64話
僕らが出発して約二時間後。僕らは既に王都ヴァーミリアに到着していた。前回は四時間ほどかかっていたのだけど、今回は少し小さい代わりに一番速度がある飛空艇だったらしい。まぁ、出発が遅いから当たり前だけど。
間もなく始まるとのことだから、僕らは真っ直ぐ城内のパーティー会場へと移動していた。ただ、パーティー会場に近付くにつれてステラの表情が徐々に緊張で固まっていく。それを見て僕は苦笑を浮かべ、フラウは少し心配そうにステラを見ていた。
「ステラ、大丈夫かい?」
「え、あ………うん、大丈夫」
「あはは。まぁ、気持ちは分かるよ。僕らも最初は緊張したしね」
彼女がここでいう大丈夫が、本当に大丈夫だという意味だとは思っていない。実際、そんな風に言いながらも緊張で強張った表情を浮かべているのだから。とは言え、僕とフラウも言葉を発せれないほどの緊張はしていなかったけど。
僕より遥かに長く生きているはずなのだけど、少々ステラは臆病な節がある。いや、寧ろ長生きをしていたからなのかもしれない。殆どを浮遊群島で生きていた彼女は、こうやって地上の権力者と会う事なんてなかったはずだし。
「そこまで緊張されずとも………と言いたいところですが無理もありません。温厚で王族の血を引く有翼族という時点で、あなたは多くの注目を浴びるでしょう。声を掛けられる機会もあると思いますが、もし婚姻や雇用の勧誘を受けた際は慎重にならねばなりませんよ」
「い、いきなりそんな事があるんですか?」
「そういう場ですから仕方がないのです。もし不安であれば、シオンさんからは離れないようにした方が良いでしょう。流石の貴族も、『権能』の傍にいる女性に言い寄ったりはしないでしょうから」
「………」
ステラは無言で僕の方をチラリと見た。その目には折角のパーティーで僕の邪魔をしたくないという遠慮と、もしもの事があった時の不安が入り混じっていた。勿論、僕の答えは決まっている。
「君さえ良ければ、僕と一緒に居てくれるかな?生憎と、僕は貴族とは反りが合わないからね。良く知っている相手が近くにいてくれると気が楽なんだ」
「っ………う、うん!喜んで!」
ステラは満面の笑みを浮かべる。元から、このパーティーに彼女を誘ったのは僕だ。その責任は僕が持つべきだし、トラブルに巻き込まれようものなら僕自身を許せなくなる。勿論、全てが建前という訳じゃない。貴族と反りが合わないのは間違いないし、良く知っている相手が近くにいれば気が楽なのも事実だ。
フラウは何も言わなくても僕からは離れないと思うし。そう思っていたら、僕の袖がきゅっと掴まれる。
「………私は?」
「君は離れたら駄目だよ。パーティー会場は人が多いし、はぐれたら大変だからね。少なくとも、僕の目の届く範囲に居てくれるかな」
「………迷子になる子供だと思ってる?」
「心配なだけだよ。もしものことがあったら、本当に後悔しそうだからね」
「………そう」
フラウはそれを聞いて、一瞬だけ不機嫌になりかけた表情を小さな笑顔に変える。僕の勘違いじゃなければだけど、何となく最近のフラウは独占欲や嫉妬の感情を覚え始めた気がしていた。
自惚れのように聞こえるけど、大好きな兄を誰かに取られているかのような反応を見せることがある。この光景自体は、前世で小さな子供が沢山いた施設で暮らしていたから見覚えのある光景だ。
けど、この子のそれは若干それよりも重いように思えた。実年齢が高いこともあるのかもしれないけど、午前中にあったように僕がセレスティアとの関係について聞いた時の雰囲気は、まるでいつものフラウだとは思えなかった。
「………どうしたの?」
「何でもないよ。さっきも言ったけど、僕から離れないように」
「………うん」
そんな話をしているうちに、僕らは会場の入口へと着いた。両開きの大扉で、中からは一人の少女の声が聞こえてくる。
「もう始まっていましたね。早く入りましょう」
アズレインが扉に手を掛ける。扉の隙間から漏れる光が徐々に大きくなり、ゆっくりと会場の入り口が開かれた。
