75話
フォレニア城の王座の間。王座に一人座っているディニテだが、その前には小さな机が用意されており、上には小さな鏡が乗せられている。ディニテが自分の姿を見るために用意している訳ではない。事実、その鏡に映るのは全く別の姿だった。
「という訳だ。面倒かもしれんが、その時は適当にあしらっておいてくれ」
「………それは構わんのだがな」
鏡に映るのはボサボサとした少々黒が混じった長い金髪。赤く鋭い双眸でやや長身で体格の良いと言える女性だった。軍服の上からファーの付いたコートを着込み、二十代後半と思われるその顔立ちは間違いなく整っているものの、頬や額に刻まれた傷や、鋭くも落ち着きのある目つきなどから獰猛さと思慮深い雰囲気を両立させていた。
大きな椅子の手すりに肘を乗せ、頬杖を付いてディニテに見た目通りと言った男勝りな口調で話していた。彼女はベラト・フレユール。この大陸有数の大国であるフレユール帝国の現皇帝であり、彼女を知る者達が『最強』と称する戦士である。
「しかし、星命樹の危機となれば全人類の危機と同意義だろう?何故汝は動かぬのだ」
「分かってるだろ?私だって暇じゃない。ただ星命樹に異変があったと言うだけなら見に行かないでもないが………周囲の平原や森が汚染され、怪物どもが跋扈するのなら不可能だ」
「………殲滅は得意分野ではないか」
ディニテの言葉に小さく口角を上げるベラト。彼女の伝説を知る者であれば、その言葉が出てきてしまうのも仕方がない。
「はっ、後十三年早ければ私が行っても良かったがな。そう簡単に動けない身になってしまったんだよ。フレユール帝国は常に無数の国々と戦争中であることに変わりないし、私の代わりだっていない」
「ふん………先代の負債か」
「まぁな」
彼女が『最強』の名を冠するようになり、フレユール帝国が周辺諸国の殆どと対立する事となった原因。それが十八年前に起こった『フレユールの狂乱』である。
先代フレユール皇帝、ゼラス・フレユールが起こした史上最悪と謳われる侵略劇だった。彼女の父であるゼラスは、それまで大した悪評もないまま民から支持を集め、国を治めていた善王だった。
しかし十八年前、突如としてゼラスは豹変した。周辺の国々へ侵略を始めたのだ。小国や大国など差別なく、大国としての軍事力や兵力を全て投入し、五年間に及ぶ狂気の侵略で滅ぼされた国々は十五国に及ぶ。
まるで自身の邪魔をするなと言わんばかりに家族全てを王都から離れた地へ送り、ゼラスの命を受けた兵士や騎士達も同じように狂気に囚われ、どのような残虐も行うようになっていた。抵抗する者は女子供関係なく一家全てを処刑し、王族は投降しようとも一族全員を処刑した。
あまりの非道さに、フレユール帝国の国民すらも彼を非難した。しかし、彼はそのような国民すらも全員処刑したのだ。奪った土地を統治する事もなく、ただ殺戮のみが目的であると言うように、ゼラスの侵略は続いていた。
その狂った皇帝を止めたのが、現皇帝であるベラトだった。侵略が始まってから五年後、彼女はたった一人で………そう、たった一人でゼラスを討ち取ったのだ。道を阻む数千の狂った兵士や騎士を打ち払い、王座に座るゼラスを討ち取った彼女は皇帝となった。だが、彼の行った非道によって生まれた爪痕は消えることが無かった。
フレユール帝国の侵略を受けていた国々は彼女らを許すことはない。あれから十三年経った今でも、周辺の国々からの攻撃は終わっていなかったのだ。
「もし星命の子の頼みを受けるのなら、関所には伝えておくから勝手にうちの領地に入ってくれて構わない。どうするかは知らないが」
「………ふむ。そもそも無事にここへ辿り着けるか、だが」
「そうなったら、そいつはそこまでの奴だったと言うだけだ」
フレユール帝国とフォレニア王国の間には、どの国も所有していない辺境地が存在する。鬱蒼とした森が広がり、未だに発見されていない魔物が多数存在すると言われる危険地帯だ。例え恐れしらずと言われる冒険者であれ、その森には立ち入ろうとしない。
フォレニア王国とフレユール帝国の伝令隊は特別なマジックアイテムを使って姿を隠し、その森で最も安全だと考えられるルートを使っていた。それでも犠牲者が出ることがあっただから、その地がどれほど危険かが分かるだろう。故に、現在では目の前にある鏡のマジックアイテムを使うようになったのだが。
