140話
シオンと別れてフラウと一緒に村にエコーを紹介しに行った後、私は村長の家に向かっていた。シオンの家で暮らすうえで、この村との関わりは多い。それなりの期間を空けていたから、村長に戻った事だけでも連絡をしておこうと思った。
エコーは問題なく村に受け入れて貰えたとは言え、まだ緊張している様子だったからフラウと一緒に先に家に帰ってもらっている。既に私達が帰って来ている事は聞いていたらしく、村長は外で私を待っていた。
「おぉ、ステラさん。随分と長旅でしたな」
「お久しぶりです。色々とあったので………」
「ふむ………シオン様はいないのですか?」
「彼は先に別の用事があると言ってすぐに出掛けました。帰ってきたらまた挨拶に来るそうです」
「なるほど………無事で何よりです」
「あはは………」
無事と言うにはあまりにも微妙だったから、私は苦笑を返す事しか出来なかった。勿論、詳しいことを言うと驚かせてしまうから黙っているけれど。
「………ふむ。本当に色々とあったようですな」
「えぇ、そうですね………」
「何があったかは聞きませんが………折角戻られたのですから、存分に羽を伸ばしてください」
「はい、ありがとうございます」
私はお礼を言って小さく笑みを浮かべると、村長も笑みを返してくれた。挨拶も終わったし、私も家に帰らないと。フラウはシオンに置いていかれたからずっと不機嫌だったみたいだし。
エコーの紹介をしている間も、ずっとムスッとしていたあの子の顔を思い出して、ついつい顔がほころんでしまう。
村を離れて空を飛ぶと、そのまま家に向かう。長く家を空けてしまっていたから、今日は私とフラウのどっちがご飯当番だったか覚えていない。帰ったらまた相談しなきゃ………そんな事を思っていた時だった。少し離れた森の中で、巨大な爆発が巻き起こっていた。
「………え?」
少し離れていると言っても、恐らく家と村のどちらからでも確認は出来る程度の距離。この付近で危険な魔物が出たという話は今まで聞いた事が無かったけれど、爆発の規模から考えて並みの魔物が発生させたものだとは思えない。
危険な魔物が、村に近付いているのかもしれない。シオンとロッカは今いないし、村の人たちやフラウを戦わせたくはない。なら、私が見に行くべきだ。
「うん………今までの私とは違うから」
私は爆発の起こった方へと飛んだ。守られていただけの私じゃない。今は誰かを守る力を授かったのだから。私の翼なら数分と掛からずに爆発の発生地まで着いた。その瞬間だった。激しい烈火が、森から噴き出して私を呑み込もうとした。
「っ!?」
すぐに結界を展開して炎を防ぐが、その炎は結界の内側にいる私に若干の熱を伝える程に激しい物だった。その炎はそのまま森の中を薙ぎ払うように向けられ、周囲の木々や大地を削り飛ばす。しかし、その中にはそれ以外の異物の存在も私は捉えていた。
「あれは………邪神の眷属………!?」
その黒い根が絡み合った獣のような姿をしている異形達を見間違えるはずもなかった。先ほどの炎の勢いで部位が欠落しているとはいえ、間違いなくあれは邪神の眷属達だった。しかし、何故ここに?いや、そもそも眷属と戦っているのは何?
結界越しに熱いと感じた炎を使うことができるなんて、私の知る限りじゃシオンしかいないだろう。けれど、彼はこんな乱暴な戦い方をする人じゃない。やがて火炎放射が終わり、炎の勢いで巻き起こっていた砂ぼこりが晴れていく。
次の瞬間、突風が吹き荒れるとともに砂塵は吹き飛ばされる。そして、中から現れたのは一体の巨大な竜だった。傷を負い一部が剥がれ落ちている赤い甲殻に身を包み、憤怒を宿す赤い双眸が次々と襲い掛かる眷属達を睨みつけていた。
「な、なんでこんなところに竜種が………?」
竜種はゴブリンやオークと言った一般的な魔物に並んで有名な魔物の一つではあるものの、その姿を見たことがあると言う人間は極僅かだ。人間が踏み込むにはあまりに過酷な環境にある縄張りから出る事など無いのだから。
それに、先ほどの炎の出力を考えれば間違いなく古龍と呼ばれるに相応しいであろう長い年月を生き抜いてきた個体。こんな何もない場所にわざわざ姿を現す理由が分からなかった。
いや、今はそれを考えている場合じゃない。眷属が竜を狙っていると言うことは、間違いなく取り込んで養分にするつもりだ。それを黙って見ている訳にはいかない。
腕を胸の前で組んで目を閉じる。
「光よ………貫いて!」
次に瞳を開いた時、空に巨大な魔法陣が展開されて幾つもの光の槍が降り注ぐ。光の槍は竜に迫る眷属達を貫き、消滅させていく。勿論、古龍が眷属の手に落ちるのがあってはならないと言うのが大きな理由ではあるけれど、これ以上この付近で暴れられても困ると言うのも手を出した理由だ。