「行くよ」
そう言って、僕らはパーティー会場に入る。中には一面に大きな赤い絨毯が敷かれていて。黄金の装飾が目立つ白い壁に、煌びやかなシャンデリアが広い空間を照らしていた。
僕らはその光景に目を奪われるけど、その次に目を向けたのは会場の奥。壇上の上で、一人の少女が言葉を紡いでいて、この会場に集まっている貴族達は無心で彼女の言葉に耳を傾けていた。
壇上に立つ少女………セレスティアは、会場に入って来た僕を見た。そのまま言葉を発しながら、温かく柔らかな笑みを浮かべる。僕が良く知っている、聖女と言うに相応しい笑顔だった。
「………」
僕がゆっくりと頷くと、セレスティアは再び大衆に目線を戻して開演の挨拶を続けていく。すると、扉をゆっくりと閉めたアズレインが、少し抑えめに声を掛けてくる。
「あちらにどうぞ。シオンさん達には特別席をご用意しているので」
「おや………それは助かるよ」
他の貴族と相席をしなくて済むのはありがたい。多分だけど、セレスティアが命令したんだろうね。ステラの分まで用意したのは儀典団なんだろうけど、それを考えると僕はこの国で相当広く認知されているみたいだ。
そのままアズレインの案内を受けて壁際に移動すると、そこには大きなソファーと長方形の大きなテーブルが用意されていた。素人目に見ても、明らかに高級品だと断言できるそれらを見て僕は苦笑を浮かべる。
「………何というか」
「遠慮なさらないでください。これしか用意しておりませんので」
「………そうだね。じゃあ遠慮なく」
僕はそう言って壁際のソファーに座ると、隣にフラウが座る。そして僕を挟むように、もう一方にステラが座った。アズレインは一度頭を下げると、大衆の中へと入っていく。多分だけど、このパーティーに他の使節のメンバーも参加しているのかな。料理はテーブルには乗っていないけど、今の挨拶が終わったら運ばれてくるんだと思う。
食事に移るのが大体九時ぐらいになる見通しだから、いつもより大分遅い。間違いなく深夜まで行われるんだろうし。
そのままセレスティアの挨拶が終わり、次々と貴族や関係者だと思わしき人たちの挨拶が行われていく。殆ど知らない、もしくは覚えていない相手だったけど、途中でカレジャスも壇上に上がって挨拶をしていたのは覚えている。大半を聞き流しているから、特に何を言った、と言うのは分からないんだけど。
そうして二時間程。ようやく最後の締めの挨拶が終わり、会場には次々と料理が運ばれてくる。そのどれもが作りたてのように、温かい湯気を立て、食欲を誘う匂いを放っていた。
「やっぱり、王族が主催するパーティーと言うだけあって、料理も一流だね」
「………おいしそう」
「………ふふっ」
フラウが小さく呟き、それを聞いたステラが小さく笑みを零す。そうこうしているうちに全ての料理が運ばれてきて、食事会がスタートした。一応、椅子がある席も沢山あるのだけど、利用している貴族は少ない。殆どは立食をしており、談笑をしながら料理を食べていた。まぁ、色んな貴族と会話をする必要があるからなんだろう。座ると言うのは待ちの体勢に入るという事だから、よっぽどの権力者でもない限りは相手から寄ってこないからね。
この特別席があって本当に良かったと思う。ある意味、立食をすると言うのはウェルカムの姿勢を見せているという事でもある。ステラがここに座っていれば、誰に属しているかはすぐに分かると思うし、彼女はここから動いてまで関わりたい貴族はいないだろうし。
僕らも料理を食べ始めると、その期待を裏切らない絶品としか言いようがないそれらに驚く。ここに滞在していた時に食べた料理もかなり美味しかったけど、これはそれすらも大きく上回る程の料理だった。
僕らがそのまま料理を食べていると、ふと席に近付いてくる気配を感じた。しかし、その気配は良く知った物だった。
「やぁ、カレジャス。久しぶりだね」
「あぁ、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「勿論だよ。君は?」
