世界の物じゃないんですね」
「ふむ………星命の子であれば不思議じゃないか」
僕も似たような能力を持っているのだけど、わざわざ言わなくても良いかな。ある意味僕の能力で最も強力な部類と言える能力だし、大っぴらにする必要はない。
「『権能』の後継者………いえ、それでも………あなたの力を疑っている訳じゃないのですがやっぱり駄目です」
「………そうかい。まぁ、そういうのなら仕方ないね」
彼女の枷として、星命樹の事を外部にあまり喋ってはいけないという掟があると聞いた事がある。有事の際はその限りじゃないけど、やっぱり個人に話すことは出来ないんだろう。
そうなってきたら、僕としても行動しづらい。つい最近、彼ら眷属に足元を掬われかけた僕としては、それ以上に危険な状態となっている可能性が高い場所へ対策なしで踏み入れることは出来ない。
フラウとの約束があるからね。それに、今度こそ僕が無事である保証はない。僕が奴らに捉えられるのは、邪神復活のトリガーとなる危険があるのだから下手な行動が出来るはずが無かった。
「………」
「まぁ、どの道その傷が治るまではまともに動く事すら難しいと思うよ。少なくとも………そうだね。三日間は安静にするべきだ」
「三日………でも………!」
「じゃあ、傷が治ったら僕が君をフォレニアまで送るよ。フォレニアまで一日足らずで到着するから、君としても悪くないだろう?どの道、歩けば四日程度は掛かるし」
「………分かりました」
案外すぐに承諾する星命の子。何が最善かをすぐに判断するだけの冷静さはあるようだ。僕を信用できないかについては………まぁ、僕に寄りかかって眠っているフラウを見ればそんな風には見えないかもね。
「その子、魔族ですよね?」
「まぁね。けど、人間への敵対意識もない良い子だよ」
「………昨日は有翼族もいましたが………」
「色々とあってね。今はこの家で暮らしてるんだよ。地上の生物に差別意識はないし」
「………あなたはホムンクルスですし、なんというか………」
「あはは。変わってるかい?まぁ、僕らみたいな三種族が集まって生活しているのは他にないだろうね。けど、おかげで毎日楽しく暮らせているよ」
僕がホムンクルスであることを知っているのは………まぁ、それも不思議に思うことは無い。色々と聞いてみたいことはあるんだけど、彼女の立場上は話せない事が多いだろうから無駄だとも思う。
けど、多分これについては聞いても大丈夫だと思う。
「邪神の眷属達は急速に進化しているみたいだね。君は彼らの復活を知っていたかい?」
「………奴らの事を知っていたんですね」
「知っていたも何も、何度も交戦しているからね。僕は生命の力を使えるから、彼らへの特効もあるし」
「………知ってはいました。でも、あんなに強力な存在だなんて………」
後悔するような声色で話す星命の子。そう言えば、まだ名前を聞いていなかった。
「なるほどね。そういえば、君の名前を聞いても良いかな」
「………シエルです。あなたは………」
「僕はシオン。さっきも言ったけど、『権能』の魔法使いだ。基本的には錬金術師って言う体でやってるんだけどね」
簡単な自己紹介。その後、少し会話しているとステラが戻って来た。お昼も近かったし、彼女を診察した際に軽度の栄養失調も見受けられたからしっかりと食べないといけないだろう。
隣のフラウを小さく揺すって起こし、昼食を頼むのだった。
迫る黒影を炎を纏った大剣で切り裂く。左から迫る眷属を左手に持つ大剣の腹で頭を砕き、身体をそのまま回転させ、周囲を取り囲んだ眷属共を炎の斬撃で切り払う。俺の象徴とも言える炎の頭髪を振り乱し、周辺の木々すらも灰燼に帰す。
迫る黒い棘を溶断し、二本の大剣を地面に叩きつけ、周辺で巨大な爆発が起こった。地面は燃え、俺を取り囲む眷属は全て形も残さなかった。
焦土と化した大地の上で、俺は二振りの大剣のうち一本を肩に乗せる。その刀身は炎で包まれ、空気を常に揺らがせている。
「ふん。奴の眷属と言えど、所詮は雑魚か」
周囲から消えた気配に鼻を鳴らす。そのままそのまま目的の場所を見下ろす。大きな滝と、広がる湖。滝の中心には遺跡があった。俺の目的が。
大きく息を吐く。それと共に燃えていた頭髪は長い白髪へと変わり、手に持っていた二振りの大剣は炎に包まれて消える。大地を蹴り、崖から遺跡の入り口まで一跳びで移る。
長い間眠っていたが、衰えは緩やかな物だった。まぁ、全盛期には程遠いが。そのまま光のない遺跡の中に足を踏み入れる。数千年と誰も足を踏み入れなかったそこには、誰の痕跡も………いや?