光の槍は正確に眷属達を消滅させていき、数秒ほどで見える範囲の眷属は駆逐する。しばらく赤竜は周囲を睨んでいたけれど、やがて緊張の糸が切れたかのようにばたりとその場に倒れこむ。
「………」
私はゆっくりと赤竜の近くに降りる。生きてはいるみたいだけど、剥がれ落ちた甲殻の部分から流れる血が激しい戦いを続けていたことを示していた。となれば、縄張りを襲った眷属から逃げつつ光線を続けているうちにここまで来てしまったのかな………
そんなことを考えていた時だ。龍の体が黒く変色して溶けるように縮み始めた。
「っ!?」
まさか、助けるのが遅かったのだろうか。そう思っていた時、黒い泥のようになった竜の体が地面に溶けて消えた中から現れたのは、地面に倒れて動かない赤髪の少女だった。外見上は私と変わらない程度の年齢に見えるけれど、人間よりも少し白い肌には無数の傷が刻まれている。そしてその頭には角、背中からは翼が伸びていて、腰からは赤い鱗に包まれた尻尾が生えていた。
「人の姿に………?」
私は首を傾げるけれど、少女が苦しそうに呻いたのを聞いて思考を一度止める。今は一度彼女を家に連れて、シオンが帰ってきたら治療をしてもらおう。ここに放置して眷属が集まってきたら困るし。起きた時に家で暴れられるのだけはやめてほしいけど………
少しの不安を覚えながら、私は少女を抱えて空へと飛びたった。
遺跡の中に入った僕たちは、前と同じ道を辿ってソルガルドのいる場所に着いていた。前と変わらない無機質な部屋の奥に、前と同じようにソルガルドの亡骸は吊るされている。しかし、それは前と同じという訳ではなかった。
「………?」
赤い宝石が輝くペンダントがソルガルドの首にかけられていた。以前ここに来た時は、あんなものは無かったはずだ。となれば、誰かがここに来てあれを彼女の亡骸に掛けたのだろうけど………まぁ、ここに来ることができる人物何て限られているか。
「………また来たのね」
「あぁ、こんにちは。しばらくぶりだね」
「!!??」
どこからも分からないまま響く声。姿は見えないけれど、はっきりとその声は聞こえた。しかしその瞬間、ロッカは驚いたように周りを見回した後、僕の後ろに隠れもしないのに縮こまる。君が一番幽霊なんて関係ないだろうに、僕より怖がってどうするんだい。相手は実際に神の幽霊だけど。
「………変なのを連れて来たわね」
「あぁ、彼はロッカ。僕が作ったゴーレムさ」
「………そんなことを、前に話していたわね」
「覚えてくれていたんだね」
正直、別れの前に一言言った程度だったから、覚えていない事も考えていた。寧ろ、以前の会話の内容を全く覚えていないと言われてもおかしくないのではとも。
失礼なようにも思えるけれど、霊体と言う不安定な存在は生前の記憶はともかく、幽霊となった後の出来事を記憶することは極めて難しいらしいからね。神の魂は色々と例外なのかもしれない。
「ここに来たと言うことは、また話しに来てくれたのかしら………」
「まぁね。色々な事があったから、その事についてね。聞きたいこともあるんだけど」
「そう………概ね、神々の行いや邪神についてと言ったところかしらね………」
「………後者はともかく、前者についてはよく分かったね」
「あなたがこのタイミングで聞きたいことなんて、限られているもの………神々も本格的に動き始めたみたいだし」
「なるほどね。ならやっぱり、そのネックレスもそういう事でいいのかな?」
「………欲しいなら、勝手に取って行っていいわよ」
「はは。遠慮しておこうかな」
僕は特にお金に困ってないし、何より神の亡骸に掛けられているネックレスを物色するなんて本当に罰当たりだろう。あれを彼女に渡した誰かの怒りを買いたくないし。
それに、あれがただの供え物………という風には見えないしね。
「それはともかく………そうだね。なにから話すべきかな」
「………邪神が再誕したことなら知っているわ」
「へぇ………それはここに来た者から聞いたのかい?」
「いいえ。ここは邪神の悪意を束ねていた場所だもの。既に機能していないけれど、邪神の動きはある程度感知できるわ」
「ふむ………結論から言えば、それを滅ぼしたのも僕達なんだけど」
「………冗談?」
「いや。冗談じゃないよ。まぁ、より正確に言うのであれば倒したのはステラなんだけどね」
「………誰かしら」
「僕の家族。そして、新しい神として目覚めた有翼族だよ」
僕の言葉に、暫くの沈黙。信じられないと言う沈黙なのか、それとも心当たりがあって情報を整理しているのか。