「まぁ、健康には気を使っているから問題はないが、暇がない一ヶ月だったな。ある意味充実しているとも言えるが」
そう言って苦笑を浮かべるカレジャスは鎧などではなく、悪趣味ではない程度の装飾で飾られた豪華な服と、毛皮の付いたマントは彼が騎士と言う以前に王子としての威厳を示していた。
そして、カレジャスは僕の隣にいるステラに目線を向ける。
「話は聞いている。まさか有翼族………それも王家の者と同居するようになるとは思わなかったが………」
カレジャスがそういうと、ステラが食事の手を止めて頭を下げる。カレジャスはそれを見て一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに優し気な笑顔を浮かべて頷いた。
「僕も突然の事だったからね。人生何があるか分かった物じゃないよ」
「そうだな………しかし、よく連れてこようと思ったな」
「一人で家に残しておくのもね。セレスティアからの招待だったし、帰るのは明日になるかもしれないし」
「………ほう」
カレジャスが顎に手を当てて、意味深げに相槌を打つ。それに対してある種の含みを察した僕は、先に牽制しておく。
「先に言っておくと、何か特別な約束や予定がある訳じゃないからね。セレスティアなら、夜遅くに帰る僕らを心配するだろうと思っただけだよ」
「ふっ………まだ何も言っていないがな。その様子だと、案外苦労しているようだ」
「ぼちぼちね………」
カレジャスは僕らの反対側の席に座る。料理はとても僕らだけじゃ食べきれない程の量があるし、全く問題ないけど。寧ろ、それを想定して持ってきているのだろう。
積まれている空の皿を一枚とって、大皿から少し料理を取っていく。
「その様子なら既にフォレニアで広まっている噂については聞いているんだな。大方アズレインからの情報か」
「まぁね。最初に聞いた時は頭を抱えたけど」
「そうか。案外お似合いだと思ったんだがな」
真顔でそんなことを言うものだから、真偽を確かめるためにジッとカレジャスを見る。しかし、当の本人は大した事が無いように笑みを浮かべた。
「どうした?」
「いや………てっきり怒り狂うかと思ってたんだけどね」
「俺を何だと思っている?妹の色恋沙汰に口を出すほど過保護じゃない。王族として、品性に問題のある輩が相手だと言うのであればその限りじゃないが、あんたの事は良く知っているつもりだからな」
「困るけどね。色々」
カレジャスが般若とならなかったのは幸いだけど、身内からの公認が増えたのは別に嬉しくない。いっその事、カレジャスが認めないときっぱり言ってくれた方が、彼女との関係を拒む口実に出来たのかもしれない。
「………」
「どうした?苦手な物でも入っていたか?」
「あ、いや。そんなことはないよ」
彼女の想いを、他人を利用して否定しようと思った自分は嫌な人間なのかもしれない。気づけば、カレジャスだけでなくステラすらも心配そうに僕を覗き込んでいた。フラウは無言で料理を小さな口に入れながら、僕を横目で見ているだけだったけど。
「ところで、シュティレはどこだい?」
「あいつは忙しくてな。もう一週間程城には戻って来ていない。パーティーも出来れば参加したかったそうだが、ここにいないことを見るにそれは叶わなかったみたいだな」
「それは残念だね。彼とも久しぶりに話してみたかったんだけど」
「伝えておこう。今はセレスティアの相手をしてやってくれ」
「そうだね。彼女と会うのも楽しみだったし」
僕がそういうと、カレジャスは頷く。そのまま更に乗った料理を食べ終わると、使い終わった皿を入れる容器に入れて立ち上がる。
「俺は他に声を掛けたい奴がいてな。これで失礼する」
「うん、会えて良かったよ。また」
そう言ってカレジャスは去っていく。何だかんだと、大きく変わっていないようで何よりだ。僕は料理を食べながら、新たに近づいてくる足音に気付いていた。それと同時に、少しずつ緊張が高まっているのも感じる。
第一声は、上手く笑えるだろうか。