当然とも言えるが、そのような姿を隠すマジックアイテムも持たず、安全なルートも知らずに立ち入れば生き残ることは難しい。そもそも、あまりに鬱蒼としている森の中では方角を見失うことがある。木々によって太陽は常に隠され、変わらない景色によって道を見失うのだ。
魔物に襲われれば、それはより顕著になる。
「………星命樹が失われた今、この星に生きる生命は輪廻を失ったのと同義だ」
「輪廻を失ったっていうのは違うんじゃないのか?星命樹を汚染した奴が、死んだ奴を好き勝手出来るようになっただけだ」
「それが問題なのだがな」
「………邪神と言ったか?私は初めて聞いたが」
そもそも、星命樹とは何なのか。簡単に言うのであれば、この星の輪廻転生を司る原初の大樹である。神々が生まれる前から存在し、星の核と繋がった神樹とも言われる。
この星のあらゆる魂は星命樹に回帰し、新たな肉体が生まれた時に純化された魂を受け渡す。その星命樹の加護を渡され、星命樹を守護する役目を負った者が星命の子である。
「邪神か………」
「どうした?何か思い当たる節でもあるのか?」
「いや………何でもない」
小さく呟いたベラトにディニテは疑問を持つが、彼女は首を振って答える。そのまま少し言葉を交わした後、二人はマジックアイテムを停止した。
「あの娘の話が正しければ、父上は………」
玉座に座るベラト。その赤い瞳の奥には、激しい稲妻のような激情が迸っていた。
微睡みの中、扉の開く音で目を覚ます。
「ん………?」
「おや、丁度起きたんですね」
「あぁ………うん。おはよう」
部屋に入って来たのはルーシー。部屋にある時計をチラリと見れば、二本の針は頂点を指していた。昼食のために起こしに来てくれたのだろう。僕が体を起こそうとすると、右手がしっかりと掴まれいる事に気が付いた。
背中と両肩に伝わる温もりから二人が寄りかかってきているのは分かっていたけど、ステラが僕の右手に腕を回していたから、動くことが出来なかった。フラウはいつも小さく袖を掴むくらいなんだけど、まさかステラがこうも大胆にスキンシップをするとは………いや、最近を考えればそうでもないかも。
「随分と女性に好かれるのですね」
「そんなんじゃないと思うけどね………」
「ご自身でも分かっていないのですね。私から口を出しはしませんが」
そう言ったルーシーだったけど、目は口程に物を言う。明らかに物言いたげな視線を僕に向けていたし、それが何であるかは分かっていた。この街に住んでいれば、セレスティアの噂を知らない者はいないだろう。
少し気まずく感じて目線を逸らすと、ルーシーはそのまま話し始める。
「昼食はどうしますか?こちらで用意もしていますが」
「それを貰うよ」
「ではお持ちしますね。お二人の分も持ってきますので、その間に出来れば起こして頂けると助かります」
「分かった。頼むよ」
ルーシーは頷いて部屋を出て行く。それを見送った僕は右手を揺する。
「ステラ、フラウ。起きて」
その言葉に最初に反応したのはステラだった。右手を揺すった事もあるのかな。ゆっくりと目を開き、腕を離して僕を見た後………小さく頬を染めた。
「あ………おはよう」
「うん、おはよう」
未だに翼をで僕とフラウを包み込みながら、彼女は顔を逸らす。恥ずかしがるならしなければいいと思うのだけど………まぁいいや。
解放された右手でフラウを揺する。左手はフラウが小さく袖を掴んでいて、簡単に振り払えるんだけど………まぁ、なんとなく抵抗があった。
「ん………んん………」
ゆっくりと目を開いたフラウ。眠そうに眼を擦り、僕の袖を放して僕の顔を見る。
「………おはよう」
「おはよう。もうすぐご飯が来るけど、食べるだろう?」
「………うん」
小さく頷いたフラウ。ステラを見ると、彼女も小さく頷いた。フラウはそのまま自分の後ろを見た。
「………翼」
「え?………あ、もしかして邪魔だったかな………?」
「………ううん。あったかくて、安心する」
そう言って、自分を包む翼をゆっくりと抱きしめるフラウ。それを見て、ステラが小さく笑みを浮かべた。僕の時と随分と反応が違うけど………まぁ、同性だしね。
そのまま僕らは運ばれてきた昼食を食べる。生徒たちとの顔合わせは目前だった。