「炎の痕跡があるな………誰かがここに来ていたのか」
入ってすぐの場所で炎の残滓が残っていた。しかし、それもつい最近の事だ。既に役目を終えてしまったここで何をしようとも、特に意味はない。そのまま俺は右に続く通路を進んでいく。道なりに歩き続けると、巨大な扉が見える。複雑な模様が彫られたそれに近付き、俺は手を沿える。それと同時に輝き出す模様。
大きな音を立てて開く扉。その先には、酷く懐かしい空間が残っていた。そして、同じく懐かしい姿が。
「………久しいな」
「………」
帰ってくる声はない。その白き少女は既に骸だった。だが、俺は知っている。彼女がまだここにいることを。目には見えないが、確かに感じていた。
吊るされた少女は人とは思えぬほど白い肌と、伸び切った白い髪。ボロボロとなった一枚の白い衣だけだと言うのに、その可憐さだけは数千年と変わらないままだ。
「………遅くなって済まない。いや………もう、遅いかもしれないがな」
そのまま少女が吊るされている壁に近付いていく。そのまま壁の前に立つと、床が光る。すると、俺が踏んでいる床がまるで小さな塔のように上昇する。その塔は少女と同じ高さまで来て止まる。
数秒の沈黙。やはり、彼女は何も言わない。俺は首に掛けた一つのネックレスを外す。
「今更、許してほしいと言うつもりはない。だが………もし、俺が愛したこの世界を自分の目で見たいと思ってくれたのなら、これを使って欲しい」
そう言いながら、俺は少女へとネックレスを首にかける。まるで炎のような赤い宝石が付いたそれは、少女の胸元で美しく光を反射する。
「………最後に、こんなことしかしてやれなかった父を憎んでくれ」
食事を食べ終わった後、帰って来たステラと起きたフラウを交えて四人で話していた。その時、不意に玄関の扉が開かれた。
「おや、おかえり」
「えぇ、ただいま。それと、忘れ物を取って来たわよ」
そう言いながら、シエルが横になっているソファーの傍に置いている鎧に装着していた鞘に、一本の細剣を収納する。
それを見て、シエルが少し驚いたような顔をしていた。
「私の剣………まさか、そんなもののためにわざわざ………」
「そんなものなんて言っちゃだめよ。戦士にとって、武器は命に等しい物だもの」
そのままマリンは一人用のソファーに座る。何気に使う事があまりなかったかもしれない。
「それで、何かわかった?」
「さぁね………星命樹の事については教えられないみたいだ」
「そう。まぁ、仕方ないわね。これからどうするの?」
「治るまではここで療養してもらって、その後は僕がニルヴァーナで彼女を目的地まで送る事になってるよ」
そういうと、マリンは納得したように頷く。すると、ステラが厨房に行ってマリンに話しかける。
「コーヒーかミルク、ジュースや紅茶などがありますが、飲みたいものはありますか?」
「気が利くわね。コーヒーでお願い」
「分かりました」
そのまま僕はマリンから最近の事を………と言っても、数百年分の最近なんだけどね。彼女は放浪しながら獲物を狩り、それを生活の糧にしているのは相変わらずだった。
そんな生活をしながらも、傷らしい傷を受けていないのだから、彼女の腕前が計り知れる。積もり積もった話をしていると、あっという間に時間が過ぎていた。明日は講師の予定があったね。