「………色々と聞きたいことはあるけれど。あなたは既婚者だったのね」
「そんなんじゃないよ。色々と会って家で暮らすようになっただけさ」
「一般的な家族の定義は………いえ、この話題は重要じゃないわ………でも、そうね………何を象徴する神となったかは知っているかしら」
「星の神らしいよ。より具体的に言えば、星光を司っていると聞いたけど」
「………なるほどね。やっぱり、あの子の………」
「あの子?」
「………こっちの話よ。あなたが気にする事じゃないわ………」
意味ありげに返答を拒否するけれど、実際ステラの話をしに来たわけではない。重要なのは邪神再誕までに知った事実の事だ。
「予想はしていたけれど………神々は随分と非人道的な行いをしていたみたいだね。彼らは人じゃないから、人道なんて知った事じゃないんだろうけど」
「………随分と嫌味な言い方ね。ご立腹かしら」
「………まぁ、多少はね」
「そう………けれど、その事に関しては目の前に何よりの証明があるでしょう………本当に彼らが人道的な存在なら、私はこんなところにいないもの」
「そうだね。重要なのは、根本として何故彼らが異界の神に執着し、生まれた邪神が暴れはじめ、どうやって月に封印したのかだよ」
「………聞きたいことは分かったわ。けれど、私はその事について一つも話すことは出来ない」
「………何故だい?」
「知らないからよ。異界の神をどうするかは一部の神々だけで話し合っていたし、ソルは邪神が戦争を起こすまで関わりが無かったし、月に封印された頃はソルが死んでいたから」
そこは案外普通の社会体制みたいだね。まぁ、仕方ない事かな。となれば………
「なら憶測で良いんだけど。これから先、神々はこの件に更に干渉すると思うかい?」
「………それは間違いないと思うわ。けれど、気を付けた方が良いわね………」
「何をだい?」
「彼らは扉を開くつもりだと思うから」
「………扉?」
不安を感じさせる言葉に、僕は眉を顰める。響く声は変わらないまま言葉を続ける。
「………異界からの来訪者は、神だけじゃなかったの」
「………なんだって?」
「………異界の神がここに来た原因が、この世界まで追ってきていたのよ」
僕はあの日遺跡で見た記録を思い出す。湖に落ちて来た邪神は微動だにせず、傷だらけだった。つまり、異界での争いから逃げて来たと言うのは想像に難くない。しかし、それを追って来たと言う事は………
「邪神の敵………と言う事かい?」
「えぇ………けれど、その存在については大した出来事にはならなかったの………海中に開いていた異界の扉を多数の個体が流れ込んでくる前に閉じる事が出来たから」
「………どんな相手なんだい?」
「こちらの世界に来たのは眷属を率いる大きな個体と、それが率いる部下たちね………」
「ふむ………駆逐したのかい?」
「いいえ。統率者を倒したら、残りの個体は海の中に散らばっていったわ。どうなっているかは分からないわね………」
「ただ、統率者を倒す必要があったと言うことは………」
「えぇ。私達にも牙を剝いたわ」
予想通りだね。神々は何故そんなものをまた開こうとしているのか………まさか、互いにつぶし合って両方とも消えてしまえば………ということなんだろうか。
神々を襲ったことは分かっているけれど、ならば人間を襲う可能性だって十分にある訳だ。どう考えてもリスクが大きすぎる。しかし、それを大真面目に考えて実行するのが神と言う存在だと言うことは、今までの行いが証明している。
「………反省はしていないようだね」
「………してはいるんでしょう。ただ、根本的に思い通りに行かない事を考える事が苦手なの………」
「それはしてるって言わないんだよ」
頭を抱えるけれど、正直僕も似たような所はあるね。流石にここまで酷くないと思っているけれど。とにかく、扉については新しい悩みの種になりかねない。
「扉の場所は知っているかい?」
「………海中にあると言うことは知っているけれど、詳しい場所は知らないわ………でも、極東にある大陸付近だと聞いた事があるわね」
「なるほどね………それだけ聞ければ十分だよ。ありがとう」
この件についてはまた後で色々と考えよう。海中となれば僕も容易く干渉できないし。またアズレインに相談かな。彼の悩み顔が目に浮かぶよ。
「聞きたいことは以上かしら………なら、最近起こった出来事をもっと詳しく聞かせてほしいのだけど」
「あぁ、構わないよ。そうだね………」
僕は前と同じように、メディビアで起こった出来事を彼女に話し始めた。怖がっていたロッカもいつの間にか緊張が解けたようで、周りを見回していた。
ソルはそれを気にした様子もなく、僕の話を聞いていたのだった。