65話
「シオンさん」
透き通る美しい声が僕の名を呼ぶ。聞き慣れたその声に、僕は顔を声の方向へ向ける。
「久しぶり………セレスティア」
「えぇ、お久しぶりです。元気そうで何よりです」
そう言って聖女のような温かな笑みを浮かべるセレスティア。白と赤を基調としたドレスを着こんだ姿。そのまま彼女は僕の真反対側の席に座る。ステラは彼女を見て一層緊張した表情を浮かべる。
セレスティアが次期国王であることは伝えている。僕の友人であることも伝えてはいるけど、初対面の次期国王が目のまえで、食事の席を共にしているとなれば仕方がない。僕はもう慣れているから今更だけど。
「君も元気そうだね。随分忙しかったと聞いているけど」
「それはもう本当に。休む時間が寝ている間しかないと言っても過言ではありませんでしたから」
「おや………体調には気を付けなよ」
「大丈夫です。私がこれから築く物の事を考えれば、乗り越えることが出来ましたから」
彼女はそう言って微笑む。あの戦いの中で得た覚悟は、一切衰えることなく燃え続けているみたいだ。今の彼女は初めてあった時と変わらないはずなのに、まるで別人のように映った。勿論違和感とかではなく、大きな成長という意味で。
「そっか………短い間に君は成長したみたいだね。君があの炎を灯した後、まだ話せていなかったから、ずっと会いたいと思っていたんだよ」
「ふふ………それもシオンさんのおかげです。私の中に輝く炎も、あなたが焼べた炎なんです。私もこの一ヶ月、ずっとあなたを想いながら過ごしていました」
「………そっか」
彼女の想いを知っている以上、その言葉の真意に気付かない程馬鹿ではない。フラウが少しだけ僕の方を見るけど、すぐに目を閉じて視線を逸らして食事に戻った。ステラは気まずそうに僕とセレスティアを交互に見ていた。
「………すこし、二人で話しませんか?あっちにテラスがあるんです」
「そうだね………そうしようか」
恐らく、そんな二人の様子に気付いたのだろう。セレスティアが立ち上がりながら提案する。フラウが少しだけ席をずれて、僕は席から立つ。それを見たセレスティアは一度頷いてパーティー会場の開かれた大きな窓扉からテラスに出て行き、僕もそれに続く。
そのままぐるりと大きくテラスを回り、屋内から見えない位置までセレスティアは移動すると、僕へと振り返った。
「ステラさん………でしたよね。お綺麗な方ですね」
「まぁね。流石に語られるだけの事はあると思うけど」
「………私の言葉、覚えてくれているでしょうか?」
微笑みに少しの不安を宿しながら彼女が問いかける。
「………勿論覚えてるよ。でも―――」
「っ!」
彼女が僕の手を引いて、そのまま首に腕を回して僕の体を力強く抱きしめてくる。突然引っ張られて抱き着かれたためにそれ以上の言葉を続けるは叶わなかったけど、それは彼女が言葉の続きを聞きたくないという事なのだと理解した。しばらくの間静寂が続くが、不意にセレスティアが呟く。
「まだ………まだ時間はあります。だから、今はその続きを言わないでください………」
「………」
震える声に、僕は言葉の続きを言うことが出来なかった。初めての想いの結末を恐れる姿は、次期国王でも戦争の勝者でもなく一人の少女だった。
「ごめんなさい………あなたを困らせている事………私の気持ちの答えに悩ませてしまっていることは分かっています。でも………ここで、まだ終わらせたくないんです」
そういって、僕の首に腕を回したまま彼女が少しだけ身体を離す。少しだけ潤んだ蒼い瞳で僕を見つめる。不意にその瞳がゆっくりと閉じられた。
「………」
「………」
月に照らされて重なる影。まるで縋るような口付けを交わす少女に、僕は目を逸らすしかなかった。
不安を埋めるかのような深く長い口付けは、ゆっくりとセレスティアが顔を離すことで終わりを迎える。潤んだ瞳のまま、薄っすらと熱を持った頬。ほんの少しの間が空き、首に回していた手を離す。
「………あなたはこれで、もっと悩んでしまうと思います。私の我儘なのは分かっています………悩んでいてください。私は………諦めていませんから」
「………うん、分かってるよ」
彼女が強かであることは分かっていた。彼の父親に似て、使える物は全て使う。彼女と僕は友人と言う関係から始まり、盟友へと変わった。そして、その関係を使って彼女は更に次へと進もうとしている。
僕は彼女を冷たく突き放すことが出来なかった。そのことを、彼女は分かっているのだろう。
「戻りましょう。フラウさん達も待っていると思います」
「そうだね………戻ろう」
