135話
ゆっくりと瞳を開く。目に入ったのは見たことのない天井だった。ここが何処かはすぐに分かった。窓から差し込む日差しはまだ明るいけれど、僕が眠った時間を考えればもう朝じゃない事はすぐに理解できるだろう。
体を起こす。特に装飾品などは無い木で出来た寝室。窓の外に見える景色は空と広がる雲だけだった。僕は自身の体を見る。随分としんどい戦いだったと思ったけれど、体に不調は無い。あの戦いで、僕は傷らしい傷を負っていなかったからだ。寧ろ、ケラヴとパハッドとの戦いの傷が大きい。
「………」
人間としての信念を貫いて散ったケラヴ、そして一切の疑問を持たずに僕に忠誠を尽くしたエコーの傷だらけの姿が思い浮かぶ。僕は後衛であり、前線に立っていた二人の傷が多くなるのは当然である事は理解しているけれど、『権能』と呼ばれた僕が他人任せであったことの何と情けない事か。
これでは、人の頂点に至った大魔法使いとして彼らに申し訳が立たない。それに結局、最後はステラがいなければ勝てるかどうかも危うかっただろう。彼女が再び現れた時は、流石に僕の気が触れてしまったのかと思ったけれど。彼女が纏う力を見て、ステラがどんな選択をして戻って来たのかをすぐに理解してしまった。
「本当に情けないね………」
勿論、客観的に見ればそれぞれの役目を果たしていたと言うのは理解しているし、ステラのように明らかな大番狂わせが無ければ勝機が薄かったのは分かっている。ただ、それでも感情が僕を許せないのは話が別だった。
それでもまだ軽い自己嫌悪ではあるだろう。ステラが自らの決断で神になる事を選んだのであれば、僕がそれを悪いと思うのは彼女に失礼だろうから。
でももし僕があの場で彼女を救うことが出来ていれば、そんな選択をさせる必要は無かったと言うのは仕方のない事だと思う。。
「………今は何時頃かな」
外を見ると、太陽は既に真上よりは傾いている。恐らく小昼くらいだろう。疲れていた自覚はあるし、正直もっと寝るかと思っていたけどそんなこともなかったみたいだ。
ベッドから降りる。パハッドとの戦いで負った傷も痛むことが無かったから、恐らくもう治っているだろう。今まで僕が受けた傷の中では比較的深い方だったけれど、流石にホムンクルスの体と言うべきかな。
僕は寝室のドアを開いて部屋の外に出ると、そこには狭い廊下と同じようなドアが幾つか並んでいた。僕はその廊下を通って恐らく外に繋がっている突き当りのドアを開く。
そこには広い甲板が広がっていた。船は空中を飛び、折れてしまっている実りの樹付近を浮遊していた。
天を射抜かんばかりに聳えていた大樹が、粉々に砕け散るのはあまりに衝撃的だったことを思い出す。あの時はそれどころじゃなかったから大きな反応はしなかったけれど、普通なら唖然として動くことも出来なかったかもしれない。
「シオン様」
「ん?」
あまり聞き慣れていない声に呼ばれ、そちらを見る。けれど、相手の事はよく知っていた。セレスティアと同じブロンドの髪と青い瞳をした中性的で美しい顔立ちに、鎧を着こんだ女性だった。前にあった時も話すことは無かったし、こうして声を掛けられたのは初めてだ。
何故ここに彼女がいるのか………という疑問は一瞬だけ浮かんだけど、背中に羽織ったマントに刻まれた、セレスティアの私兵たちと同じ紋章が刻まれているのを見て納得した。意外だとは思ったけれど………まぁ、少なくとも彼女達の関係が悪化している訳ではなく、少しずつ良い方向に変わりつつあるのは分かったから、少しだけ嬉しく思うね。
「やぁ。何だかんだと、こうして話すのは初めてだね」
「えぇ、そうですね。機会があれば是非話を伺いたいとは思っていたのですが。シオン様は兄上との勝負でも勝ち星をあげていると聞きましたから」
「はは………まぁ、実戦形式だったからね。剣の腕は彼の足元にも及ばないさ」
「そうですか………お怪我の方は?」
「特に問題はないよ。エコーは?」
「医者の手当てを受けるために、船にはいませんね。なんでも、シオン様のお知り合いだとか」
「あぁ………」
僕よりも傷が酷かった彼女の事を聞くけれど、医者の知り合いと言えば一人しか思い当たらずにすぐ納得する。まぁ、彼ならば特に心配はいらないだろう………と思ったけど、何か忘れている気がしている。何だったかな。
「どうかいたしましたか?」
「いや………何でもないよ。ステラやセレスティアは?」
「ステラさん達は船内にいますよ。セレスティアは宮殿の方にいますが」
「国王と話しているのかい?」
「いえ………信じられませんが、国王が失踪しているのです。更にこの国で実権を握っていた三つの商会の代表も同じく姿を消し、指導者が実質的にいない状態になっているので、今はセレスティアが代理として統治義務を行っています」
「それは………良いのかい?」
次期国王が、別の国を代理とは言え統治するのは良いことだとは思えなかったのだけれど、オネストは首を振る。
「勿論、そこまで長く続ける訳ではありませんよ。陛下には連絡をしているので、すぐに代理になる人員が派遣されるはずです」
「なるほどね………ただ、そうなるとこの国は正式にフォレニア王国の管轄になるのかな?」
「はい。いくら邪神が関わっているとはいえ、体裁的にはセレスティアがこの国から襲撃を受けた訳ですからね。国王が失踪した今、この国の支配権を主張しなければフォレニア王国が他国から侮られる結果となります」
「それは確かにね………そうだね。僕が眠った後、何か起こった事とかは?」
「特には。ただ、セレスティアは暫く宮殿で寝泊まりするので、明日にでも会いに来ていただけると嬉しいと伝言を預かっていますよ」