僕らはそのまま会場に戻っていく。壁沿いにあるためにすぐに席に戻り、フラウにずれてもらって元の席に座る。セレスティアも先ほど座っていた席に座った。
「お帰りなさい」
「ただいま、誰か声を掛けてきたりしてなかったかい?」
僕がそう尋ねると、ステラは頷く。
「うん、誰も来てないけど………向けられる目は多くなった気がする」
「あぁ………それは仕方ないかな」
そういうと、セレスティアも苦笑を浮かべる。先ほど彼女の名前を呼んだことから、ステラが参加することは知っていたのだろう。
「そうですね………有翼族の王女が参加すると聞いて、私は緊張していたんです。でも、他の貴族からすれば期待を抱いたと思いますよ。なので、どうにかチャンスを伺っているんだと思います」
「なるほどね………まぁ、神に血を継ぐと自称している有翼族だし、その話を信じている人間も多い。そんな種族の王女なんだから仕方がないとも言えるけどね。もし彼女が本来の有翼族らしい性格なら、その限りじゃないんだろうけど」
もしステラが良く言われるような、地上の生物全てを見下す傲慢な性格をしているのであれば、彼女の外見や血筋など関係なく嫌われていたか、奴隷にしようとするだろう。有翼族は過去に人の住む場所を気まぐれに滅ぼしたりしているし、それを理由に犯罪奴隷として登録する事は容易い。
けど、彼女は普通の人間と比較しても上位に入る程の善人と言えるだろう。自分の身体を顧みずに僕を助けてくれたし、物腰も柔らかい。フラウへの態度を見ていると分かるけど、人よりも長く生きているが故か、母性のような優しさを感じさせることもある。僕から子ども扱いされるのは嫌がるのに、ステラに反抗している所はまだ見たことないのは納得いかないけど。
とにかく、ステラには人としての欠点が見当たらないのだ。優れた外見と高い品性を兼ね備え、王族として育った事から来た丁寧な口調と、親し気な柔らかい口調を使い分ける。戦闘は苦手なのだと勝手に思っていたんだけど、あの時の魔法を見たらそれも言えなくなってしまった。射程に限って言えば僕以上。威力も近いものがあると思う。
もし人間であれば、引く手数多という言葉じゃ足りなかったかもしれない。
「そう言えば、挨拶がまだでしたね。私はセレスティアです。よろしくお願いします」
「あ………ステラと申します。よろしくお願いします、セレスティア様」
そう言ってステラが頭を下げる。しかし、セレスティアはそれに苦笑を浮かべた。
「敬語はいりませんよ。あなたは私の客人として招いていますし、シオンさんにも同じように言いましたから」
「そう………?じゃあ、セレスティアって呼ばせてもらうね」
「えぇ、よろしくお願いしますね。ステラさん」
そう言って笑顔を浮かべたセレスティアに、ステラも小さな笑みを返す。その後セレスティアは机に乗った料理を取っていく。カレジャスに比べると、短時間で食べきることを想定していない量を取っていくのを見ると、恐らくここにいる他の貴族の場所へ行くつもりはないという事なのだろうか。
「他の貴族に会いに行かなくていいのかい?」
「………そんな無粋なことを聞くんですか?」
「ごめん。そうだったね」
まるで咎める様な、呆れたような声で言うセレスティアに、僕はすぐに謝罪する。それに満足したのか、セレスティアは盛った料理を食べていく。
「ステラさんはシオンさんの家にいるんですよね?」
「うん、色々あって。悩むことや、困ることは多かったけど、あの家で暮らせるようになって良かったと思ってるかな」
「………羨ましいです。私も少し暇が出来たら、数日程お世話になっていいでしょうか?」
「流石に不味いんじゃないかい………?」
突然の言葉に困惑する。次期国王に決まったというのに、婚約者でもない男の家に泊まるのは不味いだろう。しかし、セレスティアはきょとんとした顔をする。
「何でですか?シオンさんは数日、この城に泊まりましたよ?」
「………まぁ、ディニテに聞いてみればいいんじゃないかな」
僕が言わずとも、ディニテが止めてくれるだろう。僕は食事を再び食べ進める。そのまま僕らは色々な話をしながら食事を楽しんでいた。一ヶ月もあっていなかった訳だし、彼女は多忙に追われていた。話題は尽きず、一時間程話し続けていた。
「そう言えば………シオンさん。もう遅いですし、今日は泊っていきませんか?三人分の客室は用意できますし」
「あぁ………そうだね。じゃあ今日は泊って行こうかな」
せっかくだし、時間を一々気にせずにゆっくりとと話したい気持ちはある。ロッカは一人でも大丈夫だろうし。
そのまま話していたけど、不意に近付いてくる足音。セレスティアの後ろから近付いてくる姿には、覚えはないが既視感があった。セレスティアも振り向く。