「はは。分かったよ」
彼女にもお礼を言わないといけないしね。それに、折角休暇だと思ったら他国の統治を代理でも行うことになるのは少し可哀想だし。帰ってやるべきこともあるだろうし、少し手伝えることは聞いてみてもいいかもしれない。出来ることがあるかは分からないけれど。
「シオン!」
その時、聞き慣れた声が僕を呼ぶ。甲板の方を見ると、ステラが笑みを浮かべながらこちらに歩いて来ていた。
「体は大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ。君には助けられたね」
「ううん、いいの。本当に………あなたが無事で無事でよかった」
そう言ってステラは優しい笑顔を浮かべた。僕はそれに釣られて笑みを浮かべると、オネストが気を使ったようにどこかへと去っていく。いや、間違いなく気を使ったのだろうけど。
一瞬だけ呆れたような、意味ありげな目で見られたのは気のせいだと思いたい。
「………節操がないとでも思われたかな」
「そんなことはないと思うけど………」
セレスティアの姉であるオネストが噂を知らないとは思えないし、一応この街に滞在していたのならあの日の出来事も耳に挟んでいる可能性は十分にある。まぁ、その上でそういう関係のことは分かっているだろうし、あんまり気にする事ではないかもしれないけどね。
「フラウ達に怪我は?」
「後衛で戦ってたフラウはないかな。前線で戦ってたセレスティアやシエルは全くの無傷って訳じゃないけど、大きな怪我も無かったみたい」
「それは良かった」
「でも………その、ロッカが見つからなくて………」
「あぁ、ロッカなら………」
僕はそういって上を見上げる。雲より高い所でニルヴァーナが旋回していて、それを見てステラも気付いたようだ。
「ニルヴァーナが回収しているみたいだね。生命力を分け与えているんだと思う。まぁ、傷は僕が塞がないといけないけどね」
「そっか………よかった」
彼女は笑顔を浮かべて頷く。その姿は前と全く変わらないステラのままだった。そのことに少しだけ安堵しながら、少しだけ他愛のない話をしていた。その途中でフラウが甲板に上がってきて、起きたのなら何故会いに来ないのかと拗ねてしまったのだけど………まぁ、ようやく終わったのだと実感できた。
後でエコーの様子も見に行かないといけないね。
大きな机を囲んだ中で、皆が難しい顔をしていた。私は特に興味が無いから、黙っていただけだけど。特に怖い顔をしていたのは雷神トネールだった。机の上に浮かぶ映像に映るのは、一人の美しい少女だった。
突然誕生した新たなる神、星神ステラ。それ以外に、集まっている理由なんてあるはずが無かった。元々、彼女が私達に近い血を持って生まれたのではないか。と言うのは何となく分かっていた。その理由はまぁ………先祖返りか何かだろうけど。
ただ、彼女からは私の記憶にある月神ルナの面影を感じる。もしかすれば………という考えが無い訳ではなかった。
「………シラファス様からの応答は?」
「ない。何度呼びかけようと、一切反応を示さん」
苛立ちを含んだ声でトネールが答える。彼女を神に昇華させたのが誰かなんてすぐに分かった。邪神が生まれるまでの全てを、私達は見ていたのだから。そして、彼女の圧倒的な力も見ていた。
邪神が未熟だったことは否定できない事実だ。多分だけど、トネールがその気になれば勝てる程度だったとは思う。けれど、今の星神はそんなものじゃない。邪神を圧倒する程の力を持つ彼女が、私達よりも強大な神であることは誰が見ても分かる。古の神である私達が、生まれたばかりの新たな神に劣るのは当然の事でもあるのだけど。
「星神………月神の子孫であることを考えれば、不思議ではないか。とは言え、今更新たな神が生まれるなど、思ってもいなかったが」
「ですが、ある意味では吉報では?彼女ならば、彼の物へ捧げる者としては間違いなく………っ!?」
映像に映し出される彼女を見ながらそう話していた時だ。『権能』と話していたステラが、一瞬だけ私達を見た。たまたまなどではなく、間違いなく私達と目が合った。そして、彼女の瞳が一瞬だけ輝いたと思った次の瞬間、映像が白く染まってそれ以上彼女の様子を伺うことが出来なくなった。
「………」
「………」
誰もが言葉を失う。神界と地上は隔たれた空間であり、あちらから干渉することは基本的に不可能であるはずだった。勿論、同じ神であれば例外ではあるけれど………ここにいる全員の反応で、それがどれほど難しい事かはすぐに分かるはずだ。
「………古の我らと遜色ない、か」
正直に言えば、私も少し驚いている。戦神として名を馳せていた事もあるから、戦闘力を見抜く目は十分に持っている自負がある。今の彼女は、私の全盛期にも劣らないと思う。
「………素直に従うと思うか?」
「難しいだろう。先ほどの様子を見ればな」
彼女が笑みを浮かべて『権能』と会話していた様子を見れば、邪神の化身を鎮めるための犠牲になるとは思えなかった。強引な手段を取ることも考えているだろうけど、私は遠慮したい。そもそも、そういう事に反対だと言うのもあるし、彼女一人だけではなく『権能』もいるのだから、あまりにも分が悪いと思う。
「………仕方があるまい。今は様子を見るしかないだろう」
トネールが諦めたように呟く。私は小さくため息を付いて、真っ白な映像を見つめる。取り敢えず、今回の出来事は相手にも大きな影響があるはずだった。それが何かは分からないけれど、少しは事態が好転する事を願っていた。