「ライネル伯爵?どうされましたか?」
ライネル伯爵と呼ばれた金髪の男。多分だけど、既視感があるという事はどこかで見たことがあるのだろう。そして、僕がセレスティア以外の貴族と関わったと言えばあの戦争だ。つまり、彼はセレスティア陣営にいた貴族なのだと思う。
「いえ………あの戦争で、私は『権能』様に無礼を働いてしまった事を謝罪をしたいと思ったのです」
「謝罪………ですか」
「えぇ、そうです」
そう言った男は僕を見る。貴族らしく整った顔立ちで、一度頭を下げる。
「シオン様。以前はあなたを『権能』だと知らず、無礼な態度を取ってしまい申し訳ありません」
「………そもそも怒っている訳じゃないけどね。それで、許してもらった君が何を望んでいるかが問題だけど」
「まさか。シオン様に何かを望んでいる訳ではありません。しかし、もしよろしければシオン様のお連れのステラ様と話す機会が欲しいと思っているのですが………」
そういってライネルはステラを見る。その真意を気付かない程馬鹿ではない。彼女を見る情欲に濁った目線にステラも理解したのか、一気に緊張で表情を強張らせる。まるで彼女を舐めるように、黄金の髪から整った顔、白い装束に隠された控えめな胸や、その下にまで視線を移していく。そんなあからさまな目線にセレスティアが顔を顰めた。
「………ライネル伯爵。いったい何を見ているのですか?」
「………申し訳ありません。ステラ様の美しさに目を奪われていました」
白々しく謝罪するライネル。しかし、視線を向けられたステラは身体を両手で隠すように覆い、少しだけ僕に体を寄せた。それを見たライネルは少しだけ顔を歪めるが、それは一瞬だった。
「緊張させてしまったようですね。しかし、シオン様はセレスティア様の婚約者であり、そのように身体を寄せるのは………」
「ライネル伯爵。そのような発表があったことがありますか?」
「………申し訳ありません。では、私は失礼します」
そう言って去っていく。その背中を見送ると、セレスティアは申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる。
「………申し訳ありません」
「………ううん、あなたが謝らないで?私は大丈夫だから」
ステラがそういうと、セレスティアは頭を上げる。僕は彼が去った人混みを見ていた。やはりと言うべきか、先ほどの会話の中でも僕らを見る視線は消えなかった。寧ろ増えたと言ってもいいかもしれない。
『空の目』で見ていたけど、いくつか期待の感情を纏った者がいた。ステラが僕に体を寄せ、ライネルが去ったのを見て諦めたような感情を映した者もいた。しかし、中には燃える様な嫉妬を僕に向ける者や、仄暗い情念をステラに向ける者もいる。
「………貴族は随分と嫉妬深い人が多いんだね」
「基本的に、手に入らない物が存在しないのが貴族ですから………自分すら持っていない、至高の宝を持つシオンさんに、そんな感情を抱く方もいると思います」
僕が持っていて彼らが持っていない物。それが彼らでもその気になれば手に入れられるような物であれば、彼らだってそこまでの感情を抱かないのだろう。でも、僕は『真理』を持っている。断じてステラは僕の所有物ではないのだけど、彼らからすれば同じことだ。差別意識がない有翼族の美しい王女。それだけで、彼女の価値は彼らにとって計り知れないだろうし。
「しばらく身体は寄せたままにした方がいいんじゃないかな。別に変な意味じゃないけど、また寄って来る貴族が出てくるかもしれないからね」
「………じゃあ、そうさせて」
そう言ったステラは更に体を寄せて、互いの肩が密着する。距離を縮めてとは言っていないのだけど。セレスティアの手前、凄く気まずくなってしまう。セレスティアも苦笑を浮かべるけど、まだ停止させていない『空の目』に、確かな嫉妬が映ったのに気付いていた。激しく燃える様な嫉妬というよりは、ドロドロとした執着にも似たそれに小さな恐怖を覚える。聖女に例えられ、闇とは程遠いと思われていた彼女の中に生まれた感情。
恋を知った人間ならば、誰しも生まれ得る感情なのは分かっている。それでも彼女の事だから、嫉妬に囚われてしまうような事はないと断言できた。そんな嫉妬の闇以上に、彼女の中の輝きは強い物であることを知っているから。
でも、故にその感情は彼女自身を苦しめるだろう。そのことに少しだけ申し訳なく思う。
「………どうしました?」
「いや………何でもないよ」
不思議そうに尋ねてくるセレスティアに、僕はそれだけを返す事しか出来なかった。




